風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -3ページ目
岡林信康。
その名は僕にとって、明治維新の頃に登場する人の名のようだった。吉田松陰や西郷隆盛や坂本龍馬や武市半平太などだ。

系譜は知らないけれど、たどればボブディランになるのだろうか?

とにもかくにも、名前と少しの歌は知ってはいるけど、実像は知らない伝説の人。

この人がフォークの神様と呼ばれていたのはもちろん知っている。
けれど、意味が分からなかった。反戦? 学生運動? 反体制? どこかジメジメしてる。僕のイメージとしては暗いシンガーだったから。

僕にとってフォークと言えば、吉田拓郎、井上陽水、いずみやしげるになる。

そうそう、岡林信康といえばこの顔↓↓↓↓

君に捧げるラブソング / 岡林信康


この間YouTubeを見ていて驚いた。
こんなひとだったのかと。

僕にとっての岡林信康像をひっくり返したこれはぜひ聴いてほしいです。↓↓↓↓

山谷ブルース



こんなインタビューを見つけた。

A:不本意ではあるんだけど、僕は学生(同志社大学)をやめたから学生運動というものを知らないんですよ。デモも一度も行ったことないんです。新宿西口でみんなフォークソングを歌って大騒動になったというけど、あそこに僕は一度も行ったことないんです。

Q:東大紛争の昔の映像が出ると……。岡林さんの歌が必ずバックに流れます。

A:それは迷惑なことだよね。考え方として左翼的だった時期もあるし、妄信していた時期もあったけども、しばらくすればそんなものがバカげた考えだということもわかってきた。左翼思想にガチガチになって旗を振ったというのはウソですよ。だいたい俺はみんなと徒党を組んでどうこうというのがイヤなの。個人的な人間だから。

Q:反体制と言われることもイヤだったんですか。

A:そうやね。俺がつくった歌に反戦歌なんて一曲もないよ。男と女の歌しかなかったから、政治家をこきおろしたり先生の悪口言う歌をつくっただけ。それは新鮮やったけど、「反戦歌手」のレッテルをつけられた。

僕はこんなことをまったく知らなかったということに衝撃を受けた。
岡林信康という伝説のフォークシンガーを僕は好きになってしまったのだ。
そしてその年齢にも驚いた。吉田拓郎と同い年だということに。

岡林信康1946年7月22日 生まれ。
吉田拓郎1946年4月5日生まれ。

吉田拓郎の方が少しお兄さんだった。
あぁ、僕は何も知らなかったのだ。
いつのころからだったろうか、僕は洋楽ばかりを聴く少年になっていた。

ミシェル・ポルナレフ、エルトン・ジョン、クール&ザ・ギャング、スタイリスティックス、ロバータ・フラック、カーリー・サイモン、スティーヴィー・ワンダー

1972年2月、そんな僕を日本の音楽に引き戻す歌が発売された。
平田隆夫とセルスターズの『ハチのムサシは死んだのさ』
だって僕は、レコードを買ってしまった。日本の歌にしてはそうとうイカしていたから。

セルスターズでボーカル&ギターを務めた菊谷英二さん、ご冥福をお祈りいたします。
27日に虚血性心疾患で死去77歳。

ハチのムサシは死んだのさ / 平田隆夫とセルスターズ


振り返る1974年

殿さまキングス『なみだの操』
小坂明子『あなた』
中条きよし『うそ』
中村雅俊『ふれあい』
渡哲也『くちなしの花』
布施明『積木の部屋』
フィンガー5『学園天国』
りりィ『私は泣いています』
グレープ『精霊流し』
山口百恵『ひと夏の経験』
郷ひろみ『よろしく哀愁』
山本コウタローとウィークエンド『岬めぐり』
梓みちよ『二人でお酒を』
かぐや姫『赤ちょうちん』
西城秀樹『傷だらけのローラ』
井上陽水『心もよう』
かぐや姫『神田川』
海援隊『母に捧げるバラード』
チェリッシュ『白いギター』
井上陽水『闇夜の国から』
アン・ルイス『グッド・バイ・マイ・ラブ』

