風神 あ~る・ベルンハルトJrの「夜更けのラプソディ」 -12ページ目


どうやら俺の人生には、今後何一つ良いことがないらしい。
寿命の“査定価格”が一年につき一万円ぽっちだったのは、そのせいだ。

未来を悲観して寿命の大半を売り払った俺は、僅かな余生で幸せを掴もうと躍起になるが、何をやっても裏目に出る。

空回りし続ける俺を醒めた目で見つめる、「監視員」のミヤギ。彼女の為に生きることこそが一番の幸せなのだと気付く頃には、俺の寿命は二か月を切っていた。ウェブで大人気のエピソードがついに文庫化。


「BOOK」データベースより


寿命を買い取ってもらえるところがあるらしい。
設定としてはなんか以前にも読んだような記憶が……。

さほど期待もせずに購入して、さほど期待もせずに読み進めた。

金欠で自らの寿命を売って余命三ヶ月になった大学生クスノキと、他の人間からはその姿を認識されない女性監視員ミヤギの物語。
メディアワークス文庫だから、いわゆるラノベになるのかな。

第三者からは見えないミヤギの、見えないがゆえの描写に練り込みの甘さを感じたけれど、展開としては面白かった。
これはネタバレしてはいけない感じがするので書かないけれど、終わり方は好きだった。

タイトルになっている最後の三日間は描かれていない。クスノキとミヤギは最後の三日間をどう過ごしたのだろう。

おすすめ度★★★✪☆
✪は0.5です。


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ふと夜中に目覚めて熱っぽいなと思い体温計を取り出した。
37.5度
僕の平熱は36.8分だからやっぱり発熱していた。

こんな時は汗をかくに限る。
布団の上に毛布を足して眠った。大量とはいかなかったけれど汗をかいた。

熱がある、声が出ない、という中で仕事をこなすのはなかなか辛い。
喉を太くして勢いをつけて声を出さないと声にならないから喉にも悪そうだ。

今は平熱以下を示しているけれど、せき込むと止まらないのが困る。市販の風邪薬4日分も終わったので、もう飲みたくはないな。

桜を見ても、地上で一番好きな菜の花を見ても感動しない自分に気づく。

お気に入りの散歩コース、ある?


