世界のブナの森

山形を拠点に、世界のブナの森と、極東ロシアを巡る博物誌

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早春のオリエントブナの林に咲くクリスマスローズHelleborus orientalis


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庭のタヌキ、その後

雪が積もってしばらくは姿を見せず、近所で餌をもらっているらしい3頭のネコが代わるがわる横切っていくだけだったが、12月28日に雪が消えると、早速タヌキのトイレが復活していた。29日夜も、19時、21時、午前2時と複数頭が何度も来ている。が、30日夜からまた雪になったので、当分は来ないだろう。

庭のタヌキ

11月以降、自宅庭にタヌキの溜め糞が出現した。私にとってはそこそこ重要な植物が隙間なく植えてあるのだが、12月に入ると2ヶ所に増加した。タヌキが庭にいること自体は嬉しいが、溜め糞によって植物が枯れることは好ましくない。

 少し調べると、青いLED灯に忌避効果があるとのこと。12月8日の日中にまず糞を全部取り除いたうえで、暗くなった17時、灯火採集用のブラックライト2つをセットしたが、翌朝には2ヶ所の溜め糞に3個の糞が追加されており、ブラックライトは効果がなかった。

 ホームセンターで動物忌避剤のコーナーを見ると、「猫まわれ右」とか様々なネーミングのものが並んでいるが、化学物質は使いたくない。店員からウルフピー(アメリカ製、ハイイロオオカミの尿)を「効果絶大です」と勧められ、容器に入れて仕掛ける。

 10日の朝には、また大きな糞。タヌキは忌避するどころか、容器を齧ってウルフピーを飲んでいた。農研機構の「ウルフピーはイノシシには効果なし」という記事を見つける。

 再びホームセンターに行き、シカ柵に使うワイヤーメッシュを購入して自宅庭に設置。でも地形が複雑なので、抜け道だらけ。木酢液を原液で散布したが、11日、12日、13日、14日と朝には相変わらず溜め糞が増え続け、木酢液にも効果なし。毎日糞を回収するのが日課になっている。300メートルほど離れた果樹園で、カキやギンナンを食べては我が庭まで用を足しに来ている。

 13日、センサーカメラを設置。14日にチェックすると、まさか明るい時間帯に堂々と出てきていたことを知る。

自生するスギ

 

スギCryptomeria japonicaは日本特産で、世界的にみれば極めて特異な針葉樹だ。ここ数日は少しきっかけがあって、スギの自生地(自然分布)について調べ、考え続けている。

 

山形県内の自生地で、道のない無名尾根をたどるなかで、自生するスギと人工林のスギとの形態の違い、混生するブナとの木材利用の違いなどをかなり理解できた。

 

ブナ林のなかに混生する。

 

 

 

スギ林のなかのブナには薪炭利用で伐採してきた来歴が色濃い。

 

繰り返し伐採を受けて株立ちになったブナ。標高200メートルほどだが、雪が多いのでこのような樹形になる。

 

スギCryptomeria japonicaの枯れ枝に残されていたヒメスギカミキリCallidiellum rufipenneの食痕

 

同じくスギノアカネトラカミキリAnaglyptus subfasciatusの食痕

 

ミズナラの倒木に生えていたナメコPholiota microspora

 

ギフチョウの食草コシノカンアオイAsarum megacalyx

11月22日、山形県戸沢村

保護色

 

時雨の合間に、陽だまりのヒメアカタテハとアキアカネ。どちらも保護色。11月21日、山形市

アオマダラタマムシ

イヌブナ林のアオハダの枯死部で成虫になって春を待つアオマダラタマムシNipponobuprestis amabilis。これまで知られていた分布は山形・福島県以南だった。宮城県初記録。

 

イヌブナ林のマイマイカブリ。

Damaster blaptoides in the forest of Fagus japonica.

宮城県丸森町、11月15日

干し柿など

子どもの送迎で長井へ。空き時間に近傍を回る。

キトンボ、ナツアカネ、アキアカネのそろい踏み。

 

散居集落

 

ツキノワグマに派手に食べられたカキ

以上11月14日、飯豊町

 

日没直前に、所用の合間に短時間の寄り道。干し柿の最盛期。

11月14日、上山市

 

 

初冬の森

初雪を経て、初冬の冷たい光を受けるブナのあがりこ。

 

雪をまとい、かつての炭焼き釜の輪郭が浮かび上がる

 

標高を下げるとそこはまだ晩秋。コシノカンアオイ。

 

美しいキヒラタケ

11月13日、鶴岡市月山山麓

雲海と月山

子どもたちの通学路からの月山。

 

少し出遅れて、雲海がぐっと上がってしまった。ただ、我が家も朝は真っ白な霧のなかで、晴れていることも分からないのだ。

 

畑を彩る食用菊

 

庭にスッポンタケが生えてきた

 

