年が明けた2月28日予定の「びわ湖毎日マラソン「~これが最後の開催となるようです。
大会名の表記は「琵琶湖」じゃなくて「びわ湖」です、、、
日刊スポーツの記事によると~
「近年は好記録が続出する東京マラソンに押され、話題性に貧しく、その価値が問われていた。今後は大阪マラソンが、代表選考レースに格上げされるのが最有力という。」
な、なるほど、、、
世界の主要大会のほとんどがエリートと大衆の混在の大型大会として開催される中、「日本でいちばん出場し難い」フルマラソン大会となっています。(出場資格は男子のみで、フルマラソン2時間30分00秒以内)また、現存する国内最古のフルマラソン大会でもあります。次で、第76回大会になるんですね。
東京マラソンの創設前にも「日本では、エリートと大衆の混在は難しいのではないか」ということが議論されましたが、時代は変わり、真逆の状況となっています。そしてとうとう、、、
「別大」や「名古屋」のように、参加資格を緩和して大型化するという策もあったはずですが、いろいろ事情があったのでしょう。
私の初マラソンは、実はこの「びわ湖」です。学生時代、40回記念大会で参加標準記録が緩和された中、30kmのタイムでどさくさに紛れて出場しました。
また、PBも、ここです。風が出るとか高温になることがあるとかコースがあまりよくないとかいろいろ言われますが、個人的には相性の良い、非常に好きな大会でしたね。会場となる大津の町も大好きでした。
88年ソウル五輪男子マラソン選考は、本来、3つある選考レースに対し、面倒なことはせずに、有力選手は皆、福岡国際に集まって1本で決めよう!というなんとなくの雰囲気・密談?でまとまっていたのですが、瀬古利彦選手が故障欠場!!!
中山竹通選手が、「這ってでも出てこい!」と言ったとか言わなかったとかいうあの時です。
そして「福岡国際」は、とんでもない爆走で中山選手が優勝~そして瀬古選手はこの「びわ湖」に回り、ほぼ独走で優勝し、代表となりました。
おそらく今でも誤解されている方も少なくないかと思いますが、ファクトとして~
★中山竹通選手が、瀬古利彦選手に(福岡国際に)「這ってでも出てこい!」と言った!?
→さすがにそこまでは言っていません。中山さんは「もし自分だったら這ってでも出ますけどね…」的なこと言ったのですが、マスコミに曲解されました。ちなみにお二人の間に遺恨はありません。
★福岡国際1本で決めるはずだったのに、陸連が後出しで選考方法を変えた!?
→陸連は、もともと選考レースは3本で、結果や内容を見て選考する~としていました。そしてその通りにしたのです。まあ、瀬古さんを選びたかったのはヤマヤマではあったでしょうが。
「福岡国際、1本で決めよう!」というのは、あくまでも選手側の談合的なものです。他の2本のレースには、有力選手はほぼ出場していません。瀬古さん以外は…。
★瀬古選手のタイムが福岡国際3位の選手より悪いのに、選ばれるのはおかしい!?
→タイムの良い方から順に選ぶとは決まっていません。まあ、この頃から男女ともに、この選考方法・選考基準というのはずっと問題になっていて、ようやく収拾がついたのが今回の東京五輪代表選考~MGCですからね。
もちろんタイムは条件によって評価も異なってきます。コースや気候、レース展開等々。単純に数字だけ比べられるものではありません。
で、実は私は、このシーズン、「福岡国際」も「びわ湖」も、両方走りました!!
「福岡国際」は、当時としては考えられない…いや、今でもけっこう速い超高速ペース(中間点の通過が1時間01分台!?)で中山選手が終始独走~後方はちりじりにされるという展開。イカンガーが「あんなのはマラソンじゃない!と怒ったとか??
終盤は、雨…ではなく、雹(ひょう)が降ってきやがって、序盤のオーバーペースでクタクタになったところにコレかよ~と泣きそうになったのを覚えています。(ちなみに私のハーフマラソンのPBは、この時の中間点です…)
「びわ湖」は、高温・強風でした。とにかく走り難い、、、まだ経験の少ない私は、なにがなんだか分からないうちにズルズルと失速していった形でしたね。
「福岡国際」から3か月ほど経っていましたし、練習もまずまずで、潰れる要素はなかったのですが。タイム的には、福岡より4分ほど悪かったです…。そういう条件だったのです。
そういうことで、個人的には、瀬古選手のタイムが内容的に著しく悪く、代表の選出にふさわしくないとは考えていません。まあ、選考方法自体に問題があったことは間違いありませんが、それが当時の決まりですので。
そんな「びわ湖」です。