<開高健・吉行淳之介・室生犀星>
収録作品
1.裸の王様 (芥川賞)
2.パニック
3.なまけもの
4.流亡記
世界を股に掛けた ”釣師” 開高健さん、初登場です。
なぜか新潮文庫ではなく、角川文庫で購入しています。
装幀が良かったんでしょうね。
ある子供が、アンデルセンの「裸の王様」を絵にしたのですが――。
【ぼくは五枚の作品を一枚ずつ観察してはベッドのよこにおいた。さいごの一枚が色の泥濘のしたからあらわれたとき、思わずぼくはショックを感じて手をおいた。ぼくはすわりなおしてその画をすみからすみまで調べた。この画はあとの四枚とまったく異質な世界のものであった。 】
そこに描かれていたものは――。
【越中フンドシをつけた裸の男が松の生えたお濠端を歩いているのである。彼はチョンマゲを頭にのせ、棒をフンドシにはさみ、兵隊のように手をふってお濠端を闊歩していた。 】
【その意味をさとった瞬間、ぼくは噴水のような哄笑の衝動で体がゆらゆらするのを感じた。】
この絵を巡って、コンクールの審査や何やらで、大人たちの了見の狭さを浮き彫りにした名作です。
「パニック」はちょうど今の状況を風刺するような内容です。
その県の山林課に所属する主人公の俊介が予測したとおり、あちこちから鼠の被害が報告されるようになってきます。
もともとこういう事のために予防策などを進言していたのですが、収賄容疑で山林課に飛ばされて来た新任の課長は殆どそれを無視します。
しかし事態は変わりました。
大量発生した鼠を駆除すべく、俊介を始め、色々な人間が対策を講じるのですが、片方では保身にも忙しく、対策は遅々として進みません。
鼠害対策委員会が設けられ、俊介は矢面に立たされ、蛇や鼬を野に放ったり、殺鼠剤を配ったり、落とし穴や罠を仕掛けたり、様々な方策を実行していきます。
その努力がもう少しで報われるという頃、何故かと言うか、当然と言うか、俊介は周りの人間から煙たがられている事に気がつきます。
挙句の挙句の果てに、県の局長から、「鼠騒動は終結した」という嘘の発表をせよ、と迫られてしまいます。
ラスト近く、そろそろパニックが収まりかけて来た時に俊介は、”東京に栄転”と言う名の左遷人事を喰らいます。
酔っぱらった俊介は不満を抱きながらも、こうつぶやきます。
「やっぱり人間の群れにもどるよりしかたないじゃないか」
”鼠” の群れよりいくらかまし、というところでしょうか。
でも……。
なんか、書いているうちに、今の状況と符号するところが多すぎて、溜息が出てしまいました。
126.「青年期 その生活と心理」
津留宏
目次
Ⅰ.青年を理解しよう
Ⅱ.青年期の始まりと終り
Ⅲ.青年は社会にどう散らばっているか
Ⅳ.中学生の身体と心
Ⅴ.高校生の矛盾と秘密
Ⅵ.大学生の思想と
態度
Ⅶ.働く青年の生活と悩み
Ⅷ.青年期をどう生きるか
心理学者で神大教授だった津留宏さんの、隠れた名著と言われています。
昭和三十四年(1959年)発行の本です。
古っ。
しかし――。
何故この本が手元にあるのか、今もって判りません。
旭屋か紀伊國屋で買ったものだとは思います。
町の小さな書店には教養文庫が置いてないところが多かったので。
新幹線の中で読んだ事もうっすら覚えています。新大阪か博多かどちらかに向かっている時です。
でも何でこの本を買ったのでしょうね。
これって、どちらかと言うと、先生が読むべき本ですよね。
開始まもなく、”青年期の研究方法” が書かれています。
<観察法>
<質問紙法>
<回顧的方法>
<日記法>
<事例研究法>
こんな風に大人に見られてるのかという感覚は、動物園の檻に入れられている獣のようでした。
また思春期特有の自意識過剰気味の勢いで、「自分を判ってほしい」と言う思いと「他人には判られたくない」という思いが混在していますから、青年期の研究はさぞむつかしかろう、と俯瞰で見てしまう自分もいました。
で。
どうなんでしょう。
ここに書いてある事は今でも通用するんでしょうか。
まったく通用しない、というのも淋しい気がします。
127.「原色の街・驟雨」
短編集 日沼倫太郎:解説 新潮文庫
収録作品
1.原色の街
2.驟雨
3.薔薇販売人
4.夏の休暇
5.漂う部屋
中編「原色の街」と芥川賞受賞作の「驟雨」という ”二大(?)娼婦もの” を含む、吉行淳之介ワールド満載の作品集です。
「原色の街」
【この作品には吉行氏の小説におなじみの二つのタイプの女性が登場する。
一人はめぐまれた家庭に育ち、精神的文化的な雰囲気をもっているが、根っからの娼婦性をそなえた白痴的女性である。
もう一人は娼婦という職業をもちながら、どうしても精神性を排除しきれない女性だ。
一方は精神(装おわれた文化)を肉体が裏切り、一方は肉体を精神が裏切る。
つまり娼婦的な良家の子女と精神的な娼婦の対立軋轢がこの小説の主題である。 】
<日沼倫太郎>解説より
「驟雨」は「原色の街」の雛形のような作品で、自分の好きな男のために『操』を守る(?)娼婦を描いています。
これって、後々の「夕暮まで」にも続くテーマのような。
かような女性はたゆたう事が多い故に、物語にもなりやすいのでしょう。
逆に、娼婦的な女性は―ー。
これも解説の日沼倫太郎さんの文章を丸写しすると、
【ところで娼婦的な女性にとってもともと精神は不用なものだ。したがって悲劇はおこらない。
肉体が精神を裏切るといってもタカが知れている―ー。】
なんか、随分な言い方をされてますが、かような女性は吉行文学の主題にも主役にもなれない、と言う事なのでしょう。
あと、私が吉行文学を読んでいる時に感じる、<匂い>や<湿度>に関しては、また別の機会に触れる事にします。
でも感覚的なもんだからなあ……。
128.「室生犀星詩集」
目次
1.抒情小曲集
2.青き魚を釣る人
3.鳥雀集
4.愛の詩集
5.第二愛の詩集
6.寂しき都会
7.星より来れる者
8.田舎の花
9.亡春詩集
10.高麗の花
11.故郷図絵集
12.鶴
13.鉛筆詩集
14.鉄集
15.<「鉄集」補遺>
16.哈爾浜詩集
17.いにしえへ
18.美以久佐
19.動物詩集
20.日本美論(夕映梅花)
21.旅びと
22.逢ひぬれば
23.女ごのための最後の詩集
24.昨日いらつしつて下さい
25.晩年
26.<遺作>
で、例によって、好きな詩をいくつか。
<小景異情>
その一
白魚はさびしや
そのくろき瞳はなんといふ
なんといふしをらしさぞよ
そとにひる餉をしたたむる
わがよそよそしさと
かなしさと
ききともなやな雀しば啼けり
その二
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
<鏡>
おれは鏡の中を歩いてゐた
おれは鏡を踏み破つて歩いてゐた
おれは美女の瞳の中を歩いてゐた
おれは快活に歌ひながら歩いてゐた
おれは気がつくと月の中を歩いてゐた
月の光でくさくなりながら歩いてゐた
おれは燐の粉をくッつけて歩いてゐた
おれはそれほど月の底を歩いてゐた
月の底はどろどろだつたり
鏡のやうに冴えてゐたりした
以上です。