シャチハタ丸奮闘記 -7ページ目

見てきました。

どうもシャチハタ丸です。


見てきましたよ、サッカーの試合。


当初の予定と違って親まで来ました。


父が小学校の頃のサッカー部のコーチをやっていたのでそんな繋がりで。ついでに僕のバス賃を浮かす為に。


思ったよりもギャラリーが多くて、どこで見るかどうかということにもなりましたが、あっさんを一番近くで見ることのできる位置に陣取り。


これは混んでいる側ではなくて、本部とかチームのテントの後ろ側で結構空いてて人もちらほらなんです。


で、ここで困ったのが、


右手の側にウチの学校の教師陣がいるということ。


近づきたくないです。普通休日なのに自分の学校の教師と会いたいと思う人なんかごく一握りではないでしょうか。


なんか、あいさつ運動の先生がいたり、なんか担任のような(怖くて凝視できない)人もいらっしゃるので、


サッカーに集中。


で、相手は岡山1位とかいう玉野光南とかいう所だそうです。まあ、よく知らないんですが。


あっさんの所属は鳥取西。略して鳥西で、状況的には0-0で、


玉野光南>鳥西


みたいな状況。というか、鳥西はどちらかと言うとディフェンシブでしかも玉野光南に体格負けしているというのも原因でしょう。


玉野光南はもはや皆さんが想像しているような正攻法のサッカープレーで、鳥西はディフェンシブでアタッカーが2人くらいしかいません。


みんな上がるだけ上がるのですが、どうにもシュートを打つのがキャプテンっぽいのと10番の奴のみです。


そんな様子のまま後半へ。


ディフェンダーもかなり頑張っているんですが、鳥西のゴールポスト(ゴールのフチ)にボールがぶつかったりでどうなることかと思っていたら、


点を先取したのは鳥西でした。で、ここで勢い付いて凄まじい勢いの攻撃へと移るのですが、ペナルティキックで追いつかれます。


ところで皆さん、


サッカーってスポーツをご存知ですか?


本日は説明しませんからサッカー知らない方は調べてください。多分すぐわかると思います。


で、逆に勢い付いてしまいまして(主に玉野光南のサポーターが)、「10点返してやれ!」とか言ってるのに、


鳥西のサポーターはナイスプレーの時に拍手する程度の大人しさ。鳥取の人はやっぱり大人しいんだな~、


などと思っていたらもう1点入れられました。


シュート、というよりかは流れ弾がゴールに飛び込んだような感じ。あっさんが全力疾走で追いかけるも間に合わず。


2-1の状態であっさんがベンチに戻されて交代。鳥西のメンツの脚も止まりつつあったのでこれはもう駄目かもしれないと思いきや、


10番がやってくれました2点目。


鳥西のゴールに攻めてきたら高確率でゴールポストでガードしていたのでどうなることかとハラハラしながらも、見事に入れました。


というか後半戦は鳥西もそこそこの攻めをしていたのですが、大体ゴール前へのパスが相手ゴールの右斜め上に飛んでいって全て台無しだったので、


もしかしたら応援に来ていた鳥西のサポーター達も歯がゆい気分だったのではないでしょうか?


まあ、点は入ったのでディフェンス態勢。延長戦も点数が入らないままにPK戦になります。


これはサッカーがわかってもルールがイマイチわからない方がいると思われますので説明しますが、


選手とキーパーの1対1で、選手がシュートしたボールをキーパーが止めればよし。


ここまではわかると思われますが、決着をつけるために、それぞれのチームが5人選抜して交互に攻守を変えてシュートを打っていきます。


これの通算が多いほうの勝ち、同点ならば5回以降で差が付いた時点で勝敗を決めるというやつです。


で、PK戦。確か、4-4でしたっけ、よく覚えていませんが、3-3かもしれませんね。


どちらにせよここからは差が付いたら終了。


で、相手が先攻でキックはキャプテン。……が、ゴールの上にボールを飛ばしてしまう。


頭を抱えるキャプテン。


次にこちらからは……鳥西の選手詳しくないんですが、小柄な人が出てきてシュート。


ゴールします。


これで鳥西の勝利が決まり、翌日、まあつまり本日広島1位の瀬戸内とかいう所と戦うそうですが、


あいにく用事があって見にいけません。


でも、この勢いを大事に頑張ってほしいと思っています。




そして、昨日家に帰った後不意に電話が鳴りました。ぐらたんから、テンパって一度保留にしてしまったことは僕と君だけの秘密だ。


ハタ丸「もしもし?」


ぐらたん「やったぞ、予選3位通過でシード権獲得したぞ!」


いやね、普段のぐらたんではありえないくらいの浮かれようというか、テンションがオーバードライブしていたので、決勝に出れるということでしょうが、普通はボケたくなるよね?


