<開高健、
宮原昭夫、
井上靖>
1081「ロビンソンの末裔」
開高健
長編 佐々木基一:解説 角川文庫
敗戦直後、食うに喰えず、
ペテンにかけられたみたいに北海道に渡り、
運命のいたずらにほんろうされる
”ロビンソンの末裔” たちの苛酷な自然との苦闘を、
作者は、いささかの感傷をもまじえずに
乾いた文体で描く。
この底なし沼にすりへらす、
人間の貴重な労働力に、
本書はいやおうなしに世間の目をむけさせる。
<ウラスジ>
開高健の初期作品、三作目。
この作品が書かれた背景と基礎知識を、
佐々木基一氏の解説から――。
戦後、開拓部落の問題が、
ひとしきり世間をにぎわしたことがある。
にぎわした、といっては失礼にあたるような、
深刻な問題をそれはかかえていたのだが、
いったい、
その後の開拓部落の運命はどうなったのだろうか。
当時、数知れぬ戦災者や復員者や外地からの引揚者が、
不毛な火山帯の高原や、人跡稀な山奥に入って、
板をうちつけただけの小屋に住み、
電気もなく、畳もなく、食べものもなく、
きびしい自然とのたたかいに必死にとりくんだ筈である。
そうした開拓地のうち、
はたしてどれだけが成功していまに残り、
どれだけがみじめな残骸をあとにのこしてうち捨てられたか。
空襲に家を焼かれて田舎に疎開したり、
敗戦後の混乱のなかに投げだされたりした、
あの当時の人間は、言ってみれば、
誰もがみな開拓民のようなものだった。
<佐々木基一:解説より>
……というわけで、
標題の ”ロビンソン” とは、
絶海の孤島で大自然と格闘した、
”ロビンソン・クルーソー”
から採られたものです。
北海道を舞台にした開拓というと、
どうしたって明治初期を、
”屯田兵”
という単語とともに思い浮かべてしまいます。
船山馨の『お登勢』と『石狩平野』(未読)は、
この時代の北海道を舞台にしたもの。
(『お登勢』は、寺田屋の女将の話だと思ったら大間違いだった)
しかし、日本人のバイタリティーには頭が下がります。
アメリカ本土、ハワイ、中南米、満州、
さまざまな場所に移り住み、差別や自然災害と戦いながら、
一定の成果を残していく――。
これは国内でも同じことでしょう。
<余談> 1
海外の移住もの(?)を読んでいて気がつくのは、
苛酷な自然に立ち向かうために、
宗教(キリスト教)を糧にしているということ。
宣教師の犠牲的な活動が、
移住の第一陣となっている話には事欠きません。
それに引きかえ、
日本人の移住では何が糧となったのか。
<余談> 2
しかし、こちらの教養不足もあるんでしょうが、
前回の『日本三文オペラ』といい、
今回の『ロビンソンの末裔』といい、
開高さんは埋もれそうな歴史的事実を
開拓していくことに長けていますね。
それは、
”ルポルタージュの方法論を
実践していたからに他ならない”
と聞きます。
綿密な取材と客観的な思考、簡潔な叙述――。
このことが、
後々の<ベトナムもの>に繋がっていくのでしょう。
1082「石のニンフ達」
文学界新人賞受賞作
宮原昭夫
短編集 三木卓:解説 角川文庫
収録作品
1.石のニンフ達 (文学界新人賞受賞作)
2.われらの街
3.死神たち
4.火と水
5.禁漁区
みさを達の私立女子高校に教育実習にきた秀才の大学生は
早速≪べんじょげた≫とあだ名された。
ちびた下駄をはいて、
街でねぎ二本と卵一個を買うのを見られたからだ。
その≪べんじょげた≫とデートの約束をしたみさをがとった
おかしな作戦とは?
