ロンドンに居た間も、
大して日本語から遠ざかっていたわけではないのだけれど
(友だちとの会話とか、
何よりインターネットの世界は、
殆んど日本語なので…)

通常のショッピングのような、
身に染みついた系の場面や会話となると、
さすがに、
ここ一年ちょっとのブランクが、
弊害として突如表れ、
わたしをまぬけ化する。

小銭を出すのに、妙にまごまごしちゃったり、
返事をするのに、妙に丁寧になっちゃったり、など。


とはいえ、
そんな現象も、
今までさほど気にしてなかったのですが、

さっき…

コンビニで
店員さんに「レシートはご利用ですか?」
と、聞かれ、


一瞬まごついた上に、
ひとこと、

「頂戴。」

と、言ってしまいました。


…どんだけ…
無邪気なんだか横柄なんだか。

コドモか、
はたまた、
マダムか…。


突然、レシートの有無を尋ねられる、という久々の経験にうろたえた上、
必要です、と言いたいような感じ、
それ何だっけと混乱した結果、
口をついて出たのが、それだったわけで。

最後の「ありがとうございました~」は、
店員さん(お兄さん)、
心なしか視線をはずしていらっしゃいました。


とても恥ずかしかったです。



ニッポン二カエッテキマシタ。



これまでにない
東京の鬱々とした空気、殺伐とした空気を肌身に感じ
愕然としたわたしであります。



到着2日目にして
所用があり立ち寄ったのが
池袋

っていうのが
悪かったのか。


或いは
猛暑の後の
寒く薄暗い雨

っていうのが
悪かったのか。


いずれにしても
無数の人が忙しなく

狭く重くるしい構内を足早に寡黙に歩く姿や
若者がばか騒ぎをしていても誰も気に留めない様子はさておいても

サラリーマンが携帯片手に、世界中に聞こえるようなボリュームで
怒鳴り散らしながら歩いている様子とか
(「馬鹿野郎」「お前は本当に馬鹿だ」を連呼)

電車内でおじさんが突然、若い女子に怒鳴り始める様子とか。
(しかも根拠のない、因縁)


「鬱憤」


或は
本来ならば、自分自身に返すべき何か(自省ともいう)を
弱者に流している姿

の散見。


日本に帰って来たことは
間違いだったのかと思ってしまうほどの息苦しさとやるせなさ。

大きな希望を持っていたのにも関わらず…


大都会が必ずしも殺伐としたものではないことは
わたしの中でロンドンが証明してくれて
それは
人が人に関わろうとする姿とか
マニュアルではない人のあり方とか
だからこその不便とか適当さとか
そういうものかなと感じ。


ある種の人たちはそれを嫌うけれど
わたし個人は
それを
人間らしく、面白いものだと感じていたのも事実で。


そういう目線で見ると
日本がよく言われる「親切」とか「丁寧さ」も
すべて
マニュアル的なものであって
個人レベルでは
他人に無関心になろうとするか
他人に権力的になろうとするか
そういう
極端なもので
本当はとても
冷淡で冷酷なのではないかと

感じてしまうのでありました。


そんな
日本上陸です。


特定の街だとか
特定のお天気のせいだったと
信じたい。


疑わしい。


どうすればいい?

単なる逆ホームシックか?


十分過ぎる洗礼に
どう対処していこう?

$Rollingcatの越境レポート。

スイス山奥一人旅を経て、
気分はすっかりハイジ。


心が洗われ、表れた。


そう、現れた!


きっと、そういう体験をしました。


山奥で
朝から晩まで
泳ぎ。浮き。眠り。


(今回、「食べ」は薄い。)


一人といっても
一人ではないときに
本当に一人になることは
一人であることを認識し
人間は本当は
一人である、
がゆえに、
さてどのように生きて行こうかという
人に関わるという意味での
社会に戻る準備を。


家族も、友人も、恋人も、同僚も、
社会なわけですから。


前提を確認することは
何よりも大切なことですね。


行動を起こす前に。きっと。


というわけで、
なぜかここロンドンのSouthbank(BFI)では、
mozartのレクイエムが流れていて
コーヒーの香りが漂って
わたしはfree wifiにお世話になっておりますが、
こういう感じも
きっと既に懐かしいHOME.


ロンドンをホームと感じられることに
幸せを感じて
夕方にはまた、heathrowに舞い戻ります。


帰国まで
旅は続きます。

帰るまでが
遠足です!


Ciaoパー