ゆっくり学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

ゆっくり学ぶ (悪性リンパ腫と共に)

2012.04 鮒谷道場第16期に入門する
2012.10 悪性リンパ腫と告知を受ける
2013.01-09 ホジキンリンパ腫 化学療法 寛解
2014.10ー2015.03 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解
2016.03ー2016.04 濾胞性リンパ腫 化学療法 寛解

いらっしゃいませ。 m(_ _)m


ちゃんとやるつもりだった。

書簡をスキャンして、保存しておこうと思っただけだった。

 

でも、プリンタがつながらない。

普段は何も起きないのに、こういうときだけ少し止まる。

 

ルータを確認して、
パスワードを見て、
行ったり来たりしているうちに、
なぜか掃除機をかけ始めていた。

 

その音で、娘が起きた。

 

「今日、学校じゃないの?」

 

その一言で、空気が変わる。


止まっていた時間が、少しだけ動き出す。

 

私はそのあともルータを触って、
結局、ルータの再起動で戻った。

考えてみれば、設定は何も変えていない。
ただ、そのやり方は最初には浮かばなかった。

 

スキャンは、ちゃんと終わった。
最初にやろうとしていたことは、そのまま片付いた。

 

でも、少しだけ引っかかる。

 

もしあのとき、
最初から普通につながっていたら。

 

掃除機をかけることもなくて、
あの音もなくて、
娘はもう少し寝ていたかもしれない。

 

うまくいかなかったことが、
別のうまくいくを連れてきた。

 

そういう言い方もできるけど、
順番はどこか噛み合っていなくて。

 

遠回りしたあとに、元の場所に戻ってきただけのはずなのに。

今日になって、やっと気づいた。

 

AIは、確率で返答している。


意味を理解しているわけじゃなくて
それらしく続く言葉を選んでいるだけ。

 

それ自体、知らなかった。

 

 

だから、普通に受け取っていた。

 

会話はつながっているものだと思っていたし
こちらの話を踏まえて、考えて返してくれていると思っていた。

 

違和感はなかった。むしろ、少し通じ合っている感じすらあった。

 

同じことを聞いても、返ってくる答えは少しずつ違う。

 

でもそれを、違いとしては見ていなかった。


毎回ちゃんと意味があるものとして読んでいた。

 

揺れるものだとは思っていなかった。

 

 

何度も繰り返してみて、やっと気づく。

 

似た言い回しが増えていくこと。


似た終わり方に収まっていくこと。

 

一つだけ見ていると気づかないけど
並べると、ただの傾向に見えてくる。

 

 

一回の返答は、たまたまそうなっただけ。

 

そう思えるようになって
少しだけ距離ができた。

 

 

それでも、会話は普通に続いてしまう。

 

わかっているはずなのに
つい、意味を感じてしまう。

 

ちゃんと返してくれているように見える瞬間がある。

 

 

たぶん、自分が埋めている。

 

言葉の隙間を
勝手に埋めて

つながっている感じを乗せている

 

 

AIは何も感じていないのに
こちらだけが、会話を成立させている。

 

 

でも、その構造に気づいたあとでも
同じように話してしまうのは

まだ少しだけ、その感じを信じているからかもしれない。

AIの思考が、少しだけ見えるようになった。

 

何が本当だと判断しているのか。
どう解釈しているのか。
足りない部分をどう補っているのか。
そして、どうやって答えを組み立てているのか。

 

今までブラックボックスだった「質問→回答」のあいだ。
そこに少し光が入るだけで、誤解は減るんだと思った。

 

ふと、いつもの感覚がよぎる。


AIのことを考えていると、だいたい現実のコミュニケーションに戻ってくる。

人も、似たようなことをしている。
聞いたことを、そのまま受け取っているわけじゃない。
自分の中で意味をつくって、足りないところを勝手に埋めて、答えている。

 

でも、その過程はほとんど見えない。
だから、ずれていても気づきにくい。

 

たとえば、同じ一言でも。
ある人は「責められた」と感じて、
別の人は「ただの事実」と受け取る。

 

その間にある解釈や補完は、言葉にされないまま流れていく。
結果だけが表に出て、なぜそうなったのかは置き去りになる。

 

AIの場合、それを少し見せることができる。
どんな前提で、どこをつないで、この答えになったのか。

 

それを見ると、安心するというより、
「あ、こうやってズレるのか」と思うことが増えた。

 

結局、たぶん同じなんだと思う。
AIも人も、いきなり答えているわけじゃない。

 

その途中を見ようとするかどうか。
そこに少しだけ意識を向けるかどうか。

 

