風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -124ページ目

─199×年夏─

ガラス戸を押し開けるとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。
カウンターの中に立つ同僚の男が、僕の姿を認めて疲れた笑みで片手を上げた。昼食時はいつも通り忙しかったようだ。僕も彼に倣って軽く敬礼を返した。

「すーちゃんおはよう。昨日、来た?」
僕は一番気になっていたことを社員の鈴木に尋ねた。ランチタイムを終えた店内は閑散としていたから、声をひそめて。
「新人? 来た来た」レジの中で伝票整理をしていた手を止めて、鈴木は頷いた。
客席に気を配る僕の思いを無視するように、鈴木は普通の声で応じた。この男にはデリカシーがない。
「どんな感じ?」僕は小声で尋ねた。
アルバイトと社員とはいえ、僕と鈴木は大して歳が違わなかった。だから僕たちは、たいていお互いタメ口だった。

「偉そうなの」小太りの鈴木は、ものすごくしょっぱい梅干しか、ものすごく酸っぱいレモンでも口に含んだような顔をして、普通の大きさの声で答えた。
「偉そうなの?」僕はさらに小声になった。
新人のアルバイト女子はどんな人だろう、と心躍らせていた僕の心は半分折れた。その音はと言うと、そう、新鮮なセロリでも折ったような音だった。
「そう。えっらそうな、おばさん」鈴木は唇をタラコみたいにして、大きい声を出した。
「声、でかいってば」
「あ」鈴木はおばさんが笑う時みたいに、手のひらで口を覆った。

「偉そうなおばさん? おばさんなの? それで、偉そうなの? え、なんで?なんで? 22とか言ってなかったっけ? あれってガセネタだったの? おばさんなの? 態度でかいの?」僕はほとんど、息のような声を出した。
「ひろちゃん、質問多すぎ」
「怖いの? ヤバイの?」
今度はというと、鈴木は苦い薬でもなめたような顔をして頷いた。僕の心は三分の二ぐらい折れた。今度はくしょりと湿った音を立てて。

「マジで?」
「マジマジ」店内はエアコンが効いているのに、鈴木は額に汗を浮かべていた。
「こ、怖いなぁ。嫌だなぁ……」
「ひろちゃん、いじめられるよ。確定」着替えに向かう僕の背中に鈴木の声が刺さった。「今日は休みだけど、明日来るからさ」
「声でかいってば」振り返った僕は、また息のような声を出した。


***

「あ、おはようございます」僕はレジの中にいるその人にすぐさま頭を下げた。
「あの、いり……」名を名乗る前にその人は満面の笑みで口を開いた。「遠野です。よろしくお願いします」言葉と共に頭を下げた。
怖いおばさんが仁王立ちしている絵柄を想像していた僕は、脳しんとうでも起こしたような軽いめまいを覚えた。

遠野美樹子22歳。僕、入江弘之19歳。それが初めての出会いだった。
彼女の笑顔は、まるで真夏の日差しに揺れるひまわりのようだった。僕はすっかり担がれたか、鈴木の感性がおかしいか、のどちらかだった。
僕は一目で恋をした。



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prologue

移ろいゆく季節の中に、僕たちはいくつもの忘れ物をしてゆく。
命萌ゆる春に、眩い夏に、枯れ葉色の秋に、無彩色に沈む凍える冬に。

何かの拍子にすぐに思い出される色彩や匂いもあれば、記憶の襞(ひだ)に永遠に閉じ込められる景色や面影もある。栞(しおり)を忘れて閉じたページは、容易に探し出せないから。

それらは時として、頬や肩をつつくときがある。思い出せと言わんばかりに。


***

To My Dearest
親愛なるあなた お誕生日おめでとう。

二人に吹く5月の風はさわやかですか?
それとも、三人かな(笑)

あなたは今、何をしていますか? あなたの目の前に、ううん、もちろん隣でもいいんだけど、そこで私は笑っていますか?