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お気に入りの散歩コース?
ありません。

そもそも歩きません。
週6日の勤務の内4日が12時間。残る2日が14時間。
立ち仕事なので、休日に歩こうなんて気持ちは到底湧きません。

自転車ですら遠くまで漕ぐことをしなくなりました。
僕の世界はどんどん狭くなっています。宅急便の一番安いサイズぐらいです。

そのせいなのか、最近の僕はとても不機嫌です。
それも仕事中に限りなんだけどね。

自転車といえば、パンクしたと思って修理に持っていったら虫ゴムでした。
明細にパンク点検で800円ぐらい取られてたかな。

今はやれるか自信がないけど、昔々、パンクなんて自分で直してたもんです。

空気を入れたチューブを洗面器の水につけてパンクの場所を探すのです。
パンクの箇所を見つけたらボンドを塗って専用のゴムを張り付けて木槌で叩くのです。

それはもう、僕が子供の頃の話だから、今はもっと簡単にできるのでしょうね。

そうそう、鍋の穴あきも自分で直してたもんです。
水を入れて穴の場所を見つけて、その穴をキリとかで大きくするんです。

そこに、形としてはネジのスクリューがない感じのものを差し込んでトンカチで潰すんです。もちろん子供の頃に。門前の小僧で、覚えたものです。

トンカチで簡単につぶれたということは、鉛かな?
鍋底に鉛って、なんか怖い。違うかもしれない。

時間がないので、こんなものしか書けません。


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傍聞(かたえぎ)き / 長岡弘樹著

患者の搬送を避ける救急隊員の事情が胸に迫る「迷走」。

娘の不可解な行動に悩む女性刑事が、我が子の意図に心揺さぶられる「傍聞き」。

女性の自宅を鎮火中に、消防士のとった行為が意想外な「899」。

元受刑者の揺れる気持ちが切ない「迷い箱」。

まったく予想のつかない展開と、人間ドラマが見事に融合した4編。表題作で08年日本推理作家協会賞短編部門受賞。


「BOOK」データベースより


ページを捲っても、さっぱり展開が読めない短編集だった。

それは僕が、この作家さんの傾向がつかみ切れていない2冊目、というせいもあるのだろうけれど、せっかちな人なら、ええぃ! もどかしい! となるかもしれない。

「日本推理作家協会賞短編部門受賞」でミステリー色が強いのかと思えばそうでもなく、人情噺のようにも読めた。

受賞作で評価の高い「傍聞き」は、個人的な意見ではイマイチだった。傍聞き効果が2例出てくるのだけど、女刑事の娘(小学6年生)がやるのは年齢的に無理を感じた。

※傍聞き=「かたわらにいて、人の会話を聞くともなしに聞くこと」
この短編小説では、傍聞きの方が直接話を聞くより話の信用度が高まる、という風に使われています。本来はその意味はないはずです。


「迷走」の最後が予想外の展開で、ほぉ~となってしまった。表題作にたどり着いてもいないのに、いきなり最初からこのクオリティの高さはなんだ、と感心してしまった。

腹部を刺されて運ばれてきた患者は、救急隊長の娘が車椅子生活になった際の裁判の検事。判決はありえない不起訴。おまけに、乗り合わせた隊員はその娘の婚約者。

検事と外科医のあいだに何らかの取引があったのでは、と匂わせる。

すぐに受け入れる病院はみつからない。たらい回しを避けるため隊長が指示したのは、娘を車いす生活にしてしまった犯人の外科医。気を使ったもう一人の隊員が受け入れ要請をためらい、避けていたのだ。

しかし、一刻を争う状態の患者を乗せた救急車は、隊員たちの声に耳も貸さない隊長の指示で、考えられない迷走を続ける。

「迷い箱」も、なるほどそうだったのかと展開の見事さに舌を巻いた。これなど特に、この女主人公の職業はなに? 年のころは? で戸惑った。

更生施設長の女性主人公と、過失とはいえ、飲酒で幼い女の子の命を奪うことになったひとりの元受刑者を描いた「迷い箱」。

主人公の課した、「禁酒」の禁を破るかのように、一軒一軒飲み屋を覗いて歩く元受刑者。ある一軒でついに店に入ってしまう。
そこには明確な理由があった。

僕にはこの2作が印象的だった。

けれど、それぞれがよく練り込まれた短編集だった。ハラハラドキドキさせるのが上手い作家さんだ。
人によって好みの作品は分かれるだろう。読んで損はない小説。

おすすめ度★★★★✪
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北から南へ、そして南から北へ。突然高度な文明を失った代償として、人びとが超能力を獲得しだした「この世界」で、ひたすら旅を続ける男ラゴス。

集団転移、壁抜けなどの体験を繰り返し、二度も奴隷の身に落とされながら、生涯をかけて旅をするラゴスの目的は何か?

異空間と異時間がクロスする不思議な物語世界に人間の一生と文明の消長をかっちりと構築した爽快な連作長編。


「BOOK」データベースより

主人公ラゴスが、科学的文明を失ってしまった世界を長い年月をかけて旅していくという物語。

学びの徒であるラゴスの旅の目的は、ある地方に存在する遺棄された宇宙船だ。

その近くの村に、宇宙船に乗ってやってきた祖先たちが建てた未来的な建物があり、膨大な量の書物が残されている。

辿り着いたラゴスは、長い年月をかけてそれを読破する。


なんというのだろう、古い翻訳小説を読んでいるような違和感があった。
言葉の表現にそれを感じたのだろう。

初版は昭和61年になっている。携帯電話もインターネットもそれほど普及していないころだけれど、幕開けの時代でもある。古いせいでは決してなく、時代背景を考えて筒井康隆がそう書いたのかもしれない。

