濡れたハンドタオルのような味。 -8ページ目

散らかった机。

 毎日を生きていると机の上が色々な物でいっぱいになる。夢中になっているものや将来のこと、就職・転職のことや友人関係や恋人のこと。堆く積まれているそれらを解消することこそが日々の充足に繋がるのだと我々は信じて生きている。
 けれどある日片付いた問題をどけるとちらっと机が見え、そして気づく。机の上に乗る程度の問題など一過性のものに過ぎない。本当の問題は机に刻まれているのだと。


 昨日は教習で応急救護を受けた。五人しかいなかったが一人ずつ前へ出て実践する。緊張はあったが前のように見られる緊張ではなかった。いつの間にか度胸がついていたようだ。
 昔はビンゴ大会でビンゴの景品を受けとることさえできなかったのに。
 こんな僕なのにライブでボーカルをやっていたなんて考えられない。スポットライトがこちらを向いていると観客が見えないし第一僕を見ている人など誰もいない、という考えだった。ボーカルなのに。
 あと技能が二時間。そして来週が卒業検定だ。

 ビリヤードがしたい。趣味と遊びの中間ほどの取り組みであるが大会にも出たこともある。
 大会にでたい。友達とでは味わえない9ボールでのあの緊張感が欲しい。ただその緊張のせいで3セットマッチで二度も最後の9番をミスって負けた苦い記憶があるのだけれど。
 あれは勝ててた試合だった。けど楽しかった。

 そうは思っているけれどただ机の上を埋めたいだけかもしれないな。


 相変わらず読者に優しくないブログだな。まあいいや。

Mo?t & Chandon。

 モエ・エ・シャンドン。映画『プリティ・ウーマン』でもそのシャンパンが登場した。今度買ってみる。


 この時間に窓の外を眺めていると夜中に吠る犬の気持ちがよくわかる。
 家々に灯る窓の明かりはそこに人がいる証拠だ。あの光の下では一つの家庭が確かに毎日行き来している。その安心感が小さい頃から好きだった。僕の知らない部屋で誰かの主観がちゃんと存る。
 けれど夜中はそんな小さな確かさもなくなって、パラレルワールドにでも迷い混んだような心細さが生まれる。誰も起きていない、僕しかいない世界。眠れず、寝苦しい暑さに悶えてるのは世界中で僕だけなのではないかと。
 以前は夜中でも車通りの絶えない場所に住んでいたからこの寂しさはなかった。「誰かの主観」が絶えず感じられたからだ。
 人間は誰かがいないと安心できないのだ。まるでたった一つの水素原子にさえぶつからなければ存在し得ない光のように。

文学的セックス。

 トルストイが世界文学史に残る不朽の名作『アンナ・カレーニナ』を書いたのは1870年頃だったらしい。きっと夜も寝ずに、薄暗いランプの下でこれを書き綴っていたことだろう。
 そしてその約140年後に薄暗い電気スタンドの下で僕がこうして読んでいる。
 脳から発せられた微弱な電気信号が手を動かし、ペンを動かし、彼の脳裏に浮かんだ情景は文字へと換わり言語は異なるが僕の頭にありありと再構築されてゆく。
 偉大な文豪とリンクできるこの悦びにやられている。