愛と平和の弾薬庫 -15ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

と言ったところで返事はない。

当然だ。空に向かって、さあさあと言ってるだけなんだから。

それに奴らはどうやら俺の言語を理解しないらしいのである。

俺はあいつらの言ってることはよくわかる。

そりゃあぽてんしゃるとかいんたーふぇーすとかれがしーとか

どうにもそれを表す漢字が思いつかないような単語が出てくるとお手上げだが、

ひらがなと漢字と「フェスティバル」とか「コンサート」とか「テレビ」「ラジオ」「レコード」

「デパート」「イオン」「ユニクロ」「ブックオフ」程度のカタカナ言葉ぐらいの範囲で語られる

言葉なら、つまりはちゃんと通りがかりの誰にでも通じる言葉で話される日本語なら

すべてオッケなのである。


ほれ、ヒトだろ。俺。


ぽてんしゃるとかいんたーふぇーすとかれがしーとかそこいらのじいさんやばあさんに

通じないような言葉を使ってるほうがよっぽどヒトでなしだろ、と俺は言いたい。

俺の頭の中に妄想はない。いっさいない。ありえない。まったくもってまいへっどいずくりあなのである。

ここにあるのは誤解、それだけだ。俺が猫なのだという誤解。


などと一人言い張っていても仕方がない。

まずは、立場を入れ替わってもらおう。

奴らが人間なのだ,ヒトなのだというその証拠をここに提出してもらおうじゃないか。


よろしく。

定期検診があった。タクシーの運転手のおんつぁま、じっちゃまたぢの定期検診である。

わざわざ休みの日に車を出してきて受ける検診なんてのは、速やかにとっととすまして

何事もなかったかのように静かな休日の一日に戻りたいもんだが、そうは問屋が卸さない。

あっちで泣きわめくおんつぁん、ぐっと涙をこらえてうつむいているおんつぁん、

ああでもないこうでもないと看護師さんと言い合ってるじじい、

それに対してああなのだこうなのだ、だから、と言い含め不可能なじじいに大声で対抗する看護師、

おしゃべりなじじいににこにこ3倍ぐらいのおしゃべりで返す看護婦。

ここは大人の、しかもほとんどが50歳すぎの粛々たるべき定期身体検診会場のはずだが、

どうしても俺には幼い日に受けた、そっちこっちで注射から逃げ回る奴らの鳴き声が響き渡る

小学校の身体検査が思い出されてしゃあないのであった。


ちなみに、あっちで泣きわめいていたのは、やはりどうしても採血の注射を受け入れられない

相撲取り的体系のおんつぁん、

ぐっとこらえてうつむき、自らの太い腕に沈没していたのも同じく針が怖い、学生時には

柔道部にでも所属してたんじゃねえのっつーおんつぁまである。

いや、まじで。

吾輩はヒトなのである。

俺の首根っこをつかんで平気な顔をしているあいつらなんかよりも

ずっとヒトなのである。


あれが――あの無神経きわまりない、想像力のかけらもない

俺を猫だと決めつけてやまないあいつらの姿こそが「ヒト」の本性には違いないのかもしれず、

だとしたらあれよりはもうちっとはましであると自覚しているこの俺は

到底ヒトとは言えないのかもしれないが、いやしかし俺はまごうことなき

ヒトなのである。

 

本当に。

やはりどうしても奴らは俺を猫として見ていたいらしいと再認識したのは、

首根っこの後ろをつかまれて空中に持ち上げられた時だった。


そりゃあ姿かたちは、全身上品なウールでおおわれているし、

瞳はくるくるつぶらに愛らしく光輝いているし、歩く時にはひたりとも音をたてたりしないし、

自らの体長の何倍もある壁をするする駆け上がれるし、そこから

こればかりは多少の音をたててはしまうものの

すたりと一切の衝撃も感じずに元の低地に降りることさえできる。


つなわち外見上はあの猫という小動物とまったく変わりがないのである。

 