彼らは、科学文明を失った代わりにテレポート(転移)や、個人差はあるもののテレパシーのような同化能力を持っている。

けれどそれを強く打ち出してはいない。かつて小松左京や星新一と肩を並べたSFではない、ということだ。

比較的淡々と進んでゆく物語で、登場人物たちの心理描写も薄い。

この本以前に、『時をかける少女』や『脱走と追跡のサンバ』『家族八景』『七瀬ふたたび』を書いた筒井康隆なら劇的な物語にすることも容易にできただろうけれど、あえてそれをしないで、ひとりの旅する男「ラゴス」に仕上げたように見えた。

二度目の捕らわれの身になって奴隷として売られようとした場面ではうんざりしてしまって、早く読み終えたいとばかりを思った。

その捕らわれの身から逃れたのは故郷に近い町で、彼は帰郷を果たす。

時は流れ、書物から得た知識を少しづつ使い功成り名遂げたように見えた彼が、父親の蔵書の中からある画家の放浪記を見つける。

挿画として石版印刷されたスケッチの中から「氷の女王」と題された絵に、若き日の想い人デーデを見つける。

若き旅の当初、同じく旅する村の集団に加えてもらったときに出会った村娘デーデだ。

彼らの村への集団転移に力を貸し、その村に滞在することになるラゴス。

年老いたラゴスはすべてを捨ててふたたび旅に出る。デーテの面影を追いかけて人生最後の旅に。

凍土で雪がちらつく地で、お互いどこかで会った気がする森番ドネルと意気投合するが、彼が引き留めるのも聞かず北の大地の果てへと向かうラゴス。

ドネルが誰であるか、デーテと出会えたのかは書かれていない。

「旅するラゴス」でも「ラゴスの旅」でもなく、
『旅のラゴス』

読み終えた表紙を見ながら、なんてしっくりくるタイトルなんだろうと思った。

ラゴスのひたむきな憧憬(しょうけい)を感じた。人生はまだ見ぬ何かを探す旅。懐かしい景色に戻る旅。

読後感は良く、再読に耐えうる小説だと思った。

僕の読書日記は、ネタバレを恐れて詳しく書かない傾向があった。
でも、いいのかな。これぐらい書いて。

本を開くのは僕ではないのだから、それぞれがそれぞれの旅に出ればいいのだろう。

かつて書きかけで完成しなかった、荒野を旅する男の話が書きたくなった。


おすすめ度★★★✪☆
✪は0.5です。


どうにもふさわしくないけれど、なぜかこんな歌を思い浮かべてしまった。

旅の終わりに / 冠二郎

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「東京に逃げることにしたの」
釧路の高校を卒業してまもなく、二十以上も年上の和菓子職人と駆け落ちした順子。

