胆大小心録 その15
十五
楊朱が言う。
「人間の寿命は百年が限界である。百歳まで生きる者は千人に一人もいない。
たとえいたとしても、幼年期と老年期がその人生の半分を占めてしまう。
夜は眠り、起きていても惚けている時間がある為、さらにその半分を失う。
※(そして残りの時間の半分は痛疾哀苦、亡失憂懼に費やされる)
そう考えてみると残りは十数年しかなく、全く憂いの無い状態というのは、
一時(一年の内の一季)にも満たない」
荘子が言う。
「我らの命には限りがあるが、知性や思慮には限りが無い。
限りのある生命でもって限りの無い思慮を追い求めるのは
生命を損なわせる原因である」
今回は苦労しました。
楊朱、荘子はともに中国戦国時代の思想家で、いわゆる諸子百家の時代の人物です。
ほぼ全文が「列子」と「荘子」からの引用という体裁でした。
古文の訳すらままならないのに、漢文まで訳する余裕はとても無いのです。
というわけでズルをしました。
幸いどちらも有名な一説らしくて、簡単に訳が見つかりました。
それを参考に、というかほぼ丸写しをして、今回はお茶を濁す事とさせて頂きます。
ちなみに※の部分は引用元の「列子」にのみある記述で、
秋成が省略したのか、写し忘れたのかはわかりませんが、この文には出てきません。
ただこの部分が無いと意味が通じないので追加しておきました。
痛疾哀苦、亡失憂懼の部分は漢字を見てそれなりに意味がわかると思われます。
以下余談。
普段からこのブログ用にまとめて訳してストックしてあるのですが、
少し先に二連続で長文という難所がありましてかなり苦労しております。
長すぎて文意を理解するのに手間取り、
ここ数日その難所で足踏みをしている状態です。
というわけで、今まで毎日欠かさず更新してこれましたが、
開始早々それが途絶えるかも知れません。
まあ妥協して進める可能性もあるので、
もし順調に更新できているようでしたら、
「こいつ手抜きしたな」とでも思って下さい。
楊朱が言う。
「人間の寿命は百年が限界である。百歳まで生きる者は千人に一人もいない。
たとえいたとしても、幼年期と老年期がその人生の半分を占めてしまう。
夜は眠り、起きていても惚けている時間がある為、さらにその半分を失う。
※(そして残りの時間の半分は痛疾哀苦、亡失憂懼に費やされる)
そう考えてみると残りは十数年しかなく、全く憂いの無い状態というのは、
一時(一年の内の一季)にも満たない」
荘子が言う。
「我らの命には限りがあるが、知性や思慮には限りが無い。
限りのある生命でもって限りの無い思慮を追い求めるのは
生命を損なわせる原因である」
今回は苦労しました。
楊朱、荘子はともに中国戦国時代の思想家で、いわゆる諸子百家の時代の人物です。
ほぼ全文が「列子」と「荘子」からの引用という体裁でした。
古文の訳すらままならないのに、漢文まで訳する余裕はとても無いのです。
というわけでズルをしました。
幸いどちらも有名な一説らしくて、簡単に訳が見つかりました。
それを参考に、というかほぼ丸写しをして、今回はお茶を濁す事とさせて頂きます。
ちなみに※の部分は引用元の「列子」にのみある記述で、
秋成が省略したのか、写し忘れたのかはわかりませんが、この文には出てきません。
ただこの部分が無いと意味が通じないので追加しておきました。
痛疾哀苦、亡失憂懼の部分は漢字を見てそれなりに意味がわかると思われます。
以下余談。
普段からこのブログ用にまとめて訳してストックしてあるのですが、
少し先に二連続で長文という難所がありましてかなり苦労しております。
長すぎて文意を理解するのに手間取り、
ここ数日その難所で足踏みをしている状態です。
というわけで、今まで毎日欠かさず更新してこれましたが、
開始早々それが途絶えるかも知れません。
まあ妥協して進める可能性もあるので、
もし順調に更新できているようでしたら、
「こいつ手抜きしたな」とでも思って下さい。