愛と平和の弾薬庫 -14ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

なんつうか、昔、20数年も前、僕はタクシーのお客さんだった。

つうか今でもお客さんになろうと思えばなれるんだが、

現在、主にやってるのは運転手のほうなんで、

お客さんだった時代は昔のこととする。


で、そんな時代、我々にとってけっこう大きな「タクシー問題」に、

「一万円札でタクシー代を払おうとすんじゃねえ!」

という問題があった。


別に誰に言われたことでもない。

ただなんとなく、いつのまにか、そういう命題が常識として、

肉体と意識の中にしみついていたのである。


だのに今は。


なんだか消えたのね。

「一万円札だけ持ってタクシーに乗るな」っつー常識が。

知らんうちに勝手に解消されてんのね。

けっこう大きな「タクシー問題」。


レジスター載せて走ってるわけじゃねんだからさあ。

んなことしたらたちまちタクシー強盗の餌食だべ。

年末に限らず、年中がタクシー受難の季節になっぺした。

そごらじゅうにタクシーの運ちゃんの死体が累々と積まれるごとになっぺさ。


だがらね、タクシーはレジスター載せで走んねの。

んでね、てえげえの運転手は10枚ほどの千円札だけポケットさ入れで、会社を出発すんのっしゃ。


そごにきて朝一発目にワンメーターに万札出さってみらい。


まあ、しゃあねえがら9千なんぼ釣銭出すっちゃ。

あーあ、もう千円札一枚しかねえよわ。商売なんてできねっちゃ。

しゃあねえがら買いたぐもねえ、タバコ買ってみたりガム買ってみたり、

すっとコンビニのあんちゃんもあ~んまりいい顔しねえよ、マジで。

されだどあるもんね、若えあんちゃんに、あーあ、タクシーの運ちゃんときたら

朝っぱらからこれだかんね、なんて顔されたこと。忘れもしねえ、七十一のXX店だげどね。


今は万札出されたくらいでグダグダいう運転手は減ってるさ、確かに。

でも本音は、


参ったニャ……


なのっしゃ。

消えた常識だげっとも、意味や理由はあったんだよ、ぼーや。


タクシー運転手の死体が累々と積まれる、

そんな光景を生まないための、そいづは常識だったのっしゃ。



ほんでまず、またのご乗車、よろしくね。








と言ったところで返事はない。

当然だ。空に向かって、さあさあと言ってるだけなんだから。

それに奴らはどうやら俺の言語を理解しないらしいのである。

俺はあいつらの言ってることはよくわかる。

そりゃあぽてんしゃるとかいんたーふぇーすとかれがしーとか

どうにもそれを表す漢字が思いつかないような単語が出てくるとお手上げだが、

ひらがなと漢字と「フェスティバル」とか「コンサート」とか「テレビ」「ラジオ」「レコード」

「デパート」「イオン」「ユニクロ」「ブックオフ」程度のカタカナ言葉ぐらいの範囲で語られる

言葉なら、つまりはちゃんと通りがかりの誰にでも通じる言葉で話される日本語なら

すべてオッケなのである。


ほれ、ヒトだろ。俺。


ぽてんしゃるとかいんたーふぇーすとかれがしーとかそこいらのじいさんやばあさんに

通じないような言葉を使ってるほうがよっぽどヒトでなしだろ、と俺は言いたい。

俺の頭の中に妄想はない。いっさいない。ありえない。まったくもってまいへっどいずくりあなのである。

ここにあるのは誤解、それだけだ。俺が猫なのだという誤解。


などと一人言い張っていても仕方がない。

まずは、立場を入れ替わってもらおう。

奴らが人間なのだ,ヒトなのだというその証拠をここに提出してもらおうじゃないか。


よろしく。

定期検診があった。タクシーの運転手のおんつぁま、じっちゃまたぢの定期検診である。

わざわざ休みの日に車を出してきて受ける検診なんてのは、速やかにとっととすまして

何事もなかったかのように静かな休日の一日に戻りたいもんだが、そうは問屋が卸さない。

あっちで泣きわめくおんつぁん、ぐっと涙をこらえてうつむいているおんつぁん、

ああでもないこうでもないと看護師さんと言い合ってるじじい、

それに対してああなのだこうなのだ、だから、と言い含め不可能なじじいに大声で対抗する看護師、

おしゃべりなじじいににこにこ3倍ぐらいのおしゃべりで返す看護婦。

ここは大人の、しかもほとんどが50歳すぎの粛々たるべき定期身体検診会場のはずだが、

どうしても俺には幼い日に受けた、そっちこっちで注射から逃げ回る奴らの鳴き声が響き渡る

小学校の身体検査が思い出されてしゃあないのであった。


ちなみに、あっちで泣きわめいていたのは、やはりどうしても採血の注射を受け入れられない

相撲取り的体系のおんつぁん、

ぐっとこらえてうつむき、自らの太い腕に沈没していたのも同じく針が怖い、学生時には

柔道部にでも所属してたんじゃねえのっつーおんつぁまである。

いや、まじで。

吾輩はヒトなのである。

俺の首根っこをつかんで平気な顔をしているあいつらなんかよりも

ずっとヒトなのである。


あれが――あの無神経きわまりない、想像力のかけらもない

俺を猫だと決めつけてやまないあいつらの姿こそが「ヒト」の本性には違いないのかもしれず、

だとしたらあれよりはもうちっとはましであると自覚しているこの俺は

到底ヒトとは言えないのかもしれないが、いやしかし俺はまごうことなき

ヒトなのである。

 