親子三人の貧しい生活を「しあわせ」と伝えてくる彼女に、それぞれ苦悩や孤独を抱えた高校時代の仲間は引き寄せられる。

―わたしにとって、本当のしあわせとは何か? ままならぬ人生を辿る女たちが見いだした、ひとすじの希望。

生きることへの温かなエールが胸に響く物語。


「BOOK」データベースより


1984年に始まる、仲の良かった高校生6人の女たちの、その後の人生が描かれている。

親ほども年の離れた妻帯者の男と駆け落ちをした「順子」を核に描かれた物語だけれど、その順子をメインにした章はない。

「清美1984年」から「直子2009年」まで、順子の生活もおぼろげながら伝わってくる設定になっている。

駆け落ちをした男と、東京の端っこの流行ってもなさそうなラーメン屋を営む順子。

同級生の彼女たちから見たら、とてもそうは思えないのに“幸せだ”という順子。

なにをもって幸せというのか、それは人によって違うのだろう。
人の幸不幸は、他人が判断できるものではないのだと考えさせられる。

きっと、物や金ではない人だって存在するのだ。
順子のように。

生きた、笑った、泣いた。そして──死んだ。
単純に書くと、人の人生というのはおおむねそんなものなのだろう。

看護師の直子には見抜かれた。最後の数ページは胸に迫った。

静かだけれど、いい小説だった。描写もいい。
実在もしない順子という女性が、僕にはありありと見えた。

いつか時間が持てたら、再読したい。

相棒はいないけど、久々にやりたくなってしまった、「映画にするなら誰?」 のキャスティング。

順子=戸田恵梨香
細身で薄倖そうで、健気な笑顔。これを演じられるのは戸田恵梨香だろう。
うん、これはいいキャスティングができた。

おすすめ度
★★★★☆


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1890(明治23)年、一隻の船が横浜を出航した。

はるばるトルコから明治天皇の表敬訪問に来ていたオスマン帝国の軍艦 エルトゥールル号 だ。

9月16日夜半、折悪しく台風が接近していた。

木造フリゲート・エルトゥールル号は強風にあおられて漂流し、現在の和歌山県串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で岩礁に乗り上げた。

そしてエンジンが爆発、直後に沈没してしまう。爆発で命を落とすもの、それを逃れても荒れ狂う海に投げ出されるもの。500名を超える乗組員が死亡する大規模な海難事故だった。


