風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -25ページ目

京都橘高校吹奏楽部ってアップしたことがあったかなぁ……
忘れてしまった。



時々見るけど、凄いなあって思います。元気が出ます。

彼女たちがなぜ、”オレンジの悪魔”と呼ばれるのかを僕は知りませんけど。


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エゴというと、自分の利益だけを考えて行動する様子やその人を指します。

女子体操の宮川紗江選手もエゴに巻き込まれました。



女子体操界の“女ボス”の異名を取る塚原千恵子女子強化本部長(71)と、夫の塚原光男副会長(70)にです。

ムーンサルト(月面宙返り)生みの親の塚原光男もくだらない男だったということです。



日本ボクシング連盟の問題もあります。



これを見ていると、かつて日本を戦争に追い込んだ馬鹿な国を見ている気になります。
台湾をいじめる中国も……。

礼節を持たない人間が力を持つとどうなるか、僕は反吐が出るほど見てきました。

人間は、いつになったら学ぶのでしょうか。
僕はもう、うんざりです。

こんなとき、僕は思うのです。
人類なんて滅んでしまえと。


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この映画は平成14年、靖国神社・遊就館で上映する為に製作されましたが、政治的圧力もあり二日間で上映禁止となりました。


遊就館入り口のゼロ戦
戦場で残骸となって発見された数機の機体を集めて復元された

残念ながら、泉水隆一監督は平成22年7月15日に逝去されました。しかし、関係者の努力で、DVDやYouTube で日の目を見ることになりました。

かつて、南方の島々で戦った日本軍に援軍は来なかった。

ならば、今から援軍を送る。日本を変える援軍を送る。

あなた方の真実を、痛みを私たちは伝えていきます。



とても長いです。時間のある時にぜひ見てください。



僕が僕でありますように。
日本が誇り高き日本人の姿を取り戻せる国になりますように。


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今夜は気楽に書かせてもらいます。ですので、気楽に読んでください。

毎年、8月15日の終戦記念日になると首相や大臣が靖国神社に参拝したということに対して、中国や韓国から、毎回のように抗議が繰り返される靖国問題。



このいちゃもんが始まったのは比較的最近のことなんですけど、昭和60年ごろからですかね? 調べないと確かなことはわかりませんけど、それを書くと長くなるので止めます。

今年はどうだったのだろう?
あまりテレビを見ていないのでわかりません。

靖国神社には、大東亜戦争(押しつけの太平洋戦争と言ってはいけません)における軍人が多く祀られていて、その中には、東京裁判で有罪判決を受け戦争犯罪人とされた人、特にA級戦犯が合祀されているということが問題になりました。

まあ、あれはどう考えても裁判じゃないんですけどね。
第三者じゃなくて、喧嘩に勝った方が負けた方を裁くなんてありえません。そうなると何でもありですから。
その、なんでもありだったのが「東京裁判」です。

ところで、A級戦犯分祀とか一時耳にしましたけど……分祀の意味を分かっているのでしょうか?
絶対にわかってませんね。

分祀とは、ある場所に祀られている神を、別の場所でも祀ることです。

だから、分祀したからといって靖国神社からA級戦犯がいなくなるわけではなく、祀られる場所が増えるということです。僕としてはうれしいことに、二か所に神が鎮座しますね。

そんな言葉を使うこと自体が、もう、馬鹿丸出しですね。

話は変わって、靖国神社に坂本龍馬が祀られていることは知っていましたか?



創設された当初の靖国神社というのは、対外戦争における戦没者を祀ることを目的として創建されたものではありませんでした。

靖国神社が創建されたのは、明治2年(1869年)のことです。
最初に祀られたのは戊辰戦争の戦没者です。

大村益次郎が中心となり発足した東京招魂社が始めなのです。

これで分かりましたね。大門をくぐると馬鹿に高いところに大村益次郎像がある理由が。
その眉はなんだ? といいたくなる大村益次郎像です。



その後、この靖国神社は幕末維新の際、国事に尽くし、動乱の中で命を落とした人たちを祀る神社として発展していきます。

靖国神社というのは、もともとは戊辰戦争の戦没者を慰霊するための神社だったのです。それだけではなく、幕末維新における国事殉難者を顕彰し忠魂する側面を持っていたのですね。

