涼風文庫堂の「文庫おでっせい」  136. | ryofudo777のブログ(文庫おでっせい)

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私が50年間に読んだ文庫(本)たち。
時々、音楽・映画。

<子母澤寛、

野坂昭如、

開高健>

 
 

427.「ふところ手帖」

子母澤寛
短編集   尾崎秀樹:解説  中公文庫
収録作品
 
1.兵法名人番付
2.才女伝
3.つれづれ日記
   天狗身代
   にせ歯医者伝
   狸爺の眼鏡
   諭吉と武揚
   雨亭先生のこと
   お妾ばなし
   奇人変人
   割勘で
4.座頭市物語
5.湯屋の佐兵衛
6.徳川御家人
7.雲の切れ間
   そのころの本所深川
   達人家康
   赤穂の早太郎
   猿の尾
   そばの味
   しっぽくと引廻し
   消えた剣客
   花のふるさと
   股肱を棄てず
   壱岐守と与力
   有村次左衛門
 
 
勝海舟、榎本武揚、男谷下総守、島田虎之助、山内容堂から
座頭市まで、歴史小説の第一人者がその実像を丹念に追跡し、
限りない愛惜を行間にこめて、幕末動乱の時代相とともに、
独自の語り口であざやかに描出した、格調高い歴史随筆集。
                                <ウラスジ>
 
 
この文庫を買った理由は、ただ一点、
”座頭市のことが書いてあるから” です。
 
うろ覚えですが、何かの本に、
”もともと<座頭市>は、子母澤寛の随筆の中で、ほんの数行しか
書いていないものを、あそこまで敷衍し脚色したもの” 的なことが
書いてあったのです。
 
勝新の『座頭市』シリーズは殆ど診ていたので、
その原作、原典なるものがあれば、
是非とも読んでみたいと常々思っていました。
 
まずこの『ふところ手帖』が出版され、それがエッセイ・随筆と知るや、
すぐさま書店に向かいました。
 
それまでの感覚ですと、”随筆の中の数行” と記憶していましたから、
その部分を読みながら探さなければ、と思っていました。
 
しかし、いざ手に取って見て目次を見ると、何の事はない、ちゃんと
題名を持つ一編ものとして、堂々と控えているではありませんか。
 
わずかに十ページ程の短編ですが、会話のやり取りなども含んだ読物
として、随筆というよりも小説然として載っていました。
 
 
 
天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに
座頭市という盲目の子分がいた。
何処からか流れ込んで来て盃をもらった男だが、もういい年配で、
でっぷりとした大きな男、それが頭を剃って、柄の長い長脇差をさして
歩いているところは、何う見ても盲目などとは思えなかった。
 
 
その姿かたちは正に、<勝新>です。
ただ携えていたのは、仕込み杖ではなく、
よくある長脇差だったようです。
 
で、何をしていたかと言うと、賭場の喧嘩仲裁人のようなこと。
 
 
助五郎の言いつけで、個々では酒は一切禁じてあったが、
それでも時々詰らない喧嘩などがある。
座頭市が出て行って、割って入る。
「今おれが面白い事をして見せてやる。それがすんでから喧嘩をしろ」
そういって小さな桶のようなものを、誰かに宙へ投げさせる。
それが落ちて来る途端に、きーんと市の長脇差の鍔鳴りがする。
いつ抜いたか、いつ斬ったか――桶は真っ二つになって
地上に音を立てる。
市の刀はその間にちゃんと鞘に納まって、
市は呼吸は元より顔色も変えず、にやにやしている。
 
ある時、この小見世の煮肴屋へ禁制の酒を持ち込んで飲んだ揚句に
喧嘩をした奴がある。
市はそれを知って酒徳利を出させて、これを宙へ投げ上げさせた。
落ちて来るのを、真っ二つ。
しかも、それが口を真ん中から底へ真っすぐに斬っていた。
二つのかけらを合せると、ぴったりと元のままの徳利になった。
 