ハタ丸「え、全国の?」


ぐらたん「ちゃうわ!」


違ったそうです。中国大会の決勝トーナメントのシード権だそうです。察してましたけど。


まあ、彼の喜びようも分かる。


俺もガッツポーズしたからな。



それぞれ、ここから全力で燃焼することが出来たのならば、それ以上に嬉しいことはないですね。


頑張ってきてもらいたいものです。



それでは皆さん、ごきげんよう。




発想の方針変更のお知らせ

どうもシャチハタ丸です。


バンドについては本日のふとした思い付きが後々で大きなこととなるかどうか、今からニヤニヤが止まらない勢いですね。


普通なら誰も考えそうにはないけど、考えてみればそういう試みをしなかったこと自体が謎の不思議オーラをまとっていたと。


まあ、実現するかどうかはともかく、皆さんは首を長くして文化祭を待っておくといいと思います。




本日から弓道中国大会メンバーはお留守状態でした。ここで出ている登場人物ならばぐらたんとたーちゃんですね、


頑張ってきてもらいたいものです。寝過ごさなかったら応援メールを送るからな。


ついでに、ついでというかなんというかですが、小学校からのお友達が部活の引退試合をするらしいので、これを見に行こうと思います。


明日午後13時よりキックオフ。……小学校の頃からサッカー部だったので今どれくらい上手くなっているかが、楽しみやらちょっと不安やら。


いや、彼の腕に不安があるんじゃなくて、僕と一緒にサッカーをやっていた時代からどれだけ差をつけられてしまったのかという不安です。


嬉しいやら悲しいやら。みたいな気分になるんでしょうか。まあ6年丸々サッカーから遠ざかってた奴と比べられるのも癪か。


まさか、小学中学と続けて高校でもキャプテンとかそんなんじゃないよな……。いやまさかな……。


むしろそれしか想像がつかない。




これでキャプテンの勇姿を見せられたらもう俺は泣くしかない。例え彼がいつものようにおちゃらけていてもだ。


もしかすると、明日この話を書くかもしれないから彼に仮名を付けとかないといけなさそうですね。


じゃあ、簡単に説明しつつ行きますか。



とりあえず、彼は「あっさん」由来は……いや、由来というよりも小学校の頃に本当にそうやって呼んでいたんですが。


小学校では特に仲のよかった友人。中学でもか。高校で彼と別々になってしまいました。


確かサッカーのポジションについては小学校時代も中学校時代もディフェンダーでした。(僕は補欠→キーパーでした)


ちなみに、最高学年になるたびにキャプテンになってました。


人間性については、見た目二枚目性格三枚目ってあたりでしょうか。


正直言ってこれまで出会ってきた中で僕は彼ほど面白い奴を見たことがないです。が、考え方はまともなので、


『おかしい』部門は「隣の人」殿堂入りです。


……隣の人の説明は省きますよ。


かっこよくて面白いってことなら人気が無いわけがないと。監督達が彼をキャプテンにする理由がよくわかります。


そんな彼が応援に来てくれって言うんですよ?


誰が無碍に断りますか!?


予定もないのに家でグダグダするとか、テストの為の勉強をするとかそんな下らん理由で断るとかありえません。


イケメンの申し出ですよ!?


これを断るなんて男じゃないですよ。いやいや、もう人間じゃない。そんな奴は人間を辞めてしまっている。


いかなきゃ俺が廃ります。行くしかない。テストがどうとか卒業できないとか知ったこっちゃない。


四の五の言わずに行くんだよ!!


って、ことで。明日は別の高校のサッカー部を応援しに行きたいと思います。


弓道も遠すぎて行けないながら頑張ってほしいものです。



それでは皆さんごきげんよう。

最近の近況報告のしてなさが凄まじい。

どうもシャチハタ丸です。


最近ふと気が付いたものの、


全然近況報告してないよね?