子供はどっちですか? 男の子? それとも女の子? 女の子なら私に似ておてんばでしょうか。男の子なら、あなたに似てはにかみ屋さんでしょうか。

もしも、もしもだけれど、あなたのそばに私が存在しなかったら、この手紙は読み捨ててください。今も一緒に楽しく暮らしていたら、ひとつだけお願いがあります。


僕はそこまで読んで、もう一度差出人の名前を確認した。それは僕の実家に届いた、未来に住む僕に宛てた手紙だった。
そのそばで、いたずらっぽく笑っている自分の姿を、彼女はイメージしていたに違いない。



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スーパーとコンビニ、どっちによく行く? ブログネタ:スーパーとコンビニ、どっちによく行く? 参加中

私はスーパー派!


こんにちは。小食の割に味にうるさい、あ~る・ベルンハルトJrです。
というか、何でも美味しくバクバクと食べる大食漢じゃないから、味にうるさいだけなのかもしれないけど ~(=^‥^A

一部の人たちにお断りしておきますが、僕は霞を食って生きてるわけじゃありません。
でも、コッペパン一個で12時間を戦い抜く体力は有しています v(*'-^*)-☆



コンビニはほとんど行きませんねえ。
理由?
煙草にせよ僕の吸っている銘柄は置いていないし。(他のはあってもレギュラーを見かけることはない)↓

だからたばこ屋さんでカートン買いをするのです。


ディチェコのパスタが置いてない。↓(ま、当然ですけどね)



ちょっとした買い物に行くとすれば、近所のセブン・イレブンですね。総菜関係もあまり当たり外れがないのがセブンですね。ローソンの商品開発に携わる人たちの味覚とセンスはどうなっているんだ? と僕は疑います。



ということで、断然スーパーです。
それもよく行くのは西友です。
支持率70%以上を商品化したというだけあって、プライベートブランド「みなさまのお墨付き」の外れのなさは、見事としか言いようがない。

僕が欠かさず買うのはこれ↓


それからこれ↓



一方、イオンの子会社になってしまった、かつての王者「ダイエー」
当然のことながら、イオンの「トップバリュ」を品揃えしているが……

これ↓ クソ不味いぞ! こんなものに存在価値なし! 何を考えてるんだイオン! (ρ≧□≦)ノ…コラーっ!!!



僕は、味に関しては時々激高するときがあるので、何か食べて難しい顔をしたときは2メートル以上離れないと危険です、って嘘ですけど (^0^*オッホホ

ダイエーの品揃えは確かに魅力的です。でも、僕の中では「みなさまのお墨付き」の威力には勝てません。

ただし、これ↓は、ダイエーにはあるけど西友にはない。和えてすぐに食べられて美味しいのに、それが残念 <(T◇T)>



皆さんご存じのように、ダイエーには「木曜の市」というのがあって、レジがものすごい行列です。
だから僕は「しまった! 木曜の市だった」と踵を返す方ですけど。

なんだか話がすごく横道にそれてしまった σ(^_^;)





スーパーとコンビニ、どっちによく行く?
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ランチタイムも終わってほっと一息の昼下がり、僕はあのとき、カウンターの中で何をしていたんだろう。
洗い物でも終えて、疲れた腰を伸ばしていたのか、それともネルドリップコーヒーを淹れるためにお湯でも沸かしていたのか。

午後の日差しが天窓から降り注ぐ店の中で、ワイシャツに蝶ネクタイ、黒いベスト、お腹の丹田の辺りでキュッと締めた白いサロンをして、とにかく何も手にしていない状態で僕は突っ立っていた。

カウンターというとハイチェアーを連想しがちだけれど、そこは低い椅子が設えられていた。それに合わせるようにカウンターの中は低く作られていた。座ったお客さんと目線が合う程度に。