こんな訳だから、市が顔を出すと、どんな喧嘩でもすぐに納まった。
 
 
 
私が記憶していたのは大方、この辺の<数行>を読んだ上での
勘違いから書かれた文章なのでしょう。
 
 
私が勝新の座頭市で観たシーンは、
オリジナル(?)を上回るものでした。
 
徳利の中に賭場で使う二つの骰子を入れ、
これを宙に投げ上げさせます。
仕込み杖一閃、畳の上に落ちた徳利は真っ二つに割れ、
中の骰子二つも真っ二つになっているというもの――。
 
カッコ良かったなあ。
 
ところで。
子母澤寛は歴史小説家であって、時代小説家ではありません。
 
なにかしらの文献を読んだ上での著述でしょうから、
ここに書いてあることは創作ではないということになります。
 
『天保水滸伝』こと、飯岡助五郎と笹川繁蔵の抗争についても、
事実として触れられています。
 
平手造酒も、”平田深喜” として、ちょっとだけ顔を出します。
ああ、実在してたんだ。
 
映画『座頭市物語』では、座頭市と平手造酒の対決が
クライマックスでしたが、これは事実に反するようです。
 
ちなみに平手造酒は、『明智小五郎』や『会田刑事』でお馴染みの
天知茂さんが演じておられました。
 
 
 
 

428.「エロ事師たち」

野坂昭如

長編   渋沢龍彦:解説   新潮文庫

 
明治以来の近代日本文学史上にかつて現われたことのなかった
型破りの小説――
性の享楽を斡旋演出するエロ事師たちの猥雑きわまりない生態を、
悪趣味の極致ともいうべき赤裸々な文章によって陽気に描きつつ、
その底にひそむパセティックな心情を引き出して文学の真実に
結実させた性への辛辣な讃歌。
著者の処女作であるとともに、その後の文学的展開の源泉を
すべて含んだ代表作である。
                                <ウラスジ>
 
 
いやあ、驚いた。
解説があの澁澤龍彦さんだったんですね。
なぜか漢字表記を変えて執筆されています。
 
内容を要約したような部分を抜き書きしてみます。
 
アメリカで出版された『エロ事師たち』の英訳題名が
『ザ・ポーノグラファーズ』というのも面白い。
もともと pornography とは娼婦(porne)に関する記録(-graphy)と
いうほどの意味であるが、
春本、エロ写真、ブルーフィルム、媚薬、性具の制作販売から
コールガールの斡旋、痴漢術(?)の指導、
さては乱交パーティーの開催にいたるまで、
およそ法律上の猥褻罪の対象になりうる一切のものが、
どうやらポルノグラフィ―の範囲に入るらしいのである。
 
片方で作品から窺える作家像については、こう述べておられます。
 
ひたすら観念のエロティシズム、
欠如体としてのエロチシズムにのみ没頭する
一種独特な性の探求家、――
私が野坂昭如という小説家についていだいているイメージは、
ざっと以上のごときものである。
 
エロスの大家のお墨付き。
 
そしてこの文庫の<ウラスジ>は、
殆ど澁澤さんの解説文から借用したものです。
 
 
 
いかにも今様の文化アパート、節穴だらけの床板の大形なきしみ
ひときわせわしく、つれて深く狎れきった女の喘鳴が、
殷々とひびきわたる。
 
出だしから ”野坂昭如調” 満開の文章。
題名に魅かれて読むような ”一見さん” お断わりの文体。
 
 
……。
にしても、ここで描かれた世界は今、どうなってるんでしょう。
 
『ブルーフィルム』、『シロクロショー』、『ダッチワイフ』……。
隠語・俗語のたぐいはとうに廃れても、2000年ぐらいまでは、
似たような風俗が、”グレーゾーン” で存在していました。
 
いわゆる<射精産業>と言われるものも含め、
『トゥナイト2』で山本晋也監督がリポートしてましたっけ。
 
痴漢術の指導なんて、『イメクラ』に引き継がれていましたよね。
 
ホントに今はどうなってるんだろう?
 