最近はすっかり暗い話ばかりをしていたせいでウチのブログとしてはありえない空気を発しているのを薄々自覚し始めましたので、


いい加減に路線を何とかしようと思います。うん、昨日までのあれは落着ってことでいいです。


さて、とりあえずやらなければならないのは先月の奮闘賞を決めることでして、


5月の奮闘賞は男子高校生の不毛な争い


それぞれの価値観と、龍さんの想い人と、オヤツが寝取り属性という話。


え、っと。もうこれは言ってしまっていいとおもわれますが、このしばらく後龍さんはけっきょく撃沈しまして、夜の9時回るくらいまで慰めるハメに。


そしてさらにしばらく後に、……これ以上はもう何も言うまい。


爆発しろ。




あと、これに関しては恐ろしく前の話になりますが、というかかれこれ1ヶ月経つのに何でこれを言っていないのかわかりませんが、


「神風」が解散しました。ってか、もう解散させました。応援してくださっていた方はどうもお世話になりました。


いや、いないと思うんだけどさ。


理由ですが、音楽性の違いから、なんてありがちな理由ではないです。むしろそちらの方が僕としてはありがたかったのですが、


こちらの理由はもっと単純かつくだらない。「バンドという形として機能していない」と判断したので解散しました。


で、代わりといってはなんですが、文化祭のために結成されそうなバンドからお誘いが来ました。


実を言うと、去年ろくに叩けないままライブに出されてしまったので、ここ最近まで、というか今も薄々ながら、


文化祭でやるくらいなら死んだ方がマシ。


という感情が拭えないままですが、お誘いがね、去年世話になったモンゴルさん、そしてまーくんの所から来ましたから断るに断れませんでした。


あ、モンゴルさんの所とまーくんの所は別ですよ。しかし、お誘いが僕に2件も来るとは本当にドラムの人員不足が凄まじいことです。


……ちなみに、モンゴルさんの方はベースが不在で初心者に目星つけて当たる始末。ギターはたくさんいるのになぁ。


と、言ったものの皆さんの脳裏にはモンゴルさん=ベースのイメージがあるかもしれないので言っておきます。


モンゴルさんはギターの方が強いです。


強いと言うか、一般的にベースより技量が見やすい所ですので、ギターの方が上手く聞こえるのかもしれませんが、


とりあえず、曲としてのクオリティは上がりますし、バンドのしてもそれの方が無理にクオリティを削りにかかる必要もなくて助かります。


大体の方がお察しの通りです。モンゴルさんがギターやらないと聞かせられる音にならない感じです。


そんな感じでやっていくこちらは下手すると3ピースロックバンドになりそう。大丈夫か……。




もう1つは大丈夫です。キーボードもベースもいます。ギターはいなかったから探さなければならなかったのですが、


いざ入れてみようと思うあて(つまり、信頼とそれなりの技量を持ち合わせている人材)がなかなかなかったので、やっぱりモンゴルさんを連れてきました。


去年からずっと僕と彼で1セットです。


.308win時代からずっと。神風もそうだったし、他の所で組んでみようかと考案したときもこの1セットは必ず存続。


どんだけ仲いいんだお前ら、もう結婚しろ。


よ~し、モンゴルさん俺と結婚してくr(ry


かつて逢い引きしようぜとか言ってた龍さんは幸せになっちゃったから次は俺たちが……って言うと後が怖いからもうやめます。


と言うか、神奈川に帰っている間に従兄弟には別の人と「結婚しろ」と言われましたので、これって浮気か。


でも安心しろ、2親等は結婚できない!


兄貴と結婚する弟などいない!!



従兄弟「お前、親から聞いたぞ、ちょっと前まで兄弟で風呂に入ってたんだろ?」


兄「昨日は入ってませんって」


従兄弟「昨日『は』ってなんだよ、まるで昨日じゃなかったら入るみたいな」


ハタ丸「どうするか聞かれましたけどホテルの浴槽は狭かったんでやめようということにしました」


従兄弟「お前らもう結婚しろ!」




……普通、兄弟ってこんなもんじゃないの?


