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鈴木 彰の ミドル・シニアランナーのためのランニングブログ

@runnerのCEO、e-Athletesヘッドコーチの鈴木彰が、なるべくプライベートな部分は避けつつ、主に概ね40歳以上のミドル・シニア(中高年!)ランナー向けにランニング関係のあれこれを綴ってみようかなってとこです。

 

 未知の自分と出会う、カラダ応援メディア

 VITUP! こちらから

 

  に、「令和ランニング入門!」を掲載していただいています。

 全7回のシリーズで、既に年季を積んでいるランナー向けではなく、最近走り始めたorこれから走ろうと思っている初心者ランナーを対象としています。

 

 「令和」と名付けているのは、このコロナ禍でランニング事情がちょっと(かなり)変容しているということもあります。

 コロナで走らなくなってしまったランナーがたくさんいる一方で、在宅ワークによる運動不足などから、これから走ろう!と思っている人もいっぱいるわけで、なんか入れ替え戦みたいなことになっているわけですね。

 

 内容的には、2019年の秋にベースボールマガジン社から出た「マラソン完走マニュアル2019-20」に準拠しています。こっちの本の方がより専門的、実戦的ですが。

 

 この本も、出て間もなくコロナの洗礼を受け、なんだか分からないポジションになってしまった…という不運なところがありました。ここで少しでも日の目を見る機会を得られたのは幸運でした…。

 

 Zoomでの取材とこの本をもとに編集の方にお任せしていますので、このWEBの方は、私の書下ろしではありません。文体、言い回し等もほかのものとはだいぶ違うかと思いますが、気にしないでください。

 

 

 

 

 

 

  スポーツドクターの松田芳和先生からご献本をいただきました。

 

  現役サブスリーランナー100人の悩みを解決 走る医師団が答える「ランニングケア」

 

  いわゆる"ケアもの"は、医学的な見地からの一般論な解説が多いのですが、これはケーススタディ的な内容になっています。つまり、サブスリーランナー100人が抱えるケアや故障に関する悩みについて、個々のケースに対し、具体的な回答を期しているというものです。

 

 もちろん事例というのは誰にでも当てはまるものではないのですが、トレーニング法でもランニングフォームでも、理論や一般論よりも、事例の方が多くのランナーの興味を引きやすい~ということがありますね。

 そのこと自体は、指導する側やランニング雑誌等のジレンマというか、重要な課題だったりもするのですが、この本では、そこを上手にアレンジし、多くのランナーにありがちな事例をピックアップし、適切&完結なアドバイスが提供されています。

 

 これだけですべて解決!というのではなく、最初のヒントを得る手引きのように活用すると良いかも知れません。今の今、当てはまることはなくても、いつ、どの事例に似たことがわが身に起こるか分かりませんからね。

 

 

 

 

お正月は、ニューイヤー(全日本実業団駅伝)&箱根駅伝―

 

 私はコーチ修業時代を群馬県で過ごし、もともと実家は神奈川県なので、当時は、元旦はニューイヤーの太田中継所付近、2日は箱根の平塚中継所付近、そして3日は大手町へと観戦に行くのが常でした。

 

 

 応援したいから、応援に行かない。

 

 今年はコロナ禍で、主催者から観戦の自粛要請が出ていたにも関わらず、箱根はのべ18万人が沿道に出ていたそうですね、、、

 もっとも、前年比85%減ということですから、そう悪い数字ではありません。なにをどう上手くやろうとしても、やっぱり2割くらいはそういうのが出るものだと…。

 

 ただ、主催者の自粛要請がどのくらい浸透していたのかという問題もあります。地元住民にとっては毎年の恒例行事でお祭りのようなものですから、それほど深い関心がなくても(何の情報に触れていなくても)、当日になれば(あまりあれこれ考えず)普通に出ていくという人も少なからずいたことでしょう。「え、沿道で応援しないでって言われてたの?いや、知らんかったワ。」みたいな。

 

 レース的には、最終10区での大逆転となりましたが~~

 3分以上の差があれば、普通は余裕で逃げ切れそうなものですが、創価大学の選手は、普通ではなかった=明らかに何か異常が発生していましたね。ブレーキというよりはトラブルに近いものでしょう。あまりに早い地点から大きく失速していますので…。

 

 医科学的なメカニズムは良く分からないのですが、駅伝では(マラソンやトラックではなく、ほぼ駅伝に限っては)過度な緊張から脱水症状を起こす~みたいなことが時々起こります。今回もそれだったのかどうかは分かりませんが、長い年月の間に、そういうのを現場で何回か見てきました。大きな大会ほど、そういうことが起こりがちになりますね。

 

 駒沢大の勝利のポイントの1つに、10区で守りに入らなかったということが挙げられます。3分差もあると、「無難に2位キープ」という作戦に出ることもあります。しかし、本人も監督も、区間賞狙い!(失速して3位に転落するリスクもある作戦ですね)でイケイケのレースをしたことで、結果的に追いつくことが出来たということになります。