その中で、幕末維新殉難者が最初に靖国神社に祀られたのは明治16年(1883年)のことで、この第一回目の合祀対象となったのが、武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎など、土佐勤王党の面々80名だったのです。

土佐といえば、人きり以蔵と呼ばれた岡田以蔵はどうなのか。

実は旧土佐勤皇党関係者によって靖国神社への合祀は見送られ、以蔵が合祀されたのは昭和58年(1983)のことなのです。

以蔵の最後の句がこれです。
「君がため 尽す心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空」
人斬りと呼ばれた男に似つかわしくない美しさです。

吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、橋本左内も祀られています。

西郷隆盛は祀られていません。
上野に建っている西郷さんは何を思う。
「そげんこまんかことは、よかよか」

西郷隆盛は諱(いなみ)の隆永を自身の名前として使っていくつもりであったらしい。
いなみというのは戒名とでもいうでしょうか。

それを届ける吉井友実が間違えて、隆盛の父親の諱を届けてしまったのです。
だから西郷さんは、隆盛になったのです。

その間違いに関して西郷は、「よかよか」と気にする様子もなかったようです。
そのせいでもないでしょうが、生涯「吉之助」と名乗り続けました。

自分のことを西郷隆盛と呼ばれることに、あの世で違和感を感じているはずです。
だって、生涯一度も名乗ったことがないのですから。

「西郷さん、126番の西郷さん」
ふっ! おいどんか?

「126番の西郷隆盛さん」
違うた。病院の待合室で、大きくなり過ぎたふぐりを小さくする薬を待ちながら週刊新潮を読む西郷吉之助であった。


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来年の終戦記念日には、靖国神社に詣でることができるだろうか。公園での読書の合間に、僕はそれを考えていた。

長いですけど、ぜひお付き合いください。




東京裁判から3年後のことだった。GHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーは、米国上院軍事合同委員会の公聴会でひとつの証言をした。

しかしこれは、日本のマスコミで報道されることも、教科書に記載されることもなかった。

もしもこれがマスコミで報じられ、教科書に掲載されて広く国民の知るところとなっていたなら、戦後植え付けられた自虐的歴史観の呪縛から脱し、日本は真の独立国となっていただろう。

─────────────────────────────

日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かったのです。   
日本はなにも悪くありません。自衛戦争をしたのです。

イギリスのチャーチルに頼まれて、ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだのです。

アメリカは日本を戦争に誘い込むためイジメにイジメぬきました。そして最後通牒としてハルノートを突きつけました。

中国大陸から出ていけだの、石油を輸入させないなど、アメリカになんの権利があったというのでしょう。

当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地でした。白人は良くて、日本人は許さなかったのです。

ハルノートのことは私もアメリカの国民も知りませんでした。あんなものを突きつけられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がるでしょう。

戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていました。我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画をたてました。

アメリカは知っていたのです。国を弱体化する一番の方法は、その国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することだと。戦後アメリカはそれを忠実に実行していきました。

まず、日本の指導者は間違った軍国主義をとってアジアを侵略していったと嘘の宣伝工作をしました。

日本がアジアを白人の植民地から解放したという本当の理由を隠すため「大東亜戦争」という名称を禁止し、代わりに「太平洋戦争」という名称を使わせました。

東京裁判はお芝居だったのです。アメリカが作った憲法を日本に押し付け、戦争ができない国にしました。

公職追放をしてまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学などの要職にばら撒きました。

その教え子たちが今、マスコミ・政界などで反日活動をしているのです。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにしました。

ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった。戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙しました

これらの政策が功を奏し、今に至るまで独立国として自立できない状態が続いているのです。

私は反省しています。自虐史観を持つべきは日本ではなく、アメリカなのです。

戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺しました。

最後に私が生きていたときの証言を記して、謝罪の言葉としたいと思います。

─────────────────────────────

『私は日本を誤解していました。日本の戦争目的は侵略でなく自衛のためだったのです

太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国によって強大にさせたことでした。東京裁判は誤りだったのです。

日本は八千万人近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。

潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らぬ優秀なものです。

歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ。つまり、労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していたのです。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。

彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることが出来ませんでした。

日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然でした。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、錫がない、ゴムがない、他にもないものばかりでした。

