消えた'有馬線'の謎を解く。 | THE RUINS OF KOBE.

消えた'有馬線'の謎を解く。

 先記事に触れた、区役所出張所?前の広場でゲートボールに勤しんでおられた方に赴いた際に…







 以前から道沿い少し奥にあり'何かの記念碑'と全く気にしておらず、この時も'もののついで'と近寄ってみて…

 なるほど…!!と!

 'ほ場整備事業'ほ場=田んぼ、という事になるのでしょうか…先記事で紹介する部分と、消えた塩田の区間、どうやらこれにやられてしまった様です…

 航空写真を確認してもS.49は路線跡が残っており田んぼの形もバラバラ、しかし近年の写真はキッチリ'四角'に…なっています。

 そういえば…と記憶が甦ったのが、この近辺の知人の家族の方が'田んぼが再分配され、陽当たりの悪い所が割り当てられたら困る…'と言っていた、まさにこの事だったのでしょう。

 消えてしまった区間は何度見ても痕跡は略なく、これまた'別の形'で調査を進めないといけません。

 現在も勿論ある塩田八幡宮前(南?)辺りに駅はあったハズですが、駅と有馬川の間には'貨物ヤード'が存在したらしく、"旅客運行終了後に川原で採れた砂利等を積んだ貨車が引き出されていた"との記述があります。

 確かにその様な'空地'は存在していますが、かなり事細にわたり考察しないと…しても収穫は無きに等しいでしょうが、諦めたくはありません。

 あと塩田八幡宮さんの端にあるお寺の和尚さんは汽笛の合図と共に飛び出して、よく駅迄走って乗っておられたらしいです(^ー^)

 後、他の文献で有馬線廃止後も一部残していた線路に客車を入線させ、敗戦濃厚となった大戦末期に有事の際には司令部として機能させる計画もあったとか、もしかすると件の塩田駅のヤードが使用されていたのかもしれません。

 哀しくも、有馬線の'消えた'部分に関してはある程度謎は解けた訳ですが…

 以降、'生きた証言'も視野に入れ積極的に調査していきたいと思います。

 次記事は、前後してしまいますが道場の区間を画像を交え紹介します。
(続)