走りながら、食べて、聞いて、考えて! -96ページ目

雨のみなとみらい


走りながら、食べて、聞いて、考えて!


ひさしぶりの富士山

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東京タワー 別バージョン



こちらもいい感じ。

いまだくしゃみが・・・・

走りたい。

が、今日は、通常ならば貴重な平日休みなのだが、所要があり出勤。でも所要は午後なので、午前に走ろうかたお思ったが、いまだ鼻風邪が抜けない。

午前にちょっと走って、くじゃみが止まらなくなったらどうしよう と思い、あきらめた。

一応、午後の所要とは、公式の会合に招待されたりしているものなので、さすが、粗相はできない。


ということで、自分「晴れ男」ですね。今まで、レースで雨が降って苦戦したのは、ほぼ無い。

一度、「夢舞い」で、これもレースではないので、そこそこ降っていたが、この前の東京マラソンよりはまし。

また、はじめて参加した、「手賀沼」も、朝は大雨も、走る直前に快晴というとんでもない天気だった。

それから、一度、「泉州国際」で雪が降ったが、そのときはかえって調子よく、ベスト更新をしたし、「仙台」でも小雨もあったがあれもベスト更新。

ということで、自分が出る大会はほぼ100%、雨による悲惨なことはなかった。


そして、東京マラソンはすでに4回落選。したがって、東京マラソンは自分を当選させて参加させない限り、永遠に天候に悩まされるのは仕方ないことだろうと、思っています。(と、いって別に自分は何もしてませんよ。呪っているとか・・・そんなことしてません。ちゃんと応援はしてます)


ま、初心者の参加の多い東京マラソンなので、雨で完走したら、さすが「感動この上ない」と思うので、結果雨のほうが、快晴で脱水になって危険が起きるよりはいいかもしれないなと思ったりしてますけどね。


で、今日は、そういうわけで走れないので、これでまる一週間走れていない。

今週末は、「三浦ハーフ」だっていうのに、ただ参加するだけになりそう。(密かに、90分きりも狙っていたが、さすがもう無理だな)


先週、火曜日に夕方10kmほど走って、それから飲み会。そのときに風邪をひいたのかもしれない。

それから、声が変で喉の奥がガラガラで、そうしていたら、金曜日あたりからけっこうヤバい状況。さすが日曜日は一日中自宅で休憩モード。

月曜日に病院に行き薬をもらい飲み始めたが、すぐには改善しないね。


いつの間にか、花風邪から花粉症に移行したみたい。それも威力を増して!

まったく、こまったなあ。


ま、今日は会合2つあるので、それに出たらすぐ帰宅して、今週は土日と連休で休むことにしよう。


ということで、多分、今週末は自分が走ると思いますので、「晴れる」はずです!





東京タワー by GOKIGEN SOUND



ええ歌やな~。
ハートが熱くなる。元気がでる。関西弁がすごくいいなあ。

スポーツの祭典 オリンピック

感動的な冬期オリンピックも終わる。日本はメダル獲得レベルとしては、前回よりも進歩があったものの「世界No.1」としての金メダルが一つも獲得出来ないという残念な結果で終わった。
しかし、よくよく考えれば、オリンピック優勝が「世界No.1」なのだろうか、本当に。
例えば、夏のオリンピックでサッカー競技もあるがオリンピック優勝とワールドカップ優勝とどちらが真の世界一なのか?
野球はどうか?
そういえばラグビーやバスケットボールは?
それぞれの競技には比較的「ワールドカップ」という大会が年間に何度かありまた、毎年開催されている。世界陸上も、オリンピックに匹敵するレベルの高い大会だと自分は思う。

オリンピックは4年に一度であり、世界中から参加できるので(経済的な余裕がある国ならば)確かに貴重な大会であることを否定はしない。
日本でいう夏の甲子園レベルの価値ある大会だといえよう。
しかし、4年にたった一度の大会だからこそ価値はあるかもしれないが、それで本当に「世界一」の選手、チームと決められることではないと感じる。
確かに、コンディションを合わせるのも選手にとっても重要な義務だと思うが、反対に「金メダル」獲得が全てであり、そのメダル獲得レースになり、また、メダル獲得者のみが世界的に高い値段を付けられ、活用されるのはどうなんだろう。
オリンピック参加資格を得られたら、ワンチャンスを生かすためにあらゆる手段を駆使して獲得する努力をするだろう。
しかし、サッカーや野球のように何試合もやって高い勝率を目指す競技も確かに存在する以上、「本当の勝者」の在り方を我々も認識を変えるべきではないかと考える。
話題になった國母選手は口から血を流して淡々と述べた。「俺より上手い奴が出ないかぎり次もでますよ」
彼の頭の中には確かに「世界一」のメダルを目指した気持ちもあっただろうが、何度も参加し戦っている他国の選手に加え、数多く世界中から参加する選手に勝ちたいと思っただけじゃないだろうか?
さまざまなスポーツには世界の一流選手と何度も戦うワールドカップのような大会があり、何度も戦いグランプリを決める方式がある。それこそ真の勝者ではないかと自分は思う。