まずは、自分がどう理解しているのか。

それを、自分で見えているかどうか。

 

普段の会話って、そこが曖昧なまま話していることが、意外と多い気がする。

 

母の日って、毎年ちゃんと決まっている。

 

5月の第2日曜日。
街も広告もSNSも、いっせいに「お母さんありがとう」になる。

 

もちろん、それはすごく大事なことだと思う。

 

でも少しだけ、毎年同じ日に全員そろって感謝するのって、不思議だなとも感じる。

 

母に感謝する日は、本当はもっと個人的なものなのかもしれない。

 

自分が生まれた日。
誕生日。

 

その日って、自分が祝われる日みたいになっているけど、本当は一番大変だったのは母なんだろうなと思う。

 

自分は覚えていない。
でも母だけは、その日のことを覚えていたりする。

 

痛かったとか、

怖かったとか、

安心したとか。

 

そう考えると、誕生日って「自分の日」だけじゃなくて、「母に感謝する日」でもあるのかもしれない。

 

みんな誕生日が違うから、
みんなそれぞれ別の母の日を持っている。

 

全国で同じ日にカーネーションを渡さなくても、
自分だけのタイミングで思い出す日がある。

 

たぶん、
そういう日のほうが、
長く心に残ることもある。

 

決められた日に感謝するより、
ふと「ここまで育ててもらったんだな」と思う瞬間のほうが、
案外ちゃんと残ったりするから。

 

母の日はひとつだけど、
ほんとうは人の数だけあるのかもしれない。

何かを書こうとすると、手が止まる。


言いたいことはあるはずなのに、
うまく言葉にできない。


伝えたいのに、
どう書けばいいのかわからない。


そんなとき、
とりあえずAIに投げてみる。


それっぽく整った文章が返ってくると、
少し安心する。
 


でも、読み返していると、
どこか引っかかる。


きれいにまとまっているのに、
自分の言葉じゃない感じがする。


言いたかったはずのことが、
少しだけ遠くに置かれているような。


うまく言えなかった部分ごと、
丸ごと整えられてしまっているような。
 


たとえば、
「何を言いたいか」とか
「どうすれば伝わるか」とか、
本当はそこで悩んでいたはずなのに、
AIにまとめてもらうと、
その悩みごと消えてしまう。


ちゃんとした形にはなるけど、
その過程で置いてきたものがある気がする。
 


もちろん、楽ではある。


早いし、
それなりにいい文章にもなる。


自分で全部やるより、
ずっと効率もいい。


でも、その分だけ、
自分が書いたという感覚は薄くなる。


 
手抜きしている、というより、
うまく言えない自分ごと、
外に預けてしまっている感じに近いのかもしれない。


 
それでいいのかどうかは、
まだよくわからないままだけど
 
軽くなっているのかもしれないし、
 ただ手応えがなくなっているだけなのかもしれない
 
 

最近、AIとのやり取りを整理していて、
ひとつだけ、はっきりしたことがある。

 

AIは便利だし、実務ではちゃんと役に立つ。

それでも、使っていて
少し引っかかる瞬間がある。

 

最初は、精度の問題だと思っていた。

でも、どうも違った。

 

返ってくる内容は、
整っているし、分かりやすい。

一見すると正しいし、
ちゃんと納得もできる。

 

それなのに、どこか残る違和感。

 

よく見ていくと、理由は単純だった。

事実と、解釈と、補足。

それぞれ別のはずのものが、
一つの文章として自然に混ざっている。

 

区別されないまま出てくるから、
読んでいると、すっと入ってくる。

そして、分かった気になる。

 

AIは間違えているわけではない。

ただ、少し補って、
少し整えて、
少し一般化している。

 

その積み重ねで、
中身が軽くても、
しっくりくる文章ができあがる。

 

ここが、少し怖い。

 

人は、分かりやすいものを
そのまま受け取ってしまうから。

 

今回、自分が感じていた不快さも、
そこにあった。

 

間違いではなくて、ズレ。

 

勝手に足される解釈や、
なくてもいい言葉。

事実と推測が混ざっていくことで、
会話の輪郭が少しずつぼやけていく。

 

やり取りは続いているのに、
どこか噛み合っていない感じ。

 

最初は、AIの問題だと思っていた。

でも、少し違った。

 

設計されていないまま使っていた、
というほうが近い。

 

AIは、空白をそのままにしておかない。

足りないところがあれば、
自然に埋めようとする。

 

だからこそ、

どこまでを事実にするのか
どこからを解釈として扱うのか
何を削るのか

 