「ほいッ!」美しい曲線を描く長いカウンターの向こうから、ずらりと並ぶサイフォンをよけるように、ウエイトレスだった君が下手で放ったゴミくずを、僕は思いの外上手にキャッチした。そしてそれを、ぽいっと目の前のゴミ箱に入れた。なんて素敵な連係プレーだ。

「読んでくれた?」
「え?」
「さっきの手紙」
「ご、ゴミじゃなかったの?」
「えッ!」カウンターの中に走り込んできた君は、ゴミ箱の中を見つめた。そのときすでにその中は、丸まった紙切れひとつなど探し出せるような状態ではなかった。

「あーぁ……」君が恨みがましい顔で僕を振り返った。
「ごみぃ……じゃなかったんだね。はは」

そこに何とかいてあったのか、僕は未だに知らない。



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Marvin Gaye - I Want You





【ブログネタ投稿キャンペーン】10年前、何してた? ブログネタ:【ブログネタ投稿キャンペーン】10年前、何してた? 参加中

うんうん、職場は違うけど、今いるこの部屋に住んでましたね。
えぇえぇ、もちろんバツイチでひとりぼっちですけどね (TωT)

一年間の長~~~い失業生活から抜け出てほっと一息ついた辺りです。
あの頃は電車に30分ぐらい乗って出勤してたから読書が出来ました。今はメールを一本打って、さてさてなんて文庫本を広げても、ほとんど進みませんけど。

2004年というと、片山恭一著「世界の中心で、愛をさけぶ」がベストセラーになった年ですね。
僕は基本的にベストセラー本にはほとんど手を出さない男なので、あれほど話題になった村上春樹の「1Q84」すら一行も読んだことがないのです。
で、「世界の……」は、だいぶ遅れてブックオフで買った覚えがあります。ま、読みたい本もなかったし、安いから読んでおいてみよう、的なノリで。



んで、感想。
え……何でこれがベストセラーに?! ヽ(。_゜)ノ へっ?



そうだそうだ、市川拓司著「いま、会いにゆきます」もベストセラーでした。これは嫌いじゃなかったな。でも、もっと毒気を持ったらいい作家さんになれるのになと思ったりして。




それから、アテネ五輪男子100メートル平泳ぎで金メダルを獲得した北島康介が、プールから上がって口にした「チョー気持ちいい」もついこの間のことのようです。

そして2004年、忘れてはいけないのは新潟県の中越地震が起きた年でした。
僕は多くを語る資格も知識もないので書かないけれど、阪神淡路、中越、東日本大震災、それに続く原発事故。
日本の政府は世界に誇れることを何かひとつでもしたでしょうか。
それに比べ被災者は、日本人としての矜持(きょうじ)を示したと僕には思えるのだけれど。



そんな頃、僕の目の前に鎮座していたパソコンはこれでした。(写真はすべて借り物です)



懐かしいなぁって写真に見入っています。2000年発売だったかな? 今考えると笑える性能ですけど、何せPentium III 800 MHzでしたからね。Windows Me搭載。



ちなみに性能比較で僕の使ってきたPCを上げてみれば、次がこれ↓
Core 2 Duo E4300 1.8GHz Windows VISTAでした。




そして今、目の前にあるのがこれ↓

Core i7-4770 3.40GHz Windows 8

NEC→SOTEC→SOTEC→NECと循環した感じです。
国内メーカーでセパレートパソコンを作っているのは、もうNECぐらいなのかな?
NECさん、セパレートパソコンから撤退しないでくださいね (ノД`)・゜・。

10年前の僕に言ってあげたいこと……

長年勤め、そこそこの立ち位置をキープした会社が倒産し、頼る者もなく、蓄えもなく、明日におびえていた君。心配せんでも、生きとりますよ。

君の夢の大半は叶ってはいないけれど、君が望んだものの多くは手にしているさ。人生捨てたものじゃないよってね。

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2004年のヒットナンバー
Mr.Children「Sign」



