THE RUINS OF KOBE. -418ページ目

どんな望みも叶えてやろう、お前が払う代償は…

 たった一つ…





 映画前売券限定のモモの'砂'バージョンGET!!^^v

 これで映画も観に行かないと…

 観に行く気万萬ですが^^;

 嬉しかったので即記事UP!

 してまいました、失礼…

 では、いざ奈良へ!
(了)

有馬線跡、道場近辺。

 かなり冗長になってしまい、まとまりもない多数の記事ばかりで申し訳なかったですが、あと二記事、上げさせて頂きます。



 新道場駅跡?の広場。

 恐らくはホームのみの'棒線=一面一線の駅であったと思われますが…

 空地にも枕木の様な物が幾つかあったりしますが決定的なものは見つける事ができません。



 先画像の撮影地点のすぐ後ろに流れる'八多川'に係っていた橋の橋台跡。川原より仰ぎ見るプチレア?ショット、マムシに注意!!なるも幸い草が刈り取られていたので臆する事なく。

 しかし…



 同地点より反対側を。

 川のカーブの外側ゆえ、河川改修に因り橋台跡が無くなっているのは仕方ない(私が10代の頃位迄はあった??)として、その'続き'が斯様にまた竹林になってしまっている…



 少し離れて東?側より、手前大きな木の後ろの竹林がそう、近寄ってもキモチ堤?があるのみ…

 そして線路跡は神戸電鉄'道場'駅へ寄り添う様に続き、ほんの刹那の'並走'を見せ…

 この区間は掘り下げられており、駅前には'跨線橋'があります。その端には説明が少し為されていますが割愛します。



 画像右奥に神鉄道場駅が。



 同地点より反対側、斯様に建物の間に遺っています。

 撮影地点は国道176号線の旧道、踏切があったものと思われます。

 東に片道2車線の新道がありますがその部分も若干遺ってはいたものの消し去られてしまいました…

 以後は以前紹介した未曾有の難関を経て、ほ場整備に潰えた塩田近辺へ至り…

 武庫川手前に若干区間車道として利用され、武庫川を越える橋梁跡も跡形もなく…

 武庫川を越えてから福知山線に至るまでは未払い下げ地や田んぼが形そのままに分かりやすくなってはいます。

 現在の福知山線は複線化の際、この有馬線分岐点跡~三田駅は平行して走っていた有馬線の跡地が使用された様です。

 貨物扱い跡の面影?? ヤード跡?や機回し線跡?等、現在も少し変わったレールレイアウトがある三田駅ですが汽車活躍当時は給水塔等の設備も存在しやや規模の大きな駅であったと思われるので有馬線の名残かどうかは判然としません。

 有馬線への客車は大阪からの下り列車の最後尾に連結され三田駅で解結のち有馬線用の汽車に牽引され入線していった、との事です、ただ貨物扱いもあった様ですからやはり現在よりも複雑なレールレイアウトだったと推察できます、さらに調査したいところです。

 大変長くなりましたが、現在私が調査して判明している事実をほぼ全部紹介させて頂きました。

 もし現在に敷設許可を申請したとしても、平行する神鉄の路線がある事を差し引いても…

 現在の技術を以てしても御しきれないであろう急勾配、とても認可が下りるとは思えません。

 度重ねて言いますがここに鉄道が走ったとは俄かに信じ難い光景、その謎とロマンを追って今後とも調査し、判明した史実を順次記事に上げていきたい、と思います。

 もう一記事すみません、次回はオマケ!?画像を上げさせて頂きたい、と思います><
(続)

消えた'有馬線'の謎を解く。

 先記事に触れた、区役所出張所?前の広場でゲートボールに勤しんでおられた方に赴いた際に…

消えた'有馬線'の謎を解く。

 先記事に触れた、区役所出張所?前の広場でゲートボールに勤しんでおられた方に赴いた際に…







 以前から道沿い少し奥にあり'何かの記念碑'と全く気にしておらず、この時も'もののついで'と近寄ってみて…

 なるほど…!!と!

