昨日、心友からバジルとシソの苗をもらいました。
心友は、前回の記事で書いた魔女友達の一人で(笑)
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昨日、心友からバジルとシソの苗をもらいました。
心友は、前回の記事で書いた魔女友達の一人で(笑)
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今日はいつもとちょっと違った方向からの内容で。
私は過去世で魔女だったことがありまして。
(のっけから不思議方向でしょうか・・・むふ)
童話などに出てくる魔女のイメージは
恐ろしかったり、いじわるの極みみたいな
ほとんど悪役的な感じですが
本来の魔女は、薬草に長けていたり、直観が人よりも鋭かったり
(直観により未来のことが見えたりなど)
生きる上で必要な知恵と経験を人よりも多く持っていて
それを誰かや何かのために活かしながら
自然や動物たちなどと共存していた存在だったと思います。
人間は、自分と違うもの、違う力をもっているもの
大多数じゃないもの、に対して
憧れとともに、忌み嫌う、拒絶する、傾向も
持ち合わせている生き物でもあるので
過去の時代において魔女狩りという歴史があるのでしょう。
自分と違うもの
に対して、忌み嫌うのは
奥底にその人が元々持っている恐れや不安と結びつき
その感情を、自分が理解できない人やものに転嫁して
忌み嫌い、時に攻撃したりするのかもしれません。
だから、本来ならば、相手を忌み嫌うのではなくて
自分の中にある見つめるべき恐れや不安と向き合って、
誰かを攻撃する癖が自分にあること
自分を正当化して誰かを悪とする考え方のパターンがあること
に気づき、修正していく方向にいけばよいのでしょうね。。
うん、なんと平和な方向性(笑)
話を戻します。
魔女の人生を生きていたとき
ハリーポッターのような魔女学校に在籍していたそうで
もちろん、私も魔女狩りのターゲットとなり
壮絶な人生を背負いながら土地を渡り歩いた経験があるようです。
現世において、アロマの仕事をディープにしている友達が数人いるのですが
もしかすると、その時代からの繋がりがあるだろうな
とも思っています。
私は、アロマ(薬草)は、オイルをハンカチとか枕元に垂らして
リフレッシュに使うくらいで、それ以上詳しく深めようという
感情が沸かないので(;''∀'')
きっと魔女だった当時は
薬草学の授業は落ちこぼれだったかも~ (;'∀')
子どものころから、どちらかというと直観型、感覚型で。
理論、理屈、知識、とかを学んだりすることが超の苦手でございまして。
大人になっても基本的にはそうなのですけど。
大人として現世で生きるには
100%直観だけで生きてます!
だと、色々と社会人として不具合を体験し
理論、知識、理屈をある程度身に着けないといかんなぁ・・・
と、つくづく思ったので、後天的に努力しましたさ。
若かった頃は、ほぼ直観。
これやりたい!→やる
後先なんて考えずにやる。
そんな感じでしたね。
最近、人から
(ちょっと上から目線な感じの声音で)
「すんごい理屈の人だよねー」
と言われまして。
(これ、けっこう失礼な言い方だと思うのは私だけかなぁ)
そんなこと、人生で初めて言われたくらいな感じだったので
キョトンと顔になってしまいましたよ。
ちなみに、言った本人は、物凄い理屈と理論と知識な人で(笑)
座学大好きで、知識語るの大好きで
だけど、実践を見ると、あれ???あれれ???
普段、あんな凄いこと言ってるのに???
