ChangeからRealへ
米国のオバマ新大統領の就任イベントはすごいものであった。
200万人が、ある場所に集まるってことも信じられないし、演説やパレードまでの間とか、そのあととか、いったいどういう状態になっちゃってんだろう?と、他国のことながら心配せずにいられない。
さらに、気温は零下10度くらいだったっていうし。
(だいたいトイレに近い自分としては、一番気になるのが、その点なのだが)
それにくらべ、たかが3万人程度の規模のマラソンなんて「屁でもないっすよ!」ね。
しかし、アメリカの経済も相当危険な状態になってしまった。いや、第二次世界大戦後、米国中心一極化の資本主義経済が、このような結果をもたらしたのだと思う。
まさか、過去の経済学者もこのようなことは想像していなかったのではないだろうか?
ちょっと前に、「100人にたとえたら」という絵本が話題になった。
その際、ほんの少しの金持ちと多くの貧困層がいることが、わかったわけだが、近代の米国経済は一部の資本家の飽くなき金儲け主義にふりまわされ、実態のない経済になってしまったのではないかと思っている。
だいたい、実業の経験もない他人や企業の金を動かしているだけのものが、信じられない収入を得ていること事態がおかしいと思わないことが、おかしいのだと思う。ゆがんでいると思う。
そりゃ、そういう人たちは、寝る時間も惜しんで他人の金を男語化していたのだから、儲けて何が悪いという理屈だろうが、寝る時間を惜しんでわずかの金しか得られないものが数多くいて、結局、その実体が、どんどん忘れてしまうようなことになってしまったことが、最近の米国の資本主義経済の破綻にあるように思えてならない。
とはいっても、これはなんの知識も取り揃えていないかってな言い草ではあるが。
まあ、そういったようなニュアンスのことを本日の演説でも語られていたが、まさにこれからはこの危機がRealであり、Realityのある対策をやっていかないと厳しいということだけは十分認識できた。
その点をこれだけストレートに言った大統領も珍しいのではないかとも思う。
さて、
まったく話が変わるが
本日、Runners3月号が郵送された。
ペラペラめくってみると・・・おお、また、写真に写っていたよ!
まったく、いろんなところの出没していると、たまには、こういったところに掲載されてしまうもんだね。
(ただ、今回は豆粒程度ですが・・・Runningを探せ!)
しっかり冷えてます
さらに、困ったことに職場では風邪などで体長を崩し休むものも増えています。
人の力に頼る営業を主とする場合、こういう時期がいちばん厳しくなります。
さらに、決算期に当てはまる期が変わる時期なので、会計関連だけでなく、人事的な事務も増えて、なかなか忙しい時期となってしまいます。
自分の場合は、現在は二つの拠点の責任者なので、その二つの事業所を行き来しないといけませんし、昨年度は転勤もあったので、大阪の人事的な事務もこの時期やらねばならず、なかなか忙しい状況になっています。
というなか、マラソンのほうは、年末年始の集中ランニングに加え、たびたび早朝ランニング、そして帰宅ランなどの30キロ走など、ちまちま走っていたおかげで、今朝まででほぼ200キロ走ることができ、昨年1月の340キロ程度も可能性がでてきました。
やはり、平日の10キロランは、月間走行距離を稼ぐには欠かせません。
しかし、心配はポイント練習が全然できないこと。
職場の近くにしっかりトレーニングできる場所もありませんし、自宅に帰るのも、こんな時間じゃ体調管理もダメですねー。
あ、明日も終日仕事です。
来週は館山フルですが、だんだん心配になってきました。
それから、早朝起きてすぐ走ると、お腹がつらくてトイレに行きたくなるのは、どうも自分の体質のようで、何度か朝走っているうちにトイレに行きたくなるのは半分以上あるようです。
昨年の隠岐の島ウルトラも前日の飲食の問題もありますが、朝3時に起きて走るという行為は、自分の場合仕方ないと割り切り走り始めたら、早め早めにトイレを利用するほうが良さそうですね。
まあ、いろんな経験をして、失敗を減らしていくしかなさそうですね。
さて、まもなく電車も終点に着きます。
今日は早く寝て風邪をひかないようにしたいものです。
今季はまだ風邪引きさんには、かかってないので!
思い出します、去年のこの時期
そういえば、昨年の今頃。
娘の受験で、毎日朝神社にお詣りしていたことを思い出します。
それに、仕事を終えて、すぐ帰宅して、ランニングウエアに着替え、暖かい帽子をかぶり、一時間後にお風呂が沸くようにセットし、ご飯もセットして、走りに出たことも思い出します。
息は白く、汗は冷たく、ほぼ毎日大阪城公園に向かって走っていました。
大阪城公園に着くころは、もうカラダもあたたまり、調子もでて、公園の外周をけっこうスピードをあげて走っていました。
会社が遅くなっても9時でも、10時でも、11時くらいに走りにでかけ、12時すぎに帰宅したこともありました。
「なんとか、受験、うまくいってくれ!」と願いながら。
大阪もこね時期はけっこう寒かったですね。
ふと、帰宅してお風呂が沸いてなかったらどうしよう、と思ったこともありました。
帰宅して飛び込んだ熱いお風呂は格別でした♪
今年は、横浜の自宅にいますが、さすがこの時期の寒さは、いろんなことを思い出させます。
冬は人をふりかえさせたり、内向的にしてしまうのでしょうか?