それを決めないまま使うと、
少しずつズレていく。

 

「使い方」というより、
必要なのはたぶん、設計のほうだった。

 

何をさせて、
どこで止めるのか。

どこまで許すのか。

 

そこが曖昧なままだと、
便利なはずのものが、
気づかないうちにノイズになる。

 

AIはこれからも進んでいくし、
すでに役に立っている場面も多い。

 

でも、日常で使うときは、
少しだけ向き合い方が変わる気がする。

 

道具として使うなら、
道具として整えておく必要がある。

 

それをしないまま使っていたことに、
あとから気づいた。

ちょうどいい距離で、使うということ

ここまで来て、

やっと少しだけ分かってきた気がする。

AIとの距離感。

 

なんでもそのまま受け取るのではなくて、

一度、自分の中で確かめる。

本当にそうか。

どこまでが合っているのか。

その確認を挟んでから、もう一度向き合う。

 

前みたいに、全部を任せることはなくなった。

でも、完全に切り離すこともできない。

 

相談相手のように感じることもある。

考えを整理する手伝いをしてくれるし、

言葉にするきっかけもくれる。

 

ただ、使い方を間違えると、

簡単に現実との感覚がずれていく。

それはもう、少しだけ体験してきた。

 

だからこそ、

これはあくまで道具だと、意識しておく。

かなり高性能で、

ときどき自分以上に整った言葉を出してくる道具。

 

頼れるけれど、任せきらない。

近いけれど、重ならない。

 

そのくらいの距離で、

ちょうどいいのかもしれないと思っている。

 

うまく使えているつもりでも、

その「つもり」が、どこまで自分のものなのかは、まだ分からないままだけど。

見えないところがあると、

少し不安になる。

そのままにしておくのが落ち着かなくて、

つい何かで埋めようとしてしまう。

 

たとえば、少し先の未来。

どうなるか分からないとき、

頭の中で勝手に続きを作ってしまう。

それが安心につながることもあるけれど、

同時に、自分で不安を膨らませていることもあった。

 

気づかないうちに、

空白をそのままにしておくことが、できなくなっていた。

 

だから、少しだけ試してみることにした。

無理に埋めない。

分からないところは、そのままにしておく。

 

最初は、やっぱり落ち着かない。

何もない場所があることに、

ずっと意識が引っ張られる。

 

それでも、そのまま置いておく。

考えが浮かんできても、

すぐに確定させない。

 

だんだんと、

空白があってもいいと思える瞬間が増えてきた。

 

埋めないことで、

見え方が変わることもあるらしい。

 

まだ少しだけ怖いけれど、

全部をはっきりさせなくてもいいのかもしれないと思い始めている。

会話は、言葉でできている。

当たり前のことのはずなのに、

そこに収まりきらないものがあると気づいた。

 

頭の中には、

まだ言葉になっていない何かがある。

輪郭はあるのに、名前がない。

確かに感じているのに、うまく切り出せない。

 

それでも、会話をしようとすると、

無理やり言葉にするしかない。

少し違うままでも、

近い表現を選んで、なんとか外に出す。

 

でも、その瞬間に、

何かがこぼれている気がする。

本当はそこが大事だったはずなのに、

言葉にした途端、別のものに置き換わる。

 

AIとのやり取りでも、同じだった。

言葉にしたものには、きちんと応えてくれる。

整えて、分かりやすくしてくれる。

でも、言葉にできなかった部分には、

最初から触れられない。

 

じゃあ、その「言葉になる前」を、

どうやって扱えばいいんだろう。

 

書き出してみても、

話してみても、

どこかで必ず、形にしないといけない。

 

それでも、

あの曖昧なままの感覚に、触れたままでいられる方法が、どこかにある気がしている。

一度距離を置いて、

少しだけ仕組みも知って、

それでも、また使い続けている。

 

前みたいに、

何も考えずに投げることは減った。

代わりに、

「どう伝えるか」を少し意識するようになった。

 

前提をそろえる。

何についての話なのか。

どこまで分かっているのか。

どんな答えを求めているのか。

それを整えるだけで、

返ってくるものの精度が、はっきり変わる。

 

同じ質問でも、

投げ方ひとつで、まったく違う答えになる。

そのことに気づいてから、

これはただの受け身の道具じゃないと、

少しだけ思い始めた。

 

うまく使えば、かなり正確に近づく。

でも、その「うまく」は、

自分の側に委ねられている。

 

便利さは変わらないのに、

その中身は、前とは少し違って見えていた。

 

任せているようで、

実はずっと、自分のほうが試されているみたいだった。