この従兄弟の所の兄弟は仲悪かったみたいなので、僕のところの兄弟がおかしいのか、それとも従兄弟が世間的にずれてるのか。


くっきーとかの家みたいに兄弟がライバル状態みたいな所なら仲悪いのもなんとなくわかりますけどね。


うん、どちらがおかしいのかの判定は多分コメント欄でモンゴルさんがしますから皆さんこまめにコメントの確認をお願いします。



それでは皆さん、ごきげんよう。

「涙もろくなりました」と言った。

どうも、シャチハタ丸です。


学校のあったはずの平日を2日間もほっといて祖父を送りに行きました。


僕としては、前回で書いたとおりのことでとてもではないけど想像したくないような状況になるのではないかと危惧していました。


が、思っていたよりはずっと穏やかで安心しました。


享年94で曾孫を含めた数十人もの親族が祖父を送るために忙しい時間を割いて集まってきたと考えたら、それは大往生ではないでしょうか。


本人に聞かなければわからない、と言いましょうか、今でもご存命ならば「全然大往生じゃねえよ」とでも言いそうな本人ですが、


もうそれを聞くことも出来そうにはありませんので、確かめようもありません。


とりあえず、今回はそれについてのお話しをしようと思います。



まず、火曜日の昼に鳥取空港から羽田空港まで行きまして、京浜急行で伯父の家の近くまで行きました。


その頃すでに4時半頃で、従兄弟が迎えに来てくれた車で家に付いた頃にはすでに祖父は外の霊柩車の中でした。


この時、父もいたので、父の車に乗って斎場(まあ、簡単に言うと葬儀屋)へと向かいます。


駐車場が少し離れていたので歩いて、それから祖父とのご対面。


棺の中をのぞく前に線香を立てながら、写真を見てみると、僕のよく知っている祖父の顔があります。


母が一足先に祖父の棺の窓部分を開けて先に対面していたので、僕も多少の躊躇がありながらも覗き込みました。


ただ、祖父がいらっしゃいました。そこには、写真と一体どこが違うのかとも思われるほどの寸分違わない祖父が。


まるで、病などはなかったかのような、病気した方のようにやつれている訳でもなく、ただ、眠っているだけのような、今すぐにでも目を開きそうな。


祖父の心境を僕が測れるはずがありませんが、とても穏やかなように見受けられました。


伯母(てかウチの父末っ子なので叔父叔母がいません)の話によりますと、亡くなる1日前まではよく食べていたらしく、


基本的に病気は食物が喉を通らなければ危ないのですが、食べることが出来なくなったのは本当に亡くなるその日だけだったとのことでした。


2ヶ月前ほどにも祖父が危ないということがありましたが、その時の一件が随分沈静化していたので、あまり見舞いも多くなかったとのこと。


死因は、肺炎で、リハビリの部屋でウイルスをもらったということではないかという話でした。


誰もが、祖父が長く生きてきた割にはあまりにもあっけない最後であったと言っていました。


伯父伯母、従兄弟など、誰もが忙しくしている中、修行中の寺で色々と話をして抜け出してきたウチの兄貴を足して、


さらに、面識の無い親族の人々も集まったところで通夜が始まりました。


普通は菩提寺の住職が法主をやるはずなのですが、この時は父が法主で出てきた上に、兄も前の方で僧侶として通夜に参加していました。


兄も立派になったものです。




その後、食事をした後にしばらく周りの方々と話をした後、ホテルに一泊。


兄と会ったのもかなりの久方ぶりだったので、酒の入ってテンションの上がっている兄と語り合いながら、就寝。


次の日が朝から葬儀でした。父は昨日と変わらず法師で、兄も同じように僧侶枠。昨日呼ばれていた上人とは別の方々がいらっしゃっていました。


法事の後花を入れて、最後の対面。そして、棺の蓋を閉めて、一族が1人づつ四角い石で釘を叩いていく(名前知らない)ような儀式があったのですが、


これは祖父の子供からやっていくはずなのに、法主であるから父だけ最後の最後までやりませんでした。


仕事上の問題と考えるのならば、仕方ないと言えば仕方ないとしか言いようの無いことであるのですが、なんというか、それでよかったのか。


そう、父に問いかけたかったです。


周りの人達、孫辺りに当たる従兄弟達は涙を浮かべる人も多かったのですが、僕はやはりというかなんと言うか、涙が出ませんでした。


