むかしのはなし -6ページ目

胆大小心録 その154

百五十四

紅葉は九月にはまだ早すぎで、
十月に盛りを迎え、散るのは必ず冬である。
時雨に遭い袖で頭を覆って歩くのは、毎年の事である。
紅葉を散ると言わなければ秋の歌にならないとするのは、窮屈な考えだ。

水仙は金盞銀台を観賞するのが最も面白い。
和名が無ければ、何でも字のままに読めばいい。他の者は「読むな」と言う。
花を水という字の形に見立て水仙と呼ぶのだと言うのは面白い。

香草では根が最も香ばしいという。私は臭いと思うのだ。
香臭の違いは、自分が好むままに決めればよい。
牡丹の香りは、これも臭い。
楊貴妃に腋臭があったという事に関し、
名花も傾国もどちらも臭いと言おう。

他にもあるが、暗記であるので忘れてしまった。
思い出したらまた言おう。


紅葉と水仙の話から香りの話になりますが、
要するに、型にはまらずに自由な解釈をするべきという事でしょうか。

金盞銀台というのは金の杯と銀の台座の事で、
水仙の美しい様子を例えた言葉だそうです。

胆大小心録 その153

百五十三

蝉を日ぐらしというのは、
朝から鳴き出て、夕にかけて鳴くものという名前である。
よって古歌には蝉という題は無い。
古今集に蝉の歌は夏にあって、日ぐらしは秋以降だという。
拙い定め方だ。

清少納言の草紙(枕草子)に、
「ほととぎすの声たづねありかばや」と言うと、
「賀茂のおくに何とかや、たなばたのわたる橋の名ある所に」と言ったのは、
日ぐらしであると書いてあった。

 朝まだき日ぐらしの声きこゆなりこや明くれと人のいふらん
 (早朝に日ぐらしの声が聞こえてくる。朝と日暮れが一緒に来たと人が言う)

早朝より鳴くものもある。
また夕暮れ近くに鳴くものもあるのを、無理に分けようとするのだ。
小蝉は四月に、山で鳴き始め、梢も揺らぐほどにかしましい。

蜩を日ぐらしと言うのも、秋にのみ鳴くものとするのも妥当ではない。
跳蝉といっても雌には鳴かないものもある。
これをわからずに歌を詠もうとするのは、気の毒な事だ。


蝉の話です。
蝉の中にヒグラシという種類がいるのは有名ですが、
当時は蝉の事をヒグラシと呼んでいたそうですね。
実際には万葉集の中に蝉を詠んだ歌があるそうですが。

枕草子の引用部分は、
清少納言が「ホトトギスの声を聞きに行こう」と言い、
それに同調した女房たちの中に、
賀茂の奥に何とかという橋があって、そこでよく鳥が鳴いている、と言うのを、
それは蜩(ヒグラシ)だよと、言われるという話が載っているという事です。

跳蝉という言葉はよくわかりませんが、
以前にも出てきた秋成の編集した七十二候の一つであると思われます。

胆大小心録 その152

百五十二

蛙を谷くくというのも、谷水をくくって住むからだという。

三月末から鳴いて、秋を盛りに鳴き声を観賞する為、
万葉集には秋の題として出てくる。
六、七月の間山谷で鳴き、その声は清亮だという。

また味が水鶏と同じだとして、中国では常に食用とする。
石鶏または錦襖子ともいう。


蛙の話です。
ここでいう蛙とはヒキガエルの事だそうです。