胆大小心録 その16
十六
今の世に多い名誉利益を追う輩は、
天下泰平によって生み出されたわずらわしい者である。
様々な芸事の世界でこのような者たちが湧く様に現れる。
これは太平の世が生んだゴミのようなものだ。
第三条にもありましたが、
歌人に限らず芸術家が営利や名声を求める事に嫌悪感を抱く人のようですな。
まあそれはどの時代でも変わらず
現代でも画家やロックミュージシャンが俗っぽくなったのをきっかけに
ファンをやめる人もいるでしょうし、当然の事なんでしょうかね。
ちなみに秋成と同時代の人物に葛飾北斎がいますが、
この人は名誉欲や金銭欲とは無縁の人で、
そういう意味では真の芸術家と言っても過言では無いでしょうね。
今の世に多い名誉利益を追う輩は、
天下泰平によって生み出されたわずらわしい者である。
様々な芸事の世界でこのような者たちが湧く様に現れる。
これは太平の世が生んだゴミのようなものだ。
第三条にもありましたが、
歌人に限らず芸術家が営利や名声を求める事に嫌悪感を抱く人のようですな。
まあそれはどの時代でも変わらず
現代でも画家やロックミュージシャンが俗っぽくなったのをきっかけに
ファンをやめる人もいるでしょうし、当然の事なんでしょうかね。
ちなみに秋成と同時代の人物に葛飾北斎がいますが、
この人は名誉欲や金銭欲とは無縁の人で、
そういう意味では真の芸術家と言っても過言では無いでしょうね。
胆大小心録 その15
十五
楊朱が言う。
「人間の寿命は百年が限界である。百歳まで生きる者は千人に一人もいない。
たとえいたとしても、幼年期と老年期がその人生の半分を占めてしまう。
夜は眠り、起きていても惚けている時間がある為、さらにその半分を失う。
※(そして残りの時間の半分は痛疾哀苦、亡失憂懼に費やされる)
そう考えてみると残りは十数年しかなく、全く憂いの無い状態というのは、
一時(一年の内の一季)にも満たない」
荘子が言う。
「我らの命には限りがあるが、知性や思慮には限りが無い。
限りのある生命でもって限りの無い思慮を追い求めるのは
生命を損なわせる原因である」
今回は苦労しました。
楊朱、荘子はともに中国戦国時代の思想家で、いわゆる諸子百家の時代の人物です。
ほぼ全文が「列子」と「荘子」からの引用という体裁でした。
古文の訳すらままならないのに、漢文まで訳する余裕はとても無いのです。
というわけでズルをしました。
幸いどちらも有名な一説らしくて、簡単に訳が見つかりました。
それを参考に、というかほぼ丸写しをして、今回はお茶を濁す事とさせて頂きます。
ちなみに※の部分は引用元の「列子」にのみある記述で、
秋成が省略したのか、写し忘れたのかはわかりませんが、この文には出てきません。
ただこの部分が無いと意味が通じないので追加しておきました。
痛疾哀苦、亡失憂懼の部分は漢字を見てそれなりに意味がわかると思われます。
以下余談。
普段からこのブログ用にまとめて訳してストックしてあるのですが、
少し先に二連続で長文という難所がありましてかなり苦労しております。
長すぎて文意を理解するのに手間取り、
ここ数日その難所で足踏みをしている状態です。
というわけで、今まで毎日欠かさず更新してこれましたが、
開始早々それが途絶えるかも知れません。
まあ妥協して進める可能性もあるので、
もし順調に更新できているようでしたら、
「こいつ手抜きしたな」とでも思って下さい。
楊朱が言う。
「人間の寿命は百年が限界である。百歳まで生きる者は千人に一人もいない。
たとえいたとしても、幼年期と老年期がその人生の半分を占めてしまう。
夜は眠り、起きていても惚けている時間がある為、さらにその半分を失う。
※(そして残りの時間の半分は痛疾哀苦、亡失憂懼に費やされる)
そう考えてみると残りは十数年しかなく、全く憂いの無い状態というのは、
一時(一年の内の一季)にも満たない」
荘子が言う。
「我らの命には限りがあるが、知性や思慮には限りが無い。
限りのある生命でもって限りの無い思慮を追い求めるのは
生命を損なわせる原因である」
今回は苦労しました。
楊朱、荘子はともに中国戦国時代の思想家で、いわゆる諸子百家の時代の人物です。
ほぼ全文が「列子」と「荘子」からの引用という体裁でした。
古文の訳すらままならないのに、漢文まで訳する余裕はとても無いのです。
というわけでズルをしました。
幸いどちらも有名な一説らしくて、簡単に訳が見つかりました。
それを参考に、というかほぼ丸写しをして、今回はお茶を濁す事とさせて頂きます。
ちなみに※の部分は引用元の「列子」にのみある記述で、
秋成が省略したのか、写し忘れたのかはわかりませんが、この文には出てきません。
