何が嫌なのかはさまざまだろうけれど、自分の周りに嫌な人の一人や二人はいるものだよね。
たとえば、自分のことばかりで人のことを考えないから嫌い。いますねえ。僕の周りにもいます。
人の悪口ばかりを言うから嫌い。いますねえ。それも100%陰口です。聞かされる方はたまったものじゃないよね。
完璧な人間なんていない。相手は自分を映す鏡。これは自分が人間的に成長する機会に違いない! o(><)o
なぁんて考える必要も、だからこれは否定するのではなく、ありがたく受け取って感謝しよう! m(;∇;)m
なぁんて考える必要もない。と僕は思っている。
君や僕をとても好いてくれる人もいれば、嫌いな人もいるはず。
それはそうだよね。生まれも育ちも性格も価値観も違うんだし。ここが嫌いだ、あぁ嫌だ! そう思うだけ無駄だよね。自分が思うとおりに人を変えるなんてできっこないから、それは端(はな)から諦めるべき。
嫌だ、許せない、顔も見たくない。同じ空気吸いたくない。絶対嫌いだぅぅぅ ヽ(`⌒´メ)ノ。
そう思っていると、相手の存在がどんどん大きくなっていくんだね。ちっちゃな石くれが雪の上を転がって、どんどんと大きな雪だるまになるみたいにさ。
その雪だるまは、実は心の中で大きくなるだけなんだよ。だから逃げれば逃げるほど大きくなっていくんだ。
さ、君はお化け屋敷にいます。
来たよ。ほら、来たよ。前だよ、横だよ、後ろだよ!
うゎあ! 訳の分からないものが出てきた! ∑ヾ(≧□≦*)ノ
君は薄暗がりの中、こけつ転(まろ)びつ逃げる。すると、後ろを追いかけてきている(とは限らない)お化けがどんどんとおそろしい姿になって、今にも君の肩をつかもうとしているのです ξ(*〇o〇*)ゞ。
立ち止まって振り返れば何もないはずなのに、逃げるとそう思える。だから背後に迫る巨大な雪だるまも、おどろおどろしいモンスターも、実は自分の心が生み出したものなんだね。
僕のアドバイスは一つ。逃げないこと。むしろ一歩踏み出すこと。君の嫌いな人の言っていることを、ふぅん、ほぉお、なるほどぉ、なぁんていかにも納得したかのように聞いてみること。そして聞きながらも右の耳から左の耳へすいすいと抜いてしまうこと。しゃら~っと接すること。
何も言わずにどこか嫌みな人には、こんちは~とか挨拶した後は、自分の世界に入ってしまうこと。嫌いな人に意識を向けてはいけないよ。無視しようとするのは無理をしている証拠。その人は君の視界の隅でオゴオゴと、まるでゴキブリのように動き続ける。そして君は、イライラッとする。
嫌いな人が同じ空間にいると、どこで何をしているかまで分かったりするのはこのせい。君が意識を向けているから。だったらいっそのこと一歩踏み込んで、明るく礼儀正しく挨拶したら、何事もなかったかのように意識の外へ置こう。
嫌いな人を変えようとか、こ、殺したろか! (▼皿▼#) とか思わないこと。ましてや寛大になろうなんて無理はしないこと。嫌いな人と上手く付き合おうなんて無茶は考えないこと。
君の人生の中ではどうということもない人。過ぎてゆく人。だから君もその人の前を堂々と通過しよう。妙な虫もいるもんだ、と微笑みながら。
もしも君の心にもっと余裕が生まれたら、褒め殺してもいい。僕は今まで、褒められて嫌った人は……多分いない。だからみんなそうだ。嫌った人に好かれてみるのも面映(おもは)ゆくて癖になるかも。
自分を潰しそうなどでかい雪だるまの中身は、ちっちゃな石くれ。お化け屋敷にモンスターはいない。
それが分かれば、その嫌な人は君の意識の中で小さくなり、やがて消えてゆく。
原始仏典の一つでダンマパダ(真理の言葉)=法句経(ほっくきょう)42にこんな言葉がある。
中村元訳(岩波文庫『ブッダの真理のことば・感興のことば』)より
「憎む人が憎む人にたいし、怨(うら)む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪(よこしま)なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする」
小池龍之介はこう訳している「超訳ブッダの言葉」
「君を嫌っている敵が君に対してする酷い仕打ち、
そんなものは大したことじゃない。
君を憎む人が君に対してする執拗な嫌がらせ、
そんなものは大したことじゃない。
怒りに歪んだ君の心は、
それよりもはるかに酷いダメージを君自身に与えるのだから」
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