 
 
 
 

429.「日本三文オペラ」

開高健
長編  佐伯彰一:解説  角川文庫
 
大阪造兵廠跡のスクラップをねらう食いつめ者たちの集団、
アパッチ族の動物的エネルギーと愉快にして滑稽な行状、
原始共産制を思わせる泥棒社会の、妙に活気に満ちた姿を描く。
 
最低の生活条件のなかで、
社会的な虚飾や被覆を一切はぎとられた時にかえって
逞しくうごき出す生の諸欲望をさわやかに描き出す。
                             <ウラスジ>
 
 
……フクスケのまえの薄明のなかにひろがっていたのは
魔窟の跡である。
大阪市東区杉山町。
ここには、もと、陸軍の砲兵工廠があった。
戦争中、日本には七つの兵器工場があった。
     <中略>
――この七つのうち、大阪陸軍造兵廠はもっとも規模が大きかった。
ほとんど日本最大といっても過言ではあるまい。
     <中略>
敷地の総面積は、フクスケをたちすくませたのも当然だ。
三十五万六千五百坪ある。
このうち工場の建坪は十二万坪という広大さである。
この十二万坪のなかには三つの大工場と、
兵器研究所と技術者養成所があり、播磨、枚方、岩見江津に
それぞれ傘下工場をもっていた。
製品は薬莢、弾丸、小銃、大砲、戦車、軍用車輛など、
ほとんど兵器全種におよんだ。
 
この造兵廠のお隣さんが、通称<アパッチ部落>。
 
ここに住む連中は、造兵廠の鉄屑を盗むことで生計を立てています。
 
この<アパッチ部落>に入り込んだ、”フクスケ” という男を
狂言回しにして<アパッチ族>の生態を描き出していきます。
 
ドキュメンタリー・タッチで書かれている反面、
どこか寓話風の感じがしてしまいます。
 
事実としてあった話を、綿密に取材して書いたということです。
 
ただ、全六章の扉にそれぞれエピグラムのようなものが添えてあって、
それがルポルタージュの気配をまぎらわせてくれました。
 
その中にはジョン・ゲイやブレヒトなど、『三文オペラ』や 
”乞食モノ” の先達の名や文章が刻まれています。
 
第一章 『アパッチ族』
第二章 『親分、先頭、ザコ、渡し、もぐり』
第三章 『ごった煮、または、だましだまされつ』
第四章 『てんでばらばら』
第五章 『銀が……』
終章 『どこへ?』
 
各章の副題も ”寓話” っぽい感じです。
 
歴代の大宅壮一賞受賞作にもあったと思います。
このちょっとしたエピグラム挿入が、ドキュメンタリー作品を読む上で
何かしらの緊張感を薄めてくれるのです。
 
寓話風にしつらえたルポルタージュ。
 
開高さんの ”ベトナムもの” にも共通しているような気もします。
 
 
<余談>
この作品と、ある意味切っても切れない(?)関係にあるのが、
小松左京さんの『日本アパッチ族』。
同じ題材ながら、こちらは『鉄』を食うミュータントまがいのお話。
SFです。
 
 
ジョン・ゲイ、ブレヒトの名はあるのに、同じ大阪出身の先輩作家で、
その名もズバリ、『日本三文オペラ』という著作のある武麟こと、
武田麟太郎の名がないのは淋しい。
 
 
このアパッチ族の話を聞くと、我が郷土・福岡の
筑豊地方にあったという 『泥棒村』 を思い出します。
結城昌治さんの『白昼堂々』で、ネタにされていました。
 
 
ルパン三世の ”泥棒島” もついでに思い出しました。
第一シリーズの『ニセルパンを捕えろ!』でしたね。
ルパンと銭形しか登場しない編。
レギュラー陣が全員揃わないところが、第一シリーズのいいところ。