その全てがアジアの海域に存在したのです。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れたのです。

従って、日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです』


1951年(昭和26年)5月3日
アメリカ上院軍事合同委員会の公聴会にて




─────────────────────────────

なぜマッカーサーはそこに思い至ったのか。

それは朝鮮戦争を戦ったからだ。
(1948年に成立したばかりの朝鮮民族の分断国家である大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で生じた朝鮮半島の主権を巡る国際紛争)

そこでやっと悟ったのだ。明治維新以来、日本がずっと恐れていたものの正体を。ロシア(ソ連)共産主義の脅威を。

マッカーサーは日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解できたのである。

当時アジアの独立国は、日本とタイだけだった。

ただし、英領のインド、仏領のベトナムの2つの植民地間の緩衝地として、タイはあえて植民地化されていない状態だった。

アジアの国の国民は、人間扱いされなかったのだ。

当時のことを、日本の侵略であるとか、それに伴う戦後保障とか口にするのはたったの3
国しかないことを僕たちは知らなければならない。

それは、お分かりのように、中国と北朝鮮と韓国である。

彼らはアジアの人々は、とか、アジアの国々はとか、まるでアジアの代表のような言葉を使う。それは誤りだ。日本を責めるアジアの国はその3国しかない。

彼らは自分の利益のためなら平気で嘘をつくのだということを忘れてはいけない。



最後に1935年(昭和10年)の第7回コミンテルン大会におけるスターリン演説を引用します。

「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ」

大国の権謀術数が世界を複雑に支配していた。この時点でもなおアメリカは、共産主義の脅威に気づいていない。
あの時から現在までそれに振り回されているというのに。

もしもあの日、昭和天皇が終戦の決断をしていなければ、北海道と東北地方辺りは共産主義国家になっていた可能性だってある。

かつての東西ドイツや現在の朝鮮半島のように分断される恐れがあったのだ。

いばらの道であったけれど、日本は生き残り、民族としてのアイデンティティさえ奪われ奴隷のように扱われたアジアのすべての国々は独立を果たした。

自信と誇りを取り戻せ日本。
でなければ、死んでいった英霊たちが犬死になる。彼らを悪者に仕立てたままで永遠に葬り去るなどという愚行を、これ以上行ってはならない。




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こんな記事を書くと、僕はひどく疲れてしまう。
暖簾に腕押しをしている気分になるのだ。



図書隊の中でも最も危険な任務を負う防衛隊員として、日々訓練に励む郁は、中澤毬江という耳の不自由な女の子と出会う。

毬江は小さいころから面倒を見てもらっていた図書隊の教官・小牧に、密かな想いを寄せていた。

そんな時、検閲機関である良化隊が、郁が勤務する図書館を襲撃、いわれのない罪で小牧を連行していく―─

かくして郁と図書隊の小牧奪還作戦が発動した!?
書き下ろしも収録の本と恋のエンタテインメント第2弾。

「BOOK」データベースより

図書館戦争シリーズ2作目は恋のお話……かな? 一巻よりは甘めで、それぞれの登場人物のキャラが立ってきた感じです。
中途の難聴者中澤毬江と『レインツリーの国』がここでつながってきた。

ほとんどの読者の想像通りだった「王子様」、が誰なのか判明した郁!

「本を傷つけるということは、その本を愛する人を傷つけることと同じ」
いいセリフです。

そんな僕だって、世間の評価の高い作品(作者)をけなしたりするので偉そうなことは言えませんけど。

時々登場してきた「なかんずく」という表現が多すぎるのが、あれ? また? と気になった。

「とりわけ・中でも・特に」という意味だけど、思い出してみるに最低3つはあった。
だからもっと多かったんじゃないだろうか。
普段あまり使わない言い回しなので引っ掛かりを覚えました。


画像はおりしました

いつもの公園では、またフリマをやっていた。この暑さでは大変だったろう。そもそもお客さんもいないし……。

ほんと今日は暑かった。晴れっぱなしで風もなく、逃れようのない暑さだった。

シートで顔や体を拭いてもすぐに汗が出てくる。僕はひと夏にひとつギャツビーのフェイシャルペーパーを買う。それもクールを歌っていない奴。ギャツビーはクールタイプじゃなくても充分な気がする。

