─月日は百代の過客にして─
「部長」
「おお、吉田君、いいところに来た」
「用事でもありましたか」
「君は僕の部下なのか?」
「え、ええ。そうですよ」
「しかし君、ずいぶんと老けたな」
「部長だって、もう88歳ですよ。私だって歳を食います」
「88歳? 誰が?」
「菅原さんですよ」
吉田が僕の前に手鏡を差し出した。そこには表情の乏しい見知らぬ老人が映っていた。
それを手で払った僕は頬をひとつ撫でてみた。ジョリジョリとした感触が手のひらに残った。
「ところで、あなたはいくつになったの?」
話を振ったナースが聞こえないふりをした。
「何でここにいるの?」
「出張検診です。おしりは触らないでくださいね」
「昨日の人と違うね」
「来てるのはずっとあたしです。時々先生が替わることはありますけど。それに前回来たのは先月です」
「行ってきます」穂波が微笑んで頭を下げた。いつの間にやらナースの姿は消えていた。
「行くって、どこへ?」
「結婚式です。あたしの」
「穂波が結婚式?」そう言われてみれば、目の前の穂波はもう立派な大人だった。
「おじいちゃん、いずみです」
「いずみ? ま、穂波がそう名乗りたければ、それでもいいさ。お祝い事なら、一緒に行くよ」
「ううん。おじいちゃんの席はないのよ」
「何で?!」
「ややこしくなるから」
「何で?!」
「何でも。新婚旅行から帰ったら写真を見せてあげるわ」
いずみって誰だ。
美香子はどこに行った。穂波はどこへ行ったのだ。
88歳だって? つい昨日は68歳とか言ってからかってたじゃないか。
「美香子はどこにいる?」
「おばあちゃんのこと?」そう言ったきり、大人になった穂波は思案するように黙り込んだ。
「おばあちゃんは死んじゃったよ。あたしも会ったことがないけど」
「誰が死んだって?」
「おばあちゃん」
「おばあちゃんって誰」
「おじいちゃんの奥さん」
「おじいちゃんて、誰」
人差し指が、真っ直ぐに僕を指した。
僕が88歳だというなら、僕の半世紀は、どこに消えたのだ。それにしても、たちの悪い冗談が続く。
寝よう。寝て目覚めたら、僕は元通り38歳だ。
「もう寝るよ美香子。ちょっと疲れたから」
立ち上がった僕は一人呟いた。その刹那、景色がゆらりと揺らいだ。テレビが、壁掛け時計が、天井が回った。
目の前にソファの足が見えた。ほこり臭かった。
美香子、俺はもう、寝るよ。足がちょっとだるいから、明日の朝は少しマッサージしてくれると嬉しいな。いつもみたいにさ。
足を動かそうとしたけど、動かなかった。
そうだ美香子。目覚めたら、君の好きなのっこを聴こう。そうだそうだ、レベッカだ。フレンズがいいね。
「おじいちゃん! おじいちゃん! 誰か、誰か来て! おじいちゃんが死んじゃう!」
眠いんだよ穂波。揺らさないでくれよ。
─FIN─
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REBECCA「フレンズ」