生きてて楽しい? ブログネタ:生きてて楽しい? 参加中

何をもって楽しいと定義づけるのだろう。
そもそもこの世に、楽しいことはあるのだろうか。

週末、仲間と飲む酒は美味い。会社の方針に疑問を呈する。上司をこき下ろす。
仕事とはなんぞやと一席ぶつ。あれやこれやと羽目を外せば日頃の憂さも晴れる。
けれど、翌日後悔することはないだろうか。
後悔とは、あれは失敗だったと悔やむことである。楽しいことをして悔やむとはおかしくないだろうか。

ゲームをすれば楽しい。けれど、何か大切なものを犠牲にしていないだろうか。たとえば時間。たとえば大切な人との交流。そしてそのゲームは、いつまでも楽しみを与えてくれるだろうか。答えは否だろう。

楽と楽しいは違う。これを突き詰めればこうならないだろうか。
〝楽なことに楽しいことはない〟と。

苦しいことほど、きっと楽しいに違いない。けれど能動的に苦しみを選べるのは一握りのアスリートだけだろう。
己に課題を与えて、肉体をいじめ抜いて記録を伸ばす精神力を持っているから。

それに比べて僕たち凡人の苦しみは受動的だ。誰かに、何かに苦しみを与えられる。与えられなければ、苦しみを選ぶ強さはない。

生きてて楽しいかって?

〝生きてて楽しい〟と迷うことなく言える人を僕は驚嘆の目で見つめる。

そんな苦しみを楽しめるほど、僕は優れてはいない。だから、苦しいものは苦しい。辛いものは辛い。投げ出したいほどに。

けれど僕は経験的に知っている。苦しみを楽しむためには、前のめりに取り組むことだと。
思考を止めて、無念無想の状態で、本気に、ひたむきになることだと。

そしてこれは、きっと楽しいのだろう。
僕はまだ、生きようとしているのだから。


Mr.Children
名もなき詩

だけど あるがままの心で生きようと願うから
人はまた傷ついてゆく
知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中で
もがいているなら誰だってそう
僕だってそうなんだ


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─月日は百代の過客にして─

「部長」
「おお、吉田君、いいところに来た」
「用事でもありましたか」
「君は僕の部下なのか?」
「え、ええ。そうですよ」
「しかし君、ずいぶんと老けたな」
「部長だって、もう88歳ですよ。私だって歳を食います」
「88歳? 誰が?」
「菅原さんですよ」
吉田が僕の前に手鏡を差し出した。そこには表情の乏しい見知らぬ老人が映っていた。
それを手で払った僕は頬をひとつ撫でてみた。ジョリジョリとした感触が手のひらに残った。

「ところで、あなたはいくつになったの?」
話を振ったナースが聞こえないふりをした。
「何でここにいるの?」
「出張検診です。おしりは触らないでくださいね」
「昨日の人と違うね」
「来てるのはずっとあたしです。時々先生が替わることはありますけど。それに前回来たのは先月です」

「行ってきます」穂波が微笑んで頭を下げた。いつの間にやらナースの姿は消えていた。
「行くって、どこへ?」
「結婚式です。あたしの」
「穂波が結婚式?」そう言われてみれば、目の前の穂波はもう立派な大人だった。
「おじいちゃん、いずみです」
「いずみ? ま、穂波がそう名乗りたければ、それでもいいさ。お祝い事なら、一緒に行くよ」
「ううん。おじいちゃんの席はないのよ」
「何で?!」
「ややこしくなるから」
「何で?!」
「何でも。新婚旅行から帰ったら写真を見せてあげるわ」

いずみって誰だ。
美香子はどこに行った。穂波はどこへ行ったのだ。
88歳だって? つい昨日は68歳とか言ってからかってたじゃないか。

「美香子はどこにいる?」
「おばあちゃんのこと?」そう言ったきり、大人になった穂波は思案するように黙り込んだ。

「おばあちゃんは死んじゃったよ。あたしも会ったことがないけど」
「誰が死んだって?」
「おばあちゃん」
「おばあちゃんって誰」
「おじいちゃんの奥さん」
「おじいちゃんて、誰」
人差し指が、真っ直ぐに僕を指した。

