来年の終戦記念日には、靖国神社に詣でることができるだろうか。公園での読書の合間に、僕はそれを考えていた。
長いですけど、ぜひお付き合いください。

東京裁判から3年後のことだった。GHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーは、米国上院軍事合同委員会の公聴会でひとつの証言をした。
しかしこれは、日本のマスコミで報道されることも、教科書に記載されることもなかった。
もしもこれがマスコミで報じられ、教科書に掲載されて広く国民の知るところとなっていたなら、戦後植え付けられた自虐的歴史観の呪縛から脱し、日本は真の独立国となっていただろう。
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日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。
日本はなにも悪くありません。自衛戦争をしたのです。
イギリスのチャーチルに頼まれて、ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。
アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突きつけました。
中国大陸から出ていけだの、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。
当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人は良くて、日本人は許さなかったのです。
ハルノートのことは私もアメリカの国民も知りませんでした。あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。
戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画をたてました。
アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法は、
その国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。
まず、
日本の指導者は間違った軍国主義をとってアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。
日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を使わせました。
東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。
公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。
その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。
徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。
ラジオ・テレビを使って
戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました。
これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。
私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカなのです。
戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。
最後に私が生きていたときの証言を記して、謝罪の言葉としたいと思います。
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『私は日本を誤解していました。日本の戦争目的は侵略でなく自衛のためだったのです 太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国によって強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。
日本は八千万人近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。
歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ。つまり、労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。
これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。
彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることが出来ませんでした。
日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。
その全てがアジアの海域に存在したのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。
従って、
日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです』
1951年(昭和26年)5月3日
アメリカ上院軍事合同委員会の公聴会にて

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なぜマッカーサーはそこに思い至ったのか。
それは朝鮮戦争を戦ったからだ。
(1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争)
そこでやっと悟ったのだ。明治維新以来、日本がずっと恐れていたものの正体を。ロシア(ソ連)共産主義の脅威を。
マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解できたのである。
当時アジアの独立国は、日本とタイだけだった。
ただし、英領のインド、仏領のベトナムの2つの植民地間の緩衝地として、タイはあえて植民地化されていない状態だった。
アジアの国の国民は、人間扱いされなかったのだ。
当時のことを、日本の侵略であるとか、それに伴う戦後保障とか口にするのはたったの3
国しかないことを僕たちは知らなければならない。
それは、お分かりのように、中国と北朝鮮と韓国である。
彼らはアジアの人々は、とか、アジアの国々はとか、まるでアジアの代表のような言葉を使う。それは誤りだ。日本を責めるアジアの国はその3国しかない。
彼らは自分の利益のためなら平気で嘘をつくのだということを忘れてはいけない。

最後に1935年(昭和10年)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を引用します。
「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ」
大国の権謀術数が世界を複雑に支配していた。この時点でもなおアメリカは、共産主義の脅威に気づいていない。
あの時から現在までそれに振り回されているというのに。
もしもあの日、昭和天皇が終戦の決断をしていなければ、北海道と東北地方辺りは共産主義国家になっていた可能性だってある。
かつての東西ドイツや現在の朝鮮半島のように分断される恐れがあったのだ。
いばらの道であったけれど、日本は生き残り、民族としてのアイデンティティさえ奪われ奴隷のように扱われたアジアのすべての国々は独立を果たした。
自信と誇りを取り戻せ日本。
でなければ、死んでいった英霊たちが犬死になる。彼らを悪者に仕立てたままで永遠に葬り去るなどという愚行を、これ以上行ってはならない。

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にほんブログ村こんな記事を書くと、僕はひどく疲れてしまう。
暖簾に腕押しをしている気分になるのだ。