本当に。

やはりどうしても奴らは俺を猫として見ていたいらしいと再認識したのは、

首根っこの後ろをつかまれて空中に持ち上げられた時だった。


そりゃあ姿かたちは、全身上品なウールでおおわれているし、

瞳はくるくるつぶらに愛らしく光輝いているし、歩く時にはひたりとも音をたてたりしないし、

自らの体長の何倍もある壁をするする駆け上がれるし、そこから

こればかりは多少の音をたててはしまうものの

すたりと一切の衝撃も感じずに元の低地に降りることさえできる。


つなわち外見上はあの猫という小動物とまったく変わりがないのである。

 

しかし奴らに猫扱いされるのはどうにも我慢がならない。


あんな奴らにペット扱いされるとは。

録画しておいた「ゴジラxモスラxメカゴジラ」を妻と、

やっぱ見に行ってなかったやつだね、とか言いながら見ていた。

中学生ぐらいの頃の長澤まさみなんかも出てきてそれなりに面白がって見ていたら、

廊下からど派手にバッカーンと、何かがぶっ倒れたような音が聞こえた。

なんだろな、と非常に気にはなったが、妻が、

ごみ収集車がマンションのバカでかいゴミ容器をぶつけたんだよ、とか言ったから

そんなもんか、とまたゴジラに見入った。

はて、やがてゴジラを見終わったあたりでやたらデカい音で

左に曲がります、と聞こえてきた。なんじゃろね、と外を見たら救急車がマンションの駐車場に。

誰か熱中症にでも?と思ったんだが、救急車は誰を迎えに行く気配もなし。

見てたら警官が4人もやってきて、その中のひとりが黄色いテープでそこらを仕切り出した。

やがてそばで遊んでた子供たちに質問を始めた。11さーいとか子供らははしゃいで答えていた。

妻が言う。

さっきの大きな音、何かが落下したんだね。

なるほど、そうか、と思う。警官の周りもそんな雰囲気だし。


でも、違った。

それから買い物に出た妻が戻ってきて、町内会長から聞いてきたことを話してくれた。

21階から落ちたのは「何か」というにはあまりにも有機的なものだったということだった。

バッカーンと落ちたのは確かに「その時」に壊れた大きな窓だったけれど、

一緒に落ちたのは、普通ならはしゃぎながら話せるような代物じゃなかった。


そのあとも子供たちはマンションの「現場」が丸見えのところで元気にあそんでいた。

親が一緒の子供もいた。

別になんてことないらしいのだ。


東日本大震災の時もきっと、テレビじゃこんなふうに語られてたんだよな。


誰もが眉間にしわを寄せて常識人として、人の痛みのわかる人として、真剣に

被災している当人たちには届かない声を発し続けている。


2011年のあの時を追体験している。


ラジオから聞こえてくる言葉でしか、一体何が起こったのか、

どこがどんなことになっているのか知ることができなかった、あの時を。


ああ、こうして傍観してたんだ、テレビは。


でもそれがテレビの使命なのだ。

見て伝えることが。

そっからはみ出したがるやつにはまるかわとかろくなやつはいないし、

かずこさんとかろくでもなくなっていく人しかいない。


追体験で2011年が今に重なってきて、5年前を今、一人隠れてやり直している。

そんなの俺だけなのかな。


(楽天イーグルス通信)


則本に続いて松井裕樹(漢字これでいいんだっけ?)でも負けて落下中。


しかしきのう(4・17)の9回の守りのたるみ具合ってったらどうだ?

つらっと走らせて簡単に1点やって、うちのチームのどこにあんな余裕があるってんだ?

ねえだろ。1点守るのも4点守るのも同じぐらい必死にやんなきゃまだまだダメなチームだろ。

監督以下全員反省してほしいっすね。

俺もがんばるから。

「何となく駒を動かしちゃならん。よく考えるんだ。諦めず、粘り強く、もう駄目だと思った所から更に考えて考えて考え抜く、それが大事だ。偶然は絶対に味方してくれない。考えるのをやめるのは負ける時だ。さあ、もう一度考え直してごらん。……慌てるな、坊や」


―小川洋子「猫を抱いて像と泳ぐ」より


この人の言葉はなぜかすごくすんなり、しかし力強く心に響くのです。