胆大小心録 その118
百十八
門徒宗のこの勢いは、中国にも日本にもどこの国にも例の無い事であろう。
一向一心に、本山の為に命や身を捨てるという事だ。
それでももし一揆を起こし、地頭が鉄砲や弓で対抗すると、降参してしまうのだ。
(本願寺派の)顕如上人が鷺の森に本拠を設けたのは、
これ幸いと(織田)信長に恨みのある浪人が集まって、働いたのが理由だ。
それでも明智(光秀)が信長を攻めていなければ、
宗旨は鷺の森で終わっていただろう。
前回に続いて一向宗の話です。
本願寺派は一向宗の最大派閥で、戦国時代には信長と敵対した事で有名です。
顕如は信者による一揆、いわゆる一向一揆を操って、信長を悩ませましたが、
結局は不利な条件で和解し、大阪の石山本願寺から、
和歌山の鷺の森に移転させられたそうです。
江戸時代中期に栄えるまでは永らく肩身の狭い思いをするそうですが、
本能寺の変が無ければ、信長の手で滅ぼされていたという秋成の見解です。
門徒宗のこの勢いは、中国にも日本にもどこの国にも例の無い事であろう。
一向一心に、本山の為に命や身を捨てるという事だ。
それでももし一揆を起こし、地頭が鉄砲や弓で対抗すると、降参してしまうのだ。
(本願寺派の)顕如上人が鷺の森に本拠を設けたのは、
これ幸いと(織田)信長に恨みのある浪人が集まって、働いたのが理由だ。
それでも明智(光秀)が信長を攻めていなければ、
宗旨は鷺の森で終わっていただろう。
前回に続いて一向宗の話です。
本願寺派は一向宗の最大派閥で、戦国時代には信長と敵対した事で有名です。
顕如は信者による一揆、いわゆる一向一揆を操って、信長を悩ませましたが、
結局は不利な条件で和解し、大阪の石山本願寺から、
和歌山の鷺の森に移転させられたそうです。
江戸時代中期に栄えるまでは永らく肩身の狭い思いをするそうですが、
本能寺の変が無ければ、信長の手で滅ぼされていたという秋成の見解です。
胆大小心録 その117
百十七
門徒宗とは身勝手な名前だ。
一向宗とも言うが、これも一向一心(専修専心)の略で、良くは聞こえぬ。
浄土真宗という名前の真の字で(浄土宗と)揉めるのも当然の事だ。
肉食妻帯宗と呼びたいものだ。
(黄檗宗の)隠元が二十八日の精進日を笑ったのはもっともだ。
「それでも隠れて食う他の宗派よりはましだ」
と言う人もいる。
第71条にも少し出てきた浄土真宗の話です。
元々は浄土宗を興した法然に師事した親鸞が、
法然の教えをまとめた書「浄土真宗」が名前の由来となっています。
親鸞の死後に弟子たちが独立した際にその名前を宗派名に用いた事から、
似たような名前が付いた宗派が生まれる事になったそうです。
浄土宗の教えを継承した親鸞とは違い、弟子たちは独自の解釈で教えを広めた為、
浄土宗からの反発を招き、
浄土真宗という名を禁じられ、一向宗と名を変えざるを得なくなったそうです。
門徒というのは一向宗に限らず信者を指す言葉である為、
それを宗派名として名乗るのがおこがましいと言っているのでしょうね。
また一向宗は当時としては異例な、肉食と妻帯を許している宗派でした。
二十八日の精進日というのは親鸞の命日に肉食を絶つ事を言い、
普段肉食をしている一向宗徒が、
それを許した親鸞の命日に肉食を避ける事を滑稽だと言ったのでしょうか。
何度も文中に出てきているように、
実際には他の宗派も生臭坊主だらけだった事もあり、
こっそり規律を破る輩よりも、
大っぴらに肉食妻帯を許す一向宗の方がましだという考えには納得です。
門徒宗とは身勝手な名前だ。
一向宗とも言うが、これも一向一心(専修専心)の略で、良くは聞こえぬ。
浄土真宗という名前の真の字で(浄土宗と)揉めるのも当然の事だ。
肉食妻帯宗と呼びたいものだ。
(黄檗宗の)隠元が二十八日の精進日を笑ったのはもっともだ。
「それでも隠れて食う他の宗派よりはましだ」
と言う人もいる。
第71条にも少し出てきた浄土真宗の話です。
元々は浄土宗を興した法然に師事した親鸞が、
法然の教えをまとめた書「浄土真宗」が名前の由来となっています。
親鸞の死後に弟子たちが独立した際にその名前を宗派名に用いた事から、
似たような名前が付いた宗派が生まれる事になったそうです。
浄土宗の教えを継承した親鸞とは違い、弟子たちは独自の解釈で教えを広めた為、
浄土宗からの反発を招き、
浄土真宗という名を禁じられ、一向宗と名を変えざるを得なくなったそうです。
門徒というのは一向宗に限らず信者を指す言葉である為、
それを宗派名として名乗るのがおこがましいと言っているのでしょうね。
また一向宗は当時としては異例な、肉食と妻帯を許している宗派でした。
二十八日の精進日というのは親鸞の命日に肉食を絶つ事を言い、
普段肉食をしている一向宗徒が、
それを許した親鸞の命日に肉食を避ける事を滑稽だと言ったのでしょうか。
何度も文中に出てきているように、
実際には他の宗派も生臭坊主だらけだった事もあり、
こっそり規律を破る輩よりも、
大っぴらに肉食妻帯を許す一向宗の方がましだという考えには納得です。
胆大小心録 その116
百十六
書の世界において、嵯峨天皇・空海・橘逸勢、
または道風・(藤原)佐理・行成と、
やたらと三筆と呼ばれるのは何故だろう。
近衛(信尹)様・瀧本坊(松花堂昭乗)・(本阿弥)光悦までは見分けが付いたが、
今では三人の選り出しができぬ時代だ。
書道において特に優れた三人を三筆と称する習慣が昔からあり、
平安時代初期の嵯峨天皇・空海・橘逸勢を手始めに、
各時代ごとに三筆が設定されたそうです。
小野道風・藤原佐理・藤原行成の三人は三賢とも三蹟とも呼ばれ、
特に優れた三人だそうです。
近衛信尹・松花堂昭乗・本阿弥光悦の三人は安土桃山時代から江戸時代初期の人物で、
寛永の三筆と呼ばれています。
秋成は、
それ以降は大した書家が出ずに、選びようが無いと言っているのでしょう。
書の世界において、嵯峨天皇・空海・橘逸勢、
または道風・(藤原)佐理・行成と、
やたらと三筆と呼ばれるのは何故だろう。
近衛(信尹)様・瀧本坊(松花堂昭乗)・(本阿弥)光悦までは見分けが付いたが、
今では三人の選り出しができぬ時代だ。
書道において特に優れた三人を三筆と称する習慣が昔からあり、
平安時代初期の嵯峨天皇・空海・橘逸勢を手始めに、
各時代ごとに三筆が設定されたそうです。
小野道風・藤原佐理・藤原行成の三人は三賢とも三蹟とも呼ばれ、
特に優れた三人だそうです。
近衛信尹・松花堂昭乗・本阿弥光悦の三人は安土桃山時代から江戸時代初期の人物で、
寛永の三筆と呼ばれています。
秋成は、
それ以降は大した書家が出ずに、選びようが無いと言っているのでしょう。