 狙い過ぎるとコケて、けっこう無難に走った方が区間賞を取る~みたいなこともまた、箱根では普通にありますね。狙って取るのは本当に難しいです…。特に優勝争いに絡んでいると。

 

 1つ気になったのは、12月の日本選手権10000mで活躍した選手が、ニューイヤーでも箱根でも、総じて不調・不発だったことです。得にPBをマークした選手は悉くといってよいくらい、あれ?おやっ?というような走り、結果でしたね。あれはなんなのか、、、

 

 10000mと駅伝は違う…とはいっても、実力のバロメータとしてはかなり精度の高い指標であることは間違いありません。

 福岡国際マラソン組はともかくとして、10000mから約1か月で、大きく調子を落とした・疲労が抜け切らなかった・再調整が難しかった…というようなことがあるのか?と…。

 大学も実業団も、例年11月末~12月初旬のトラック記録会で調子を上げ、駅伝に合わせてくるという流れが基本的にあり、日本選手権組以外は今年もそれでやってきて結果も出しているわけですが、なぜトップクラスの日本選手権組だけが???

 まあ、それこそが(調整もレース展開もダメージも)日本選手権であり、タイム製造記録会との大きな違いなのかも知れません。

 


 

 

 大阪国際女子マラソンに、男性のペースメーカーが着く!そうですね。(1人は、川内選手!)

 男女混合レースと女性のみのレースとでは少し記録の扱い方が違うのですが、細かいところはクリア出来るようです。

 

 今回はコロナ禍で外国人ペースメーカーを呼べない…ことが要因でしょうが、男性を使うとは良く考え付いたというか、思い切ったものです。

 日本新記録ペースで設定されるのか!?

 

 

 昨今は、一般の大会にも主催者が用意したペースメーカーが着くことは珍しくなくなりました。サブ3とか、サブ3.5/4/5とかとか、ペースをコントロールしてくれるのは非常に有難いことです。

 

 ただ、こういうペースメイクは、実はクレームも多く、労力の割には報われない、大変なお仕事でもあります。

 

 そもそも、ペース配分には~

 

 (1)前半型

  後半は疲労から少しペースダウンすることを織り込み、前半に貯金をしておく。

 

 (2)イーブン型

  終始、ほぼイーブンで押し切る。

 

 (3)後半型

  前半はやや抑えて力を溜め、後半、その余力を振り絞ってペースを上げる。

 

 ~と、ざっくりでも3つの型があるわけです。

 

 で、これはペースメーカーがペースメイクする場合も同じことです。作戦というか戦略というか、どれで行くか―です。

 

 これは、ペースメーカー個々がその時の状況と、自分の経験やスキルをもとに判断します。参加者に対して事前にゆっくり詳しくそれを説明するような暇もないので、すべては号砲が鳴ってから!になるわけですね。

 

 ここで、それじゃあ、後ろに着いて行こう、連れて行ってもらおう!というランナーとのミスマッチが生じることがあります。つまり、(1)~(3)のどれかで、ペースメーカーとランナー個々の思惑が一致しないことが普通に出てきます。大勢着いてくればなおさらですね。

 

 ペースメーカー的には、スタート時の混雑・のろのろを考慮して、あえて(3)としたり、スタートロス分をグロスで取り戻すべく、終始、少し速めに展開することもあります。

 また、(1)の場合、どのくらいの貯金をするのか(30秒?1分?2分?)とい認識の違いもありますね。

 さらには、距離表示に合わせて正確なラップを刻んでいたのに、ランナー側のGPSで示されたペースと一致しないこともあります。(GPSである以上、これはあって当たり前)

  サブスリー!とかいっても、ギリギリ数秒切ることを目指すのか、58分台くらいで余裕を持ってフィニッシュするのかによっても違ってきます。

 

 そんなこんなで、終始イーブンで、ギリギリ目標を達成してくれるのだろうと勝手に思っていると、とんでもない目に遭うこともあるわけですが、それがペースメーカーへのクレームという形で出てくるのは大変というか、残念なことです。

 

 そもそもでは、ペースメーカーのペースコントロールのスキルということもあります。特に大学生なんかの場合、経験不足と、5分/kmとか、そういうゆっくりペースで走ったことがない…みたいなこともあり、序盤からなり途中からなり、大暴走(ペースブレイク…)することも。本人は気持ち良く走っていたが、後ろを振り向くと誰もいなくなっていた…とかいう笑えない笑い話も、、、

 

 そういうことで着いていく側としては、大原則として、あまり過度に信用しない・頼り過ぎない~たまたま相性が良く上手く引いてもらえたらラッキー!くらいに考えて、だいたいの指標としてのみ有効利用していくと良いでしょう。

 

 

 ※※※

 

 たった今、関根花観選手、引退のニュースが!!

