愛と平和の弾薬庫 -13ページ目

愛と平和の弾薬庫

心に弾丸を。腹の底に地雷原を。
目には笑みを。
刺激より愛を。
平穏より平和を。
音源⇨ https://eggs.mu/artist/roughblue

どっかに脳みそ忘れてきちまったんだ。

きっと母親の腹ん中。


いや、てめえの損得にしか関心のねえあの女のこった、

あんなクソろくでもねえ男のガキにやってなるもんかってなもんで、

腹ん中に脳みそ一個、がっちりキープして、側だけ出してよこしたにちげえねえ。


ご丁寧にっつーか、ご愛想につーか、ちんこだけくっつけてよ。


あっはっは、そうかいそうかい。

わかったわかった、リョーカイだ。


だったらはいはい、そうだね、気ちげーとして生きてきゃいいってこった。

だってそうだろ、脳みそもらえねえで生まれてきたんだからな。


ああ、ありがたやありがたやときたもんだ。

もう金輪際、キョーイクってえやつとは無縁でやってこーって話だ。


そんでついでに納得。

あの日、かわいいガキのつもりでいた俺に母親の言った言葉……

「ろくな人間になんないね」

はいはい、そりゃそうだ。

言われたときゃ、それがてめえのガキに言う言葉かってドタマに来たもんだが、

今ならなんぼでも納得できるってもんだ。

ところが世の中、気違えにはなんて生きにくいんだ。


てえのも気違えってだけで、どこにも生き場所が見つかんねんだ。

生きるどころか、行きてえ場所さえ定まんねえ。


なんつっても脳みそ忘れて来てんでね、どこ行って何したらいいかもわかんねってこった。

いやあ、のっけから参ったね、ってんで、とりあえずはしょーがねえ、

気違えじゃねえ真似事でやってくかってことにしたわけですよ。


ね、そうなんですよ。

気違えで生きてけねんだからしゃーないね、ってことであります。

でも根が気違えですからね、どうにもこうにもまともに食ってくってことが

どういう事柄の上に成り立ってるかがわかんねんですね。

脳みそねっすからね。


しかしですね、生きてたいんなら、メシの一杯にもありつけてえんならってんで、

ほら「しかし」なんて言葉も覚えたんですね。かしこになったわけじゃねんです。

脳みそないなりにいろいろ拾ってくわけですわ、道のそこここから、

それなりに見えるために役に立ちそうなことを。


で、「しかし」とか言っちゃってね、そうこってね。


(つびこんてぃにゅーど)



 

最近は雲の写真ばっか撮ってます。

撮れば撮るほど少しずつ面白くなってくるんでどうにも発表しないわけにはいかない。

むやみにシャッターを押さない、がコツのような。

(写真をクリックするとスライドショーで見られます)



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もし、愛がすべての権利を奪われてしまったら

どれだけの人が歌を歌えなくなってしまうんだろう。


もし愛が失効してしまったら

歌を歌うという行為を奪われてしまった人たちは

ベッドルームに閉じ込められて、2度と出てこれなくなって

しまうんだろうか。


愛を無力にしてしまうのは

一体誰だ。


愛はこそこそすることを知らないから

通りで見つけられ、ラーメン屋の真ん中で

テレビを眺めながらタンメンをすすっているところで

つかまってしまい、すべてを抜かれてしまう。


もう誰も、レナード・コーエンのようには歌えない。

大晦日だよ全員集合!たって誰を集めてるのやら。

とりあえずはスワンを、って、こんな感じ。


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しかしいきなり頭の上を通過されるとかなり驚かされるよ。

それにしても昨日みたいに晴れてたらなあ、もっといい感じに撮れたんだが。

きのうはこんなだった。


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まさに雲の展覧会展示会品評会。


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でもきょう、ビッグみそDayはこんな感じ。


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こいつらがぐるっと回って俺を襲った。

回ってくると思わなかったもんなあ。


しかしスワンを真下から見上げるなんて伊豆沼に行ったわけでもないのに

なかなかできない経験。


来年はスワンな年になるだろう。


つうか、白鳥じゃなくて酉か。


よろしくニューイヤーってことだ!




ボブ・ディランの代わりにパティ・スミスが歌っていた。

Hard Rain's Gonna Comeだった。

途中でPattiは感極まってしまって一瞬歌えなくなった。

けれど再び歌い始めると最後までしっかり、Bob Dylanの言葉の大海原を語りきった。


ノーベル平和賞ではなく、文学賞。

これがRock Musicianたるボブに与えられることがどんなことなのかは、

はっきり俺なんかには明言できない。

でもこれはひとつの頂点なんじゃないか。


そんな感慨が胸にあふれた。


ノーベル賞という全世界から承認されている栄誉を与えられることで、

Rock Musicは世界から完全に認められた。

そのことで、ロックを何らかの特別なもの――空気や水のように

生命維持に必要不可欠なもの――として取り込んでいる人間にしか見えない、

ほかの音楽とRock Musicのあいだにある境界線がはっきり提示され、

新しいスタートラインに立った。


そんな気がしたのだ。

小学校高学年だったか、中学校に入ってからだったか、

「自己嫌悪」という言葉があることを知ってから

その言葉はまるで五寸釘で脳髄に打ち込まれた藁人形のごとき、

一時も記憶から離れない呪いの言葉となった。


こう書いていて思う。

十代でこの言葉のいやらしさに責め苦の感覚を抱かない人間は

もしかしたら一人もいないんじゃないだろうか、と。


俺の場合、中々勉強を始められない自分に五寸釘はいつも突き刺さってきた。


高校2年の時、The Doorsの「People Are Strange」という曲と出会った。


People are strange when you're stranger.