今週末は、センター試験でしょうか?
この厳しい時代に、どうかみんなの希望が叶いますように・・・。
マラソンブームの次に・・・
昨今の不景気の中、マラソンブームだけは、相変わらず成長継続しているように感じる。
昨年においては、まさに急激なマラソンブームによる被害を蒙ったランナーも多かったと思う。
例えば、
とにかく大会へのエントリーには、今まで以上に気をつけておかないとエントリーできなくなる事態が起こった。
東京マラソンは、3万人の参加枠に25万人。
横浜マラソンだって、エントリー開始数日で締め切らざるを得ない状況。
これら、大会エントリーについては、今だ加熱ぶりは継続していて、各種駅伝大会も、すぐにいっぱいになってしまうし、どの大会も早めはやめのエントリーが欠かせなくなっている。
サロマなどウルトラにもその波が押し寄せているらしい。(私が愛する「隠岐の島」はさすが、まだ大丈夫だとは思うが)
トレイル関係も急増していて、どの大会も対応に苦慮しているように思う。(ハセツネも、30kmコースを新設したりしているし)
次に、なんとか大会に参加できたとしても、規模が急激に膨張しているので運営が追いついていない状況。
湘南国際などはまさにその現象が発生している。
運営側としては、大会当日早朝にスタートさせなるべく交通渋滞を回避したい気持ちもあるのだろう。
そこで、前日受付など参加者に負担をかける大会になってしまっているのが残念である。
マラソンの大会は、どうしても「トイレ」の問題を回避できない。
瞬間的であっても、ある程度のキャパを用意していないととんでもない状況になるし、コース上のトイレも大きな問題である。
さらに、大会に参加するために普段から練習をしている人も急増。
しかし、これもさまざまな問題を起こしてしまっている。
ランナーの走行マナーの問題。集団で走ることは楽しいのだが、道を封鎖するような走りや、対向者や自転車など、また走力の違いも考慮した走り方をしているとは到底思えない。
確かに、初心者も自由に走ってよいと思う。皇居もどうぞ、しっかり走ってください!と思う。
しかし、今の皇居において、ある程度のマナーや少なくとも相当走力の高い人も走るあの場所で、ある程度の走る基礎とマナーをもっていないと大きな事故になるような気がする。(実際に、皇居のコースはこれ以上走る人が増えた場合は、歩行者や自転車へも被害をもたらすような狭さである。本来、歩道であることを再認識しないといけない時期に来ていると思う)
猫も杓子も皇居ではなく、せめてしっかり自分の家のまわりやトレッドミルで鍛えておいてはどうかと思う。
皇居がランナーの聖地であるならば、それなりのマナーや姿勢は欠かせないと思うのだ。
(たぶん、近々にランナー走行レーンなどが設けられたり、「ここは徐行」などの表示が登場するかもしれません)
そして、皇居付近の、練習後のシャワーや銭湯でのマナーの悪さも問題になっているようだ。
そもそも、「内風呂」が主流になった現代において、公衆浴場でのマナーなど指導してもらった人も少ないだろうから、仕方ないのかもしれないが、これも親の教育の問題か?
いや、コモンセンスだと思うが。こればっかりは、本人の意識の問題でマナーが悪いよ!といわれてもピンと来ない人もいるだろうから困ったものである。よく言われるが、電車内で飲食をしたり化粧をしたり・・・。たぶん、「お行儀が悪い」ということで指摘されたことがないのだろう。
これらさまざまな問題を孕みながら、このマーケットはいまだ成長している。
このまま、ずうっと、成長し続けるのだろうか?
それとも、どこかで、急激にトーンダウンし、落ち着いてくれるだろうか?
いずれにせよ、最近感じているのは、大会における「無駄」の点。
2万人とか、3万人規模の参加となっているから、運営側は相当大変な準備をしていると思う。
途中、事故がおきてもまずいので、給水や給食も欠かさぬようふんだんに用意しているだろう。
また、もし給水や給食がない となると、ランナーに何をコメントされるかたまったもんじゃないし。
でも、どうだろう。
たぶん、相当の水や(まあ、水は良いとしても)給食は廃棄されている可能性が高いと思う。
また、紙コップもそうだ。
相当の資源の無駄になっているのではないか?
通常の大会において、決して自分は、それほど遅いほうではないので給水も給食も困った事はないが、それでも大規模大会に参加すると足元の紙コップの類には、辟易する。
ぬれていて滑りやすくなっている場合もあるし、また、あれだけの量の紙コップを捨てるとなると相当のエネルギーを使わねばならないし、また、パルプ(森林)の無駄となる。
マラソンなど、一見、健康そうで地球環境にもよさそうだが、本当に胸を張ってそうと言えるか?