と思ってしまう感じな人で。
まぁ、よくよく考えると
その人と対するときは、理屈好きな人だからと
あえて、私の中の理屈部分を(直観よりも)少し多めに出していたから
ある意味、そう言われたことは正解なのかもしれない。
私は、こういうモヤモヤしたときに
思い出す名言がありまして。
「西の魔女が死んだ」という本の一説にある主人公の祖母が
主人公に言った言葉。
『魔女は自分の直観を大事にしなければなりません。
でも、その直観に取りつかれてはなりません。
そうなると、それはもう、激しい思い込み、妄想となって
その人自身を支配してしまうのです。』
ざわついた心の深いところを
ゆっくりと宥めてくれる私にとっての魔法の言葉の一つ。
別に頼んでないし
お願いしてもいないのに
あなたって、こういう人だよね
(「こういう」の部分にはネガティブ用語が入る。
声音に、上から目線で「優しさで教えてあげるね」、
みたいなエネルギーが込まれている)
って言う人。
その人の個人的見解で見た
「優しさを装ったカウンセリングみたいな指摘」
それ、本当に必要かなぁ。
それ本当に優しさになるかなぁ。
(そういう人は、たいがい自分が見えてない)
優しさって取り扱いが難しいもの。
使い方をちゃんと心の本質で捉えていないと
優しさは暴力になるからなぁ。
そんなこと言ってくる人からは
逃げていいと思う。
物理的に逃げられないのなら
心だけでも逃がしていいと思う。
(心にその言葉を入れなくていいと思う)
そういう人に限って
「あなたを変えてあげたい」
みたいな、よけいなお世話なんですけどぉ、的なエネルギーも込めてくる。
(そういうニュアンスを混ぜてくる)
人を変える
なんて心理も行為も
おこがましいと思うのだが。。。
最近、周囲でそういう出来事を
立て続けに見聞きしたので
思ったことを書いてみました。
自分が変われば
おのずと状況は変わる
それだけかと。
(経験からそう思う)
本物の優しさを、私は使えているだろうか。
あらためて自分を見つめる出来事を見せてもらった気もします。
もともと、人前でショーを行うパフォーマンスを生業としていました。
生業ですので、お仕事としてご依頼いただき
出演料をいただき、それでご飯を食べていました。
地域のお祭り、ショッピングモール、各種イベント、結婚披露宴の余興
ファミリー向けの舞台、お芝居の舞台(国内、海外)、音楽ライブのポイント出演などなど。
コメディな世界を作ることに面白さを感じてやっていました。
今はもう、人前に立ってパフォーマンスをすることは引退しておりますが
ショーを見たり、お芝居を観たり、ドラマを見たりするのが大好きです。
出る側だったので、見方が普通では無いですが(笑)
お芝居やダンスパフォーマンスなどを見ると
このシーン、この動き、このやりとり、きっと色々案を出し合って
やってはボツにしたり、別案出し合ったり、して
作り上げていったんだろなぁ~ と稽古風景を勝手に想像して
物凄くワクワクしちゃうというマニアな見方です。
たまに、ショーとか、映画とか、ドラマとかの本番の
メイキング映像とかをテレビなどで見る機会があると
もう、たまらんです。
一つのショーを作り上げる、その裏側が見られるなんて。
演者さん一人一人の存在、持っているスキル、経験を
それぞれが出し合って、さらに、チームとしてどのように
積み上げていくのかを作り上げていく様子を見られると
興奮でたまらんのですよ。
(言い方の表現・・・笑)
お芝居でも、ダンスでも、演奏でも、
人前で行うパフォーマンスは
その人自身(の心)がものすごく出るものだと思っています。
その人が
何に面白さを感じていて
何が楽しいと思っていて
何を大切にしているのか
もう、本当にその人自身が全て出ちゃうのですよ
身体表現の世界って。
怖いですねぇ(((((( ゚Д゚))))))
最近見たメイキング映像で
ワクワクしたものがありました。
DA PUMPさんの新曲。
MVもかっこいいですし、メイキング映像もものすごくかっこいい。
私、ダンスまったく踊れない人なのですが
過去にダンサーの友人にヒップホップ習ったら
「壊れたロボットみたいなんだけど」
って爆笑されたくらいなんですけど(;''∀'')
DA PUMPさんのパフォーマンスは見ていると
すごーく、楽しくなってきちゃうのです。
かっこいいシーンでも、ユーモアのあるシーンでも。
踊れないのに踊りたくなっちゃう。
気分だけはダンサー。気分だけは、、、( *´艸`)
(DA PUMPさん、私、USAから見始めたという感じですが。
しかも当時働いていた保育園で子どもたちが
狂喜乱舞して歌い踊るの見て知ったのでした。)
ただカッコいいだけじゃなくて
お一人お一人が本当に表現することが大好きで
そして、メンバーの皆さんと一つものを作り上げていくことも大好きで
めっちゃ楽しいのさ!!!
