バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

バイク馬鹿 ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。


うちの奥さんがやっている広島のたこ焼き屋さんです!


 



ベースレッスンは難しい契約など無しで即日スタートできます。


ここをクリックしてホームページをご確認ください。

令和8年6月15日午前4時25分頃、妻であり「3丁目のたこボール」オーナー店長の西本聖子(きよこ)が、広島市西区の西広島バイパスにおいて普通乗用車に追突される交通事故に遭い、救急搬送先の病院にて死亡が確認されました。

6月16日に通夜を、6月17日に葬儀・告別式を執り行い、いずれも滞りなく終了いたしましたこと、また献花台の設置などについては昨日まではSNSやホームページを通して投稿いたしました。

 

 



image

ここ数日はどうしても業務報告的な内容を発信する必要があり、私のFacebook、妻のFacebook、店舗のSNSともに現在は私が運用しているため、私個人の気持ちについては触れず、事実を淡々とお伝えしてきました。

 

長文になるかもしれませんが、今の思いを書き綴ることで、自分自身の気持ちを整理したいと思います。

昨日、ようやく聖子の遺骨とともに子どもたち3人と自宅へ戻りました。

久しぶりに家族全員が揃って帰宅した形になりました。

通夜の夜も、子どもたち3人と棺の中の聖子のそばで眠りました。

布団は2組しかなく、みんなで川の字になって寝ました。

子どもたちが小さかった頃、聖子と私で子どもたちを挟んで川の字になって寝ていたことを思い出しました。

 


さて

6月14日(日)、私は東京で勤務している音楽学校の文化祭のようなイベントに参加していました。

一日中動き回り、かなり疲れて東京のアパートへ戻りました。

その日は早めに就寝しました。

そして6月15日(月)深夜午前2時40分。

携帯電話の激しいバイブレーションで目が覚めました。

画面を見ると広島県廿日市市の市外局番からの着信でした。

夜中に市外局番から電話がかかってくることなど、良い知らせであるはずがありません。

心臓が激しく鳴るのを感じながら電話を取りました。

ある救急病院からでした。

その時点では、聖子が事故に遭ったという報告でした。

「今すぐ来られますか」
「すぐに来られる親族はいますか」

そう聞かれました。

私は2年前にバイクの自損事故で救急搬送された経験があります。

そのため、この時は「大怪我をしたのだろう」と考えていました。

その後、一度電話が切られました。

私は動転しながら、どうやって広島へ帰るのが最も早いのかを調べ始めました。

レンタカーで帰れるのではないか、など現実的ではないことまで考えていました。

冷静になって調べると、

午前4時47分発の井の頭線に乗れば、新幹線を利用して午前9時39分に広島へ到着できることが分かりました。


午前3時1分、再び電話がありました。

医師から、心肺停止後30分以上が経過していること、一度は心臓が動いたものの、回復できる保証はないことなどを説明されました。

そして看護師さんから、

「奥さまには聞こえていると思います。最後に声をかけてあげてください」

と言われました。

私は電話越しに、

「愛している」
「ありがとう」

と伝えました。

返事はありませんでした。

再び電話は切れました。

午前3時17分にも電話がありました。

状況はさらに厳しいこと、私の母は来られるかという確認などでした。

しかし高齢の母が深夜に動くのは現実的ではありません。

私は「私が午前10時半頃には病院へ行きます」と伝えました。

その後、荷造りを始めました。

そして家を出る直前の午前4時26分。

病院から電話がありました。

正式に心肺停止したとの連絡でした。

私は、その言葉の意味を理解できませんでした。

急いで帰れば何かできるのではないかと、本気で思っていました。


そこからの移動は地獄のようでした。

電車も新幹線も、まったく前へ進まないように感じました。

涙で前が見えませんでした。

 