エルトゥールル号

エルトゥールル号が9000キロも離れている地からはるばる日本を訪れたのは、同じように米欧との不平等条約で苦労していた日本と「平等条約」締結を図ろうとしたためだ。

明治維新以後、独立国家として世界に姿を現したものの、日本はやはり、アジアの極東にある小国に過ぎなかった。

それを証明するような事故が、エルトゥールル号の海難事故よりさかのぼること4年前に起きている。英国貨物船「ノルマントン号」の沈没事件だ。

1886年10月、横浜から神戸に向かう同船は、暴風雨で和歌山県樫野崎の沖合付近で座礁沈没した。

奇しくもエルトゥールル号の遭難場所と同じ沖合だ。その際、船長ら英国、ドイツの乗組員26人全員は救命ボートで漂流していたところを沿岸漁民に救助された。

しかし、乗船していた日本人25人は船中に取り残され、全員が溺死、その死体さえ発見されないという事故だった。これは事故というより、明らかに事件だ。

“治外法権下”にある英国領事裁判が全員無罪の判決を下したため、船長らの人種差別的行為と不平等条約による領事裁判権に対し国民は激昂した。

政府は兵庫県知事内海忠勝を告発人として船長を同領事館裁判所に告発した。

同 1886年12月,神奈川県横浜市駐在イギリス領事館裁判所がくだしたのは、船長に禁獄3ヵ月の判決だった。

25人を人種差別的見殺しにしておきながら、たったの禁獄 3ヵ月である。賠償さえ行なわれなかった。

この事件により領事裁判権を含む不平等条約撒廃の世論が高まった。

オスマン帝国は、このような不平等条約に苦しんでいた日本に対して、善隣友好を持ちかけたのだ。

さて、エルトゥールル号遭難事故に戻る。

ドーンと腹を揺さぶるような爆発音がした。紀伊大島の樫野崎(かしのざき)灯台の灯台守はその音を聞いた。村人の多くもそれを耳にしただろう。

灯台の下に漂着した乗組員は、灯台の灯りを頼りに険しい断崖をよじ登り助けを求めた。


峻険な崖の上に建つ樫野崎灯台

大男の服は裂け、傷だらけの身体からは流血が激しい。

しかし言葉は通じない。爆発音とその姿から、船が難破したと直感した灯台守は、地元樫野地区の住民を集めた。

灯台から知らせを受けた島民は暴風雨の中を総出で駆けつけた。

そこにあったのは見たこともないような光景だった。
荒れる海岸には何百人もの男が折り重なるように打ち上げられていた。未曽有の海難事故だった。


樫野崎灯台下の海

どこの国の者であろうが構わない。目の前の海難者を救わなければならない。

島民は危険を顧みず岩礁から生存者の救出に向かった。

一丸となって真っ暗闇の中でひとりひとり確認していった。遺体にまざって何人か息のある人もいた。

男たちは服を脱ぎ、どこの国ともわからない海難者を己の体温で温め、医師は運び込まれた者たちの治療に当たった。そこは修羅場と化した。

紀伊大島は、当時3村から成る約400戸の島だったが、食料の蓄えもわずかな寒村だった。さらにその年は台風続きで漁もできなかった。

それでも非常食として蓄えていたコメや正月用の鶏までも、救い出した彼ら69人に食べさせた。もちろん着物も布団も。

10月初め、神戸で治療を受けた生存者は日本海軍の軍艦「比叡」、「金剛」で、帰国の途に就いた。

2隻には司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で有名な秋山真之ら海軍兵学校17期生が少尉候補生として同船していた。

2隻が無事イスタンブールに入港したのは1891年1月で、トルコ国民は感謝の念をもって日本海軍一行を大歓迎した。


イスタンブールに停泊中の「金剛」

当時なぜトルコ航空機が日本人を救出したのか、その理由を日本政府もマスコミも知らなかった。後になって元駐日トルコ大使が次のように語っている。

「エルトゥールル号の事故における日本人の献身的な救助活動、トルコの人たちは決してそのことを忘れていません。今の日本人が知らないだけです」

トルコでは教科書にも載っている話で誰もが知っている歴史的事件だった。

これを、私たち日本人はこういい現わしたのではないのか。
情けは人の為ならずと。
      ↓↓↓↓
人に対して情けを掛けておけば、巡り巡って自分に良い報いが返ってくる。

もしもあのとき、こっちの身が危ないからやめておこう、どうせ日本人ではないから。助けたっていったい何を食べさせるんだ食料なんてないぞ。などと諦めていたら、トルコ航空機によるテヘラン邦人の救出劇は起こらなかっただろう。

さらに絆は続く。

平成11年(1999年)8月17日に発生したトルコ北西部大地震では、テヘランで助けられ、WELCOME TO TURKEYの機内アナウンスをその耳で聞いた商社マンや銀行マンは、義援金募集に奔走した。

日本政府も迅速に緊急物資や無償援助の提供、レスキューチーム、医療チーム、耐震診断の専門家、ライフラインの専門家が派遣された。

横須賀から救援物資の仮設住宅を積んだ海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」では出発前に艦長から次のような訓示があった。

「トルコ共和国はイラン・イラク戦争のおり、危険もかえりみずに2機の航空機を派遣し、テヘランに在留していた邦人215名を救出してくれた。
日本は、いまこそ、トルコの恩に報いなければならない。トルコのひとびとの友情に応えなければならない。
先達が遺してくれた日本とトルコの絆を断ち切るようなことがあってはならない。さあ、すみやかに、トルコへ向けて出発しよう。トルコには日本の支援を待ち焦がれているひとびとがいるのだ」

日本からの救援物資はトルコへ届けられ、仮設住宅は「日本トルコ村」と呼ばれ、ピーク時には5000人の避難民が身を寄せた。

ドアには日の丸が張られ、路地は「東京通り」「神戸通り」などと名付けられた。

東日本大震災発生時、トルコの救助隊が約3週間もの長期に亘り活動し、またトルコでも、東部ヴァン県を震源とする大地震が発生したときに、日本は緊急援助物資の供与、緊急無償資金協力を行いお互いを助け合う強い絆は続いている。