↑って思っていらっしゃるのではないかと、勝手に想像して
その感じが伝わってきて
見ているとワクワクしちゃうのです。
本物の表現って
見ている人を楽しくさせる力がありますよね、ホント。
これが本当の本物のプロだと思います。
自分がワクワクすることやものに出会うと、いつも
頂いた幸せな気持ちを今度は私が何か別な形で
誰かに循環出来たらいいなぁ~と思います。
パフォーマーとしての経験を経た私が、保育に携わらせてもうらう中で
関わらせてもらっている子どもたちに
何か少しでも、生きることのわくわくや面白さを
子どもたちと一緒に成長の楽しさを作っていける存在でありたいな。
そんなことを思う年度末の今日この頃。
会話の時、伝えたい言葉をちゃんと相手に届けていますか?
言葉・・・声は目には見えないものですが、実は見えます。
あ、変なこと言っているわけではないですょ・・・笑
届いているか、いないかは、相手の反応や、
その後の状況、様子の展開などで分かります。
だから、言葉は見えている。
発するときに、誰に、何を伝えたいのか
そこに意識して、声(言葉)を届けるイメージ
私は実際に言葉(声)を口から相手に
届けるように発することを意識して行動しています。
たとえ、相手が少し離れていたり、
複数に伝える場合でも同じようなイメージをします。
う~ん、私の文章能力では、この感じを伝えるの、限界か。。。
えっと、言葉の糸のようなものを、相手に飛ばす・・・
いやいや、これ想像したら、怖いって(;''∀'')
ふわっと、何とな~く話す、とか、漠然と言う、とかじゃなくて
(↑これやっている人、だいだい無意識的にやっているように感じます)
また、怒り口調だったり、イライラだけで言うのじゃなくて
(これもまた、けっこう無意識行動ですよね、、、気をつけよう)
言霊の大切さに気付かずに、いつも何となく発している場合
相手には伝えたいことの半分も伝わっていません。
だから、状況も事象も変化しません。
(時には状況や事象が悪化しちゃうこともありますね)
時折思うのですけど
よく、管理職の方が部下の人のことを
「〇〇さん(←部下)言ってもちゃんと理解してないこと多いのだよね~」
なんて言っていることありますが
なんで、管理職の人は自分の『伝え方』『言い方』がマズイのかも・・・
という発想にはならんのですかねぇ。
部下の「情報を受け取る力不足」ももちろんあるかもしれませんが
こういう場合、けっこう管理職の方の伝え方が下手くそな マズイ場合が多々ですよね。
もちろん、発するとき、伝えるとき、相手へのリスペクトも必要ですよ。
そうじゃないと、それもまた言葉(声)に混ざって伝わります。
言葉を伝える、届けるって
言葉って
本当に取り扱い、大切なんです。
だからこそ、これからたくさんの事を体験して、吸収して
大人へと成長発達していく子どもたちが耳にする言葉の環境は
豊かであってほしいです。
スーパーや町などで、親が子どもを注意するのに
「何やってんだ、てめぇ」
「いいかんげんにしろよな!」
「バカか!」
などという言葉を、近年、本当によく耳にします。
そもそも言葉のチョイスがアカンのですが、
その声色、表情、態度など
言語、非言語どっちの圧も尋常じゃない。
父親の場合も、母親の場合もどちらも。
この子どもさんは、このような威圧的な言語、非言語を
日々の中でけっこう浴びているのかと思うと
正直、悲しくなります。
ただ、子どもに関わるものとして
また、心理的側面からのコミュニケーションのアプローチも
生業にしてきているものとして
このような親を「なんて親だ」と思うだけというのもまた違う気がしています。
もしかしたら、親御さんもまた、この方法しか知らない成育体験であったり、
親御さん自身の心の部分に余裕が無い状態なのかもしれないですから。
このような状況を町でみるたびに
子どもさんにとっても、親御さんにとっても
どうか、どちらも、圧によって言うことをきかす
圧によって押さえつけられる
という経験以外の方法を体験できる、きっかけがありますように
と願うしか、できない私です。
そして、自分自身も豊かな言葉を届けることができるよう
日々是精進です。