午前6時15分。

意を決して家族LINEで子どもたちへ連絡しました。

北海道、神奈川、高知にいる子どもたちが動揺し、事故に遭わないかが心配でした。

医師を目指している長女は、すぐに兄たちへ電話をかけてくれました。

その後、娘と電話で話しました。

新幹線のデッキで、二人とも泣きながら話しました。

私の母とも連絡を取り、子どもたちと合流方法を相談しました。

その後、警察から連絡が入りました。

救急病院から、広島県警察本部 高速道路交通警察隊へ移送されているため、病院には行かないでほしいとのことでした。


広島へ到着後、一度自宅へ戻りました。

急ぐべきなのに、もう1分2分早く着いたところで事態は変わらないという思いもありました。

猫たちのトイレを掃除し、餌を与えました。

そして場所を確認し、広島IC近くにある広島県警察本部 高速道路交通警察隊へ向かいました。

到着してまず事故車両を確認しました。

後方から追突された事故であると説明を受けました。

私はその瞬間まで、自損事故だと思っていました。

事故の状況について説明を受け、少なくとも私が想像していたものとは違うことを知りました。

その後、各種手続きがありました。

こういう時にも事務的な手続きがあるのだなと思いました。

そして遺体と対面できると言われました。

案内された安置場所で聖子と対面しました。

顔には出血の痕があり、両手には包帯が巻かれていました。

私は顔以外を見る勇気がありませんでした。

その時に初めて、本当に亡くなったのだと実感しました。


その後は親族や子どもたちとの合流、葬儀の準備に追われました。

午後2時40分には私個人のFacebookで訃報を発信しました。

不謹慎と思われるかもしれませんが、3丁目のたこボールの休業をお知らせしなければならないという思いがありました。

店舗のSNSにも転載しました。

その後、ご遺体を葬儀場へ移送することとなり、広栄社株式会社 葵会館様にお願いしました。

午後5時40分頃、子どもたちや親族が集まりました。

しかし現実は泣いてばかりいられる状況ではありませんでした。

通夜の準備、葬儀の準備、席数、香典返し、祭壇、お花、料理など、本当に多くのことを決めなければなりませんでした。

音楽の仕事では考えられないほどのスピードで、翌日の式を準備していく必要がありました。


そんな中、聖子のiPadが開けることに気づきました。

Facebookにもアクセスできました。

そして午後9時50分、聖子本人のアカウントから通夜の案内を発信することができました。

それはとても大きな安心でした。

また、当初は聖子の親族と連絡が取れず苦労しました。

仕事用の携帯電話から連絡先を見つけることができ、ようやく連絡がついた時には本当にほっとしました。


通夜当日も慌ただしく過ぎました。

私は喪服も革靴も東京に置いたままでした。

長男も仕事先から直接来たため喪服がありませんでした。

急いで買いに行くなど、本当に慌ただしい一日でした。

 

image

 

通夜では涙が止まりませんでした。

聖子への思いももちろんですが、多くの方々が集まってくださり、どれほど愛されていたのかを実感したからです。

結果として300名を超える方々にご来場いただきました。

立ち見になってしまった方、駐車場に入れず帰られた方もおられたと聞いています。

本当に申し訳なく思っています。

葬儀場の方からも、一般の方でここまで多くの来場者は珍しいと伺いました。

香典返しが不足し、後日配送になった方にもご迷惑をおかけしました。


image

その夜は家族で聖子のそばに集まり、再び川の字になって眠りました。

 

翌17日の葬儀・告別式も無事に終わり、火葬場へ向かいました。

多くのご友人にもお見送りいただき、お骨も拾っていただきました。

聖子も喜んでいると思います。


帰宅後、一つ気がかりなことがありました。

事故現場へ献花に行きたいという方がいることを知ったからです。

しかし現場はバイパス道路です。

飲食物や花が飛散すれば新たな事故につながる可能性があります。

また、私たち家族が回収に行くこともできません。

そこで子どもたちと話し合い、自宅前に献花台を設置することにしました。

 

image

準備を始めると、ちょうど聖子を偲んで来てくださっていた友人たちがいました。

せっかくなので一緒に作ってほしいとお願いし、献花台が完成しました。

すでに多くの方が手を合わせてくださっています。

地域の子どもたちが寄せ書きをしてくれているのも見ました。

本当にありがたいことです。


献花台について詳細は以下ページを必ずお読みくださいませ。

 

 

 

 


そして今日です。

子どもたちは疲れ切って熟睡しています。

私は朝早く目が覚めました。

 

事故前に遡りの事故前日、聖子は娘のフットサルの試合を応援しに兵庫へバイクで行っていました。

試合で2位になったと写真付きでLINEを送ってくれていました。

 

私はその時すぐには見ていませんでした。

病院からの電話を受けた後に見返しました。

「あの時、気をつけて帰りんさいと言えばよかった」

「高速道路を使って帰りんさいよと言えばよかった」

何か優しい言葉を返してあげればよかった

そんな後悔はあります。


今回の事故について、家族の中で相手への憎しみが話題になることはありませんでした。

もちろん許したという意味ではありません。

ただ、怒りを向けたところで聖子が帰ってくるわけではありません。

 