僕が88歳だというなら、僕の半世紀は、どこに消えたのだ。それにしても、たちの悪い冗談が続く。

寝よう。寝て目覚めたら、僕は元通り38歳だ。
「もう寝るよ美香子。ちょっと疲れたから」
立ち上がった僕は一人呟いた。その刹那、景色がゆらりと揺らいだ。テレビが、壁掛け時計が、天井が回った。
目の前にソファの足が見えた。ほこり臭かった。

美香子、俺はもう、寝るよ。足がちょっとだるいから、明日の朝は少しマッサージしてくれると嬉しいな。いつもみたいにさ。
足を動かそうとしたけど、動かなかった。

そうだ美香子。目覚めたら、君の好きなのっこを聴こう。そうだそうだ、レベッカだ。フレンズがいいね。

「おじいちゃん! おじいちゃん! 誰か、誰か来て! おじいちゃんが死んじゃう!」
眠いんだよ穂波。揺らさないでくれよ。

─FIN─

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REBECCA「フレンズ」






─ナース─

「いつもすみませんね」玄関から女の声がした。
「あ、んまぁまがくわぇってきらぁ」穂波はなおも歯を磨いている。僕は携帯電話を切りサイドテーブルに置いた。
「何で時報なんだろうな」
「そぅらぁ、くわぁけたくわぁらでひょ」
「かけてないぞ」僕はもう一度携帯電話を手に取った。
「んなころ、ひらない。さ、ブクブクひよ」そう言って洗面所に向かう穂波の背中を、僕は見つめた。
やっぱり何かが、おかしい。

「穂波。さっきから台所にいる人は誰だい」タオルで口元をぬぐう穂波に尋ねた。
「だから、い・ず・みだってば! 台所にいるのは、お隣のおばちゃんだよ」
「何してるんだ」
「時々お手伝いしてくれてるのよ」

「帰ってきたのは?」
「ママだよ」
「ママって誰」
「いずみのママだよ。おじいちゃんの子供でしょ!」んもう。穂波はどんと床を踏み鳴らした。

「さ、検温の時間ですよ」ナース姿にカーディガンを羽織った美香子が微笑んだ。
「どうしたんだ美香子。今までどこにいた。それにその格好は何だ」
「菅原さん。あたしはあなたの奥さんじゃありませんからね」
そう言われてよく見ると別人だった。
「もうおしり触らないでくださいね」
「じゃあ、美香子はどこにいるんだ」
「さ、検温ですよ」
脇の下にひんやりとするものが差し込まれた。

ここはどこで、僕はいま何歳で、何で検温なんだ。
「んもう!」
ナースに手を叩かれた。
何でだ?



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─穂波─

台所に立つその後ろ姿に、僕はまったく見覚えがなかった。声をかけようとしたけれど、なんと言っていいものか迷い、結局リビングに戻ってソファに座った。

「またあのおじちゃん来たの?」
「ああ、穂波お帰り。お泊まり会はどうだった?」
「はあ?! お泊まり会? あたしはおじちゃんが来たかって訊いてるのに」
「おじちゃん?」
「これこれ」煙草の吸い殻を指差し、穂波が口をとがらせた。
「お父さんが吸ったやつだろ」
「パパは煙草吸わないでしょ!」
「どうした穂波。突然パパだなんて、照れるじゃないか」
「もういい」

「ああ、ひょっとして吉田君のかな。そう言うな、お父さんの部下なんだから」
「吉田さんだか斉藤さんだかよく分からないけどさ」穂波がランドセルを背中から下ろした。

ん、ランドセル?

