ヒプノセラピー④【後日談】 | H2のブログ

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先日以下のブログをアップしたが、

記載した通りいくつかの疑問が残った。



意を決して父母に話しを聞きに行った。



〈疑問点〉

・父の実家は山の湧水があるから、井戸は必要がないような気がする。それともあったのか?母の実家は近くに川のない高台なので井戸があってもおかしくないが、イメージに出た平屋ではない(角度の大きい茅葺き合掌造り)。


・父の実家の墓誌に、6歳で亡くなった女の子がいる。その人と若くして亡くなったそのお母さんなのかなと感じた。けれど、そのお母さんの記録がないような気がする。


・祖母は祖父の2人目の妻なのか3人目の妻なのかどちらなのか?女の子、女の子のお母さん?との関係は?大きな顔が出てきた意味は?


・例えば、その女の子のお母さんが先に亡くなって、その女の子が1人になってしまって、誰も面倒が見られないか、見たくないかで、○されたという考え方はどうだろう。墓誌の順番通りじゃないか?


・祖父は働けない人だったと聞いている割に、子どもはめちゃくちゃたくさんもうけている。本当に働けない体だったのか?何か別の理由があったのか?


・祖父に戸籍にない妾さんと子供さんがいたのか?


・母の家系のことについてはほとんど分からないが、母の家系もあまり幸せだとは思えない。



〈結果〉

・父の実家には井戸はやはりもともとなかった。また、屋外にある穴は下水を溜めるような浅いものだけだったという。

・ただ、私が見た光景(黒い煙のようなものが出ている)の家の外壁のすぐ内側に馬を飼う部屋があったことを思い出した。

・そこには、深さ1m程度、3m×3m程の穴というか地下倉庫のようなものがあった。日常的には大人二人がかりでやっと持ち上がるくらいの太く長く重い角材を何本も渡して蓋としていた(幼い頃私が見ている)。

・その部屋で6歳で亡くなった女の子がよく遊んでいたと父が祖母から聞いたらしい。


・祖母は本妻としては二人目だったが、その間に内縁の妻がいたとのこと。嫁入りしたがすぐ病気になって(籍入れ前?)実家に帰るように言われたのではないかとのこと(その後若くして病死したとのことで墓誌には名がないとのこと)。

・最初の本妻には、父の兄叔父、姉叔母の他に、その間に男子が二人いたが、幼なくして亡くなったとのこと。

・男子二人が続けて亡くなり、次の姉叔母が知恵遅れだったこと、その母親(最初の本妻)が24歳という若さで亡くなり、二人目の内縁の妻がすぐ病気になり亡くなったことから、周りからは'あの家は祟られている、幽霊が出る'と言われ、その後の嫁取りは困難を極めたという。

・それでも嫁いで来させられたのが祖母だった。

・祖母の初の子どもが6歳で亡くなった女の子だった。死因については祖母が父に語ることはなかったという。


・祖父は体が弱くて働けなかったのではなく、曽祖父の時代までは裕福であったために、ボンボンとして育ち、働き方を知らなかったという。

・そこで山の木、山、畑、田などを切り売りして生活を凌ぐうちに毎日の米にも困るような貧困に陥ったとのこと。

・祖母に隣村の知人に金を借りてくるように言われ赴いたが借りられず、山中へ逃げ込んだ。行方不明となって村をあげての捜索になりやっと見つかったが、当時から激しい気性の祖母だったので、家に帰るとイジけたように寝たきりになって、70に至らず亡くなったとのこと。


・母の実家には井戸があったが母が家を出るまではそこの水を常時使っていたので、そこで人が亡くなったことはないと考えられる。また、場所も家の壁際ではない。


・以上の追加情報を加えると、5,6歳の女の子が亡くなっていたのは、馬を飼う部屋の地下穴であったのかもしれない(深さと狭さのイメージが違うが)。

・女の子を連れて行ってくれた女性は女の子の母ではない。「殺された」の言葉からは、内縁として嫁入りしたにも関わらず早々に病になって追い出された'心情'と考えれば分からなくもない。

・この女性と女の子が一緒になって私と話しているときに、祖母の大きな紅潮した怒り顔が間に割って現れたこと、祖母が父に実の姉に当たる人の死因を言わなかったこと、女の子が「口減らし」と言ったことを考えると、女の子の死に祖母が何らかの形で関わっていたのではないかと思われた。

・そうすると、女性と女の子は'家'への恨みを有していたという点で立場が一致する。それで一緒に成仏していくことができたとも考えられる。


・もしくは、二人目の内縁の妻や6歳で亡くなった女の子よりも前に、'祟りや幽霊'の噂が出ていたこと、祖父の放蕩ぶりと家の貧困化からも、それ以前に何か他の家系の業があったのかもしれない(私は現時点でこれを追求するつもりはない)。



皆、置かれた環境のもとで必死に頑張って

いたのだなと涙が出る。

ご先祖の皆様ありがとうございました。




※それ以外の情報。

家系の歴史(以下ブログ)ついて

いくつかの間違いと追加すべき事があった。

〈間違い〉

・祖母の『「あぁ野麦峠」を地で生きた。』は、父によれば間違い。私が末弟叔父から聞いたことは事実と違っていた。

〈追加〉

・上記内容を追加する必要があった。




以上でこの話は一旦終わりとする。




過去の嫌なイメージの私の手放しソング。


↓光芒(天使の梯子)




今日もありがとうございました。