在宅勤務をしながら、スポティファイで音楽をいろいろ試し聴きしている。

サラ・オレイン、ヘンリー・マンシーニ、バッハ、ワーグナー、ヴァンゲリス、エンヤ…。

そして、きょうは冨田勲。

 

中学の音楽教師が冨田氏の「展覧会の絵」を聴かせてくれたことを思い出す。

40年以上も前だから、あれは発売から間もないころだったんだな。

教師はシンセサイザーという言葉を教えてくれたのか。

あるいは単に「コンピューターで作った音楽」と説明したのだったか。

そのへんは忘れた。

ただ、「コンピューターでこんな音楽が作れるんだ」という驚きは中1の心に確かに刻まれた。

 

往年の作品を改めて聴くと、いかにも電子音、という感じがして、若干ほほえましくもある。

音の厚みも、正直物足りない。

(なんて、えらそうなことを言うほど音楽に詳しくないけど)

それでも、過去からの響きは、今の音楽以上に鮮やかに、ぴかぴかの未来を表象している。

社内の打ち合わせが終わって自席に戻ったのは2時40分ごろだったろうか。ふと思い立ってPerfumeオフィシャルサイトを見ると、驚きの告知が。

 

「ご来場予定の皆様へ開催中止に関するお知らせ」

 

えーーっ、きょうも早めに退社する段取りをつけたのに。きょうの入場ゲートはきのうと同じだから、連日でアリーナ席の可能性が高そうなのに。それにしても、告知掲示後たぶん10分足らずのタイミングでオフィシャルサイトを見る気になったのは「虫の知らせ」か。

 

実は、昼前に東京ドームホテルの部屋を予約したばかりであった。東京ドームから家までは1時間足らずで帰れる。ただ、前日ちょっと疲れたので、この日はホテルに泊まって翌朝そのまま出社するつもりだった。

 

取り急ぎホテルに電話し、予約をキャンセルする。ホテルも事情は承知しており、キャンセル料は不要とのこと。

 

※  ※  ※

 

ファンのツイートを眺めると、「一番悲しんでいるのはメンバーのはず」などといった優しいコメントが目立つ。会場では中止決定の直前まで開催準備をしていたらしい。中止決定後に3人が肩を寄せてドーム内のどこかの窓から周囲のファンの様子を見下ろしている姿を勝手に想像する。

 

「アミューズの損害を穴埋めするために、皆でグッズを買おう」という呼び掛けも多い。「民度」という言葉は嫌いだが、この“界隈”のモラルの高さを“住民”の1人として誇りに思う。

 

グッズは大阪2日目にLIVE DATA BOOKとカレンダーを買った。Tシャツはデザインが好みでないので見送った。

 

モノが増えるのはなるべく避けたいが、「せめてジャケットコレクションを追加購入するか」と思ってアスマートを見たら在庫確認中になっていた。ひょっとして、みんな買っているのか。

 

それじゃあ、と考え直し、cube candyをひとつ注文した。

 

もう届いた(2/29)

3人を身近に見た観客は漏れなくニヤけてしまうことを久々に確認した1日だった。

 

※   ※   ※

 

この日の席はアリーナ後方中央。頭上を仰ぐと、ドームの丸天井の中心に付いている突起物の真下付近だ。ステージまでだいぶ距離があるが、ほぼ正面(やや下手寄り)。そして、またもや通路沿い。本ツアーでの通路沿い的中率は我ながら驚異的だな。

 

我々のブロックの前方には、観客は通行禁止の広い通路がある。P.T.A.のコーナーで、まずは右前方にボックスカーに乗ったあ~ちゃん降臨。皆であーっとやって、いーっとやって、はーっとやる。続いて「できるかな」の歌のとき、左前方にゆかちゃん到着。「できるかなぁー」を可愛くキメて喝采を浴びる。

 

P.T.A.のコーナーの最後でボックスカー3台が中央に集まり、3人が乗り換えて再び3方に分かれる。今度は我々の左前方にあ~ちゃん。右前方にのっちだ。Party Makerの曲中は、比較的近めのあ~ちゃんの方を向くことにする。曲の途中からボックスカーがステージへとどんどん遠ざかる。あー、今回のツアー最高のひとときが終わってしまった。

 

※   ※   ※

 

Perfumeのライブは会場のどこから見てもそれぞれの楽しみ方ができる…。というのは一面の真理であるものの、やっぱりすぐ近くで見ると観客の気持ちが10倍くらい高まるのも事実だ。「多幸感」とか「幸せの粒子」などと言葉にするといかにも俗に響くが、あの気分を味わいたいからこそライブ会場に足を運び続けている気がする。

