7月7日 記念日 その6 | スズメの北摂三島情報局

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2011/08/02 リニューアル
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柴犬ハルがお伝えします

ゆかたの日。
日本ゆかた連合会(詳細は不明)が1981(昭和56)年に制定。 七夕の日、女の子は色の付いた糸を結び、7本の針と瓜を供え、裁縫の上達を祈り、衣類に感謝していたという中国の故事に因み、ゆかたの美しさを見直し、親しんでもらおうとの考えから作られた。ゆかた(浴衣)は和服の一種で、通常の和服とは違い、長襦袢を着用せず、素肌の上に着る略装である。平安時代の湯帷子(ゆかたびら)がその原型とされる。この時代、複数の人と入浴する機会があったため、汗取りと裸を隠す目的で使用されたものと思われる。素材は、水に強く水切れの良い麻が使われていたという説がある。安土桃山時代頃から、湯上りに着て肌の水分を吸取らせる目的で広く用いられるようになり、これが江戸時代に入って、庶民の愛好する衣類の一種となった。生地は木綿地で、通常の単物よりもやや隙間を開けて織った平織りのものが多い。特に夏場の湯上り、又は寝巻きとしての用途が主である。日本舞踊等では、稽古着として使用される。家庭でも手軽に洗濯が可能であり、清潔を保ち易いことも重宝される一因である。ゆかたは元々、白地の木綿を藍で染抜くのが原則で、柄も大胆なものが多かったが、近年では、洋服のようなデザインが好まれつつあり、華やかな色合いと柄のもの等も多くなっている。生地も、ゆかた本来の木綿ではなく、麻を混ぜたものやポリエステル等を用いたものも多い。反物から仕立てる浴衣は手縫いのものが主流であるが、大量生産されて安価で販売されている既製品の多くは諸外国で生産されており、ミシン縫いのものが主流である。元来が湯上り着や寝巻きであり、肌着として並ぶ略式着の最たるものであることから、浴衣を着用した姿で多くの人が集う場所への外出は憚られていた。江戸時代の頃から夏祭りや花火観賞の際等、身近で気取らない場所であれば良いという風潮が定着した。しかし、この格好で改まった場所へ出掛けることは失礼とされる。現代の日本の生活で浴衣が多く着用されるのは、主に花火大会・縁日・盆踊り等の夏の行事である。日本独特の風習として、旅館やホテルに寝巻として用意されている場合が多いが、多くは簡略化されたものである。温泉宿やそれに類するホテル等では、備え付けの浴衣を着用したままで館内施設を利用したり、近隣を外出することは問題ない(都市部にある施設では不可の場合もある)。しかし、一般的にシティホテル等では、着用したまま室外に出ることは認められていない。レストランや遊園地・テーマパーク、スポーツの試合等でも、夏に浴衣を着用して来場すると特典がある施設が増えている。特に、宿泊施設が点在する温泉街では、連携を組んで、街全体を鮮やかに演出する試みを打出しているケースもある。施設利用者に浴衣と下駄を貸出し、着付けもサービスとして、宿泊客にはそのままプレゼントする等の工夫を凝らし、浴衣が一種のリゾートウェアとなっている。
世界遺産の日(和歌山県世界遺産の日)。
2005(平成17)年3月に制定された、和歌山県の「和歌山県世界遺産条例(平成17年3月25日条例第22号)」で定められた記念日。2004(平成16)年7月7日、「紀伊山地の霊場と参詣道」が国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界文化遺産に登録されたことを記念したもので、人々の心を豊かにし、世界に比類ない文化遺産を未来に引継いでいくため、県民等が世界遺産についての理解と関心を深めることを目的とする。「和歌山県世界遺産条例」では、「人類のかけがえのない財産を守り活用しながら将来世代に引継ぐ」と規定しており、7月1日から7月7日までを「世界遺産週間」としている。これらの日を中心に、和歌山県田辺市本宮町にある施設『和歌山県世界遺産センター』等で、各種イベントが開催される。「紀伊山地の霊場と参詣道」は、和歌山県と奈良県、三重県に跨る3つの霊場(吉野・大峰、熊野三山、高野山)と参詣道(熊野参詣道、大峯奥駈道、高野山町石道)を登録対象としている。霊場とは、神仏の霊験あらたかな場所の意で、神社・仏閣等の宗教施設やゆかりの地等、神聖視される場所をいう。古くから信仰の対象になっており、現在でも、お遍路や修験者等の往来の多いところがある。吉野・大峯は、奈良県吉野郡吉野町の吉野山(金峰山修験本宗[修験道]の本山、金峯山寺や吉野水分神社、金峯神社、吉水神社を中心とした社寺が点在する地域)と、奈良県吉野郡天川村の修験道の寺院、大峯山寺からなる。熊野三山は、 和歌山県田辺市本宮町にある熊野本宮大社、和歌山県新宮市にある熊野速玉大社、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある熊野那智大社の3つの神社の総称で、熊野三山の名前からも分かる通り、仏教的要素が強い。日本全国に約3千社ある熊野神社の総本社である。また、登録資産としての熊野三山には、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院で、近畿2府4県と岐阜県に点在する33ヶ所の観音信仰の霊場の総称、西国三十三所の第一番札所でもある青岸渡寺、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる那智滝、和歌山県那智勝浦町の那智山中にあり、那智滝の東に広がる原始林である那智原始林、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院、補陀洛山寺が含まれる。高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置し、平安時代の816(弘仁7)年に、第52代天皇、嵯峨天皇から、真言宗の開祖、空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は、「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。登録資産としての高野山には、和歌山県伊都郡九度山町にある高野山真言宗の寺院、慈尊院と、和歌山県伊都郡九度山町にある丹生官省符神社が含まれる。大峯奥駈道は、吉野と熊野を結ぶ大峯山を縦走する、修験道の修行の道で、1,000級から1,900m級の険しい峰々を踏破する「奥駈」という峰入修行を行なう、約80kmに亘る古道を指す。熊野参詣道は、熊野古道とも呼ばれる、紀伊半島に位置する熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称である。畿内(現在の奈良県の全域と、京都府の南部、大阪府の大部分、兵庫県の南東部に相当する地域)と熊野三山を結ぶ参詣道、紀伊路の紀伊田辺(和歌山県南部の中心地、和歌山県田辺市で、「口熊野」と称される)以東の部分が中辺路である。小辺路は、高野山(和歌山県伊都郡高野町)と熊野本宮大社(和歌山県田辺市本宮町)を結び、紀伊山地を南北に縦走する。大辺路は、紀伊田辺から和歌山県那智勝浦町を結ぶ海辺の道である。伊勢路は、三重県伊勢市にある伊勢神宮から、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へ通じる参詣道である。また、登録資産としての参詣道には、慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道、高野山町石道も含まれる。高野山町石道は、空海(弘法大師)が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。かつては、高野巡礼の人々が、高野山への道標として建てられた五輪卒塔婆形の石柱、「町石」の1つ1つに手を合わせ、礼拝しながら登ったと言われているが、現在では、道も整備され、気軽に歩けるハイキングコースともなっている。