3日が経ちました。

悲しみはまったく消えていません。

それでも現実は前へ進み続けます。

手続きや対応は山のようにあります。

単身赴任中の私が広島の家をどう管理するのか。

猫たちはどうするのか。

仕事はどうするのか。

いろいろな現実が押し寄せています。

今、聖子がいたら、

「俺はどうしたらええん?」

と聞いていたと思います。

きっと、

「そんなの自分で決めんさいや」

と言われるのでしょう


こうして文章を書いている今でも、

「お父さん、朝ごはんできたけぇ上がってきんさい」

という声が聞こえてきそうです。

遺骨の入った小さな箱と遺影を見ていると、葬儀場にいた時よりも現実感が薄い気がします。

 

昨夜も子どもたちと将来のこと、私の老後のこと、兄妹が仲違いしない仕組みを作ろうという話をしていました。

リビングには笑い声もありました。

近所の方に「西本家は不謹慎だな」と思われるかもしれないと一瞬考えたくらいです。

でも、それも家族が前を向こうとしている証なのかもしれません。


今日からは聖子のiPhoneのロック解除の問題、取引先との精算、3丁目のたこボールの出店中止連絡など、まだまだやるべきことが続きます。

 

幸い、子どもたちが全員いてくれます。

私よりもしっかりした子どもたちで、本当に頼りになります。

そして皆さまのFacebook投稿を読ませていただくたびに涙があふれます。

聖子がどれほど多くの方に愛されていたのかを知ることができました。

妻でいてくれたことを誇りに思います。

 


乱文となりましたが、ここをご覧になる方はもちろんのこと、特に県内外の旧友や仕事関係の皆さまへ、私が今どのような状況なのかをお伝えしたく、この文章を書きました。

 

式場では十分にお話しすることも、お礼をお伝えすることもできませんでした。

 

そのことがずっと気がかりでした。

まだ気持ちの整理はついていませんし、これからも様々な手続きや対応が続きます。

それでも、この数日間でどれほど多くの方に聖子が愛されていたのかを知ることができました。

 

皆さまからいただいた言葉や思いは、家族一同の支えになっています。
子供達と僕たちはお通夜と葬儀の感想は「やっぱうちのお母さんは最後まで凄いわ!!!」という感想でした。
 

今はまだ一つひとつを受け止めるのが精一杯ですが、落ち着いたら改めてお礼をお伝えしたいと思います。

本当にありがとうございました。


私も子供達も前を向いて進んでいます。
 

2026年6月18日
西本 圭介

 

今日は2026年6月9日。

ふと気付けば、あの事故で県立広島病院に入院していた頃のブログを書いてから2年が過ぎていました。

当時の記事を読み返してみると、手術の痛みやリハビリの苦しさ、思うように動かない左手、車椅子生活の不自由さ、そして「もう二度とバイクに乗らなくてもいい」と本気で思っていた自分がいました。

正直、あの頃の自分に今の姿は想像できなかったと思います。

 

imageimage


左手と左足はどうなったのか

結論から言うと、完全には元に戻っていません。

左足の複雑骨折と左手中指の骨折から2年。

歩けるようにはなりましたし、普段の生活にも大きな支障はありません。

ただ、怪我をする前の身体と全く同じかと言われると、そうではありません。

寒い日や疲れた日は違和感を感じることもありますし、指の可動域も決して100%ではありません。

それでも、あの病室で「ベースが昔みたいに弾けなくなるかもしれない」と不安に思っていたことを考えれば、今こうして普通にベースを弾き、授業をし、仕事をし、バイクに乗れていること自体が奇跡みたいなものです。

 


ベースは再び弾けるようになった

あの時のブログには、

「ベースが弾けるようになった姿を見せることが、自分が回復していることを伝える一番良い方法だ」

と書いていました。

結果として、それは実現できました。

リハビリ代わりにベースを触ろうと思っていたのですが、気付けばベースがリハビリそのものになっていました。

指が思うように動かない。

力が入らない。

以前なら簡単だったフレーズが弾けない。

そんな現実に何度も直面しました。

それでも少しずつできることが増え、いつの間にか人前で演奏することへの抵抗もなくなっていました。

2年前の病室で想像していたよりも、ずっと普通に音楽を続けています。

 