この日の席は連日のスタンドだが、本ツアー初の3塁側。そして、なんと、連日の1列目。そして、な、なんと、連日の通路沿い。

ただし、1列目といっても、前方にはさらにフィールドシートという、座り心地のよさそうな椅子を備えた席が3列あった。まあ、足元のスペースはこちらのほうが広そうだけど。

 

そこで、この日もせいぜい飛び跳ねようとひそかに決意したのだが、開演すると周囲のお客さんが前日よりもおとなしめで、ちょっと動きづらい。

 

とはいえ、「一見さん」が多いわけでもない。最初のMCでゆかちゃんが観客に「Perfumeのライブ、初めて来たよっていう人!」と尋ねたときに、周囲からはほとんど手が挙がらなかった。というか、会場全体で見ても、手を挙げた人は相当少ないように見えた。

 

一方、「(P Cubedの)完全生産限定盤を買った人!」という問い掛けには、驚くほどの手が挙がった。ぱっと見た感じでは、6割、7割挙げていたかも。本ツアーの観客は、固定ファンの割合が、これまでと比べても多いのかもしれない。どうりで、お客さんの振りがよく揃っているはずだ、と納得。

 

この日の「涙」はP.T.A.のコーナーのあ~ちゃんだけだったかな。「Perfumeとともに生きていきたい人!」→観客「はーい」→「私も…」と、自分で言って自分だけ泣く。観客はニヤニヤ。

 

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今回の宿泊先はヒルトン。ふだんなら予算超過で泊まらないが、期間限定セールのときに予約したため随分割安になった。

 

チェックインのとき、フロントの左隣のお客さんがナゴヤドームへの行き方をホテルスタッフに尋ねていたのが耳に入った。むむむ、この人もライブを見に行くのか、と思っていると、今度は右隣からも同じような会話が。Perfumeファン3組が同時チェックインしていたことに気付いたのは、たぶん私だけだろうな。

席はスタンド1塁側だが、なんと1列目で足元が広め。しかも通路沿い。「これは、ガンガンに動き回れ、という“指令”だな」と勝手に解釈し、1曲目からジャンプしまくる。前方を見ると、アリーナの端で私以上に飛び跳ね、腕を振り上げている男性を見つけたので、早速お手本にした。

 

最初のMCまでに本ツアー最高の発汗量となる。そして気付いた。

 

本ツアーの構成・演出に正直、満足しきっていないのはこれまで書いてきたとおり。しかし、こうして体を動かしていると、やはり楽しい。

 

結論。頭でわからないときは、体で感じるべし。

 

※  ※  ※

 

この日は、あ~ちゃんの誕生日。ラスト曲前のMCで、ゆかちゃんが「あ~ちゃんがいなかったら、Perfumeはなかった」と言って涙。のっちも、もらい泣き。このツアーは本当に嬉し涙が多い…。

 

※  ※  ※

 

終演のアナウンスを聞いて時計を見ると、なんと7時50分を過ぎている。開演が5時過ぎだったから、正味2時間40分は超えただろうか。あ~誕でMCが長めだったのは確かだが、大阪初日と比べると30分近く延びたかも。

 

実は8時30分に予定を入れていたのだが、移動時間を考えると、もう間に合わないと腹をくくる。帰りは混雑緩和のために規制退場となるので、指示があるまで席を動けないし。

 

動けない…はずだが、まだ指示がないのに通路を上っていく人が終演後も絶えない。アリーナでは、帰ろうとする観客を係員が階段方向に誘導する始末だ。誘導なんかしないで、席に戻るように言い聞かすべきじゃないですかね。

ツアー3公演目になっても、まだ何かモヤモヤが付きまとう。公演中はもちろん楽しいのだが、同時に「本当にこれが今のベストのライブなのだろうか」という疑問がぬぐえない。

 

過去を振り返り懐かしむ構成は、Reframe2019を見たファンには既視のものだし、見たときの驚きがReframe2019にはやはりかなわない。「懐かしむ」という要素も、どこか露骨な気がする。観客が記憶を自然と呼び覚まされるような、もっと慎ましい演出が好ましいようにも思える。

 

それに、ドームはどうしたって広すぎる。3公演目にして初めてアリーナの、それも随分前のほうの席になったが、下手の端に近かったので、ステージまではなお距離があった。残り4公演で1回くらい、アリーナ前方中央付近の席が当たらないかなぁ。

