最近「ハイヤーセルフ」という概念を一旦、手放してみました。
今の自分には、必要なくなってる気がするので。
ハイヤーセルフは、スピリチュアルにおいてお馴染みの概念であり、常識といっていいです。
ハイヤーセルフとは何か?
ハイヤーセルフとは「高次の自己」を指す言葉です。
今、地球にいる肉体の自分を自分だと思いやすいですが、本来の自分と言うのはもっと広い壮大な存在です。
肉体の自分を超えた、高い壮大な存在の自分。
それがハイヤーセルフです。
人や団体によっては、他にもハイヤーセルフの定義があります。
ゲームで例えると、ゲームで動かす主人公キャラ(アバター)が自我である肉体の自己、プレイヤーがハイヤーセルフ、というイメージでしょうか。
ハイヤーセルフは実はいない?
ハイヤーセルフとは、本体的な存在であり、肉体の自分を超えた自分のことです。
スピリチュアルではお馴染みすぎるほどお馴染みです。
では、なぜ私は一旦、ハイヤーセルフを手放そうと思ったのか?
ハイヤーセルフは確かに、本体的な存在です。
ただある種「フェイク的な信念、人間が作った信念」でもあるのではと気付いたからです。
「ハイヤー」という高次を意味する言葉ですが。
自分にヒエラルキーを作り、高位や上位の自分を作り、そちらが上の存在だと信じる。
ハイヤーセルフという概念はそういう側面もあるな、と。
確かに、より本質的な自分だとは思いますが。
「ハイヤーセルフはいない」というのはさすがに語弊があるかなと思いますが、一種の「偽の信念」もあるかもしれない?
ある時そう思ったからです。
ハイヤーセルフは「本当の自分、本来の自分」ともいえ、安心できる存在でもあります。
私は本当はハイヤーセルフなんだ。そう思うことで力が戻ってくる感覚もあると思います。
ただ、ハイヤーセルフという「高位、上位のヒエラルキーが高い自分」がいるのは、「ハイヤーセルフが上の存在なのだから、ハイヤーセルフに従わないといけない」という常識も生まれがちだなと。
ハイヤーセルフは自分なのですが、一種の「別の存在」のような感覚にも陥りがちな面もあるようにも感じます。
自分と神、のようなイメージでしょうか?
「ハイヤーセルフの意志と一致してないといけない」
「ハイヤーセルフの望みに合わせないといけない」
これも、スピリチュアルの常識的考えのように感じます。
そこに、疑問が出てきたというんでしょうか。
ハイヤーセルフの意図や望みと一致しないといけないのか?
「エゴの願望がハイヤーセルフの望みと一致してない場合、叶いづらい」
これもスピリチュアルの常識だし、私もそうだなと思ってきました。
確かに、それは間違ってないです。
ただこちらについては「ハイヤーセルフという高次の自己と、エゴの自己との分断・分離」を作る要素もあります。
例えば「ハイヤーセルフは、高尚な生き方を望んでいるからそれに従わないといけない」などです。
ハイヤーセルフに縛られてしまう可能性もあるというんでしょうか。
といってもそれも「自作自演」「思い込みや信念」で、自分がそう仕向けてるだけですが。
「エゴの望みだと叶いづらいが、ハイヤーセルフの望みと一致していると叶いやすい」
については、間違ってるわけではないと思います。
これは、スピリチュアル世界の長い間の常識でもありますが。
確かにそれも正しいともいえます。
ただ、ハイヤーセルフという高位や上位の自己に合わせないといけない、従わないといけないというのは、少し違うのかな?と。
このことについては「自分の本心はわかってるようでわかってないことも多い」ということだと思います。
例えば結婚したいと思っていても、それは「結婚してる人が多いから周りや世間に合わせた生き方をしないといけない」という「偽の願望」というのは、とても多いです。
もしくは「独身だと、老後に困りそう」などの恐れなど。
他人や世間、一般常識を気にしたり影響を受けた、プライドや恐れ、不足感から願望を作って、それを本心の願望と思い込む「自己欺瞞的願望」です。
本当の自分は「結婚するより自由に生きたい」であれば、恐れから作った偽の願望と不一致が起きてしまいます。
それを「ハイヤーセルフの望み」という表現をしているというんでしょうか。
なので、間違ってるわけでもなく正しいとも言えます。
ハイヤーセルフという概念はある段階まではあった方がいいかも ナビゲーターになってくれる
ハイヤーセルフとは、高次の自己ですが「無意識・潜在意識」ともいえるかなと。
現実を作るのは無意識的領域です。
「ハイヤーセルフが現実を作る」も、表現の違いというだけで間違ってないです。
もっと広義的にいえば「魂」ともいえるかもしれません。
結局はスピリチュアルであるあるの「比喩」です(笑)
自分の意識(無意識的領域含め)をハイヤーセルフという比喩表現にしてるというんでしょうか。
ハイヤーセルフという言い方でなく「宇宙」と表現する人もいます。
つまり比喩表現です。
ただ、ハイヤーセルフについては人や団体により定義が異なっていたりするので。
「アセンションした未来の自分」をハイヤーセルフとする定義もあるようです。
今回のブログ記事は「ハイヤーセルフなんて本当はいません」ということを言いたいわけではないです。
私は一旦手放すことにしましたが。
個人的に思うこととしては、ある段階まではハイヤーセルフ概念を採用してもいいと思ってます。
「私には私がいる」
という感覚というんでしょうか。
この「私がいる」の私が、ハイヤーセルフにあたるのかなと。
高次の自分が本体で、常に自分と共にあるというのは、とても安心感があるし、導いてくれるナビゲーター役になってくれるので。
やはりナビゲーターがいるのといないのは違うと思うんです。
ハイヤーセルフは確かにナビゲーターとして機能してくれやすいため、有用な情報や概念だと私は思ってます。
ある段階までは、ハイヤーセルフ概念を持っている方がいいのかな、と。
実際私もとても助かってきたので。
スピリチュアルは「情報や叡智」だと私は思ってるので、有用な情報や概念はバンバン使っていいと思いますね。
前々からよく思うんですが、スピリチュアルが好きな人達(私も含め)は「真実」にこだわる傾向がありますよね(笑)
真実というワードに弱いし、真実か、正しいかをすごく重視するというか。
目に見えない世界だから、科学のように再現性もなく、迷いやすいからだと思いますが。
だからハイヤーセルフも、「いるかいないか」と真実や正しいかで正否ジャッジしたくなるかもしれないですが、ぶっちゃっけ有用ならどっちでもいいと思います(笑)
★追記
ハイヤーセルフを手放す、という表現をしてますが「ハイヤーセルフが溶けた、溶け合った」という感覚が近いかもしれません。
エゴとハイヤーセルフが統合されてきてる段階の可能性もあるのかも。