教員としての価値観は本当に変わった

実は、この2年間で一番変わったのは身体ではなく仕事への考え方かもしれません。

入院中のブログでは、

「学生にとって看護師のような存在になりたい」

と書いていました。

あれは入院中の感傷でも何でもなく、本当に今もそう思っています。

病院で学んだのは、人は正しいことを言われるだけでは前向きになれないということです。

同じ処置を受けても、同じリハビリをしても、言葉の掛け方一つで気持ちは大きく変わる。

教育も同じでした。

良い授業をすること。

良い知識を伝えること。

もちろんそれは重要です。

でも学生たちは、人として見てもらえているか、自分を気に掛けてもらえているかという部分にも大きく影響を受けています。

事故がなければ、今ほどそのことを実感できていなかったかもしれません。


「健康が全て」は本当だった

入院中に書いた

「全ては健康あってのこと」

という言葉。

2年経った今でも全く変わらない考えです。

むしろ以前より強く思います。

仕事も趣味も音楽もツーリングも、人間関係も。

結局は身体と心が健康だから楽しめる。

事故を経験すると、その当たり前がどれだけありがたいことなのかが分かります。

何も問題なく歩けること。

好きな時に風呂へ入れること。

トイレへ自由に行けること。

好きな楽器を弾けること。

当時は全部失っていました。

だから今は、そういう何気ない日常に以前より感謝できるようになりました。


そして、またバイクに乗っている

あの頃は本当に怖かった。

「もう乗らなくてもいい」

と書いていました。

実際、退院後しばらくはバイクを見るのも複雑な気持ちでした。

でも不思議なもので、人間は少しずつ前に進むものです。

今、久しぶりに乗っているのは自宅にあるビジネスバイク達。

速さを競うバイクではありません。

むしろ景色や音や振動を楽しみながら走るようなバイクです。

事故前の自分なら、もっと性能や速さに目が向いていたかもしれません。

でも今は違います。

「今日も無事に帰って来られた」

そう思えることが一番大切です。

 


2年前の自分へ

大丈夫。

ちゃんと歩けるようになる。

ベースも弾けるようになる。

授業もできるようになる。

そしてまたバイクにも乗る。

ただし、以前と同じ人間には戻らない。

少し慎重になって、少し優しくなって、少し健康のありがたみを知った人間になる。

それは失ったものではなく、事故を経験したからこそ得られたものだったと思う。


2年前の病室で励ましの言葉をくださった皆様、本当にありがとうございました。

おかげさまで、今こうして元気に暮らしています。

そして今日もまた、安全第一で。

皆様も、ご安全に。🏍️🎸
 

新年あけましておめでとうございます。

 

image


皆さまにとって、2026年が心穏やかで実り多い一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
 

昨年も多くの方々に支えられ、仕事でも私生活でも本当に充実した一年を過ごすことができました。
特に神戸勤務から渋谷勤務に変わり、昨年の春からは下北沢へ単身赴任して生活をスタートしました。
改めて、日々関わってくださるすべての皆さまに感謝いたします。

 

さて、年末には家族にとって一つ大きな節目となる、嬉しい出来事がありました。
長男・アキラと、のどかちゃんが昨年結婚しました。
そのお祝いするパーティーを、ささやかながら家族・親戚の方々と共に開くことができました。

 

僕の弟は福岡から帰省してくれましたし、次男のマサキは北海道からオーストラリアを経由して帰省しました。
アキラとのどか夫婦は東京から帰省してくれました。
長女の陽子は香港に旅行に行っていて不参加だったのが残念ではありました。
 

image

 

当日は終始和やかな空気に包まれ、二人の人柄そのままの、温かく笑顔あふれる時間となりました。


新しい人生を歩み始めた二人の姿を見ながら、親として胸がいっぱいになると同時に、ここまで多くの方に支えていただいたことを改めて実感しました。

 

image
 

これから先、楽しいことばかりではないかもしれませんが、二人ならきっと力を合わせて、一歩ずつ歩んでいってくれることと思います。

親としては、少し距離を保ちながら、変わらず見守っていけたらと思っています。

image

新年早々、大雪の広島でした。

新しい年の始まりとともに、家族の新しいスタートを迎えられたことに感謝しつつ、今年も一日一日を大切に過ごしていきたいと思います。


image

昨日は次男マサキくんが東京経由で北海道の釧路市阿寒町へ戻りました。

さきほど、アキラ夫婦も東京へ戻りました。

 

今夜は奥さんと僕の二人に戻るのですごく淋しくなりますね....。

 

明日には僕も東京へ戻ります〜🚅

 

image

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

先日、長年の親友であるくぢらちゃが、なんとフェラーリF355(1998年後期型)を手に入れたとの知らせが!
クルマ好きとしては居ても立ってもいられず、すぐに見せてもらいに行ってきました。

 

image

目の前に現れたF355は、まさに芸術品。

 

image


流れるようなボディライン、独特の低いフォルム、そしてフェラーリのアイコンでもある赤の輝き――。
イタリア車ならではのデザイン哲学が、そのまま形になったような美しさでした。

 

image

 

見せて同乗させてもらえるだけでも十分に感激だったのですが、
なんと松本さんのご厚意で、人生初のフェラーリのハンドルを握らせていただくことに!