思い起こせばオリンピックは「スポーツの祭典」という言い方をされてきた。
まだ見知らぬスポーツに興味を持ちテレビで観戦しそのスポーツの素晴らしさに気付くようなそういう楽しみがもっとあって良いのではと思う。
本当に強いチームや選手を競って表彰するのは、ワールドカップ的なものを中心にして、オリンピックではもっとチャレンジングで驚きのある祭典にならないものだろうか?そうでないと、如何に高い評定を取るかという、戦略的な面が強くなり、全て「メダルを取るための」競技になってしまったら、プルシェンコや真央のようなチャレンジャーは無くなってしまうと感じた。
そう考えるとショーンホワイトのハーフパイプは凄かった。

オリンピックはチャレンジャーの集まり、祭典であって欲しい。

何に対する悔しさか・・・。

残念ながら、バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート女子の結果、日本人にオリンピック2大会連続の金メダル獲得は叶わなかった。

銀メダルに終わった 浅田真央さんは、悔しさに号泣したという。(自分はさすが見ていられなかったので)


後からの情報では、自らの2回のミスに対して悔しく思ったらしい。

確かに、全力を出し切って、100%やれること全てを完璧にやりきって、それで負けたわけではないので、自分のミスに対しての苛立ちや悔しさは計り知れないと思う。

ましてや、4年前のオリンピックでは絶頂期にもかかわらず年齢制限、それも月数不足で参加できず、その大会では荒川選手が金メダルを獲得し、たぶん、スーパーエリートとして今まで厳しい練習も自分にプレッシャーをかけてやってきたのだと思う。だから、当然金メダルを獲得することが彼女の唯一の目的だったに違いない。

それを、自分のミスで取り逃がした・・・それは我々が想像する以上に悔しいことであったと思う。


しかし・・・、もし、SPのときよりもさらに旨く、パーフェクトな演技ができていたとしたら・・・どうだったろうか?

いや、それで逆転優勝して金メダルを取れていたら、きっと問題なく満足できる結果で終わったとは思うが、それだけパーフェクトな演技で、わずかにキム・ヨナに足らなかったとしたら、どういう思いだったろうか?

評点についての国内外での話題も出たかもしれない。本人はパーフェクトな出来であれば、もうこれ以上どうしていいかわからないという状態にもなりうる。でも、それでもキャッチアップできず結果、同じ銀メダルの結果であったら、彼女はどういう気持ちになり、どういう表情、そしてどういう会見だったのかな と、いろいろ考えた。


結果論ではあるが、その可能性のほうが十分高かったわけだから、今日の演技がパーフェクトであったとしても、逆転できる可能性については決して高くはなかったわけだ。


悔しいと思ったのだろうか?評点について不満を感じたろうか?SPのことを思い出しそちらを悔しいと感じたろうか?いずれにしても、なんらかの気持ちの整理が不可欠ではあるが、今回、「自分がミスをした」という事実を受け入れ、そしてそれに対し想像もできないくらいの「悔しさ」を感じたのであれば、次がありそうな気がする。

次はもっともっと強くなりそうな気がする。

前回の荒川静香も、そういう場面を乗り越えてきたし、今回のミキティにしろ、鈴木明子にしろ、評点とは別に完成度の高さや感情を揺さぶる何かをもっていたし、こだわっていたジャンプを捨て芸術的に素晴らしかったミキティの演技は、キム・ヨナや浅田真央とも違った次元のようなものであったように思う。


「悔しい」という気持ちは、きっとしばらく吹っ切れないかもしれないが、その気持ちさえあれば、もっと凄いアスリートになりそうだ、と思ったのは自分だけではないと思う。


Twitterで見ていたら、浅田真央の気迫に驚き、賞賛する声が多かった。


彼女の気持ちの強さは、しっかり伝わっていたと思う。

まだ、19歳。これから、もっと花開く。花を開かせると思う。

霧のみなとみらい

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昨日の様子です。

「悔いを残さず」よりも「限界に挑戦」して!