 ランニングフォームが合理的&美しい選手で、ミドル・シニアの講習会時に写真をお手本に使わせていただいたこともありました。

 

 まだ若いだけに、セカンドライフも頑張ってもらいたいですね。

 

 

 

 

 

 年が明けた2月28日予定の「びわ湖毎日マラソン「~これが最後の開催となるようです。

 大会名の表記は「琵琶湖」じゃなくて「びわ湖」です、、、

 

 日刊スポーツの記事によると~

 

「近年は好記録が続出する東京マラソンに押され、話題性に貧しく、その価値が問われていた。今後は大阪マラソンが、代表選考レースに格上げされるのが最有力という。」

 

 な、なるほど、、、

 

 世界の主要大会のほとんどがエリートと大衆の混在の大型大会として開催される中、「日本でいちばん出場し難い」フルマラソン大会となっています。(出場資格は男子のみで、フルマラソン2時間30分00秒以内)また、現存する国内最古のフルマラソン大会でもあります。次で、第76回大会になるんですね。

 

 東京マラソンの創設前にも「日本では、エリートと大衆の混在は難しいのではないか」ということが議論されましたが、時代は変わり、真逆の状況となっています。そしてとうとう、、、

 

 「別大」や「名古屋」のように、参加資格を緩和して大型化するという策もあったはずですが、いろいろ事情があったのでしょう。

 

 私の初マラソンは、実はこの「びわ湖」です。学生時代、40回記念大会で参加標準記録が緩和された中、30kmのタイムでどさくさに紛れて出場しました。

 

 また、PBも、ここです。風が出るとか高温になることがあるとかコースがあまりよくないとかいろいろ言われますが、個人的には相性の良い、非常に好きな大会でしたね。会場となる大津の町も大好きでした。

 

 

 88年ソウル五輪男子マラソン選考は、本来、3つある選考レースに対し、面倒なことはせずに、有力選手は皆、福岡国際に集まって1本で決めよう!というなんとなくの雰囲気・密談?でまとまっていたのですが、瀬古利彦選手が故障欠場!!!

 中山竹通選手が、「這ってでも出てこい!」と言ったとか言わなかったとかいうあの時です。

 そして「福岡国際」は、とんでもない爆走で中山選手が優勝~そして瀬古選手はこの「びわ湖」に回り、ほぼ独走で優勝し、代表となりました。

 

 

 

 おそらく今でも誤解されている方も少なくないかと思いますが、ファクトとして~

 

 ★中山竹通選手が、瀬古利彦選手に(福岡国際に)「這ってでも出てこい!」と言った!?

 

 →さすがにそこまでは言っていません。中山さんは「もし自分だったら這ってでも出ますけどね…」的なこと言ったのですが、マスコミに曲解されました。ちなみにお二人の間に遺恨はありません。

 

 ★福岡国際1本で決めるはずだったのに、陸連が後出しで選考方法を変えた!?

 

 →陸連は、もともと選考レースは3本で、結果や内容を見て選考する~としていました。そしてその通りにしたのです。まあ、瀬古さんを選びたかったのはヤマヤマではあったでしょうが。

 「福岡国際、1本で決めよう!」というのは、あくまでも選手側の談合的なものです。他の2本のレースには、有力選手はほぼ出場していません。瀬古さん以外は…。

 

 ★瀬古選手のタイムが福岡国際3位の選手より悪いのに、選ばれるのはおかしい!?

 

 →タイムの良い方から順に選ぶとは決まっていません。まあ、この頃から男女ともに、この選考方法・選考基準というのはずっと問題になっていて、ようやく収拾がついたのが今回の東京五輪代表選考~MGCですからね。

 

 もちろんタイムは条件によって評価も異なってきます。コースや気候、レース展開等々。単純に数字だけ比べられるものではありません。

 

 で、実は私は、このシーズン、「福岡国際」も「びわ湖」も、両方走りました!!

 

 「福岡国際」は、当時としては考えられない…いや、今でもけっこう速い超高速ペース(中間点の通過が1時間01分台!?)で中山選手が終始独走~後方はちりじりにされるという展開。イカンガーが「あんなのはマラソンじゃない!と怒ったとか??

 終盤は、雨…ではなく、雹(ひょう)が降ってきやがって、序盤のオーバーペースでクタクタになったところにコレかよ~と泣きそうになったのを覚えています。(ちなみに私のハーフマラソンのPBは、この時の中間点です…)

 

 「びわ湖」は、高温・強風でした。とにかく走り難い、、、まだ経験の少ない私は、なにがなんだか分からないうちにズルズルと失速していった形でしたね。

 「福岡国際」から3か月ほど経っていましたし、練習もまずまずで、潰れる要素はなかったのですが。タイム的には、福岡より4分ほど悪かったです…。そういう条件だったのです。

 

 そういうことで、個人的には、瀬古選手のタイムが内容的に著しく悪く、代表の選出にふさわしくないとは考えていません。まあ、選考方法自体に問題があったことは間違いありませんが、それが当時の決まりですので。

 

 

 

 そんな「びわ湖」です。