ただこの部分が無いと意味が通じないので追加しておきました。
痛疾哀苦、亡失憂懼の部分は漢字を見てそれなりに意味がわかると思われます。
以下余談。
普段からこのブログ用にまとめて訳してストックしてあるのですが、
少し先に二連続で長文という難所がありましてかなり苦労しております。
長すぎて文意を理解するのに手間取り、
ここ数日その難所で足踏みをしている状態です。
というわけで、今まで毎日欠かさず更新してこれましたが、
開始早々それが途絶えるかも知れません。
まあ妥協して進める可能性もあるので、
もし順調に更新できているようでしたら、
「こいつ手抜きしたな」とでも思って下さい。
胆大小心録 その14
十四
伊勢の村田道哲という者が、医者を志して大阪で寓居している。
ある年天行病に罹って非常に苦しんだ。
自分の医者仲間たちが集まったが治すことはできなかった。
道哲の故郷から兄と名乗る人が来て、仲間たちに礼を言った後に、
「今はお帰り下さい」
と言ったので、皆帰って行った。
兄が道哲に言った。
「お前は京阪に永く居て医術を学ぼうとしていたが、
医術を超越した術を学んではいない。
医者の方々は助からないと申されている。ならば命を兄に預けなさい」
と言って、寝台の上で裸にし、扇で静かにあおぎ、
時々薄粥と熊の胆とを口に注ぎ入れて、
一、二日様子を見続けると熱が少し下がり食事ができる様になった。
やがて全快すると故郷に連れて帰って行った。
これは兄が住む相可という里にいる鶴田某という医師が、
薄衣薄食を常に心がけよ、と教えた為、里に住む人は病をしないということだ。
彼はまさに医聖である。
その教えに
「よきほどと思ふは過ぎたる也」
(程よいと思う事は、すでに過剰になっているという意味)
その通りだと思う。
が、翁(秋成)がこっそりと言う。
「薄衣は夏にはどんな場合でもするべきではない」
と。
夏はかえって午後九時ぐらいからは一枚だけは身につけて寝る方がいい。
天行病とは季節によって流行る病との事。
今で言うと例えばインフルエンザのようなものでしょうかね。
相可は三重県多気郡多気町にあり、とても歴史のあるところです。
ちなみに「雨月物語」にも相可の出身者が出てきます。
鶴田という医者の言う薄衣薄食とは、
厚着を避けて少食を心掛けるという意味で、
これは現代にも通用する理屈ですな。
「よきほどと思ふは過ぎたる也」はここでは衣食に関しての忠告でしょうが、
万事においても同じ事が言えそうです。
医聖とまで褒めておきながら、最後にこっそりといちゃもんをつけるあたりが
偏屈な秋成らしくていいですな。
同業者としてのプライドもあるのかも知れませんが。
伊勢の村田道哲という者が、医者を志して大阪で寓居している。
ある年天行病に罹って非常に苦しんだ。
自分の医者仲間たちが集まったが治すことはできなかった。
道哲の故郷から兄と名乗る人が来て、仲間たちに礼を言った後に、
「今はお帰り下さい」
と言ったので、皆帰って行った。
兄が道哲に言った。
「お前は京阪に永く居て医術を学ぼうとしていたが、
医術を超越した術を学んではいない。
医者の方々は助からないと申されている。ならば命を兄に預けなさい」
と言って、寝台の上で裸にし、扇で静かにあおぎ、
時々薄粥と熊の胆とを口に注ぎ入れて、
一、二日様子を見続けると熱が少し下がり食事ができる様になった。
やがて全快すると故郷に連れて帰って行った。
これは兄が住む相可という里にいる鶴田某という医師が、
薄衣薄食を常に心がけよ、と教えた為、里に住む人は病をしないということだ。
彼はまさに医聖である。
その教えに
「よきほどと思ふは過ぎたる也」
(程よいと思う事は、すでに過剰になっているという意味)
その通りだと思う。
が、翁(秋成)がこっそりと言う。
「薄衣は夏にはどんな場合でもするべきではない」
と。
夏はかえって午後九時ぐらいからは一枚だけは身につけて寝る方がいい。
天行病とは季節によって流行る病との事。
今で言うと例えばインフルエンザのようなものでしょうかね。
相可は三重県多気郡多気町にあり、とても歴史のあるところです。
ちなみに「雨月物語」にも相可の出身者が出てきます。
鶴田という医者の言う薄衣薄食とは、
厚着を避けて少食を心掛けるという意味で、
これは現代にも通用する理屈ですな。
「よきほどと思ふは過ぎたる也」はここでは衣食に関しての忠告でしょうが、
万事においても同じ事が言えそうです。
医聖とまで褒めておきながら、最後にこっそりといちゃもんをつけるあたりが
偏屈な秋成らしくていいですな。
同業者としてのプライドもあるのかも知れませんが。