お前がよそものの時、人々は奇妙な存在になる。


周りは自分と別の感覚で回っているんだってことを俺は知らされたような気がした。

そんなふうにこの曲の歌詞を理解することにしたのだ。

単なる曲解だったかもしれないけれど、俺はその曲解で救われた。

それ以来、自己嫌悪なんて言葉、忘れてしまった。


ところが!

57歳にもなってこの言葉が帰ってきてしまったのだ。

いやあ、びっくりした。


なんてこたない、稼ぎの悪い自分というのを真正面から見据えたら、

それに対して何の対応策も思いつかない自分に、ありゃあ、と

懐かしい言葉に直接つながるような感覚を覚えたのだ。


けれどやっぱり、十代の頃のような五寸釘的痛痒には

五十代の自己嫌悪はつながってはいかないようだ。

それほど本気で、自己嫌悪できないのである。


なぜだろう。



実は猫に生まれたかった。

きちんと猫的感受性と価値観を持った猫に。

こんな姿だけが猫で、頭の中が人間の猫になんて、

俺は生まれたくなんかなかった。


貧しいという状況は、ハタチの頃は常にそこにあって、

なのに俺はそれにどうしても慣れることができず、

いつも泣きたい気分に包まれていた。

にもかかわらず決して絶望しなかったのは、別に

好きなロックとつねに語り合っていられたからでも、

愛を感じられる存在が初中終電話をかけてきたり、駆けつけてきたりしたからじゃなかった。

とりあえず常に,働く場所が得られていたからだ。

それほど体力も必要とせず、バンドもやめないですむような、

自分に適度に「合っている」仕事が目をさませばそこにあったからだ。


それが手に入れられない二十代の人間が今は巷にごろごろいるらしい。


えり好みをしなければ仕事は求人数より上回っていてあぶれることはない、

とおっしゃる人もいる。

そういう人は自分がやっている仕事を二十代であぶれている人たちに与えて、

自分はなんでも1から始められる人なんだろうと思う。

じゃなけりゃそんなことは言えるわけがない。


個人が貧しいことと、社会が貧しいことはイコールなんだよな、と思う。


やりたい仕事が見つからない、見つかっても紛れ込めない、

だから専門学校や大学に行く。ぶらぶらしている。

親が働いて学費を捻出する。そのためには母親もパートに出る。

家ではぶらぶらしている子供がゲームをしている。

街に出てポケモンGOに熱中する。パチンコに行ったりもする。

働いていて一人暮らしだったのが仕事をなくして再就職できない。

金がなくなる。でも欲しい。当然、欲しい。必要だから。何か食わなくちゃならないから。

絶対、欲しい。でも仕事はない。なら奪う。道端で、人んちに入って、etc.。


貧しさは、政治から、社会情勢から、世界情勢から、

家庭の無人化から、愛の迷子化から、個人の尊厳から、若い精力から、

いろんな方面から、そこらじゅうの人たちを追い込んでいく。


140.000円の給料で、えへらえへら、いつまでもホッとしているのだ、俺は。


↓こんな奴らと,一緒に、えへらえへら、と。







今朝の揺れは、なんとなく今にもさらなる「グラッ」が加わってきそうな

あの時の揺れにすごく似てたね、なんて会話がそこここで

きっと今日は聞かれたんだろうなあ、

とか思いつつ、


シングルレコードの袋に集合願った。


だって今、あまりにレコード屋さんが減ってしまって、

むかしあんなにあった「町の小さなレコード屋」さんたちが

あまりにも懐かしいから。



hamano  

よく覚えていない「ハマノ」


haga  

「俺たち」がレコードを買うったら仙台駅前、エンドーチェーンの隣のプレイビル1階、

ぐぐっと奥に入ったハガ楽器でした。

haga22 

ハガ楽器の袋がちょっと派手になりまして。

saitoh  

確か、オノ楽器と隣り合っていたサイト―楽器。つうか記憶がいまいち。

sanritsu  

誰でも知ってるサンリツ。

hogakudo  

全然覚えてない邦楽堂。(中学、高校時代、長町になんて行ったことなかったしなあ)

ほかにもたくさんのレコード屋があった。

誰も知ってるヤマハから今でもあるらしい「ディスクノート」。

でも袋も何も残ってないので覚えてるったら「オノ楽器」だけである。


懐かしさに生きることに決めた(?)わたしに、

みなさん、情報を!


喫茶店なんかの懐かし話も好きです。