<新田次郎、
有吉佐和子、
今東光>
424.「強力伝・孤島」 直木賞受賞作
新田次郎
短編集 小松伸六:解説 新潮文庫
収録作品
1.強力伝 (直木賞受賞作)
2.八甲田山
3.凍傷
4.おとし穴
5.山犬物語
6.孤島
五十貫もの巨石を背負って白馬岳山頂に挑む山男を描いた
処女作『強力伝』。
富士山頂観測所の建設に生涯を捧げた一技師の物語『凍傷』。
太平洋上の離島で孤独に耐えながら気象観測に励む人々を描く
『孤島』。
明治35年1月、青森歩兵第五連隊の210名の兵が遭難した
悲劇的雪中行軍を描く『八甲田』。
ほかに 『おとし穴』 『山犬物語』。
”山” を知り ”雪” を ”風” を知っている著者の傑作短編集。
<ウラスジ>
『強力伝』
まずは、これから新田次郎作品ではお馴染みになる
富士山行きから始まります。
「気象台の石田さんですか」
石田さんは、著者の新田さんの事だと思います。
気象台も新田作品ではレギュラー格です。
もともと戦前、戦中、戦後とずっと気象庁に
籍を置かれていた方ですから。
「えへへへへへ」
人懐こい笑顔で話しかけて来た、がっしりとした体格の男、
この男性がこの物語の主役、”強力” の小宮正作です。
昭和十六年、小宮は白馬山頂に,
山の方向を示す風景指示盤という巨石を背負って
登ることになりました、
その巨石とは五十貫(190Kg弱)近くある花崗岩、それも二個です。
人間業とは思えないその作業は完遂できるのか――。
この話は実話に基づいたもので、結果的には成功を収めています。
小宮正作は、小宮山正と言う実在の人で、白馬山頂には
今でもちゃんと<風景指示盤>が鎮座ましましています。
私はテレビのドキュメンタリー番組でそれを見ましたが、
まるでダイダラボッチが半分埋め込んだ、巨大なネジのようでした。
強力……歩荷(ぼっか)。
昔、『重い物はリュックの上の方に入れるように』と、
たいした登山でもないのにきっちり説明してくれた人を、
<歩荷さん>と呼んだ記憶があります。
強力。
この言葉や文字を見聞きすると、シェルパや苦力(クーリー)を
連想していまいます。
『八甲田山』
後に『八甲田山死の彷徨』の原型になるものでしょう。
日露戦争の下準備もかねて決行された雪中行軍、
ここには冬山のありとあらゆる恐ろしさが詰まっています。
『凍傷』
富士山頂に観測所を作ることに命を賭けた、
佐藤順一という技師の物語。
これはのちの、<富士山気象レーダー>建設に繋がる、
プロローグと言えるかも知れません。
『おとし穴』
呉越同舟の極み。
ひとつ穴で対峙する万作と山犬。
『山犬物語』
殺すと<たたり>があるという山犬を手にかけた男。
村八分にあいながら、その男とその女房が、山犬の子供を育てる話。
『おとし穴』とともに民話風の作品で、のちの『河童火事』を
彷彿とさせる作品群です。
『孤島』
離島。長期滞在。ストレス。
やがておかしくなる奴が出て来る。
なんかこう書くと、ゾルゲル島の話みたいだな……。
『ゴジラの息子』の舞台となった島です。
あれも気象コントロールの話だから、
あながち的外れな連想でもないか。
425.「華岡青洲の妻」 女流文学賞
有吉佐和子
長編 和歌森太郎:解説 新潮文庫
世界最初の全身麻酔による乳癌手術に成功し、漢方から蘭医学への
過渡期に新時代を開いた紀州の外科医 華岡青洲。
その不朽の業績の陰には、麻酔剤「通仙散」を完成させるために
進んで自らを人体実験に捧げた妻と母とがあった――
美談の裏にくりひろげられる、青洲の愛を争う二人の女の激越な
葛藤を、封建社会における「家」と女のつながりの中で浮き彫りにした
女流文学賞受賞の力作。
<ウラスジ>
華岡青洲の母・於継(おつぎ)と、
妻・加恵(かえ)の物語。
舞台は幕末に向かう1800年代初頭。
紀伊の医者・華岡青洲が、
<全身麻酔手術>を成功させるまでの医学小説。
さような側面(?)はあるものの、
やはりメインとなるのは嫁姑のぎすぎすした心理戦争。
『家』と同化した義母と、芯の強い嫁。