 'ほ場整備事業'ほ場=田んぼ、という事になるのでしょうか…先記事で紹介する部分と、消えた塩田の区間、どうやらこれにやられてしまった様です…

 航空写真を確認してもS.49は路線跡が残っており田んぼの形もバラバラ、しかし近年の写真はキッチリ'四角'に…なっています。

 そういえば…と記憶が甦ったのが、この近辺の知人の家族の方が'田んぼが再分配され、陽当たりの悪い所が割り当てられたら困る…'と言っていた、まさにこの事だったのでしょう。

 消えてしまった区間は何度見ても痕跡は略なく、これまた'別の形'で調査を進めないといけません。

 現在も勿論ある塩田八幡宮前(南?)辺りに駅はあったハズですが、駅と有馬川の間には'貨物ヤード'が存在したらしく、"旅客運行終了後に川原で採れた砂利等を積んだ貨車が引き出されていた"との記述があります。

 確かにその様な'空地'は存在していますが、かなり事細にわたり考察しないと…しても収穫は無きに等しいでしょうが、諦めたくはありません。

 あと塩田八幡宮さんの端にあるお寺の和尚さんは汽笛の合図と共に飛び出して、よく駅迄走って乗っておられたらしいです(^ー^)

 後、他の文献で有馬線廃止後も一部残していた線路に客車を入線させ、敗戦濃厚となった大戦末期に有事の際には司令部として機能させる計画もあったとか、もしかすると件の塩田駅のヤードが使用されていたのかもしれません。

 哀しくも、有馬線の'消えた'部分に関してはある程度謎は解けた訳ですが…

 以降、'生きた証言'も視野に入れ積極的に調査していきたいと思います。

 次記事は、前後してしまいますが道場の区間を画像を交え紹介します。
(続)

 続、有馬線の謎の数々。

 先日イオン北神戸S.C.へ赴いたついで!?に色々撮影してきたので、有馬線の続きを述べます。

 前記事の有馬口駅すぐ北、中国道西宮北I.C.に至る県道との'流通センター東'なる交差点部、よく見るとミョーに"段差"があるのです…

 東西に跨ぐ県道の路面の方がやや凹んでおり…

 奇しくも'抜け道'として交通量の多い廃線跡の道路、この交差点はこの段差のせいで車の'はけ'が悪く、慢性的に渋滞が発生しています。

 段差と、路線跡との関連は不明なるも何らかの影響は感じるもので、鋭意調査を進めます。

して…



 更に北へ進めばやがて画像の様に'美しい'鉄道カーブを描き、西へ向いて行きます…

 なのですが…

 道路地図でもある程度わかるのですが、神戸の二郎の区間には再び北を向いており、恐らくかつて存在した山を避ける形で敷設されたのだ、と思われます…

 しかし肝心の部分は西宮北I.C.に掻き消されてしまっており、偲ぶには地図を指でなぞる他はなく[・・;]、ただそうやってみても列車、汽車が通過するのはかなり困難なのでは…!?との疑念は募るばかり、この潰えし区間、汽車列車は相~当ゆっくり、かなりの軋音をたてて通過していたのではないかと…

 しかもこの区間には小川が今もあり、短い乍らも橋梁が存在していた筈です…しかしこれも知る術はありません。

 しかし資料を探る努力はしていきます。



 そして、西宮北I.C.区間を'過ぎ'、再び北へ向き、神戸市北区有野町二郎を貫き…

 画像は金網越しに撮ったんですけどアンマシ、カナリ意味無い…ですね、すみません[・・;]



 画像は西側より。

 斯様に築堤で高度を稼いでおり、以北徐々に高さを下げて道場手前辺りから田んぼの間を通り抜けています。



 先の画像、築堤左端に映るは、これも'有名'な遺構の一つ、築堤下をくぐるが為に設けられた石積の橋台。

 撮影現時点、草に覆われてしまって画像見えなくてすみません、しかし橋梁部は比較的新しい?コンクリになっています、この築堤は中国道西宮北I.C.建設時に利用された、との記述もかつて見た事があります、それが起因なのかもしれません。

 さらに北へ。



 車道より南を向いて。

 築堤上は草が生い茂り、通行は不可です、仮に刈ってみても鉄道関連物が出てくる可能性は極めて低い、と思われ…



 同地点より北側。

 ものの見事に密な竹林に…

 元来、竹林は数年を待たずして斯様な状態になってしまう様ですが、六十年も経てば然るものか…

 しかしこの竹林内も赴いたところで何も収穫はないでしょう…



 車道を東へ行ってみると、端の駐車場前の小溝にかまされている枕木?

 もう少し東へ…



 田んぼの中の駐車場?の入り口にも斯様に枕木が。

 奥にもストック?‥とはいっても2本、あります。

 山を越えて路線跡より約600m程の距離、有馬線のものかどうか、確率は高くも黙して語ってはくれず(-_-)



 再びさらに北へ、先程の竹林を南側より。



 同地点より北を向き、暫くは田んぼの中にクッキリと跡を遺している。

 画像右側に数本立っている鉄の棒は猪除けの柵の跡、との事、以北路線跡には未だ無数に遺っています。



 更に北へ、画像は道場を貫き、これまたきれいに遺る跡。

 しかし…



 同地点より振り向くとそこにはキッチリと区画整理された田んぼに跡形もなく吸収されています。

 …これに関しては次記事にて!
(続)