スッポンタケ

11月12日、山形市

イヌブナの森

イヌブナFagus japonicaは若いころから中国山地でよく見てきたが、これまであまり撮影できていなかった。2010年の晩秋にしっかり撮影しておこうと思い立ち、阿武隈山地の北部を広く走り回ったなかで、最も林の保存状態のよい場所として、福島県飯館村の谷筋を定点に選び、その後2011年の1月、2月と通っていたのだが、3月の原発事故のあとは長く入れなくなってしまった。

本年から再び撮り直そうと足を運んだが、昨秋の台風による影響で道路が寸断され、谷の上方からも下方からも入れなくなっていた。そこで、阿武隈山地を探し歩く日々がまた始まった。

イヌブナ自体はどこにでもあるが、急峻な崖にしか残っていないことが多い。現状だけをみれば、阿武隈ではイヌブナは渓谷の急峻な斜面に自生しているのだが、常に里山以前を考えるなかで、農地や二次林に姿を変える前の、浅い沢の源頭部などにはイヌブナ林が広がっていたであろうことを推定してきた。そうした自生地は、極めて断片的だが仙台市の青葉山などに残っている。

今日は新しい山域を歩くなかで、ようやく極めて保存状態のよいイヌブナの林にたどりついた。ここを今後しばらくのイヌブナの撮影の定点にしよう。

 

 

株立ちになるイヌブナの特徴が撮れる場所を探し歩いたが、イヌブナ林は雑然とすることが特徴なので、撮影は難易度が高い。次は若葉の季節にしっかりと撮ろう。

 

株立ちの幹の1本が倒れ、そこにキノコが生えてゆく。

 

ムキタケ

 

干からびたナメコ

 

ブナハリタケ

ムキタケは最盛期。ブナハリタケはこの1株を除いて、何本もの倒木に朽ちたものが大量に干からびていた。ナメコは乾燥していたが、10月下旬に来れば、イヌブナに生える様々な種を撮ることができそうだ。ただし、この場所は特別にキノコが豊富なわけではない。ここでも以前はキノコ採りは盛んに行われていたが、10年前から採ることができなくなったので、残っているだけだ。

 

朽木のコケが美しかった。

 

Fagus japonica is a beech species endemic to Japan. Two species of beech are distributed in Japan, F.crenata and F.japonica. F.crenata is popular, but F.japonica is not well known. F. japonica is closely related to F. engleriana in China, but different species.

11月11日、宮城県

10年後の農地

津波の時点で農地だった場所は、ひとまず農地に戻す、個別の利用はその後考える、という方針が閣議決定でなされたために、すべての農地では表土を剥ぎ、塩分を抜いた土を戻し、水路は原型復旧を基本にしながらも地元からの要望があればコンクリートにするという方針でほぼコンクリート化され、小河川の堤防もコンクリート化された。農地で農業を継続する後継者が大幅に減少することは分かっていたのに、「国の方針だから例外はあり得ない」と、使われる予定のない農地が作られ続けた。土地所有者からは、「国に買い上げてもらえるものならぜひそうしたい」という話を何度も聞いたが、「農地だった場所はひとまず農地に」という方針があったために、例外は認められなかった。

そして現在、多くの農地は作られることのない荒れ地になり、あるいは太陽光発電に「有効利用」された。太陽光発電には、土壌を入れ替えて水路を完備することが必要だったのだ。

 

 

この日本社会の総力を挙げて、皆が不眠不休で働き、研究機関は「復興」に限定された莫大な助成金をこぞって獲得し、大学や学会はシンポジウムの開催を競い、国をあげて技術と知恵を尽くした、この荒れ地はその結晶なのだ。なのに、関わったはずの人々は胸を張るのではなく口をつぐみ、当時から「仕方ない」と繰り返していた。

一般的には行政の責任にして批判する人が多いが、そうではない。メディアは総力を挙げて工事を急かし続け、遅れている場所があれば批判したし、何よりも国民全体の「早く復興を」というあまりにも大きな声が圧力となって、行政にも政府にも、立ち止まって考えることを許さなかった。いまの日本社会では、どれだけ知恵を尽くしても、この荒れ地以上のものは生み出せないのが現実だったのだ。

ひととおりの工事が終わったあと、それまで沈黙していた人々が全体の構図を理解しないまま、行政などを悪者に仕立てて批判する声がSNS上に氾濫したが、それも一過性のもの。

 

民間の識者の反対意見を束ねて一元化しては各省庁と交渉を重ねた5年間が、私に重くのしかかる。仕事でもなく誰から頼まれたわけでもなく、ただあの大湿地や砂浜を残す方法を模索したが、やはりこの荒れ地を作り出した歯車のひとつにすぎなかったのだろう。回転方向が違ったので、動きをずいぶん遅らせ続けたが、全体の動きすなわち社会の壁は厚かった。

11月10日、宮城県仙台平野

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