セルスターズのせいもあり、このころは日本の音楽も聴いていたなと思う。

そんな中聴こえてきた洋楽はやはり素敵だった。

The Three Degrees / When will I see you again


今はそんなことはないけれど、このころの日本の歌は、やはり洋楽には勝てなかったかな。余裕の横綱相撲という感じがする。

おかげさまで、熱は下がりました。
朝本浩文さんを知っているだろうか。

朝本浩文
音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャー

2014年9月11日午後10時40分ごろ、自転車で帰宅途中、渋谷区の路上で転倒し頭部を強打。意識不明となった。
2016年11月30日意識が戻ることなく死去。53歳。

奥さんの由美さんが3日後、Facebookに投稿している。

「事故当日、私はなぜか心がざわつき、仕事で家を出る主人に、何度も自転車を置いて出かけるように、また何度も帰りは自転車を押して帰ってきてねとお願いし続けていたのに対し、彼は『解った』と言っておきながら、自転車に乗って帰ってきて事故にあったのでした。全く私の言う事を聞いてくれなかった、手の焼けるとても頑固な九州男児でした」


作詞:UA
作曲:朝本浩文
 歌:UA

数え足りない夜の足音
溺れかけた 人の波に逆らってく
憎まれ口ね
意味もない言葉が Ah やけに頭の中回る

腐りかけたフロアに細い影が絡まる
開かない厚いドア倒して
昨夜の味の仕業ね 笑い声が聴こえる
触れない邪魔な膜燃やした

数え足りない夜の足音
溺れかけた 人の波に逆らってく
憎まれ口ね
意味もない言葉が Ah やけに頭の中回る

つぶれかけた体に熱い海が広がる
分からない相談を交わして
まずい水を飲む前にキツい煙草ちょうだい
終われない1秒を笑った

ふざけすぎてた夜の隙間に
貴方だけをずっと近くに感じてた
世話もないよね
絶え間ないリズムが Ah 涙拭うヒマもくれない

ため息が重くて
光だけみつめて
灯りなんか要らないよ
もう夜を止めないで

数え忘れた夜の足音
溺れかけた 人の波に逆らってく
憎まれ口ね
意味もない言葉が Ah やけに頭の中回る

ふざけすぎてた夜の隙間に
貴方だけをずっと近くに感じてた
世話もないよね
絶え間ないリズムが 
Ah 涙拭うヒマもくれない


モジモジくんみたいなその恰好、どうにかならないのかとも思うが、UAのやることだからしょうがないともいえる。
同じく朝本浩文作曲の “情熱” もいいけど、この歌もいい。
才能は生まれ死んでゆく。けれど、作品は消えない。


数え足りない夜の足音 / UA



夕方、突然くしゃみを連発した。やば、風邪ひいた。←ずっと引いてるでしょって。去年からでしょって(;'∀')

帰って熱を測ったら27.7度あった。やば。でも咳じゃないからな、と慰めつつ。

肺のCT検査受けろと言われている身でコロナ食らったら、即死するな(;´Д`)💦

コロナ禍は、本物と偽物を分けていく。
僕にはそのように思われてならない。

もちろん、偽物が死んで本物が生き残る、という意味ではない。
二極化が進む。そう思えるのだ。

政治家も経営者も、そして僕たちも、きっと底力が試される。
 
“山川の末(さき)に流るる橡殻(とちがら)も身を捨ててこそ浮かむ瀬もあれ”
「空也上人」

「肉を切らせて骨を断つ」そんな覚悟が求められている。

いたらない僕だれど、できるなら、感謝と笑顔の側に入りたい。
死にたいと思った情けない過去もあるけれど、今は、生きたい。
岡江久美子さんのコロナ死には胸が痛んだ。とても悲しいけれど、今夜はその話ではない。

そんな流れは感じていたのだけれど、僕は強引に押し切ってきた。
でも今日、遠慮がちにだけれど言われた。

「マスクは売るなって」

上からのお達しだ。
立場的に、僕は所属店舗を移動する遊軍に近い。僕が教えた人が上に上がっていく。だからそれを口にした人間も、僕の教え子だ。だからといって、それをどうにか思うほど子供ではない。責任者にという言葉を何度も断ってきたのだから。