でも、この夏買ったのはこれ。
これ大判で厚手で破れにくくて、CM通り確かに使い勝手のいいシートだ。↓↓↓↓



季節は動いているから日陰の場所もまた刻々と変わっている。あまりに暑くて、日差しをよけて僕は読書場所を4つも変えた。とはいえ公園内だけど。

先週のお休みに図書館戦争(1)を読んでいるとき、本を閉じて缶コーヒーを飲み煙草の煙をふぅっと吐くとき「幸せだなあ」って僕は何度か呟いた。

今回それがなかったのは、あまりの暑さのせいか内容のせいかは僕にはわからない。


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    ─トラトラトラ─

現地時間午前7時35分(日本時間8日午前3時5分)に航空隊はオアフ島北端カフク岬を雲の切れ目に発見した。

7時40分(同3時10分)
・・―・・ ・― ―・ ― ― ― ・・―・・ ・― ―・ ― ― ―

「突撃準備隊形作れ」を意味する「トツレ」が発信された。

真珠湾攻撃においては、飛行総隊長・淵田美津雄中佐による「奇襲」と「強襲」のふたつの合図があった。

奇襲の合図が信号弾1発で、強襲の場合には信号弾2発だった。

敵に察知されていない「奇襲」攻撃の場合、魚雷を抱いた97式艦上攻撃機の雷撃隊40機が先行して敵艦に魚雷攻撃を仕掛け、続いて地上の敵戦闘機や対空陣地などを殲滅する99式艦上爆撃機51機による急降下爆撃機が攻撃する手順だった。

一方、敵に察知され、敵戦闘機の迎撃が待ち構えている「強襲」の場合は、奇襲とは逆に、制空を担任する戦闘機隊と急降下爆撃隊が先行して敵を制圧した後に、雷撃隊および水平爆撃隊がこれに後続する手はずだった。

真珠湾攻撃は米軍が察知しておらず、完全な奇襲だった。だがそこに大きなミスが発生した。

信号弾1発で動くはずの村田重治率いる雷撃隊が展開行動を起こさないのを見て、淵田美津雄は合図が見えなかったと判断。

信号弾もう1発を発射、艦爆隊指揮官である翔鶴飛行隊長の高橋赫一海軍少佐はこれを合わせて信号弾2発の「強襲」と誤解して敵基地に攻撃を仕掛けることになった。

真珠湾攻撃は“失敗”から始まった。

7時48分(同3時18分)、淵田中佐は電信員の水木兵曹に各機に発信を命じた。「全軍突撃せよ」

・・-・・ ・・-・・ ・・-・・

「全軍突撃」(ト・ト・ト……のト連送)ここに奇襲攻撃が開始された。


真珠湾上の97式艦上攻撃機


7時52分(同3時22分)、迎撃してくる敵機の姿もなければ対空砲火もない。奇襲成功と判断した淵田は、機動部隊の旗艦赤城に対して信号を発するよう命じた。

「水木兵曹、甲種電波で発信、トラトラトラ!」
「はい! トラトラトラ!」
・・-・・ ・・・ ・・-・・ ・・・ ・・-・・ ・・・

「トラ・トラ・トラ ワレ奇襲ニ成功セリ」

7時55分(同3時25分)に急降下爆撃隊がフォード島ホイラー飛行場へ250kg爆弾による爆撃を開始し、これが初弾となった。



こうして雷撃の前に、戦闘機隊と共に99式艦上爆撃機の艦上攻撃隊が、フォード島の敵航空基地などに対地攻撃を開始。攻撃を受けた地上施設や航空機は撃破され、黒煙を噴き上げて炎上した。



これにより大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり、第2次世界大戦は地球的規模に拡大した。

瀬戸内海に停泊中の旗艦長門で「攻撃成功」の第一電を受けた山本は、その戦果を祝して次のような和歌を詠んだ。

《突撃の 電波は耳を 劈(つんざ)きぬ 三千浬外(カイリ) 布哇(ハワイ)の空より》

成功を喜ぶ五十六だが、このときひとつの心配事があった。攻撃前に対米最後通告が確実に届いているのかどうかだ。

これについては、五十六は開戦前から何度も確認したが、結局、宣戦布告は真珠湾攻撃の後になってしまった。

それは何よりも、合衆国を始めとした連合国との戦争の困難さを増すことに違いない。

「騙し討ち」の汚名を着せられることになった日本は、いらぬ怒りも買ってしまう羽目に陥ったからだ。

苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。不満なこともあるだろう。腹の立つこともあるだろう。泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえてゆくのが、男の修行である。