話は少しそれるけれど、米軍が沖縄本島に上陸した1945年4月、ソ連は日ソ中立条約の不延長を通告し、広島市に原爆が投下された8月6日の2日後、対日宣戦を布告した。

日本はポツダム宣言の受諾を決め、15日には昭和天皇の終戦詔書が放送されたが、ソ連軍は28日から9月5日までに択捉、国後、色丹、歯舞群島を占領。島には約1万7千人の日本人がいたが、1949年までに全員が退去させられた。

ソ連は日ソ中立条約を破棄し、終戦後に侵攻してきたのだ。
「北方四島はわが国固有の領土」の政府の主張はこれに基づいている。

しかし、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったともいわれている。アメリカがソ連の侵略を強く非難しない理由もそこにあるのだろう。

世界はカオスである。

アジアと西洋の境に、盟友トルコの国はある。

もしも日本人が近視眼的迷走に陥り、近隣のおかしな国々の嘘と捏造に惑わされているなら悲しいことだ。それは、日本を愛してくれる国々に対しても申し訳の立たないことではないだろうか。


海難1890


小説でもないのに
─FIN─

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体調が思わしくないことは以前のブログにも書いたけれど、ハードスケジュールからは解放されそうもない。

それとともに、書きたい、という意欲も薄れつつあることを感じている。

けれど僕の頭の中には、書かなければならないことがまだまだある。その多くが、日本人であることに誇りを持とうということに尽きるのかもしれない。



けれど、書かなければならないことと、書きたいことの色合いはやはり違う。

年号が変わるとき、僕はやっぱり何かを書かねばと思うのに違いない。それがどれほど僕の意欲を突き動かすのかは未知数だ。

僕の中から、“意欲”というものがひいちにちと失われていく気がしているから。

季節も春に近づいてきた。時折、過ぎた季節の残り香が、ふと鼻先をかすめる時がある。

それは郷愁でもなんでもなくて、僕の過ごしてきた物語に過ぎないはずなのだけれど……。

折り合いをつけながら生きてきたつもりだったけど、まだできていないのだろうな。


夢の途中 / 来生たかお


ちなみに、「9000キロ彼方の盟友」はまだ終わっていません。
疲れたので、訪問もせず横になることをお許しください。


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取り残された日本人救出にはふたつのルートの働きかけがあった。

