看護師で心理師な私が悪役令嬢に転生!?〜メンタルケアの知識で破滅フラグをへし折ります〜
case5 災害とPTSDとPFA
#5 サイコロジカルファーストエイドって何かの呪文みたい
突然、頭上が陰り、地面が揺れた。
「お嬢様!」
護衛を兼ねた従者のウリエルが、とっさに私へ覆いかぶさる。
いつの間にか私より背が高くなり、ずっと逞しくなった彼に庇われつつ、揺れに耐える。
「……どうも、ロックドラゴンのようですね」
なるほど、この揺れは、ドラゴンっていうより岩でできたリクガメ感満載のあいつが原因か。
かなり遠くに、派手な地響きとともに闊歩する魔獣の巨体と追い立てられてるのか奇声を上げるワイバーンが、ウリエルの肩越しにチラリと見えた。
地震と暴風のダブルとか、災害が過ぎる。
恐怖心より先に思わず遠い目をしてしまう。
地震や台風、大雨などのいわゆる自然災害は、この世界では大体魔獣のせいだ。
よほどのことがないかぎり、基本、彼(彼女?)に人間を襲う意志はないのだ。ただ、気まぐれに寝床をかえたり、散歩をしたり、時に狩りなどの遊びに興じる。
そして、それが人間の生活圏を脅かす。
地震大国日本に、つい思いを馳せる。
日本でも古くはナマズのせいって説もあったりしたけど、こっちの世界はガチなのよ、すごいよね異世界ファンタジー。
そして、楽しいお忍びショッピングも、ここで強制終了なのだ。
ああ、可愛い雑貨とか見てまわりたかった。画材屋さん覗きたかった。古書店にも行きたかった。
でも、できない。
ロックドラゴンはとにかく重い。
あいつが歩くと地面が揺れるだけじゃなく、あちこち陥没する。建物も倒壊する。
ある程度は対策してるけど、今回はワイバーンを追ってるせいで被害範囲がやばい。
時間にしてわずか数十秒だったとしても、やばい。
壁が崩れ、道路がうねり、混乱が広がっていく。
そして、目の前の出来事に動揺した人たちが阿鼻叫喚にーー
「落ち着け! ここは我ら王宮騎士団が対応する!」
よく通る頼もしい声が群衆の中に飛びこんできた。
「襲撃や倒壊の恐れがない場所、食べ物と飲み物、休む場所の確保、それから家族の安否の確認を!」
パニックになりかけていた街の人たちがハッとしたように動きを止める。
騎士たちが隊長の指示に従って平然と対処していくのを見て、自分たちも一定の冷静さを取り戻していく。
そういえば、以前にラファエル殿下とのお茶会で災害対策について話してた時に、編成するとか言ってた。
あり得ないほど迅速にこちらの提案が通るのってちょっとおかしい。
けど、それは一旦横に置いとこう。
懸念事項があるのだ。
「ウリエル、教会へ行きましょう。確かあそこは避難場所に指定されているわ」
「はい、お嬢様」
揺れの余韻がまだ続く中、私を抱えながら素早く転移の魔法陣を敷いてみせるウリエルの頼もしさが止まるところを知らない。
瞬きの間に、いつもの教会の庭先へと降り立つ。
教会につけば、シスターたちが避難してきた人たちのケアに当たっていた。
応援要請でもしたのか、ふだんは見かけない別教会のシスターの姿もちらほら。
その人たちが、庭の隅でひとかたまりになって怯える子どもたちに対応してる。
「怖かったでしょう?」「何が起きたの?」「どんなことがあったの?」「何をみたのかしら?」「お話しして」
服装から孤児院の子たちだとわかるのだけど、傷だらけで、しかも、その子たちのものじゃない血までべったりついてた。
ただごとじゃないってことが一目でわかる。
だがしかし、専門家でもなんでもないこちらが今やることはそれじゃない。
「お待ちになって。子供たちが怖がってますわ」
「あなたは?」
「わたくしは、ルシエラ。この教会で心のケアにあたっているものですの」
まあ、コレは嘘ではない。
「心のケアでしたら、いま私たちが」