あからさまなイビリや喧嘩はないにせよ、互いの内側をえぐる争い。
外傷よりも内部疾患狙い。
南斗よりも北斗。
義母・於継よりも強い麻酔薬を飲んだ加恵が目覚めた時の言葉。
「――それで、今は、幾日目の真夜中で
ございますかのし」
加恵は盲目となりました。
それがどう影響したのか、ほどなく於継は亡くなります。
ここで青洲の妹、小姑になる小陸について触れておきます、
この小陸は小姑ながら、実の母に組することなく、
ずっと二人の葛藤を見続けていました。
母親の於継に意見する場面などは、一服の清涼剤でした。
その、小陸が病に倒れ、死の床で加恵に伝えます。
「――私は見てましたえ。
お母はんと嫂さんとのことは、ようく見てましたのよし。
なんという怖しい間柄やろうと思うてましたのよし」
「実の親と思えば、どちらの味方につくこともできやなんだだけで、
私は細大もらさず見てたつもりよし」
加恵は戸惑い、逆に於継を立派なお方だったと思う、
とあれこれ言い募ります。
それを聞いた子陸は、しばらくしてこう言います。
「そう思うてなさるのは、嫂さんが勝ったからやわ」
加恵は一瞬、全身が強い光線にさし貫かれたと感じた。
息が止って身動きもならない。
狼狽することさえ許されなかった。
この死の床にいる義妹の、透徹して仮借ない鋭い判断を拒む力は
加恵にはなかった。
ただ盲目であることが辛うじて加恵を衛っていた。
この部分は今読んでも震えが来ます。
どんな諍いにも、綺麗ごとでは済まされない<勝ち負け>がついて
決着する。
そのことを如実に現わしたやりとりでした。
426.「お吟さま」 直木賞受賞作
今東光
長編 十返肇:解説 新潮文庫
戦乱の世、
類い稀な美貌と気品をそなえた千利休の娘 ”お吟さま” は、
万代屋宗安に嫁ぎながら、
キリシタン大名 高山右近への思慕をたち切ることができず、
密会が露顕して万代屋を離縁される。
その美貌に目をとめ側妾に召そうとした豊太閤の権勢にも、
キリシタン禁制にも屈せず、
一途に右近への恋をつらぬいたために死に追いつめられていった
”お吟さま” の悲劇的運命を描く。
<ウラスジ>
この小説の全体像を、十返肇氏の解説から。
この小説は、かならずしも大衆向きの小説とはいえない。
物語の背景となった当時の時代相の複雑さが、かなりの量を占めて
説明されているほか、茶道についても、相当専門的に書かれている。
もちろん、このことが、この作品を、たんなる一女性の悲恋物語という以上の重厚さでつつんであるから、いささか退屈する読者もいるかも
しれないが、読んでもらいたいのである。
物語は、お吟さまのそばにはべる一少女の告白という形式を
とっている――。
この少女が河内出身、ということが何となく
あとあとの著者につながっているような。
『悪名』、『弓削道鏡』、『春泥尼抄』……。
今東光和尚は横浜出身だそうですが、
圧倒的に、”大阪・河内” のイメージです。
事実、そこにある『天台院』という寺の住職でしたから。
今東光和尚と言えば、私たちの世代からすると、
<週刊プレイボーイ>に連載されていた『極道辻説法』でしょう。
普通の人生相談から、仏教の話、昔の文士の話、などなど、
その内容は他の追随を許さないほど多岐に渡っていました。
私が憶えているのは、作家になる前の司馬遼太郎のエピソードです。
なにせ、大正時代に川端康成らとともに<新感覚派>として登場し、はたまた菊池寛と喧嘩をし、芥川龍之介にモデル小説を
書かれたような、長い人生経験と文学経歴を誇る人物です。
直木賞選考の際、選考委員が全員年下で苦慮したという
エピソードを含め、とにかく長い。
1968年、タレント議員ブームの先駈けとなった参院選挙では、
石原慎太郎、青島幸男、横山ノック、各氏と共に当選。
国会で、吉田茂元首相のごとき、『バカヤロー』発言をしたシーンを
テレビニュースで見ました。
初代文化庁長官の今日出海氏は実弟。
兄に先んじる直木賞作家でもあります。
詳しくはこちらをどうぞ。
今のところ、兄弟揃って直木賞を受賞したのは、
この<今兄弟>だけかな?