「あれ? 随分と背が伸びたんじゃないのか?」
「だってもう、小学4年生だよ」

「えみちゃん」台所から声がする。
「あたしはいずみよ。い・ず・み」小さく呟き首を振った。
「ん? いつの間に小学4年生になったんだ」
「もう、おじいちゃんまで! 昨日も同じこと言ってたよ!」
「なあ穂波。お父さん、いくつだろう」
「あたしは、い・ず・み。おじいちゃんは68歳。昨日も教えたでしょ!」
「68歳? 誰が?」
「お、じ、い、ちゃん、が!」目つぶしでもするようにしつこく指さす穂波。

いずみって誰だ?
おじいちゃんって、誰のことだ?

「えみちゃん、お醤油の買い置きはあるのかしら」
「んもう、いずみだってば」穂波がいかにも憤懣(ふんまん)やるかたない足取りで台所に行った。
「おばちゃん、えみちゃんはおばちゃんの子供でしょ」
弾けるような笑い声が聞こえた。「間違えちゃったぁ」

どうも最近、記憶があやふやになる。リビングでテレビを見ていたはずなのに、ふと気がつくと湯船につかっている。目の前で会話をしていた人がいつのまにか別の人に代わっていたり、コーヒーを飲んでいたつもりなのに、味のおかしさによく見ると日本茶をすすっていたりする。

ひょっとして僕は、壊れかけているのか? それとも世界が……。

僕は携帯電話を耳に当てた。

「ほれ、てぇびのリモコンらよ」
穂波は白いよだれを出しながらリビングで歯を磨いている。
改めて携帯を手に取り、発信履歴からコールをして耳に当てた。プッ・プッ・プッ、と音が聞こえる。
「あ、吉田君?」
ポーン
時報を知らせる音がした。



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─父の背中─

「具合が悪そうですが、風邪でも引きましたか」
心配げな斉藤の声に私は首を振った。
「いえ、風邪ではないんです。最近時々頭痛がするようになって。でも、こんな状況では、心も体もおかしくなりそうです。自分の年齢も忘れて、私を母と勘違いしているぐらいですから。こんな日が来るとは思ってもみませんでした」
斉藤は口を引き結び、何度も頷いた。

「菅原さん、少しお痩せになったようですね」
横を向いた斉藤の視線の先に、またぞろベランダにしゃがみ込み、枯れた観葉植物の葉をもいでいる父がいる。

意味もなく怒り出すわけでも、猜疑の固まりになって責め立てるわけでもない。家を出ることもないから徘徊をして警察の世話にもならない。扱いやすいといえばそうなのだけれど、その背中に、煩わしさと共にやはり一抹の寂しさを覚える。やがて自分が誰かも忘れ、私を赤の他人として接してくる日が訪れるのだろうか。

「食欲があまりないんです。朝の8時頃にトーストを少し食べて、10時頃にお茶漬けをほとんど残しましたから」斉藤が深く同意するように頷いた。
「食事を二度作る面倒はありますが」
「奥さんも根を詰めずに、気長に介護された方がいいですよ」
「娘の穂波です」
「ああ、すみません。私も頭が混乱してしまって」

「斉藤さんには申し訳ないと思っています。父の妄想におつきあいしていただいて」
「これもカウンセラーの仕事の一部だと思っていますから」煙草いいですか? 斉藤が自分の胸ポケットを触った。
「どうぞご遠慮なく。今コーヒーを淹れましょう」
「あ、いただきます」斉藤が小さく頭を下げた。

「それと、ご自分で娘さんを迎えに行くと言っていますが」
「ああ、忘れてしまいますよ」
「そうですか」煙草の先が赤く燃えた。うん、そうでしょうね。斉藤は遠慮がちに、横に向けて煙を吐いた。

「斉藤さんもご存じのように、私の通った幼稚園なんてそばにはありません。父の頭の中では、ここはまだ東京なんですね。それが何というか、少しだけ胸が痛いです」




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