しかし奴らに猫扱いされるのはどうにも我慢がならない。


あんな奴らにペット扱いされるとは。

録画しておいた「ゴジラxモスラxメカゴジラ」を妻と、

やっぱ見に行ってなかったやつだね、とか言いながら見ていた。

中学生ぐらいの頃の長澤まさみなんかも出てきてそれなりに面白がって見ていたら、

廊下からど派手にバッカーンと、何かがぶっ倒れたような音が聞こえた。

なんだろな、と非常に気にはなったが、妻が、

ごみ収集車がマンションのバカでかいゴミ容器をぶつけたんだよ、とか言ったから

そんなもんか、とまたゴジラに見入った。

はて、やがてゴジラを見終わったあたりでやたらデカい音で

左に曲がります、と聞こえてきた。なんじゃろね、と外を見たら救急車がマンションの駐車場に。

誰か熱中症にでも?と思ったんだが、救急車は誰を迎えに行く気配もなし。

見てたら警官が4人もやってきて、その中のひとりが黄色いテープでそこらを仕切り出した。

やがてそばで遊んでた子供たちに質問を始めた。11さーいとか子供らははしゃいで答えていた。

妻が言う。

さっきの大きな音、何かが落下したんだね。

なるほど、そうか、と思う。警官の周りもそんな雰囲気だし。


でも、違った。

それから買い物に出た妻が戻ってきて、町内会長から聞いてきたことを話してくれた。

21階から落ちたのは「何か」というにはあまりにも有機的なものだったということだった。

バッカーンと落ちたのは確かに「その時」に壊れた大きな窓だったけれど、

一緒に落ちたのは、普通ならはしゃぎながら話せるような代物じゃなかった。


そのあとも子供たちはマンションの「現場」が丸見えのところで元気にあそんでいた。

親が一緒の子供もいた。

別になんてことないらしいのだ。


東日本大震災の時もきっと、テレビじゃこんなふうに語られてたんだよな。


誰もが眉間にしわを寄せて常識人として、人の痛みのわかる人として、真剣に

被災している当人たちには届かない声を発し続けている。


2011年のあの時を追体験している。


ラジオから聞こえてくる言葉でしか、一体何が起こったのか、

どこがどんなことになっているのか知ることができなかった、あの時を。


ああ、こうして傍観してたんだ、テレビは。


でもそれがテレビの使命なのだ。

見て伝えることが。

そっからはみ出したがるやつにはまるかわとかろくなやつはいないし、

かずこさんとかろくでもなくなっていく人しかいない。


追体験で2011年が今に重なってきて、5年前を今、一人隠れてやり直している。

そんなの俺だけなのかな。


(楽天イーグルス通信)


則本に続いて松井裕樹(漢字これでいいんだっけ?)でも負けて落下中。


しかしきのう(4・17)の9回の守りのたるみ具合ってったらどうだ?

つらっと走らせて簡単に1点やって、うちのチームのどこにあんな余裕があるってんだ?

ねえだろ。1点守るのも4点守るのも同じぐらい必死にやんなきゃまだまだダメなチームだろ。

監督以下全員反省してほしいっすね。

俺もがんばるから。

「何となく駒を動かしちゃならん。よく考えるんだ。諦めず、粘り強く、もう駄目だと思った所から更に考えて考えて考え抜く、それが大事だ。偶然は絶対に味方してくれない。考えるのをやめるのは負ける時だ。さあ、もう一度考え直してごらん。……慌てるな、坊や」


―小川洋子「猫を抱いて像と泳ぐ」より


この人の言葉はなぜかすごくすんなり、しかし力強く心に響くのです。

その知らせはJohnの時と同じようにテレビからもたらされた。

テレビからというのは、そうか、あれ以来なのだ。たった二度目なのだ。

つい最近New Albumが発表されたと、数か月ぶりでたまたま立ち読みしたRockin'Onで

読んだばかりだったから、NHKの六時のニュースで聞かされて、え!と声を上げてしまい、

奥さんに怒られた。

それから胸ににじんでいった気分はこれまで感じたことのない不思議な悲しみだった。


あのお兄ちゃん、死んじゃったんだ……。


短く言えばそんな感じで……それで……


お兄ちゃんは五軒先の家のお兄ちゃんで、道で会えば「新しいのができたから聞きに来てよ」

なんて優しく声をかけてくれる、伝統音楽好きのお兄ちゃんだった。

伝統音楽に情熱を傾けてるとは言っても、伝統をそのまま受け継いで真面目一点張りで

それに取り組んでるわけじゃなくて、いつも

「何かもっと、聞く人の心に優しく、すんなり入っていくような音楽をやりたいんだ」

と言って、いろいろ新しいやり方に取り組んでいるお兄ちゃんだったのだ。

それで僕も何度か、お兄ちゃんの音楽を聞かせてもらったんだけど、僕はいつも思った。

これが優しい音楽? こんなのが誰の心にすんなり入っていくの?

