先日、鏡の法則や相手は自分の内側の投影や現象化だということについてことは記事を書きました。
相手が自分を映す鏡、内側の投影と言われてもとてもそうは思えない…
ということを上記の記事で解説しました。
そのことに関連する内容を今回書いてみます。
やっぱり自分にあんな性質があるなんて思えない…。
暴力的な人や犯罪者すら投影なの?自分とは全く無関係としか思えない。
どうしてもこう思うという方もいるかもしれません。
自分そのものでなく拡大して大袈裟に見せてくることも多いのですが、自分にはあんな要素は全くないと思うこともあるかもしれません。
このことですが、何か物語を創作する人であれば、自分の内側の投影、自分が現象化してるという原理はわかりやすいのではないかと思います。
小説や漫画など、物語を創作する時、登場人物の設定もします。
展開上だったり、主人公を引き立てるために悪役的な人も登場人物に含まれることも多いです。
その悪役の登場人物を設定する時も性格やどんな言動をするかなど考え、キャラデザ設定します。
どんな信念があるか(例えば自分の利益のために誰かを犠牲にすることも厭わないなど)、どんな劣等感や弱みがあるか、どんな欲求があるかなども設定するのが望ましいです。
ほんの悪役でもどういう人物でどんな思いがあるかなどを作者は考えます。
人によっては、1度しか出ない登場人物であっても家族構成を考えてあげるなど(物語には全く出てこない要素なのに)細かい設定をする作者もいるそうです。
端役であっても、自分が生み出した登場人物は作者が考え、どんな人物かなど設定しています。
この時、自分の中に全くないものは作ることができません。
自分にない概念や性質ともいえます。
意地悪という概念や性質自体が自分に全くなければ、意地悪さを持つキャラを作ることすら不可能です。
「自分の内側にある何かが投影されていたり、現象化する」
というのもそれに似てるのではないかと思います。
創作上で作る登場人物というのは、作者の投影という要素は非常に大きいです。
登場人物も、ストーリーも、自分の思想や信念が反映されます。
もし自分をもっと知りたいのであれば、物語を創作してみるのも方法の一つとしてあるかもしれません。
ただ好きでないとなかなかする気になれないし、続かないと思いますが(笑)
物語の創作(空想も含めて)が趣味という方は、創作できることを現実創造にも生かしやすいので、その視点で見てみるのもおすすめです。
創作したキャラの傾向や物語の傾向など、意識してみると自分の無意識に気付けたりできるかもしれません。
(例えば悲劇ものを好んで作るなら無意識ではそれが好きで望んでいるなど)