納品される数などたかが知れている。マスクがあって助かったと思う人はほんのわずかだ。
でも、それを売らずにどうするつもりだ。

僕が口にできたのはこの一言だった。
「それ、人として正しくない」

そんな流れを感じていただけに、僕が欠かさず続けていることがある。
ショルダーバッグにマスクを忍ばせること。もちろんバラではなく一袋。
一袋なんてたかが知れている。せいぜい4~5枚、ものによっては7枚ぐらいだろう。

それでも、ひどく困っている人がそばに表れたら譲る気持ちで持ち歩いている。

人の心が荒(すさ)み始めている。
人として正しいこと、人としてやってはいけないこと……恥多き人生を送ってきた僕は、これ以上恥を重ねたくはない、と思い続けている。

己の愚かさに早く気づいてくれればいいと思うが、無理なんだろう。マスクが並ばない理由のひとつは、きっとここにもある。

ひととして、恥ずかしいことだと思う。


 友人の部屋だった。数人でどこかへ出かけようとしていた。最後に部屋を出ようとしていた僕はテレビを切ろうとした。その時、テレビから歌が流れてきた。

「○○行くよ」
「待って、ちょっと待て」
「ほら、早くぅ」
「待ってって」
「テレビなんて後でいいじゃん」
「よくない。おまえたち外で待ってて」

 けして美人じゃない。それに、かなり変わった声をしている。アーミールックに身を包んだ名も知らぬシンガーに僕はくぎ付けになった。

 誰だこの人……

 その歌が「あの日に帰りたい」というタイトルだと知ったのは、だいぶ後だったような気がする。

 彼女は後年、日本を代表すると言ってもいいシンガーソングライターになった。

 その後、テレビの前から動けなくなった歌手といえば、中森明菜だろうか。朝っぱらから、腫れぼったい瞼をして街頭で歌っていた「スローモーション」

 音楽って、いい。

blueさんの素敵な動画をお借りしました。


あの日にかえりたい / 松任谷由実



ただいま投稿中の2作はイマイチのランクです。が!
NOVEL DAYS

 僕の書く小説をなめたあかんで! 盛り上がるのはこれからです。
ほんとかなぁ……

 放置気味ですみません。明日は小説をお休みして、皆さまのところへ訪問したいと思っています。
『Innocent World 罪なき世界』
 先行して一章だけ。


「働かないといっても、うちの店の若い子らふたりと、町にある小間物屋のおばあちゃんと、荒物屋(あらものや)のご主人と、蕎麦屋のおかみさんとコンビニの旦那さん。あの人たちは働いています。おばあちゃんは座布団を敷いた椅子に座って日がな一日うたた寝をしていますが」
「蕎麦屋とコンビニはよく行きます。蕎麦屋のかつ丼は卵が半分トロっとしてて美味しいですよね。亜弥のために小さいのを作ってくれます」

「えぇえぇ、以前は旦那さんが作っていて見よう見まねと笑いますが、あのかつ丼は美味しいです。それとコンビニの旦那さんなんて、何て言うんでしょうか、名前は知りませんが発注の端末を肩にかけて一生懸命打ち込んでいます。けれど、配送の車なんて来ないんです。でも、商品は売れても一夜があければ元に戻ります。お金もです」

「これが生きているうちだったら、パラダイスなんでしょうか、無限ループの地獄なんでしょうか」秋山さんが苦笑した。

 私はポケットを探り小銭を取り出した。
「亜弥ちゃん」
 呼びかけに振り返った亜弥ちゃんは、ちょっとだけ大人になった微笑みを浮かべた。

「喉は渇いてないかい? 何か買っておいで」亜弥ちゃんは、うん、とベンチから降りて走ってきた。

「駅長さんは?」
「あぁ、おじさんは大丈夫だよ。秋山さんもよかったらどうぞ」秋山さんは、いえ私はと手を振り、ありがとうございます、と頭を下げた。

「たぶん、今日が最後ですよ、三人で過ごすのは」
「あぁそうですね。では缶コーヒーをいただきましょうか。亜弥頼むよ」

「うん、びとうね。お兄ちゃんにさよならを言ってくる」小銭を握った亜弥ちゃんは、ピンクのワンピースと長い髪を風になびかせながら駆けていった。

「お母さんが生きていればそれでいいって、なんとも健気な言葉ですね。いいお子さんにお育てになった」私は万感の思いを込めて右手を差し出した。

「あの子が女房を呼ぶときは、必ずママなんです」強く握り返された。

「でも女房がいないとき、お母さんと表現するときがあるんですよ。ママはきっと女房の呼び名で、お母さんは血の繋がりを含めてといいますか、果てなく大きな存在を、幼い本人なりに表しているんだろうかと、勝手に想像したりして……かなりジンときました」