メロディーはとても素晴らしかった。どれも自然な心や物語の流れをそのまま音にしている

そんな感じだった。

でもお兄ちゃんはそれを決してそのまま素直に表現したりしなかった。

へんな服を着てやってみたり、宇宙人みたいな格好になってみたり、

ちょっと耳障りの悪いアレンジしてやってみたりしたのだ。

お兄ちゃんにとってはこれこそが、それまでお兄ちゃんのやっている音楽に興味のない人に

聞いてもらうための一番効果的なやり方なのだ。

お兄ちゃんは頑張った。そしてどんどん聞いてくれる人を増やし〈皮肉にもお兄ちゃんの音楽が

一番ウケたのは単純に流行のやり方でやった時だったけれど)ながら、どんどん年をとっていった。

そんなお兄ちゃんの名前を久しぶりに聞いたのは、お兄ちゃんが死んだという知らせでだった。

ああ、死んじゃったんだ、と僕は思って、ちょっと悲しい気持ちになった。


長く言えばこういう〈↑〉感じだ。


とても頑張っていた優しいお兄ちゃんが、おじいちゃんになって病気になって死んじゃった、

という……。


デヴィッド・ボウイには一時期とても楽しませてもらった。

Lowとか、Heroesとか、Station To Stationとかの時期に一番聞いて、

Lodgerというアルバムが一番好きだった。

でも家にあるのはこれだけです。


d1



d2

お疲れさま、お兄ちゃん。楽しかったよ。


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タクシー運転手なんてぇものをやっておりますてぇと、アベノミクスだの何だのとお上のほうでは世の中あんじょううまいこといってるようなことになっておりますが、実際のところは景気なんぞちいともよくなってなんぞおらんと、そんなことをよくよく実感させられるものでございます。
十何年も昔には、あっち行けぇこっち行けぇ言われて、はいはい言いながらいっこも存じ上げない町まで乗って下さるお客さんも一日に一人二人はいらっしゃったもんですが、アベノミクスの世の中、そんなんは年に一人いるかどうかも怪しいもんでございまして、お客さんが全然おらない町を、気がつけば何回も何回も回転木馬みたいに走っておるような状態でして、はて、きょうこの道何度目だったやろなんて、言うたらデジャヴとでも言うんでしょうか、そんな錯覚めいた心持ちはしょっちゅうでございますんですが、そんな感覚も積み重なりますてぇと危ういもんで、本当に今こうして車を走らせてるのは現実なのか、もしかして全部嘘なんやないやろか、なんてぇ心持ちになってしまうのでございます。
しかしまぁやっぱりどう見ても目の前の道は現実の道路でございましす。ところがわたしの頭ん中はあやふや、ほにょほにょ。なんかこうストレンジ……とでも言いましょうか。
目の前のできごとはストレンジ、でもわたしはここにいる、はっきり目覚めてここに存在している、なんてぇ状態の中に長い時間おりますてぇと、そこに妙なものが現れてまいります。一枚の膜と申しますか、うっすーい壁とでも申しますか、そういったものがこのわたしと現実の世界を、はっきり隔てるでもなく、かと言って親密な行き来を許すでもなく、現れてくるわけでございます。疎外感――世の人はそんな言葉を当てはめてるようでございますが、外を疎ましく感じてる状態、まあ、近いような違ってるような。
しかしまぁ今のわたしの現実はタクシー運転手でございまして、いったんお客さんに乗っていただきますってぇとその瞬間にデジャヴも疎外感も膜も壁もあったもんじゃございません。そこにあるのはハッピーラッキーな現実でありまして、そして目の前にあるのは現実のアスファルト道、よろよろ幅を寄せてくるご老人の自家用車、ふいに目の前に現れる原付自転車、携帯電話で話し中でいつどうなるかわからない自転車等々、シビアな交通状況でございます。気がつけばわたしはただの現実のタクシー運転手に戻っていると申しますか、戻らされているのでございます。
ところが、でございます。
