幼心に昔からちょっとおかしくない?
と思ってきた家系の末路。
もとより、
誰かの独身や1人身での生活、
結婚や子どもの誕生や早逝、病気、
配偶者との死別、当人の大往生などが、
幸や不幸だなんて判別したい訳ではない。
誰かを誇ったり蔑んだりしたい訳でもない。
ただ、皆、
喜びや楽しさ、優しさや穏やかさに
包まれたささやかな幸せを
求めていたのではなかったか。
けれど、
求めることとすること、得たことは、
それとはほど遠い現実に見えた。
少なくとも私には。
私の見方が歪んでいるだけかも知れないが。
〈父方〉
祖父:私が生まれる時には亡くなっていた。
理由不明だが「働けない人」だったらしい。
陸軍への馬の供出のために最寄りの大都市
へ馬を連れて行って帰った後に寝たきり
となり早逝。
祖母:「あぁ野麦峠」を地で生きた。
(孫には一切語らなかった)
祖父の後妻として嫁ぐ。夫が早逝。
極めて激しい性格でプライドが高かった。
(だから'野麦峠'から生還できたの
かもしれない)
死ぬまで一家を支配・制御した。
死の直前まで他の方の山林を手に入れよう
としていたらしい(父はそれを誇った)。
最晩年、犬に好き放題餌を与え続け
太り過ぎにさせた挙句、犬は病死した。
大往生で死去。
なお、祖母の実家の者達は父の実家に
来る度にその権勢を誇った。
父の異母兄を騙して他の者には内緒に
借金の連帯保証人にさせた後自己破産し、
一家で離村し逃亡した。
異母兄:日中戦争で早逝。独身。
↓上海宝山城における戦闘の状況(戦死地)
異母兄:日中戦争から帰国。独身。
(戦争のことは一切語らなかった)
一家の祖父代わりとして生きた。
汚れ仕事を一手に引き受けた。
(鶏を締めたり、子猫を流し捨てたり、
汲み取り糞尿の処理など)
当時すでに禁止されていたかすみ網で
野鳥を獲り焼いて食べるのを好んだ。
羽をもがれ丸焼きにされた小鳥を食べろと
出されても幼い私には食べられなかった。
大往生で死去。
異母姉:「知恵遅れ」として生涯隔離生活。
独身。大往生で死去。
※これ以外に6歳で亡くなった女性がいる。
姉:実家の最寄りの大都市で就職。
社会人になって飲酒運転の車にはねられ
眼球突出などの重体で生死を彷徨う。
リハビリでなんとか歩けるようになったが、
事故後はほとんど実家で生活。
祖母の威を借りて一家を支配した。
極めて激しい性格でプライドが高かった。
犬に自分の唾液を与えるという奇妙な
性癖があった。私もそうしろと言われ
断れず一度したが二度としなかった。
晩年脳萎縮の難病に罹患、死去。独身。
父:中学校を出ると東京で住み込みで
新聞配達をしながら夜間高校を卒業し、
実家の最寄りの大都市で就職。結婚。
2児をもうける。
父は'威張る'こと、その役職に就く、
又は有力者に繋がることで、
仕事場でも退職後の生活でも自身を保った。
亡くなった祖母、兄弟姉妹とその配偶者の
葬儀を全て取り仕切った。
夫婦で生存。
なお、父は今でも郷里の知人に似た人に
出会うと手で顔を隠し姿を隠そうとする。
若い頃から親戚らの批判の矢面にたった。
長男の私が鬱と無職に。
弟:実家の最寄りの大都市で就職。結婚。
1児をもうける。妻が癌で早逝。
この妻は夫をけしかけ父の実家で
叔父や叔母が作る大量の野菜を勝手に
知人に譲り渡し、弟から出禁とされた。
息子とその妻との関係悪化で1人生活。生存。
妹:実家の最寄りの大都市で就職。結婚。
2児をもうける。実姉と極めて不仲。
夫が癌で早逝。
娘達が家を離れて1人生活。鬱を罹患。生存。
なお、その長女は皆の葬儀をつつがなく
取り仕切ってきた私の父の面前で
平然と「最後に死んでね」と言った。
弟:実家で職人として働く。
結婚相手を祖母に紹介して破談にされる。
祖母の面倒を生涯をかけてみた。
私の兄代わりのような存在だった。
脳内出血で倒れるも回復。
独身。癌で比較的早逝。
〈母方〉
祖父:私が生まれる時には亡くなっていた。
詳細不明。
祖母:耳が遠かった。優しかった。
詳細不明。大往生で死去。
兄:実家で結婚。3児をもうける。離婚。
次男が早逝。1人生活。生存。連絡不能。
兄:独身。病気で早逝。
兄:仕事場でのトラブルの後行方不明。
生死不明。
母:中学校を出ると
実家の最寄りの大都市で就職。結婚。
通学路は山中の獣道を1時間。
おやつは木に食う芋虫だったと聞いた。
2児をもうける。
大腸癌に罹患も回復。再発せず。
不正脈で胸にペースメーカー埋設。
弁膜症で心臓の開胸呪術。夫婦で生存。
長男の私が鬱と無職に。
あの時代はどこもこんなものだったのか?
私には知る由もないが、
まるで皆、
「苦しむために生かされてきた」
ようにさえ思える。
父の実家は継ぐ者がいなくなり
人手に渡った。
母の実家も継ぐ者はおらず消滅は
時間の問題。
「両家ともに消滅する」
何のために事毎に過去の栄光を
誇ってきた'家'だったのか。
幼少時にどれほど聞かされたか。
昔は、昔はと。
見る影もなかったのは幼心にも
明らかだったのに。
変化することを恐れたのかもしれない。
変化に対応できなかったのかもしれない。
けれど、
「重い時代を皆必死に生き抜いた」
貧しく教育もなく無明だった人達に
罪は無かろうに。
あの祖母とて。叔母とて。
今となっては
重い時代の象徴が無くなるやっとの魂の
解放なのかも知れない。
一方で、
貧しく教育もなく無明だったが故に
「苦しみが過ぎるとおかしくなる」
「大切にするものを間違えた」
家系の末路はむごすぎる。
添付した「あぁ野麦峠」のエンド曲、
最後の以下の歌詞が哀しすぎる。
’やがて歴史が教えるだろう
幸せなんかどこにもないのを'
お祖母ちゃん、やっと教えてもらったよ。
辛かったね。ありがとうね。
外側にはどこにもいなかったんだね。
内側にいるんだね。青い鳥は。
けれど皆の人生の犠牲の上に
私が今生かされていることも事実。
父方の墓所は私が継ぐが、
私の代で必ず墓じまいをするつもりだ。
父母はそこには絶対に入りたくないと
自ら別に墓を用意した。
なお、母方の墓所は新しいものの位置は
分かっているらしいが、それ以前のものは
場所さえ分からなくなって久しい。
↓高校時代のスケッチ
「あぁ野麦峠」のエンディング曲
今日もありがとうございます。