 

image

エンジンをかけた瞬間、V8サウンドが背中を震わせます。
アクセルを少し踏み込むだけで、全身に響くあの独特の咆哮。
回転が上がるたびに音が変化していくのが、まるで生き物のようで、まさに“フェラーリの鼓動”という言葉がぴったりでした。


ステアリングの重さ、クラッチの感触、そしてシフトを入れるたびに伝わる金属的なフィードバック——
どれもが特別で、まるで“運転する”という行為そのものが儀式のように感じました。

 

 

ほんの短い時間でしたが、忘れられない体験。
フェラーリというブランドがなぜ世界中の人々を惹きつけてやまないのか、その理由を身をもって理解した気がします。

松本さん、本当に貴重な経験をありがとうございました!
 

 

こんにちは。

久しぶりの投稿です。

夏休み期間中は学校の仕事で結構いそがしかった。
個人的には夏休みという気分はほとんどなかったな。

 

今回はタイトルのとおり「3タコ海外ツー企画 ベスパで走るイタリアの小さな町」を書きたいと思います。

 

最初に書きますが、僕はイタリアには行っていません。
奥さんと3人の子供達がイタリアに旅行に行ったという話です。

奥さんはだいたい3年に一度の頻度で子供達と海外旅行に行っている。
前回は次男がワーホリしていたニュージーランドへ、その前は台湾でスクーターで走ったり。

今回はベスパでイタリアを走ろうということなのです。

image

 

まずはトルコのイスタンブールへ
奥さんいわく、せっかくならイスタンブールを体験したかったので乗り継ぎをここにしたらしい。
今回のレポートはこのツアーを企画したバルコムツアーのURLを貼りますね。

 

 
image
 
長男と娘も安全にバイク乗ってください。
 
image
 
僕は現地でアップされたフォトアルバムを随時みながら、彼らの行動を見ていて、自分も行ったようなドキドキ気分でした。

 

 

image

 

僕はイタリアにはバンドのツアーで演奏に行ったことはあります。
ただ、演奏ツアーなので観光地などはいかずライブハウスの周りしか見ていないので、実際にイタリアっぽい記憶はパスタを食べに行ったことと、エスプレッソがめちゃ美味かったという記憶だけっす...

 

 

image

 

うちの子達は全員バイクの免許を持っているので、こういうバイクツアーは最高ですよね。

 

image

 

僕自身は愛車を数ヶ月前に売却して、今は自分の愛車を持ってないのですが、今後愛車を買う計画があるかと言われると、今はノーです。

自宅には乗り切れないほどの小排気量のビジネスバイクがたくさんあるので、近場ならそれで十分。

最近は大排気量で遠くに行きたいという願望がなくなったので、ほしいバイクもないのですね。

image

 

 

今の自分の心境として彼らのツアーレポートを見ていて感じたのは、このツアーはだいたい45万円くらいで+燃油サーチャージ(9万)と食事やお小遣いという感じ。
決して安いとは言わないけど、5~60万のバイクを買って盆栽にするくらいならば、200万のバイクを買ったと想定すると、3回くらいは海外でバイクを乗れる。

残りの人生で後何回海外へ旅行をできるかと考えると、何十回ということはありえないし、2~3回行ければ御の字かもしれない。

image

 

だとすると、バイクをこういう楽しみ方をするというのも一つの手かもしれないと思ったしだいです。

 

 

僕も以前、ハーレーでアメリカを走るツアーをクラブハーレー誌さんと回ったことがあるけど、それはすごい体験だった。
ハーレーを買っただけでは日本で経験できない景色をたくさん見た。

image

 

僕は行けなかったけど、奥さんと子供達がこんな経験をすることはとても大切なことだと思う。

 

バスでのツアーと違ってバイクのツアーだと寝て移動するわけにはいかないので、移動中もすべて思い出になる。
 

彼らの人生観も大きく変わったのではないかと思います。

 

 

 

ということで、僕は留守番をしながら、近い将来どくか海外でバイクで入る経験をしたいな....と夢想中でした。
 
この辺で!!!