 ひとは音もなく静かに涙を流すときがある。泣き喚くより重くて辛い涙を流すときがある。彼らは今、それを流している。最期を見届けなければならない。

 手をつなぎ展望台に向かうふたりの背中を見つめた。それは厳(おごそ)かな儀式に向かう父娘のようにも、死地に向かう悲壮な戦士の後ろ姿のようにも見えた。

 ベンチに腰をおろし午後の12時50分を指した腕時計を確認した。今日で終わるなら時間は延ばさなくてはならない。ふたりをしっかりと送らなければならない。

「美味しかったね」亜弥ちやんの声だ。
「うん、美味しかったね。亜弥はピーマン残しちゃったけどな。ママはプンプンさ」
 笑ったのだろうか、小さな肩がふっと揺れた。どこかで外食でもしたのだろうか。

「ママ」双眼鏡を覗く亜弥ちゃんが声がした。これがあの子の最後の呼びかけになるのだろうか。吐いた息が少し震えた。

JUJU 『また明日』
 小説投稿サイトより一足先にアップしてみたいと思います。アメーバはルビ(ふりがな)がふれないんだなと改めてびっくりしました。でも、YouTubeが貼れるからいいな♪

          ***

『開店前 prologue』

 この店名が、ニューヨークはマンハッタンにあるジャズクラブの名前から来ていることは確かだろう。
 その本家の名は 「モダン・ジャズ(ビ・バップ)の父」である巨匠・Charlie Parker のニックネーム、 “Bird ” に由来するようだ。

 東京の繁華街を少しだけ外れた場所にある、時代に取り残されたようなこの店の名前から、ジャズの名曲『バードランドの子守歌』を連想する客も多いに違いない。


 クリス・コナー「バードランドの子守歌」

 ステージは階段一段分ほどの高さに設えられ、ボックス席がステージを囲むように40席ほどある。

 ピアノ、ベース、ドラムのトリオ編成と日替わりの女性ヴォーカルによるジャズが毎夜演奏されている。

 ボックス席の手前にあるカウンターフロアは、ステージから遠い分一段上く造られ、落ち着ける背の低いアームチェアが10脚並べられている。キャパシティはざっと50ということになる。

 バーテンダーは常時3人。カウンター客の相手ばかりではなく、全席のドリンクオーダーもすべてカウンタースタッフが引き受ける。

 そのカウンターの中で、マイクロファイバークロス「トレシー」でグラスを磨きながら、今夜も老バーテンダーは客を待つ。

 タキシードに蝶ネクタイ、胸からのぞくポケットチーフ。櫛目も鮮やかに後ろに撫でつけた髪には白いものが混ざり、業界では掟破りとも言える髭は細く整えられている。

 体は細身で、見目はダンディである。元来の正義感と気の強さから武勇伝も数しれず、骨折らしい骨折は一対十という無謀な乱闘で砕けた鼻という男ながら、歳を経たその顔はどこまでも穏やかである。

 女──確かに男にも女にモテたが、体のどこを切り取ってもフェミニストである彼は、女遊びという言葉とは無縁である。一球入魂、全力投球。それが彼の信条で、若いころは哀れなほどに肩を壊した。

 好む煙草は「ジタン・カポラル」。ルパン三世と同じである。ジタンはスペインのジプシー女を意味する言葉で、パッケージには女性のシルエットが描かれた、ゴロワーズと並ぶフランスを代表する銘柄である。



 その空き箱を捨てるとき、飽きもせず彼が口ずさむ歌がある。

 いつか忘れていった こんなジタンの空箱 ひねり捨てるだけで あきらめきれるひと

 作詞:ちあき哲也/作曲:筒美京平/編曲:船山基紀
 歌/庄野真代 『飛んでイスタンブール』

 一部のバーテンダーにしか知られていなかったアメリカ生まれのカクテルをメジャーなものにしたのも彼である。

 シェイクするショートドリンクとして紹介されていたそれをロックグラスで提供したところ、それはたちまち同業仲間を伝い、町場のショットバーや居酒屋、カラオケボックスで展開され若者の支持を得ていった。ピーチリキュールをオレンジジュースで割ったそのカクテルの名は『ファジーネーブル』。