 

※  ※  ※

 

とかなんとか余計なことを考えてしまうのは、私がPerfumeのパフォーマンスを見すぎているせいで、感覚がちょっとおかしくなっているからなのだろうな。私以外の大半の観客は大いに満足しているように見えるし。

 

この日も改めて驚いたのは、曲に合わせてお決まりの振りをしている観客の割合がとても高いことだ。「Perfumeのライブ、初めて」という人も一定数いるはずなのに、会場中で一斉に腕が振られているさまを目にすると、心を通じ合える老若男女が万単位で結集していることを実感して胸が熱くなる。

 

※  ※  ※

 

あ~ちゃんは、この日はほぼ泣かなかった(最後のMCで少し涙ぐんでいたようだが)。大阪でやはり連日泣いていたゆかちゃんは通常ペースに戻る。大阪初日に2人につられて珍しくウルっときていたのっちもいつもどおり。

 

半ばあたりの曲中に、あ~ちゃんがイヤモニやヘッドセットの様子をしきりに気にしていたように見えた。なにか不具合があったのかな。

ベストアルバムを引っ提げてのツアーがこれまでの活動の集大成的な内容になるのは容易に想像がつく。そうなると、コンセプトは2015年のP10や2018・2019年のReframeに似てくる。P10は「すごろく」という半ば即興を取り入れて客席を大いに沸かせた。Reframeは構成・演出の圧倒的な完成度で観客の目をステージに釘付けにした。

 

そして、今回。初日・2日目を見た限りでは、新しい驚きが少々足りない。特にReframe2019を見た者としては、統一感をやや欠く「寄せ集め」の印象が残る。贅沢で勝手な不満だと自覚してはいるが。

 

振り返れば、2018年のFUTURE POPツアーも最初は満足度が低かったものが、途中から本当に楽しめるようになった。今ツアーも回数を重ね、違った座席位置から見ていけば、「そのうち 楽しく~ぅ なるでしょ」と信じている。

選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つ我にあり
 
*   *   *
 

ツアー初日に心に刻まれたのは、セットリストでも舞台演出でもなく、あ~ちゃんの2度の涙。

 
最初のMCでいきなり泣いたのを見たのは初めてかも。右隣の女子2人組が「あ~ちゃん、まだ早いよ」と、私の気持ちを代弁してくれた。
 
そして、ラスト曲前のMCでの涙。でも、あれは世間の誤解が悲しかったり悔しかったりして泣いたわけではなく、何があっても変わらず集まってくれた大勢のファンを目にしての安堵の涙であったはず。あ~ちゃん自身も直後、ゆかちゃんに「違うんよ。嬉しいんよ」と声を掛けていた。
 
あ~ちゃんは、自分たちの活動がファンの支持を得ている証を欲する気持ちが、のっちやゆかちゃんと比べても相当に強いと思われる(「見棄てんでね」発言を想起すべし)。
 
言動が衆人の耳目に晒され続ける“人気稼業”の精神的な負担は一般人には計り知れない。チームPerfumeにおかれては、3人(とりわけ、あ~ちゃん)のケアに引き続き努めていただくよう願ってやまない。
 
ファンにあっては、今後もライブに足しげく通い精一杯の声援を送ることが、彼女らに対しての何よりのサポートだと信じている。

※※ うっすらネタバレあり ※※

 

野田秀樹さんの芝居を見たのは初めてだが、2度目はなさそうだ。私の好みでない。楽しみ方がわからない。

野田さんのファンは、あのドタバタが好きなのだろうか。役者が最初から最後まで皆キャーキャー叫んでいる。ひっきりなしに繰り出される駄洒落のような言葉遊びも、十に一つも笑えない。あれほど無駄玉を撃ち続ける必要があるのか。

その言葉遊びも多分に懐古調なのはなぜか。「アカシアの雨にうたれて…」なんて、何パーセントの観客が知っているのだろう。「めしい(盲)」などという、耳で聞いてもわかりづらい表現をわざわざ使う意図もわからない。早口の言葉遊びともども、芝居として見聞きするより、ノベライズして読むほうが適している気さえする。

 

本作創作のきっかけは、野田さんが《クイーンの周辺》からアルバム「オペラ座の夜」の演劇性を本当の演劇に広げてほしいと依頼されたことだという。アルバムの演劇性(ブライアン・メイさんの記述では「theatrical aspect」)を展開するのであって、「オペラ座の夜」自体を演劇として表現するわけではない。結果、本作タイトルには「inspired by A Night At The Opera」という言葉が付されることとなった。