  山本五十六


─FIN─


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半分も、いや、1/3も書けていないような気がします。僕の思いを主張するというより、流れを追っただけになりました。けれど、8月も終わろうとしているので、これにて終了します。

総括として、足りない分を何か書くかどうかはまだ未定です。
ちょっと疲れました。

僕が何年も前にアップした、日本は侵略戦争ではなく、あくまで自衛の戦争をしたのだ、と証言した「マッカーサーの告白」をリンクしようかとも思いましたが、リンクは読んでいただる確率が少ないのでやめておきます。

お付き合いいただきありがとうございました。

    ─荒波の中の離艦─

現地時間12月7日午前6時(日本時間8日午前1時30分)空母6隻から第1次攻撃隊183機が発進した。

攻撃隊は艦隊の上空を旋回しながら集合し、隊形を整えて真珠湾へ向かった。

大荒れの海のため甲板の最大傾斜角度は15度。人間の感覚では急こう配の坂に匹敵する。そんな中、海軍航空隊の生え抜きたちが操る攻撃隊の離艦は、わずか15分で完了した。


発艦する97式艦上攻撃機

同7時30分、偵察機から「真珠湾在泊艦は戦艦10、甲巡(重巡洋艦)1、乙巡(軽巡洋艦)10」という報告がもたらされた。

第1次攻撃隊の陣容は、魚雷を抱えた97式艦上攻撃機の雷撃隊が40機。

隊長に「雷撃の神様」「雷撃王」として名高い村田重治少佐。
航空参謀源田実中佐たっての希望で、雷撃の専門家として村田が真珠湾攻撃のために異動することになった。

攻撃隊総隊長の淵田美津雄中佐も軍事上の機密である軍機中の軍機、真珠湾攻撃をこの村田にだけは明かして欲しいと上司に願い出たほどの男だ。

雷撃隊の任務は苛酷であり、まさに命がけの攻撃で損失率も高かった。村田隊の40機中5機が未帰還だった。

雷撃隊員の戦死率は他の搭乗員と較べても群を抜いて高く太平洋戦争初期でも30〜50%、戦争末期においては90〜100%の戦死率にも達した。

真珠湾ではその困難さがさらに増した。水路が狭いため魚雷を目標近くで投下しなければならない。
重さ800キロもの航空魚雷を抱いた攻撃機の操縦桿は重く、超低空ではひとつ間違えば海面に激突してしまう。

投下した瞬間には目標艦の舷側がすぐ目前まで迫っている。重い機体を超低空で安定させた上で、魚雷投下直後に急激な引き起こしで目標艦を飛び越えるには、搭乗員に高い技量が求められた。

米軍が真珠湾で魚雷防御策を何も講じていなかったのは条件が悪すぎて攻撃不可能と判断していたためだ。日本海軍、とりわけ雷撃隊は猛訓練で不可能を可能に変えた。

同じく97式艦上攻撃機を用いた、目標の上空を水平飛行しながら爆弾を落とす水平爆撃隊49機を率いるのは飛行隊総指揮官兼任の淵田美津夫中佐。

99式艦上爆撃機51機による急降下爆撃隊隊長には、村田の同期で、「急降下爆撃のエース」と呼ばれた江草隆繁少佐。


九九式艦上爆撃機

板谷茂少佐率いる、敵の迎撃戦闘機から味方の攻撃隊を守る制空隊は零式艦上戦闘機43機で構成されていた。

真珠湾攻撃作戦が明かされた会議で、板谷は「われわれ戦闘機隊に対する不信だ、寝込みを襲わねばつぶせないのか」と苦言を呈したほど向こう気の強い零戦乗りだった。

航空機の総勢は実に355機に及んだ。


赤城甲板上の板谷少佐搭乗機


空母赤城から真珠湾へ向かう零戦

発進後、一気に南下した攻撃隊は、オアフ島最北端のカフク岬を確認すると、部隊ごとに展開し、あらかじめ定められた攻撃目標へ向かった。

ホノルルのラジオ放送に変化はなく、アメリカ軍は全く気づいた様子がない。続いて7時15分(日本時間2時45分)、第二次攻撃隊167機が発進した。


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    ─立ちはだかる荒波─

東の空が白み始めたころ、6隻の空母は風上に進路を向けて一斉に速力を上げた。

日本海軍の全正規空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」の6隻だ。
まさに日本海軍の総力に近い陣容だった。