 彼がまだ三十代もそこそこの渋谷での話である。

 彼は求められれば最高のものを提供することを惜しまない。けれど何も求められなければ、静かに過ごさせることを常としている。

 酒を求め、ジャズを求め、彼との会話を求めて、今宵もさまざまな客が訪れる。

 彼の名前は棚橋慎二朗。この道40数年のバーテンダーである。


 To be continued


 バードランドの子守歌といえばクリス・コナーの印象が強いですが、個人的に好きなサラ・ボーンをアップします。

Sarah Vaughan - Lullaby of Birdland


 続きを上げるかどうかは、謎です(笑)
まだアップしていませんが、続きが気になる方はチェックしてください。
 講談社ノベルデイズ

 久々に貼ります。貼ってなくてもランキングの底辺で生き残っていることに驚きました。


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 今日は病院で健康診断でした。バリウムを飲んで、「げっぷは頑張って我慢してくださいね」と言われた直後に、機械が動いたはずみでげっぷをした僕でした。

 でも、やばいだろうなぁと思っていた肺が、改めて呼ばれて撮り直しになりました。おまけに担当の女性が素早く消えて男性スタッフがわらわらと現れ、横向きも要求されました。

 おやすみなさい。


釈尊は説いた。「いつまでも変わらない」ことにこだわりすぎる心が「苦しみ」を生むひとつの原因である、と。

諸行無常
すべてのものは、いつかは変わりいつかは壊れその存在を失う。この世に存在するすべての物事は同じ状態を保つことなく移り変わり、永久不変なものなどない。

それが当たり前のことである。

それは分かっているのだけれどね。
どうやら僕は、どんどん頑固者になってゆく。歯は脆くなっていくのに、頭は固くなっていく。

どうしたもんだろう。


中島みゆき/世情
作詞:作曲/中島みゆき

世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする

変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと戦うため


世の中はとても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつも ついている

包帯のような 嘘を 見破ることで
学者は 世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため


中島みゆき/世情/Covered by BEBE


昭和の名曲をひとつ、でした。

人には得手不得手というものがある。
たとえば僕なんて、数字を見るとすぐさま挫ける。頭が受け入れを拒否するのだ。

でもそれは特性だから気にすることはないのだろうと思う。

それとは別に、人はきっと、目に見えない殻というものを抱えている。それは本人も気づかずに引いている限界点。

瓶に入れられたノミは撥ねるとぶつかるから、やがてその瓶の高さを認識する。

世界の高さを知る。

だから、瓶から出されても、その高さ以上には飛ばなくなるのだという。それはまさしく、目に見えない殻。

ひな鳥はチクチクと中から殻をつつき、やがて羽ばたく。
ひな鳥にできて、君にできないことがあるだろうか。

Ikimono gakari - Blue Bird


突き抜けたら みつかると知って
振り切るほど 蒼い 蒼い あの空

まだ歳若いころから僕が確信していたことがある。

それは、人はきっと大人になり切れないまま死ぬのだろう、ということ。

これはどうやら予想通りだと感じている。

それはそうだろう。
わずか数十年で何を悟れるというのだろう。

だから僕は、はしゃいだまま死ぬのだ。
背中に背負ったものが重いのだけれどね。

思い返してみれば、ああもできた、こうもできた、そう思えたりする。
けれど、その時の僕はそれで精いっぱいだったはずだから、今さら反省しても意味がない。

好きになった人もいた。たまにいた。
そのひとたちすべてに告白したかと言えば、ほとんどできなかった。

端から見れば頑張っていないように見えたって、心で頑張った。それが実を結ばなかったのは、勇気がなかったせいだろう。

僕の性格が全く違ったものであったとしたら、どんな異性関係が繰り広げられたのだろう。

でも、いいんだ。僕は、女の人と遊びたいとは思わなかったから、いいんだ。

うん。いいんだ。これがきっと僕なんだ。