鏡の法則についてはすっかりおなじみとなりご存知の方が多いと思います。
他には「他人や外側は自分の内側の投影」というのも、スピリチュアルの基本的な原理です。
誰か嫌な人や嫌いな人がいるとして、その人も自分の内側の何かを映して、現象化している・・・
これは基本原理なのですが、なかなかそう思うことは簡単なようで難しかったりします。
こんな風に感じた方も多いと思います。
「『相手は鏡』っていうけど、私はあの人みたいな言動一度もしたことない!」
「相手は自分の内側の投影っていうけど、私はあんな人ほど〇〇じゃない!」
そうなんです。
「相手は鏡」「相手は自分の内側の投影」と頭ではわかっても、「でも私はあそこまでじゃない」と思いたくなるケースは多いと思います。
例えば、意地悪をする人とかDVやいじめをする人など。
他にこのブログでよく出てくるエネルギーバンパイア系の人などもそうです。
「私はあんな人と違う!」
「あんな波長が低い言動をする人と違う!」
「私はあの人みたいに誰かに意地悪をしたことなんてない!」
「私は誰かに暴力をふるったことなんか一度もない!なのに何でDVしてくる人を『自分の鏡』と思えるの?」
こんな感じの疑問が出てきて、「相手は鏡」「相手は自分の投影」というのが腑に落ちないしそうは思えない。
これはスピリチュアルが好きな人や実践してる人が陥りがちなことかなと感じます
私もこの辺りがどうしても納得いかなかったのでよくわかります。
ですが、やはり「相手は鏡」「相手や外側は自分の内側の投影」だなあと、今ならわかります。
腑に落ちたという感じです。
過去に嫌なことをしてきたり、理不尽な目に遭わされたと感じることなど振り返ってみると。
「ああ、あの人は私の内側が投影されてたんだな・・・」
というのがよくわかります。
ですが、前述した矛盾も理解できます。
「自分はあの人みたいな言動や行動を誰かにしたことなんかない」
という矛盾です。
自分はしたことが一度もないのになぜ相手は鏡なのか?
この矛盾について解説してみます。
相手は自分にある一面を拡大して見せてくる
とてもそう思えないのはなぜかというと
「相手や外側は拡大して見せてくる」場合もあるからです。
例えば、自分では気づいていないとしても、意地悪な気持ちというのは誰にもあったりします。
優しい人ほど、それを自分で嫌って封印してたり禁じていたりするので、自分にはないと思い込んでいたりしますが。
とても小さなものかもしれないですが、自分の中にあるほんの一部の性質です。
そして、他人や外側と言うのはそれを「拡大して見せてくる」ことがあります。
自分で知らなかったり、嫌って封印したある自分の性質を、非常にわかりやすく大げさなくらいに見せてくる。
それが「鏡の法則」「自分の内側の投影」だったりします。
つまり自分で気付いてなかったり、ないことにしているだけで、相手に感じる嫌いな性質は実は自分の内側にあるということです。
なので「私は一度もあんな言動を誰かにしたことないのに」ということも起きるわけです。
例えば野蛮で暴力的な人を目にすると「あんな性質が自分にあるととても思えない」と思うとします。
ですが相手は「おおげさなくらいにわかりやすく」見せてくるので、そのまま見せてくるわけではないということです。
自分の内側にあるのは米粒くらいだったとしても、相手は米俵くらいに拡大して見せてくるというイメージでしょうか?
相手そのままではないというのが重要なポイントです。
なので「私はあの人みたいに本質は野蛮な人間なんだ…」と落ち込む必要は全くありません。
これは逆のことも言えます。
他人に感じるポジティブな一面や性質も、自分の内側にあるということです。