冬の北太平洋は荒い。それを承知の上で、米軍も演習などでは使わない海域だからこそ選ばれたルートだった。

空母艦上では試運転の青白い光や、航空機の燃料系統に用いられる液圧を高める装置(ブースター)を吹かす大きな音が鳴り響いた。よく晴れた日曜日の朝だった。


海軍機を満載して航行する空母「蒼龍」

「この荒れはひどいな、大丈夫か」草鹿は源田に問いかけた。空母は上に下に右に左に大きく揺れている。

「そうですな」源田も表情を険しくした。
「爆撃隊だけにするか。重い魚雷を抱えた雷撃の発艦は、この揺れでは厳しいだろう」

予想以上に海が荒れ、草鹿と源田は雷撃隊の発艦を危ぶんで爆撃隊のみの発進を検討していた。

南雲は言葉をはさまない。水雷(機雷・魚雷・爆雷)戦術においては第一人者と誰もが認めるが、飛行機はまったくの専門外だ。

源田実は白波の立つ海原を見つめた。ここまで来て発艦を取りやめるということがどういうことか、源田には痛いほどわかった。

97艦攻は要だ。それを飛ばさないということは、真珠湾攻撃の成否を左右することだ。それよりなにより、なんと説明すれば搭乗員たちは納得するのだろうか。いや、金輪際納得などすまい。

彼らにとって飛行機は、武士の刀に等しいのだから。戦いを目の前にしてそれを抜くなと言えるだろうか。仮に自分がそう命令されておいそれと引き下がれるだろうか。


真珠湾に向かう97式艦上攻撃機(実写)

「なあみんな!」
男の大声に雷撃隊は振り返った。赤城の甲板上は風が強く荒波のために休みなく揺れている。

「飛べんかもしらんぞ」
「なに!? 中止か!?」
「いや、そうじゃない。雷撃を飛ばすかどうか、南雲長官と草鹿参謀長と源田航空参謀がそれについて話し合っているそうだ」

「この時化具合でか」
「だろうな。なにしろ魚雷は800キロあるからな。一歩発艦を誤れば海の藻屑だ」

「ここまで来て飛ばんとはありえん! 俺たちはこの日のために血のにじむような努力をしてきたんだ」

「それに、雷撃を抜いたら真珠湾攻撃の効果は半減以下だ。俺たちの97艦攻が飛ばずして真珠湾攻撃の完結はない」

「どうすればいいんだ」

「少なくとも源田さんがいる。雷撃は専門外だが海軍屈指の飛行機乗りだ。俺たちの気持ちはわかっているはず」

「結果が出るのを指をくわえてみているのか」

「上が飛ばさないと決めてから、誰かそれを覆せるのか? 決まる前に何かすべきじゃないのか?」

「我が胸の 燃ゆる思ひにくらぶれば」腕組みをした男が空を見上げた。

筑前(現在の福岡県)の勤王志士・平野國臣(ひらのくにおみ)の歌だ。

「烟(けむり)はうすし 櫻島山」違う男が続けた。

「そうだ。あの桜島だって俺たちの訓練を見届けてくれたではないか」

そう、彼らは錦江湾で一日たりとも休まず、今日の攻撃のための訓練を積んできたのだ。

「決定する前に、直訴しよう」
一人の男の声に雷撃機搭乗員は赤城の艦橋に向けて走り出した。


空母赤城

「長官!」声に驚いて振り向くと雷撃機搭乗員たちだった。
「飛ばせてください!」
どこで聞きつけてきたのか、みな血相を変えている。

「お前たち、わかっているだろうがこのローリングだ。魚雷をかかえたまま、みごと発艦できるか」南雲は隊員たちに聞いた。
「やれます!」

南雲は源田を見た。意をくんだ源田はゆっくりと隊員に向き直り、ひとりひとりの目を見つめる。隊員たちも源田の目を懇願の表情で見つめ返す。船は大きく揺れる。

逡巡の時間が過ぎ、やがて源田が南雲を見た。その目は、飛ばせましょうと言っていた。
南雲は小さく頷いた。

「参謀長、いいではないか、出してやろう」
飛行機は飛行機乗りに任せよう。それが一番確実だ。海軍航空隊の最高の人員である彼らは見事に飛んで見せるだろう。

空母『赤城』艦上では「第一波攻撃隊発艦セヨ」と命令が下された。


「翔鶴」から発艦する97式艦上攻撃機

空母翔鶴からは97式艦上攻撃機が真珠湾に向けて飛び立った。

搭載した91式改2型航空魚雷の重量はおよそ800キロ、その重量のため飛行甲板の末端から落下気味に飛び出すことになる。そこからエンジンをフル回転させてじりじりと上昇してゆく。