ひとつは、トルコ駐在の日本大使野村豊によるトルコ大使イスメット・ビルセルへの救済依頼。

もうひとつは森永尭(もりなが・たかし)伊藤忠商事のトルコ駐在員によるトルコのオザル首相への依頼。

この二組の間に共通した絆の強さも功を奏した。

日本人救出に先立ち緊急会議が開かれ、トルコ航空は救援のパイロットを募った。

すると、危険なフライトにもかかわらず、その場にいた
全員のパイロットが手を挙げたという。

商社マンがいた。技術者がいた。子連れもいた。お腹に子を宿した臨月の妊婦もいた。

メヘラバード国際空港に到着したトルコ航空機2機に、その215名の日本人が分乗してイランを脱出することになった。

タイムリミットの75分前。時間の余裕などなかった。

しかし、である。日本人を優先させたからには乗れないトルコ人が多くいた。その数なんと500名。

残されたその500名のトルコ人たちはトルコ大使館が用意した車に分乗し、陸路でトルコへ向かった。

日本人を優先させたことに異論をはさむトルコ人は一人もいなかったという。

なぜそんなことが起きたのか。

陸路なら3日以上はかかる道程。自分たちは空爆でより危険な陸路を逃げなければならないというのに、なぜ譲ったのか。

そこには、かつて名もなき日本人たちが、命の危険にさらされたトルコ人たちに救いの手を差し伸べた歴史が隠されていた。

トルコの歴史教科書には、日本とトルコを繋ぐある海難事故が記されているからだ。

滑走を始めたトルコ航空機はぐんぐんとスピードを上げて、やがてふわりと離陸した。機内に歓声と拍手が起こった。


日本人救出のため飛んだトルコ航空ダグラスDC10型機

しかし、飛び立った喜びも束の間、いつ撃墜されるかわからない恐怖で静まり返る機内。

フセインが声明より早く攻撃してこない保証はない。イラン空軍が勝手に攻撃を仕掛けてくることだって──。

座席の手すりを握りしめ、息をひそめ、唇を引き結び。
ある者は固く目を閉じ、ある者は天に祈り、ある者は我が子を抱きしめた。

早く早く──もっと遠くへ。
とてつもなく長く感じる時間が過ぎてゆく。

飛行のあいだ乗客にあったのは迫りくる時間と撃墜される恐怖だけだった。

どれほどの時間が過ぎ、どれほどの恐怖と闘っただろう。

と、そのとき、機長の機内アナウンスが響き渡った。

WELCOME TO TURKEY
 ようこそトルコへ!

その瞬間、機内に歓喜の叫びと、大きな拍手が起こった。

一方、残念ながら志は叶わなかったけれど、日本側で唯一、救援に名乗り出ていたパイロットがいた。

戦場と化したイランに取り残された日本人を救うためなら、危険なフライトなど恐れもしない男がいたのだ。

海上自衛隊出身の優秀な日航パイロット、高濱雅巳機長だ。
現場は高濱機の救援飛行で決まっていた。

飛べないとわかった時、高濱機長は、なぜだ! と歯噛みをしたに違いない。

日本がなぜ、日本人を助けないのだ、と。

彼は、同年8月12日に起こった航空史上に残る大惨事、東京(羽田)発大阪(伊丹)行、日本航空123便墜落事故で命を落とした。

ヴォイスレコーダーに残された、副操縦士、機関士、そしてわれとわが身を励ます高濱機長の「どーんといこうや」の言葉が非難を浴びた時期があった。

ご遺族はさぞかし辛く無念な思いをしただろう。

しかし、この一事を見ても、彼が勇敢で、情(じょう)の深いパイロットだったことがわかる。

"To be continued"


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イラン・イラク戦争のさなかの1985年3月、イランとイラクは相互の都市へのミサイル攻撃を開始した。

イラク空軍機はテヘランの民間居住域を空爆するまでになっていた。

イラン上空の封鎖宣言が出されたのは、そんな戦争の激化する1985年3月17日のことだった。

イラクのフセイン大統領はイラン領空を「戦争空域」と宣言し、今から48時間が経過したらイラン上空を飛ぶ航空機は撃ち落とすと明言したのだ。




民間航空機もすべて撃ち落とすという、歴史的にも類を見ない声明だった。



イランの首都・テヘランを脱出しようと日本人は空港に急いだ。各国は自国民救出のための救援機を出していたからだ。

しかしここで信じられない現実に直面することになる。
日本からは救援機が来ないという考えてもみない現実に……。

なぜ日本は──日本国は、我々日本人を助けようとしないのか!



空港にいた265人の日本人はパニックに陥った。

日本政府は日本航空(JAL)にチャーター便の派遣を依頼したが、日本航空のパイロットと客室乗務員が組織する労働組合は、組合員の安全が保障されないことを理由にいずれもこの要請を拒絶したためだった。

JALは救出機を用意して待機していたものの、労組の反対で離陸することはなかった。

さらに、当時の自衛隊法に阻まれたため、
自衛隊の派遣もできなかった

たとえ法整備が整っていたとしても、イランまでの航続距離を持つ航空機は配備されていなかったため、自衛隊派遣は事実上不可能だった。

その間、在イラン日本大使館では手を尽くして救援機を出す国々と交渉したものの、いずれも自国民救出に手一杯であり、希望者全員を乗せてもらうことは到底かなわなかった。

ソ連のエアロフロート機は自国民を優先し、
日本人の搭乗はすべて拒否された
たとえチケットを持っていても搭乗できなかったのだ。

かろうじてオーストリア航空2機とエールフランス機、フルトハンザ機で40余名の日本人が脱出したが、なお200名を超える日本人が全く脱出方法が見つからない状態だった。

陸路で国境を超えるには煩雑な手続きが必要だった。間に合うはずもない。最後の望みの空路も経たれた。

脱出の道は塞がれた!