兄は相変わらずの僧侶枠ですから、涙の暇はないとして、そんなことでも無い僕は、自分自身の情けなさを噛み締めて、ただ祖父の運ばれていく棺を見ていました。




それから、火葬場でもう一度お経をあげてから、静かに祖父の棺が入っていくのを見届けて、ほんの少し安心しました。


それは、祖父のために涙する人達がたくさんいたことと、多分、自分自身が祖父の死を悲しいと思っている実感をなんとなく感じ取ったからだと思います。


自分から感じ取る、というのは変な話ですが、その時ははっきり言って自分でもよくわからない感情でした。



そして、祖父の御骨が焼きあがるまでの時間を控え室で待つので、法主が話をしなければならないのですが、


「これまでの葬儀で、一番ありがたいと思った」と、そう前日に言っていた穏やかな気持ちで祖父の死を受け入れていたようだった法主が、


その時だけ、ほんの少しだけ、父が涙しました。


そこでやっと、気が付いたのか、どうしてむしろ気が付かなかったのか。


父もまた人の子であると、僕はそんな当たり前をこのときになってようやく実感しました。


父のベストタイミングを迎えたのかどうかは知りませんが、少なくとも僕のとても大事な時期に祖父は逝ったのだと、そう感じました。


おそらく、この日が無ければ、僕は父のことを「心無い人間」と一生誤解を抱いたまま生きていくことになったに違いありません。



4人の子供と、7人の孫と、4人の曾孫。祖父はきっと僕以外の子孫達にも大事なことを伝えて去っていった。そんな気すらします。




また、しばらく他の人と話す機会があったものの、僕はあまりその場で色々と考え込んだり、祖父のことを話して悲しんだりはしたくなかったので、


いたって普通の、その場でなくてもできるような話をしていたと思います。



そして、その後骨壷に御骨を入れる時にも、もう一度お経をあげ、斎場に戻ってから遺骨となった祖父の法要をして、昼食後一度全員伯父の家へ。


伯父の家でも帰ってきた祖父の法事をして、それからしばらく伯父の家に留まってから、羽田空港へ行って、鳥取へと帰りました。




祖父の葬儀に出ることが出来てよかった。と、思いました。


それは、祖父の為はもちろん、自分自身のためにも。


父の逝く日に、僕はこの日の父のように立派になれるか、気が付けばわからないまま時間だけが過ぎていきました。


僕もまたこの日の父のように、「涙もろくなりました」という日が来るのか……。



それでは皆さん、ごきげんよう。

最近の情勢の折悪しさと言ったらもう。

どうも、シャチハタ丸です。皆さん、本日は無理して読まなくて大丈夫です。


最近はもう世間も色々大変な事になっているようですけれども僕もなかなか周りが折り悪しいと言って過言ではない状態にあります。


担任の前で「進路どうでもいい」って言ったしな。


この僕の発言で米の字の昼飯タイムが消し飛んだけどまあ、そんなことはどうでもいいや。


ついでだから言っておきます。人によると思いますが、もしも担任がそこそこ怖かったり冗談が通じなさそうならば、


「進路どうでもいい」は言わない方が賢明です。


これはあえて言わせて貰おう。泣くかと思った。


先生が怒って怖かっただけならまだしも、自分の置かれている状況までも振り返ったらね、味方いない。


そんな現状でどうすればいいのか、それを分かっていない自分を叩きつけられて泣きそうになりました。


進路も無論のこと白紙です。何をしたいのか、何をすべきなのか。いや、すべき事はわかりきっているんだけど、


それを選択に入れていないということがおかしいのか。


父母が一時期中々ややこしい(というか母の方の一方的積年の恨み)出来事がありまして、それ以来もう家庭に居場所が無いです。


……という話をここで書いたことは無いですね。


たぶん、その時は余裕が無かったので確かに書いてないでしょう。生まれて始めて自殺する人の気持ちが判ったからな。


そのいざこざの真っ只中の時だけ久方ぶりに泣きましたね。


多分、「自分の家だけ平和」みたいななんというか心地のよい夢の中で生きていたから、その他のいざこざは他人事だったのでしょう。


夢から覚めて、現実がどうだったかと言われれば、そうでもなかった。