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    ─南雲忠一中将─    

1941年12月7日午前5時(日本時間12月8日午前0時30分)連合艦隊機動部隊はオアフ島の北250海里に到達した。
空母の飛行甲板には次々と飛行機が姿を現した。

百年兵を養うは、一日の用に当てる為……
空母赤城の上で、南雲忠一は会議の席上で声を強くした五十六の言葉を反芻した。


空母赤城

昭和16年11月13日、岩国航空隊の司令室に於いて、連合艦隊司令部と機動部隊司令部の最後の打ち合わせ会議が行われた。
むろん「真珠湾攻撃」に関してだ。

宇垣纏参謀長、南雲忠一機動部隊司令長官、井上成美四艦隊長官、塚原二四三、清水光美六艦隊長官、細菅戊子郎五艦隊長官、近藤信竹二艦隊長官、高須四郎一艦隊長官、高橋伊望三艦隊長官らが顔をそろえた。

五十六は立ち上がり、おもむろに口を開いた。

「大切な事をひとつ付け加えておく。それは攻撃中止についてである」
中止の声に一同がどよめいた。こうなるであろうことは五十六の予想の範疇だ。軍人とはそういうものだ。

しかし、抜いた刀を収めるのもまた武人の度量だ。刀を抜いたら最後、斬り合わなければならぬと考えるのは狭量である。

「機動部隊は間もなく単冠湾に向けて発進するのであるが、まだ戦争は始まったわけではない」
そうだろう? と確認するように一同を見渡す。

「ワシントンでは、野村大使と、ハル長官の間で日米交渉が続行されている。これが成立した場合には、機動部隊は攻撃中止、即時引き揚げの命令を打電するから、おとなしく内地に帰ってきてもらいたい」

その時、草鹿参謀長が立ち上がった。
「長官、もし、母艦から攻撃機が発進後であったときは、どうしますか」

「同じだ」五十六は身を乗り出すようにした。
「飛行機が母艦を離れて攻撃の途中であっても、交渉が成立次第、帰ってきてもらう」

「長官、それはちと無理ですぞ」南雲長官が立ち上がった。

「あなたが平和を願う気持ちは分かりますが、一旦、母艦を離れた搭乗員には、攻撃するか、死ぬるかの、二つしか道は残されていない。
発艦した魚雷を海に捨てて、もう一回着艦しろとは、指揮官としては口がさけても言えません。そりゃあ、士気に関係しますからな」


南雲忠一中将

草鹿参謀長も片手を上げた。
「艦攻や艦爆は電信員が乗っているから、引き返しの無電を受信できますが、戦闘機は無理だと思いますな。艦攻と同行しているときは手信号で伝えられますが、問題は天候不良などの原因で分散した時です」

「しかけたしょんべんは、やめられませんぞ」南雲長官がしわがれた声で言った。

「小便か」五十六は口元を歪め呟いた。
小便をするのはお前か? なるほどそうだろう、現場の指揮を任せたのはお前だからな。
なら、飛び立つ兵は小便か。終わったらチャックを占めて終わりか。飛ぶも飛ばぬも、それを決めるのは、少なくともお前たちではない。

この馬鹿どもは、交渉成立後に攻撃を仕掛けるのがどういうことか、そんなことすら分からんのか。

年功序列など無視して南雲ではなく小沢治三郎にすべきだったか。参謀長は宇垣ではなく山口多聞、大西瀧治郎……この線を海軍大臣に強く推すべきだったか。

「いいか」五十六は押し込むように言葉を発した。

「南雲も草鹿もよく聞いておけ。百年兵を養うは、一日の用に当てる為だ、肝心のご奉公の時に大切な命令が実行できないと思うようなら、出すわけにはいかん。今すぐ辞表を出せ!」

五十六の声に全員が押し黙った。


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