スポーツの世界では常にトップを獲るか、対戦相手に勝つか、要は「弱肉強食」の世界である。

そして、その結果、勝てば「悔いはない」といえることが多いだろうが、負ければやはり「悔いは残る」のは不自然ではないと思う。


ただ、自分の持てる力を全て100%出し切って、そしてミスもまったくなくやりきれた結果であれば、「悔い」というようりは、「これ以上、どうしようもない」というのが素直な感情なのではないか?


自分の場合は、自己記録をどれだけ伸ばせたかが常に戦いであるので、アスリートたちとは全然異なるレベルではあるが、それでも、記録を更新しても常に「悔い」は残ってしまう。

「最初にペースあげすぎた」とか

「あそこで給水をゆっくりとったのが失敗だ」とか

「なぜ、もう少し脚を早く動かせなかったのか?」など、自己ベストを更新してももっともっとという欲は消えない。

ただ、走りきったときに力を出しきったなあ という思いや、もう自分のからだの限界だなあ と感じると、「悔い」よりも「これ以上は無理だ」という気持ちになる。


きっと、トップアスリートたちは、常に、「もうこれ以上は無理だ」という思いを打ち消し、「悔い」ながら練習に励み大舞台に登場してきたのだと思う。

常に自分の限界を作らず塗り替えてきたからこそ、世界のNo.1、トップに躍り出られるのだろう。


たった今、鈴木明子の演技が終わった。終わった瞬間の彼女の表情には、「悔い」よりも「やった」という気持ちのほうが現れていた。


結果は結果。最後は受け入れるしかない。だって、勝者がいれば敗者はいるのだから。それをなんらかの基準で評価するのだから。


でも、たぶん、彼女たちは「限界に挑戦できた」という、すさまじい疲労感を感じた瞬間が「悔い」を弾き返す瞬間なのではないかと思った。


ひそかにリコール

なんだか米国の公聴会っていうのは、議員のアピールの場だけにどぎつくてかなわんね。

そういえば、「24」のジャック・バウアーも公聴会に呼ばれているところを、急にFBIに呼ばれたんだっけ(あ、「シーズン7」での話です)

ま、それだけ、米国の議員は自ら調査権を持って真剣にこういう事態にも対処している点では非常に活動的にも見えるが・・・。


ま、話はそういう話題のTOYOTAのリコールの件ではない。


これは、最初に発売された「NIKE SPORTSBAND」


まだ、「GARMIN for Athlete 405」も発売されていない時期なので、自分の走った距離を測る方法で、このギアは画期的だった。すでに Nike+は発売されていて、iPodを持っていれば計測をすることはそう難しくはなかったが、これが、かなり正確さに欠けた。調整も面倒で、そしてiPodを常に持ち歩かないといけないので、汗に濡れぬようポシェットにいれたり、いろいろ工夫して使ってみたが、腕時計型の「NIKE SPORTSBAND」が発売されたときは、画期的であり、すぐに購入した。


しかし・・・これも、何度か使用しているうちに、汗が入り込みそして液晶画面も見えなくなったり・・・。

いちおう、「日常生活防水」ということではあるが、けっこう気を遣って(というか、この手のギアでそういうことに気を遣わせること自体おかしいと自分は思うが)、汗がはいったり、水をかけないようにしていたが、それでもだめ。

汗は腕を振れば売れの末端に流れていく。当然、汗が侵入し液晶は反応しなくなった。


結局数ヶ月でこれはもうだめかな?ということで、いったん(当時は関西にいたので)心斎橋のNIKEショップに行って新しいものと交換してもらった。(当然無償で)


しかし、その後また同じことになり、またNIKEショップに持っていったら、「交換もできますが、今新しいものも作っていないので、返金しましょうか?」ということで返金してもらった。


どうも、初期のものは、ある規格が適正でなかった(ぶっちゃけ、「不良品」)というわけだ。


これがひそかにリコールって話。

まあ、ひそかではなかったですがね。ネット上でも、そういう噂も流れていたし。


今は、たぶんその点しっかり改良されて防滴加工がしっかりされていると思いますが、すでに「GARMIN」を購入し、より正確な「GPS」で記録できるようになったので、もう使っていません。

(しかし、最初に購入した「GARMIN」も、実は一度交換しています。)


電子部品がより緻密に小さくなていき、そして使用する場面がさまざまな場面になってきているので、こういった先進的なギアも不具合も出てくることもあるのだろう。


ただ、自動車の場合は「命」の問題に直結しますので、「100%安全」ということは欠かせないのですが。