胆大小心録 その19
十九
金が敵とは、なんとも緊張を要する言葉だが、
ただただ大事にしていれば、金は味方になるだろう。
金銭は仇敵のように苦しみを与えるという諺があるそうです。
日頃から使っている金を敵視するとは、さぞや毎日気を張っているのだろうな。
という意味らしいです。
最近、「胆大小心録」で検索すると
このブログもまあまあのポジションに出てくるようになりました。
大傑作の岡本かの子著「上田秋成の晩年」と同じ並びにいるのが心苦しいのですが、
皆さんのおかげと日々感謝しております。
今回は短かったので楽でしたが、
次の二条がやたら長文で苦戦しております。
いつも以上にグダグダな訳となりますので期待しないで下さい。
なんなら見なくてもいいかも・・・。
金が敵とは、なんとも緊張を要する言葉だが、
ただただ大事にしていれば、金は味方になるだろう。
金銭は仇敵のように苦しみを与えるという諺があるそうです。
日頃から使っている金を敵視するとは、さぞや毎日気を張っているのだろうな。
という意味らしいです。
最近、「胆大小心録」で検索すると
このブログもまあまあのポジションに出てくるようになりました。
大傑作の岡本かの子著「上田秋成の晩年」と同じ並びにいるのが心苦しいのですが、
皆さんのおかげと日々感謝しております。
今回は短かったので楽でしたが、
次の二条がやたら長文で苦戦しております。
いつも以上にグダグダな訳となりますので期待しないで下さい。
なんなら見なくてもいいかも・・・。
胆大小心録 その18
十八
観音の念彼の巻を読んでみれば、
どんな事をしても助かるというような教えは、
キリシタンの天師のようなご利益だという事がわかる。
念彼の巻というのは、法華経の一部分だそうです。
正確には「念彼観音力 刀尋段々壊」というらしく、
観音様の力を念ずれば、(自分を襲う)刀が粉々に砕け散る。
つまり身が守られるという意味だそうです。
要するに、観音様を信仰しておけば、苦難を逃れるという理屈が、
キリスト教の教えに似ているという話です。
言うまでも無い事ですが、当時の日本ではキリスト教は邪教扱いでしたので、
観音経をも批判したという事でしょうね。
観音の念彼の巻を読んでみれば、
どんな事をしても助かるというような教えは、
キリシタンの天師のようなご利益だという事がわかる。
念彼の巻というのは、法華経の一部分だそうです。
正確には「念彼観音力 刀尋段々壊」というらしく、
観音様の力を念ずれば、(自分を襲う)刀が粉々に砕け散る。
つまり身が守られるという意味だそうです。
要するに、観音様を信仰しておけば、苦難を逃れるという理屈が、
キリスト教の教えに似ているという話です。
言うまでも無い事ですが、当時の日本ではキリスト教は邪教扱いでしたので、
観音経をも批判したという事でしょうね。
胆大小心録 その17
十七
聖人や仏と言えども、世間に厚遇された者も冷遇された者もいる。
孔子は
「筏に乗って海に浮かぶようなものだ」と呟いたそうだ。
もしわが国に来たとしても、
仏教に売り込みの余地を奪われて、満足する事はないだろう。
七如来というものがあり、
宝勝・多宝・妙色身・広博身・離怖畏・甘露王・阿弥陀の事である。
しかし阿弥陀如来以外の六如来は全く流行っていない。
多宝如来は小店での商売 をして生活ができているものの、
他の五如来は名前を聞く事もまれである。
厚遇不遇、幸不幸の差は人間より激しいようだ。
以前も聖人という言葉が出てきましたが、
この時代で言う聖人というのは、あらゆる宗教にいる一般的な聖人ではなく、
特に儒教における聖人を指す言葉だそうです。
七如来という言葉を初めて聞きましたが、
たしかに阿弥陀如来の知名度は群を抜いていますね。
いちいち商売に例えているのは、
わかりやすくするというよりも、皮肉を込めているような気がします。
ちなみに多宝如来の小店とは多宝塔を指しているらしいです。
お寺の敷地内によく建っているあれですね。
本当はよくわかってません。
聖人や仏と言えども、世間に厚遇された者も冷遇された者もいる。
孔子は
「筏に乗って海に浮かぶようなものだ」と呟いたそうだ。
もしわが国に来たとしても、
仏教に売り込みの余地を奪われて、満足する事はないだろう。
七如来というものがあり、
宝勝・多宝・妙色身・広博身・離怖畏・甘露王・阿弥陀の事である。
しかし阿弥陀如来以外の六如来は全く流行っていない。
多宝如来は小店での商売 をして生活ができているものの、
他の五如来は名前を聞く事もまれである。
厚遇不遇、幸不幸の差は人間より激しいようだ。
以前も聖人という言葉が出てきましたが、
この時代で言う聖人というのは、あらゆる宗教にいる一般的な聖人ではなく、
特に儒教における聖人を指す言葉だそうです。
七如来という言葉を初めて聞きましたが、
たしかに阿弥陀如来の知名度は群を抜いていますね。
いちいち商売に例えているのは、
わかりやすくするというよりも、皮肉を込めているような気がします。
ちなみに多宝如来の小店とは多宝塔を指しているらしいです。
お寺の敷地内によく建っているあれですね。
本当はよくわかってません。