まさに空港に詰めかけた日本人200有余名は生命の危機に瀕する状況に置かれた。

タイムリミットに向けて時間だけが過ぎてゆく。あと数時間でイラクの通告期限が来る。テヘランに取り残された日本人は、イラクの空爆下を逃げ惑うしかない状況に追い込まれつつあった。

そんな中、2機の航空機がテヘランに到着する。メヘラバード国際空港に日本人向けのアナウンスが響き渡った。

「救援機が到着しました!」

子供たちはハッと眼を大きくして親を見上げ、大人たちの間からは低いどよめきが起こった。

いったいどこから救援機がやってきたというのだ。
誰もが我が耳を疑った。

やがて事情が明らかになってくる。

その救援機は自国民救援のために飛んできたトルコ航空機だった。

最終便に臨時便を加えて2機とし、日本人を優先して搭乗させることになったのだ。

なぜ、そんな奇跡的なことが起こったのか。

"To be continued"


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冲方丁(うぶかた・とう)といえば『天地明察』のイメージが強いけれど、こんなものを読んでみた。



胸にあふれる、感動と共感。稀代のストーリーテラー・冲方丁が実話をもとに創作した「泣ける」ショートストーリー33篇。
「BOOK」データベースより


各話が原稿用紙5枚半という制約で、3年にわたって「小説すばる」に掲載された連作コラム。

実話をもとに「泣ける」をテーマにしたショートストーリー集。複数の聞いた話を合体させたり、男女の性別を変更したしたものもあるようだ。

読み始めてすぐに思った。どこが「もらい泣き」なんだろうと。
けれど、読み進むにつれてジワリと涙の出る話もあった。

どの話が心の琴線に触れるか、それはそれぞれの感性の違いとなって表れそうだ。

「ドッグハウスカー」もよかった。シャア!と威嚇しまくる「女王猫」もよかった。
「教師とTシャツ」も少し泣き笑いが漏れた。

駅の掲示板に書かれた顔も名前さえもわからない人の自殺を示唆する書き込みに対して、たくさんの人がメッセージを書き加えた「先にいきます」もジンときた。

「盟友トルコ」の話は、以前ブログに上げようと書きかけて実現しなかったことがある。
映画にもなったぐらいだから知っている人も多いだろうけど、今度書いてみようかな。

もしも、小説なんてあまり読まない、というひとにだったら僕はこれを勧めるかもしれない。

おすすめ度★★★★☆


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雨の一日だった。
お蕎麦屋さんでかつ丼を食べて、BOOKOFFに行って、スーパーに買い物に向かった。自転車を出せないとひどく大儀に感じる。

僕の体の中に、異変が起こっているのではないかと感じることがある。
なんというか、手に力が入りにくくなっている。
ハードスケジュールで疲れももちろんあるのだろうけれど、気力も湧かなくなっている。

それはさておき、BOOKOFFで2冊買った。
地元以外のBOOKOFFでも探した長岡弘樹『傍聞き』が、なんときれいな状態で108円コーナーに2冊も並んでいた。どこに置いてあったのだ……でもうれしい。

同じく108円コーナーで筒井康隆の『旅のラゴス』を買った。

候補の本があったら、少し引いておく。要はちょっとはみ出た状態だ。
これをやっておくと後で探しやすい。

今日も3冊ぐらい引いていたけど、棚の通路を戻ってみると一冊しか見つからなかった。

ちょっとはみ出た本は、それを手にした人のずさんさもあるのだろうけれど、僕みたいな人もいるかもしれないから、最近の僕は押し戻さないことにしている。