誰も彼もがタクシー運転手ではございません。真面目に取り組まなければならない仕事を持っている人間ばかりでもございません。いつもふわふわ好きな状態でいられる人間だって、この世の中には厳然と存在しているのでございます。わたしにもそんな人間でいられる時代というものがございました。高校の後半から二年でやめることになる大学生の時代でございました。ことに高校二年という時期、いくら勉強してもなんか学校というものに染まりきらん、というか試験だ受験だばかり言われて自分というものの置き場所を勝手に決めてくる親や教師にどうしても賛同しかねる、けれど前の前にあるのは置き場所を決められて唯々諾々と机に向かっている同級生たち、意味不明を黒板に並べていく教師、借り物にしか思えない価値観を撫でつけてくる親。来る日も、来る日も。
幸か不幸かとはまったくもってこのことでございまして、そんな毎日の中のある日、わたしはなぜか、まったくなぜかとか言いようがないあいまいな根拠で一枚のレコードと出会ってしまったのでございます。ザ・ドアーズの『まぼろしの世界/Strange Days』というレコードでございました。
思い返してみれば、ま、それが高校生というものなのでしょうけれど、とある音楽雑誌に紹介されていた、ただそれだけの理由でわたしがこのレコードを買った――このレコードと出会えたというのは、まったく奇跡といってもいいのかもしれません。なぜならわたしの当時の音楽趣味は完全にイーグルスやフリートウッド・マック、グランド・ファンク、ソロとなったビートルたち、カーペンターズ、エルトン・ジョン、ボストンあたりに集中していてストーンズさえまともには聞いてませんでしたし、このアルバムを紹介していた雑誌も雑誌です。普通ドアーズと言ったら「ハートに火をつけて」が入っているファーストを紹介するというのが人の道というものでしょう。なのにセカンド――『まぼろしの世界』。
正直、一聴しての感想は「あちゃー」でございました。暗すぎだ。金返せでございます。しかしそこは高校生、なけなしのこずかいで買った一枚のレコード、それはそれだけで宝物なのでございまして、鳴かぬなら鳴くまで待とうならぬ、気に入らぬなら気に入るまで聞こうストレンジ・デイズだったのでございます。
そしてその日は唐突に訪れました。一日一回を自らに義務づけてう~むと唸りながら聴き続けていたこのレコードの音が不思議なことに、すすーっと耳に、いえ、心に入ってきたのでございます。どろんとうねっていた音が体液に同化、ジム・モリソンとかいうどこか舌足らずでなのに獣じみた声の主のそれがやけに滑らかに優しく、そして何より、全体のメロディーの美しさが今まで気付かなかったのが嘘のように、わたしには聞こえるようになったのでございます。
そしてその歌詞を聞いてみれば、


People are strange when you are stranger.
きみがよそ者の時、人々は変。      (People are Strange)


わたしの、それは信じられる言葉でした。そしてそれを歌う声の優しいワイルドな声、センシティヴなドラミング、美しいキーボード、やたら勝手に指をくねらせるギタリスト、奈落の心地よさとでも言えそうな安らぎがそこにはあったのでした。安らぎはわたしを救いました。周囲と同じにできず、親の期待にもいまいち沿いきれない、教師に好きになれそうな人物を見つけられない、そんなわたしを、周囲と違ってても全然オッケー、親は親、自分は自分、教師は別に受験成功者製造ロボットでかまわない、そう思えるようにしてくれたからだ。
ジム・モリソンが死んで四年後の夏、わたしは初めて自分を肯定したのである。
それからドアーズのアルバムを、大学一年までの三年間でやっと買い揃えたはの言うまでもない。その中で『ストレンジ・デイズ』が一番音楽的に優れているアルバムとはちょっと言い難いということも知って、今では『LAウーマン』も「好きだ」というスタンスで聞くことができる。でも誰が何と言おうと何度言われようと、わたしにとってドアーズの最大の功績は『ストレンジ・デイズ』なのである。