ポニーテールの日。
1995(平成7)年に日本ポニーテール協会(詳細は不明)が制定。ポニーテールをしている横顔が「7」が並んだ形(77)に見えることや、健康的でさわやかで、女性らしさをアピールできる髪型のポニーテールは、浴衣に似合う等の理由から7月7日に。日本ポニーテール協会は、ポニーテールの可愛らしさ、魅力を研究し、発表する「ポニーテール部」を制定し、web上でポニーテール女子のさまざまな写真を発表したり、ポニーテールの作り方、アレンジ等を紹介している。ポニーテールは、髪を後頭部の高い位置で1つに纏めて垂らした髪型で、日本語ではかつて総髪(そうがみ)といった。髪を留める物さえあれば、短時間かつ簡単にセットできる髪型である。そのため、ロングヘアの女性がスポーツ等をするためによく結う。ロングヘアでありながら、顔の輪郭やうなじが露出するため、ショートヘアに近い印象を他者に与える。毛先がポニー(小型の馬)の尻尾のように垂れていることから、この名が付いた。
乾めんの日、そうめんの日。
七夕の日には、天の川に見立てたそうめんを食べる習慣が古くからあったとされることから、東京都中央区日本橋兜町に本部を置く乾麺メーカーの業界団体、全国乾麺協同組合連合会等が、1982(昭和57)年に制定。この風習は、平安時代中期の儀式・作法等をを纏めた「延喜式」(927[延長5]年に編纂された格式[律令の補助法令、施行細則]で、三代格式[平安時代に編纂された弘仁格式、貞観格式、延喜格式の3つの格式の総称]の1つ)に記述があり、七夕の儀式の供え物の1つに、「そうめん」の原型と言われる「索餅(さくへい)」が供えられていた。冷麦や素麺等、乾麺類の消費拡大が目的。乾めん(乾麺)は、生麺と異なり、乾燥させた麺類のことである。その種類は、うどん、そば、パスタ、ラーメン、素麺、冷麦、春雨、ビーフン、葛切り等、多岐に亘る。食味に関しては、調理法(茹で戻し方法)にもよるが生麺に比べ、一般に麺のコシが強いことが多い。また、乾燥していることによって高度の保存性を有し、食感向上の工夫をしているものもある。小麦粉を原料とした素麺は、主に乾麺として流通するため、市場で通年入手できるが、冷やして食することが多く、清涼感を求めて、夏の麺料理として食するのが一般的である。乾麺については、小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練り、綿実油等の食用油、若しくは小麦粉やでん粉を塗ってから、よりをかけながら引延ばして乾燥、熟成させる製法で『手延べ干しめんの日本農林規格』を満たしたものについては、「手延素麺(てのべそうめん)」に分類される。近年では、手延べそうめんも大幅に機械化が進んでいる。小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練った生地を、帯状に細く切って乾燥させる製法のもので、機械によって製造しているものは、「機械素麺(きかいそうめん)」に分類される。農・林・水・畜産物、及びその加工品の品質保証の規格、日本農林規格(JAS規格)の『乾めん類品質表示基準』では、機械麺の場合、素麺の麺の太さは直径1.3mm未満とされている。これより太い直径1.3mm以上1.7mm未満はひやむぎ(冷麦)、1.7mm以上はうどん(饂飩)と分類される。手延麺の場合は、素麺もひやむぎも同基準であり、めん線を引延ばす行為の全てを手作業により行なっている等の条件を満たしたものが、太さに合わせて、それぞれ「手延べ素麺」「手延べひやむぎ」「手延べうどん」とされる。機械麺が一般化する以前は、素麺は手延べ工程により生地を細くするために断面が丸く、冷麦は生地を薄く打延ばしてから細く切るため、断面が四角になっている、という見分け方もできたが、現在、東日本では機械麺が一般的となり、それらは素麺も冷麦もほぼ同じ製法で作られているので、この見分け方法は不適となっている。但し、西日本においては、手延べ素麺の産地が現在でも数多くあり、基本的に、素麺と言えば手延べ素麺のことであり、機械麺は殆ど見掛けることがないので、この見分け方は、現在でも有効である。素麺は、湯を沸かして茹でてから、氷水や流水で冷し、ぬめりを取るためのもみ洗いをした後、めんつゆにつけて食べるのが最も一般的である。熱いつゆで食べる「にゅうめん」に対して「冷やしそうめん」、「冷やそうめん(ひやそうめん)」と呼称されることもある。ゆでる水には塩を入れない。これは、麺に含まれる塩分を出すためである。夏の風物詩とされている流し素麺は、竹製の樋(とい)を使って素麺を流し、箸で捕まえてめんつゆ等に付けて食べる。夏のキャンプ等でのイベントとして行なわれることもある。また、家庭用に電動で流水を作る「流し素麺機」が製造販売されている。沖縄県には、固めに茹でた素麺を油でほぐし、ネギやニラ、ツナ缶、ベーコン等の具と共に炒めたソーミンチャンプルーがある。なお、チャンプルーは、野菜や豆腐等を炒めた沖縄の家庭料理で、近年ではテレビ番組で紹介される等して、沖縄県以外の日本各地でも食べられるようになった。
冷やし中華の日。
7月7日は二十四節気の1つ、小暑となることが多く、夏らしい暑さが始まるとされる。そこで、清涼感のある冷やし中華を食べて夏に備えようと、冷やし中華の愛好家や料理人等が制定したもの。冷やし中華は、茹でてから冷水で冷やしシメた中華麺を、やや深めの皿に盛ってから、その上に細切りのハムか叉焼、錦糸卵、キュウリやトマト等の具をそれぞれ互いに混ざることのないように彩り良く盛付け、醤油と酢、或いは芝麻醤(ゴマだれ)をベースにした冷たいかけ汁をかけて食べる。肉類は様々で、細く裂いた蒸し鶏を使用したり、地域によって、また、作り手によって違いがある。練りからしを添えて食べるのが定番とされ、細切り紅ショウガも利用される。夏バテ等を催させる日本の厳しい夏の間、そのさっぱりした食感と、様々な具を使用することから、家庭食・外食を問わず、特に、夏に食されることが多く、夏の風物詩であり、季語にもなる。多くの中華料理店では、秋から春にかけてはメニューに置かず、夏の訪れと共にメニューに追加すると、「冷し中華始めました」という貼紙を店に貼り告知する。また、コンビニエンスストア等にとっては、夏の主力商品となる。近畿では「冷麺」と呼ばれることもあり、焼肉料理店等で提供されるものは韓国式冷麺と呼び、区別されている。冷やし中華の発祥については諸説あるが、現代風の冷やし中華の原型は、五色涼拌麺(五目冷やしそば)として、現在の東京都千代田区神田神保町の地に、1906(明治39)年に中国東部、浙江省寧波出身の料理人が開店した老舗中華料理店「揚子江菜館」が、1933(昭和8)年に創作していた。1937(昭和12)年、現在の宮城県仙台市青葉区錦町で今も営業している老舗中華料理店「龍亭」は、中華料理店共通の問題である、夏の売上げ低下の解決法や、多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品として、ざるそばを元に新メニューを開発した。それは、現代の冷やし中華とは異なり、茹でたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたニンジン・叉焼・トマトを上に乗せた物であった。昭和20年代後半になって復活し、1965(昭和40)年まで、当初のスタイルを踏襲していた。その後、徐々にスタイルを変化させてはいるが、現在では、改良された冷やし中華を看板メニューにしている。また、宮城県仙台市では、他の地域と異なり、冷やし中華は年間を通して提供されている。