そして、現在は事なきを得たのにもかかわらず、夢から覚めて目が冴えた僕にはまた戻ってきた心地のよい夢が信じられないと。


なかなか難しいですね。なんと言いましょうか、用心深い性格なので、そんなさっさと自体が収束するとは信じられないわけです。


「どんなに状況が悪くても離婚はしない」とか、言ってましたが、それが本当かは夫婦の腹の内なので、第三者にはわからないわけです。


大体、母は父への恨み言をここ最近になってから一度に3時間とか5時間とか僕に話していたんですから。


そんな手のひら返すように「安心しろ」と言われてどうにかなるものではないです。


他にも、先代の寺の住職の奥さんとのエピソード。現実の甘く無さ、というか、薄情さとかも話していた気がします。


今までなんだかんだで円満だと思っていたのに、いつの間にか修羅場に突入。ついでに、手のひら返すように円満へ。


人間不信になるよね。


母の恨み言の中に、血縁と言う関係の汚さ、という事についての話もされましたが、これって今思えば、


俺の事含めての悪口じゃねえか。


なんだかよくわからないけど、これももちろん。ついでに、僕は父と性質が結構似てるから父の悪口は半分僕の悪口みたいなものです。


これは耳に痛い。奥さん、あんたの息子グレるんじゃないか?


完全に父母の言うことが信用できなくなって、その状態で冒頭の「進路どうでもいい」なのですが、


もう、ね。血のつながりって、大切な物だって、法事で毎度毎度親父が言ってたことをいつも近くにいたお袋が汚いと言うんですよ?


ベストコンビーネーションですよ。農業で代入すると田植えと稲刈り同時進行。いつまでたっても米が育ちません。


そんな事を言っている状況の中、関東の方の父方の祖父が亡くなりました。


歳は90を越えたのが随分前だった気がするので、かなり長生きだったと思われます。


父方の家の方の人達は、僕も含めてですが、どうやら思いやりが欠落しているようで、母曰く、


「普通は老人に冗談でも早く死ねとか言わない」という事らしいですが、結構遠まわしながら平然と言うような一族な上に、


祖父もやっぱり思いやりがない性格だったようで(人の事言えないけど)、自分の子ども達からも恨みを買ってる始末で、


祖母が死んでから久しいですが、祖母の法事の日に「なんでこいつが生きてるの?」って、感じの事を言われるレベルです。


そんな祖父が亡くなったと聞いて、僕はどんな反応をすればよかったのでしょうか。


僕は遠方でろくに祖父とあったこともなかったので、思いやりの無さなどをそれほど感じたことも、というか、ろくに話したこともなかったので、


薄情ながらも悲しくは無いのですが、正直、父から「祖父が死んだ」と聞かされても、僕は眉一つすら動かなかった。


その事実が、たまらなく嫌で。しかも、それは母の言った「血の汚さ」という言葉からすれば、父からの遺伝で、それは祖父からのもの。


悲しさより、悩みが増えたわずらわしさが先行する自分への嫌悪感と、そこから出るまた別の悩みで迷宮入り。やってられません。


近いうちに関東のほうに行って葬儀に出なければならないのですが、実際当然のことなんでしょう。


それが、普通のはず。……なのに、僕はそれすら「面倒」にすら思うという、なんとも嫌な性格をいただきました。


話変わりますが、どこぞの誰かの講演で「親と言うのは自分にとって教訓を与える為にベストタイミングで死ぬ」と言っていた気がします。


祖父は果たして父のベストタイミングで逝ったのか、それを僕が調べることは出来ないし、悟ることも困難だと思いますが、


いくら90を越えていつ亡くなってもおかしくない年齢とはいえ、父の落ち着きっぷりを見ると、タイミングのことはともかく、


やはり、父は思いやりがない気がします。そりゃ、年齢的に取り乱されてもそれはそれで嫌ですが。


多分父が死んだら僕もあんな感じで、……むしろ昨日祖父の死を伝えられた時のようにしかならないのでしょう。


そして、仮に僕に息子が出来たとしたら、次は僕がそのような反応しか貰えないとなりますね。


だったら、僕はいったいどうすればいいのか。


もう、正直言ってわかりません。


と、ここまで書いておいて皆さん、よく聞いてください。









今までの、全部嘘です。









と、言えたらどれだけ楽だったろうか。


そう、思います。


それでは皆さんごきげんよう。