むかしのはなし -23ページ目

胆大小心録 その103

百三

儒教でいう天とは様々な意味を持っている。
黄檗宗の普茶料理に使う油と似ている。

自分が、
「天道人を殺さずとは言うが、生殺しにはするのだと思う」
と言ったのを、
建仁寺の両足院の俊長老が、老衰の身ながらもなかなか死ねず、
「まさに余斎(秋成)の言う通りだ」
と仰ったそうだ。


第100条にあったように天と一言に言っても、
使い方によってその都度意味合いが変わってくるようです。

黄檗宗は江戸時代に伝来した仏教の宗派で、
同時に伝わった精進料理が普茶料理というそうです。

胆大小心録 その102

百二

六月の大祓の祝詞にある、(国つ罪にある)白人や胡久美とは、
今も僻地の民の間で、子が大勢生まれてしまったので、
生まれた子の顔に紙布を貼って白くし、
「白く生まれてしまった」と言って、弔うのだという。
胡久美は子を絞め殺す。
今の時代でもまだこんな風習があるのだ。


大祓とは六月と十二月の末日に行われる神道の行事の事で、
罪や穢れ、災害などを祓うといわれています。

神道では罪は天つ罪と国つ罪に分けられ、
主に農耕に関する罪を天つ罪、
その他の罪を国つ罪としています。

国つ罪は、傷害や性犯罪など現代にも通じる罪だけでなく、
天災や病気なども含みます。
これは人の罪が原因で天災を引き起こしたり、
病気も祓う対象であるという考えから来ているようですが、
差別的な解釈でもある為、
現在では内容が変更されたり隠されたりしているそうです。

前置きが長くなりましたが、
白人や胡久美というのが、その病気に当たるものです。

白人は肌が白くなる事、胡久美は背中に瘤ができる事で、
現在ではもちろん罪ではありません。

当時でも都会ではそれは変わらないようで、
田舎の方では、間引きの対象になったり、
また間引く為に、それらの病気を装う事もあったそうです。

胆大小心録 その101

百一

日(天照大神)も月(月読命)も、
目・鼻・口があって、人の体と同じようなものと
古伝に解説されている。
ゾンガラスという千里鏡(望遠鏡)で見ると、
日は炎のように燃え、月は水が沸くような姿であり、
人体のような姿はしていない。

田舎者のふところ親父(本居宣長)の説も、
田舎者が聞けば信じるだろう。
(しかし知識の開けた)京の者には通用しないだろう。

(宣長は)大和魂という言葉をやたらと使う。
どこの国でもその国の魂が国の欠点だ。
自分の肖像画の上にこう書いた。
 敷島のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花
 (日本人の心は朝日に照らされ輝く桜のようだ)
とはどういうことだ。
肖像の上にそんな事を書くとは、尊大の親玉だ。
そこで、
「しき島のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花」
 (やまと心だの何だのといい加減な事をほざく桜のようだ)
と、答えた。
「喧嘩早い事よ」と言って笑っていた。

馭戒慨言という物、勝手気ままに書いた末尾に、 
総見院右大臣どの(織田信長)、豊国の大神(豊臣秀吉)ともに尾張の国より出でて、
天下の騒乱を鎮めた。
これは熱田新宮に納められている草薙の剣の御徳だという。
三河の国には、何かその草薙の剣のような宝があって、
今や二百年の治世に入っているのだという。
俗っぽい坊主の説教のようで説得力に欠ける。


前回に引き続き本居宣長の話です。

肖像に添えたという歌ですが、
正確には
 敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
だそうです。

「馭戒慨言」は宣長が書いた日本外交史で、
ギョジュウガイゲンまたはカラオサメノウレタミゴトと読むそうです。

宣長との論争に関してですが、
馴染み深い分心情的に秋成が正しいと思ってしまいますが、
実際のところどうなんでしょうね。

機会があれば宣長の本も読んでみたいです。