お忍びだから、服装も貴族感がないし、別教会のシスターは怪訝なカオをしてみせる。
まあ、子供が何をいうんだってとこよね。
「ええ。ですが、いまこの子達に必要なのは、お話をさせることではなく、安心して休んでもらうことだと思いますの」
根掘り葉掘り聞くのがケアだと思ったら大間違いだし、この状態でソレやったらPTSDまっしぐらだよ。
ひと昔前ならね、話すことがよいことだってなっていたけど、いまは違う。
『サイコロジカル・ファーストエイドーーPsychological First Aid(PFA)』
何かの呪文みたいだけど、日本語に直せば、『心理的応急処置』となる。
災害とか事故とかの被害者に対して、ストレスとなった出来事を積極的に語るよう求めるのは、相手の心の傷を抉る行為に等しい。
専門家によるサポートもなしに、踏み込んでいいことじゃない。
心理的支援者としてやるべきことは、常識的かつ穏当に相手を尊重し、相手のニーズを把握して、相手が自己回復できる環境を整えることなのだ。
安全を確保して、休息できるようにして、家族や大切な人の安否を確認できるようにして、必要なところへ繋いでいく。
あとはね、トラウマを思い出すキッカケになるものから遠ざけるというのもある。
なんてことをつらつら思い出しつつ、ひとまずは、子供たちに優しく声をかけ、怪我の確認と応急処置、着替えや飲み物の準備が整った教会わきのテントへ誘導。
子供たちから怯え以外の表情が少しずつ出てきたけれど、多分しんどいのはこれからかな。
この教会のシスターにあとを任せて、お手伝い要員の彼女たちへ改めて、先ほどのお話を。
積極的に語らせる心理的デブリーフィングの危険性と、サイコロジカルファーストエイドの心得的なものとかね。
ふと、テレビやネットニュースを見ては、心無いインタビュアーやら心理カウンセラーやら相手に険しい顔になってた看護師の同僚を思い出す。
『"地獄への道は善意で舗装されてる"って言い得て妙かよ、実践すんなよ、ざけんな』
オタク話のできる貴重な文学系同僚のお言葉が刺さるのだ。
自分への戒めにしてるというのもある。
無知の善意で心を踏み荒らされて、二次災害を受ける事態は全力で避けたい。
本人が語りたいなら話を聞くのはいいけどね、こっちからほとんど興味本位レベルで根掘り葉掘り聞いて話させるのは違うんだよ。
「……そういうものなのですか?」
「ええ」
できるだけ穏やかに言葉を紡げば、おもいのほかあっさりと彼女たちはそれを受け入れてくれる。
なんなら、自分たちもそれができるようになりたいとまでいう。
ほら、やっぱりなんかおかしい。
こっちのいうことに、しかも見知らぬ子供の言うことに疑問持たないんだもん。
やっぱり普通じゃない。
これ、絶対何か起きてるでしょ、私に。
いや、でもひとまずは、子供達や被災した方々の心が守れるならそれでよしと思おう。
色々横に置くクセがつきつつある私のそばで、気配を消してたはずのウリエルが小さく溜息をついていたけど、とりあえず、良いことにする。
**
公認心理師の試験勉強中に思いついたネタ。
事例とか知識とかを取り入れて断片的に綴っていくシリーズ。
▶︎用語
・サイコロジカルファーストエイド(PFA)→危機的な出来事に見舞われた人々の心の応急処置として提唱されたガイドライン
・心理的デブリーフィング→トラウマとなった体験の詳細やその時の感情を語ってもらい,ケアをしようという技法。現在は、より悪化させるものとして否定的
・PTSD→ 心的外傷後ストレス傷害。トラウマとなる出来事により日常生活に支障をきたしている状態。診断基準あり。
【登場人物】
・私(ルシエラ)→悪役令嬢に転生した精神科看護師兼公認心理師。なにやら『スキル』に目覚めている模様。
・ウリエル→暗殺者として育てられてた孤児だが、いまはルシエラの従僕。虞犯少年からの脱却。