揺れ動く思春期にある少女達の
説明つかない奔放な心理と行動を
見事に描いた文学界新人賞受賞の表題作他、
少年少女の鋭い目で現実を透視した悪夢あふれる傑作短編集。
<ウラスジ>
まずは私にとって初お目見えとなった、
芥川賞受賞作所収の短編集
『誰かが触った』
から。
<石のニンフ達>
始業時間に遅れそうな高校生のみさをは、
さっきから横断歩道を渡れないでやきもきしている。
……やっとそこを渡り終り、商店街を縦断して、
向こう側の台地の斜面を
長々とはすかいに這いのぼる坂を歩いて行くうちに、
みさをの胸は、あながち運動のせいばかりでなく、
異様にトキトキと鼓動を速めてくる。
相変わらずの、『である』の現在進行形の文体。
改めて気づいたのは、この文体を用いると、
文章そのものが長くなってくるということ。
これは『です・ます』調と同じ効果があるようで。
さて、内容はというと、
<ウラスジ>にもある、
思春期の少女の説明つかない<奔放な心理と行動>
が題材になってはいますが、
後味的には、<ウラスジ>最後の、
”悪夢あふれる”
という表現に近いものがあります。
「もうかれこれ……」と、
みさをは優しげなしぐさで腕時計を一べつして、
「……二時間十分になるわ、ああしていらっしゃるの」
「なにしてるのかしら」と、
糸子が思わず地声になってしまって、口走る。
「私を待ってらっしゃるのよ」と、
みさをは、可愛い声で告げる。
吉屋先生(べんじょげた)はひたすら待ちぼうけを喰らって、
この物語はフィナーレを迎えます。
残酷だし、面倒くさい。
しかし、男はこの仕打ちに耐えなければいけません。
<余談>1
途中、表題となっっている<ニンフ>という言葉が
こんな形で登場します。
「なにね、例のニンフ病って奴ですよ、これは」
突然倒れてしまったひとりの女生徒、
そして連鎖するように続け様に三人も失神してしまった
状態を指して、校医が放った言葉です。
「さあ、なんて言ったらいいんだろうねえ。
……集団的ヒステリーとでもいうんですかね」
という科白が前段にありました。
ここで、二つの言葉が出て来ます。
ピクニックと集団的ヒステリー。
すぐさま頭をよぎるのは(現在です)、
『ピクニック・アット・ハンギングロック』。
1975年にピーター・ウィアー監督で映画化され、
2018年に文庫化された物語。
複数の少女消失の実話。
なんの解決策も見出されず、
そのまま打っちゃっておかれて、
おしまい。
思春期の少女のなせる超常現象なのか。
……にしても相手となる男子にとっては、
やっぱり、
”めんどくせえ” 。
西野カナの『トリセツ』ぐらいは頭に入れておけって
誰かが言ってた。
<余談>2
私の場合、
普通に ”ニンフ” って聞いて連想したのは、
『無垢』だの『処女性』だったりしたのですが、
とんでもない間違いでした。
”ニンフ” とは、”ニンフォマニア(色情狂)” の語源であり、
森のなかでサテュロスやパンの神と戯れていた、
生粋の『遊び女』を指すのです。
ええと。
何と取り違えたんだろう?
”ミューズ” あたりかな。
1083「蒼き狼」
井上靖
長編 亀井勝一郎:解説 新潮文庫
風の如く蹂躙せよ。
嵐の如く略奪せよ。
世界史上未曾有の英雄、成吉思汗即位八百年!
遊牧民の一部族の首長の子として生れた
鉄木真=成吉思汗(テムジン=チンギスカン)は、
他民族と激しい闘争をくり返しながら、
やがて全蒙古を統一し、ヨーロッパにまで及ぶ遠征を企てる。
六十五歳で没するまで、ひたすら敵を求め、
侵略と掠奪を続けた彼のあくなき征服欲はどこから来るのか?
――アジアの生んだ一代の英雄が
史上空前の大帝国を築き上げるまでの
波瀾に満ちた生涯を描く雄編。
<新潮社:書誌情報>
……『王将』よりも『テムジン』の餃子が好き。
もとい。
まずはこの記述。
「成吉思汗は源義経也」
という大変長たらしい題の書物が出版され、
忽ちにして出版した月に十一版を重ね、
ベストセラーになったのは大正十三年のことである。
著者は小谷部全一郎という人である。
<井上靖:あとがきより>
……こんな本が出てたんですね……。
まあ、当然学者たちからは猛反撃を喰らったようですが。
ただこの本が、
井上靖をしてジンギスカンに対する興味を抱かせ、
しいてはこの作品を書かせるきっかけになったようです。
しかし、こっちは<やじうま根性丸出し>の読書家ですので、
こちらの
高木彬光『成吉思汗の秘密』も併せて読んでいただいて、
あれやこれやと想像するのも一興でしょう。
スケールは違いますが(案外違わないかも)、
『正史・三国志』
と
『演義・三国志』
を読み比べるようなものかと。
歴史上は、
『演義三国志』の悪役(ラスボス)
曹操の『魏』が行っちゃうんだから。
『魏志倭人伝』。
卑弥呼。
<余談> 2
広大なモンゴル帝国の遺産。
コーカソイド化した元モンゴロイド、
マジャール人。
いまでもハンガリー人をさしてこう呼ぶことがあります。
……ということで、
ハンガリーのモルナールについて。
『マジック・マジャール』。
プスカシュ。
モルナールもプスカシュも
”フェレンツ” て名前なんだな……。
説明不足で申し訳ない。
プスカシュは、
いにしえのサッカーの名選手です。