今夜は気楽に書かせてもらいます。ですので、気楽に読んでください。
毎年、8月15日の終戦記念日になると首相や大臣が靖国神社に参拝したということに対して、中国や韓国から、毎回のように抗議が繰り返される靖国問題。

このいちゃもんが始まったのは比較的最近のことなんですけど、昭和60年ごろからですかね? 調べないと確かなことはわかりませんけど、それを書くと長くなるので止めます。
今年はどうだったのだろう?
あまりテレビを見ていないのでわかりません。
靖国神社には、大東亜戦争(押しつけの太平洋戦争と言ってはいけません)における軍人が多く祀られていて、その中には、東京裁判で有罪判決を受け戦争犯罪人とされた人、特にA級戦犯が合祀されているということが問題になりました。
まあ、あれはどう考えても裁判じゃないんですけどね。
第三者じゃなくて、喧嘩に勝った方が負けた方を裁くなんてありえません。そうなると何でもありですから。
その、なんでもありだったのが「東京裁判」です。
ところで、A級戦犯分祀とか一時耳にしましたけど……分祀の意味を分かっているのでしょうか?
絶対にわかってませんね。
分祀とは、ある場所に祀られている神を、別の場所でも祀ることです。
だから、分祀したからといって靖国神社からA級戦犯がいなくなるわけではなく、祀られる場所が増えるということです。僕としてはうれしいことに、二か所に神が鎮座しますね。
そんな言葉を使うこと自体が、もう、馬鹿丸出しですね。
話は変わって、靖国神社に坂本龍馬が祀られていることは知っていましたか?

創設された当初の靖国神社というのは、対外戦争における戦没者を祀ることを目的として創建されたものではありませんでした。
靖国神社が創建されたのは、明治2年(1869年)のことです。
最初に祀られたのは戊辰戦争の戦没者です。
大村益次郎が中心となり発足した東京招魂社が始めなのです。
これで分かりましたね。大門をくぐると馬鹿に高いところに大村益次郎像がある理由が。
その眉はなんだ? といいたくなる大村益次郎像です。

その後、この靖国神社は幕末維新の際、国事に尽くし、動乱の中で命を落とした人たちを祀る神社として発展していきます。
靖国神社というのは、もともとは戊辰戦争の戦没者を慰霊するための神社だったのです。それだけではなく、幕末維新における国事殉難者を顕彰し忠魂する側面を持っていたのですね。
その中で、幕末維新殉難者が最初に靖国神社に祀られたのは明治16年(1883年)のことで、この第一回目の合祀対象となったのが、武市半平太・坂本龍馬・中岡慎太郎など、土佐勤王党の面々80名だったのです。
土佐といえば、人きり以蔵と呼ばれた岡田以蔵はどうなのか。
実は旧土佐勤皇党関係者によって靖国神社への合祀は見送られ、以蔵が合祀されたのは昭和58年(1983)のことなのです。
以蔵の最後の句がこれです。
「君がため 尽す心は 水の泡 消えにし後は 澄み渡る空」
人斬りと呼ばれた男に似つかわしくない美しさです。
吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、橋本左内も祀られています。
西郷隆盛は祀られていません。
上野に建っている西郷さんは何を思う。
「そげんこまんかことは、よかよか」
西郷隆盛は諱(いなみ)の隆永を自身の名前として使っていくつもりであったらしい。
いなみというのは戒名とでもいうでしょうか。
それを届ける吉井友実が間違えて、隆盛の父親の諱を届けてしまったのです。
だから西郷さんは、隆盛になったのです。
その間違いに関して西郷は、「よかよか」と気にする様子もなかったようです。
そのせいでもないでしょうが、生涯「吉之助」と名乗り続けました。
自分のことを西郷隆盛と呼ばれることに、あの世で違和感を感じているはずです。
だって、生涯一度も名乗ったことがないのですから。
「西郷さん、126番の西郷さん」
ふっ! おいどんか?
「126番の西郷隆盛さん」
違うた。病院の待合室で、大きくなり過ぎたふぐりを小さくする薬を待ちながら週刊新潮を読む西郷吉之助であった。
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