そろそろ、「水や給食は自分で所持してください」という大会もあってはよいのではないか?
また、給水はあるものの、「水分補給は自分のコップを用意して参加ください」 というのも。
いやいや、ある程度の補給体制は必要だろうが、そもそも、自分が好きで参加しているのだから、迷惑をかけない大会 というのもあってもよいのではないだろうか?
しかし、NAHAマラソンは、またこれが違うように思うんだなあ。
市民がいたるところで、いろいろ補給してくれるし、捨てる場所もあまりないし。
でも、それでは、きっといつか、大問題になるような気がする。
そろそろ、資源を無題にしない「エコマラソン」など開催されそうな時期だと思うが、如何?
(たまには硬派な話)司令官 岡田資
正月休みのあいだ、大好きなお笑い番組もたくさん見たが、映画も見た。
WOWOWで放送してくれた、「明日への遺言」。07年度の日本映画だ。
映画のつくりとしては、裁判の模様を淡々と表現した物静かな映画という感じはするが、しかしその中身は非常に力強く、迫力があり、いったい「正義とは何か?」「戦争とは何か?」「裁判とは何か?」「戦争裁判とはいったい何だったのか?」など、さまざまな疑問をもたらした映画であった。
内容を簡単に申し上げると、要は、第二次世界大戦ももはやおわりのころ、米軍の日本国における本土空襲があった。その東海地区の岡田資司令官のもと、「本土空襲をして、飛行機から飛び降りてきた米兵を正式に裁判もせず斬首した」ということは、違法なのかどうなのかを追及する裁判の話である。
この件は、「戦争行為」自体が、さまざまな理屈で正当化されていた時代のことであるし、国内法も国際法も決して時代の変化に十分に適応していた時代ではなかったので、自分の意見についてもここでのぼえるのは避けるが、あえて自分のブログで語りたかったのは、この岡田資司令官が、部下の行為をすべて自分で責任を背負い込み、毅然と裁判に立ち向かった姿が、すばらしくまた最近こういうことも本当に少ない状況になっているなあと感じたからだ。
岡田資は、この裁判を「法戦」として最後まで前向きに戦った。
そもそも、弁護士も検事も裁判官もすべてが米国などの連合軍のメンバーであるから、公正な裁判などというものはありえなかったわけで、当然ながら、自国(米国)の戦争行為について正当化され、非難されることはありえない話であるが、この裁判では、「米国の無差別本土空襲」が非合法であることも、米国の残虐さも、また、トルーマンの原爆投下についても、議論されている。途中、検事から「米軍を非難するのか!」という異議も出されるものの、被告人岡田資も、弁護人も、「そもそも国際法に照らしても違法な行為をしたと思われる捉えられた米軍兵を略式裁判で死刑に至らしめた」ことを、しっかり認識させたことは驚きである。
未だ米国は「正義」というものを自国の理論で判断しているが、この時代から何も変わっていないとさえ感じてしまう。
この裁判の後半においては、岡田資のあまりもの潔さに、弁護士だけでなく、検事も、判事も、むしろ岡田資の刑を軽減しようとさえする発言が登場してくる。
岡田資は最後まで、「いくら異常な事態であったとはいえ、自分が下した命令はすべて自分の責任であり部下に責任は一切ない」と言い切る。
最後に、判事までが、「米国では復讐については、米国法で認められているのを知っているか?」と聞き
岡田は「知っている」と答える。
そして、判事が「では、この行為は復讐ではなかったのか?」と、最後に助け舟を出すのだが、岡田は
「断じて復讐ではない。違法な行為をした米兵であるから略式であろうが判断をして死刑を命じた」と、言い切る。
ここで、完全に岡田の有罪は免れないものになってしまう。
しかし、最後に、岡田は
「各地で行われている裁判では、米軍の行為について論じられたことは一切なかった。この(自分の)裁判では、その点をしっかり議論できたことを感謝する。」と論じ、さらに「行為は決して許されることではなかったと思うし、法整備も整っていなかったとは思う。」
さらに、「この一連の事実がしっかり両国で理解され、今後 米国を兄とし日本を弟としてさらに発展して、(自分の部下のような)若い世代が反映させてくれることを望む」
として、自分の部下の減刑を促した。
岡田資は結局は、有罪で絞首刑となるが、実際には検事も判事も含め減刑願いが米国でもでていたらしい。(しかし、マッカーサーが却下したらしいが)
岡田資は戦争にも裁判にも負けたが、「法戦」には完勝したといってよいだろう。
自分も多くの部下もいるし、つねにこういった責任の問題は起こりうる。納得できないことも多い。
しかし、この岡田資のように、毅然とそれに立ち向かい、責任を全うできるだろうか・・・。
リーダーとしての責任の重さを痛感した映画であった。