考えてみれば「inspired by」というのは便利な言葉で、インスパイアされたかどうかは野田さんの主観でしか判断できず、第三者が批評する余地はない。その代わり、観客が自らの主観的な印象を述べるのも勝手なはずで、少なくとも私は本作から「オペラ座の夜」(の演劇性?)をひとつも想起できなかった(劇中音楽は別として)。

観客は「inspired by A Night At The Opera」という言葉が付された本作タイトルを目にした瞬間、自らが本作にインスパイアされて「オペラ座の夜」を想起するであろうことを無意識のうちに期待する。期待が成就するとき、作り手と観客のインスピレーションは共鳴する。期待が空振りに終わると、だまされたかのような割り切れなさが観客の心に残る。

 

劇中の音楽の使い方も、さほど効果的とは思わなかった。瑯壬生(ろみお=志尊淳さん)と「それからの」瑯壬生(上川隆也さん)が、それぞれ第一幕と第二幕で敵方の武士を図らずも殺してしまった後にボヘミアン・ラプソディが流れるのは、「Mama, just killed a man」そのままでわかりやすいが凡庸でもある。瑯壬生(志尊)と愁里愛(じゅりえ=広瀬)が初めて床を共にするシーンにラヴ・オブ・マイ・ライフを使うのも同様。仲間同士の絆を描く場面でマイ・ベスト・フレンドとなると、苦笑を禁じ得ない。

芝居とは関係なく、曲が流れるたびに「フレディの声ってやっぱりいいな」と思うことしきり。

 

役者陣で一番印象的だったのは平清盛役の竹中直人さん。ボクサーがステップを踏むような動きが恰好いい。声も素敵。竹中さんは平家の無名の武士も演じたが、そちらはさしておもしろくなかった。源頼朝など4役に扮した橋本さとしさんも美声が耳に心地よい。

主役級の4人(松たか子さん=それからの愁里愛、上川、広瀬、志尊)はいずれも強い印象は残らなかった。広瀬さんには旬の若手女優の「きらめき」(かつて「ジャンヌダルク」で堀北真希さんに見たような)を期待していたのだが、この芝居のこの役どころでは無理な相談か。

広瀬・志尊ペアと松・上川ペアがくるくると入れ替わる演出は快い。白いシーツを掛けたストレッチャーや舞台三方に設けた回転式のドアといったシンプルな舞台装置も気に入った。

 

結局のところ、パフォーミングアートの満足度を「泣けるかどうか」で判定する情緒派としては、全編を通じて心を揺さぶられるような《美しさ》を一度も見いだせなかったことが最大の不満だった。ラストの主役級4人がスローモーションで交錯しながら過ぎ去っていくシーンはそれなりに美しいが、それまでさんざんドタバタが続いてきた後だけに、最後にとって付けたかのような感じがぬぐえない。最初からあの調子で通してくれればよかった気もするものの、それでは野田さんの芝居にならないのだろうな。

 

(東京芸術劇場のロビー吹き抜けに掛かるバナー)

ドームツアーのリクエスト曲募集に便乗しての提案です。

来年のツアーでは開演前の影アナ(or陰アナ?)をメンバー3人が担当してみたらいかがでしょう。

録音・録画禁止とか、スマホの電源を切るとかいう、アレです。

もちろん事前録音でOKです。

ちなみに、宝塚ではその日のトップスターが影アナを務めていて、主役からじきじきに来場を歓迎されている気分になります。

 

影アナはふつう、開演30分前、15分前と直前の計3回だと思うので、ちょうど3人で1回ずつ回せます。

誰が話しているか観客がちゃんとわかるように、最初に名前を言うといいかも。

「マイクチェック、マイクチェック、あー、あー、あ~ちゃんです。本日は…」みたいに。

3人がアナウンスすることが知れ渡ると、みんな聞きたいと思うので、観客が早めに会場に入ってくれるという利点もあります。

 

ついでに、終演後のアナウンスもメンバーが担当したらどうでしょう。

お気づきかと思いますが、「…本日はPerfume●●公演にご来場いただき、誠にありがとうございました」というアナウンスが終わると、会場に残っている観客が拍手をしてメンバー、スタッフに感謝の気持ちを表しています。

あるいは、終演後はメンバーではなく、もっさんとか先生とかウッチーでもウケるかも。

アナウンスを聞くためにゆっくりと退場する観客が増えると、通路や出口の混雑が多少は緩和されるかもしれません。