同情や共感を求めるのはなぜか?
なぜか被害者側になることが多いと感じる
なぜか理不尽に感じたり不幸や不運と感じることを引き寄せてしまいやすい
自分が不遇に感じてしまうことが昔から多いと感じたり、被害者側の立場になる出来事をなぜか繰り返してしまう。
こう感じている方も少なくないかもしれません。
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これはいろいろな要因があり個々により異なり複雑なので、一概にこうとは言えません。
ですが、もしかしたらこういう要因があるかもしれないーー
というのを今回は書いてみます。
それは
自己憐敏
被害者意識
が関係します。
被害者意識というのは、スピリチュアルにおいてもよく出てくるテーマです。
被害者意識というのは非常に足を引っ張ります。
自分軸の生き方をしたい、外側や他人に翻弄されない生き方をしたいと望んでも、被害者意識はしつこく邪魔をしてきます。
自分を被害者だと思い込む観念はこれまで常識だった外側軸・他人軸の生き方に基づき、癖づいているためなかなか変えられません。
ちなみに被害者意識は被害者側だけでなく、加害者側になりがちな人も強く持っています。
被害者意識があるから、不都合なことがあると誰かや何かのせいにしたがり、発散や自己防衛するために加害しているわけです。
このテーマが必要な方が多いと感じるので(私も含めて)、10項目のブロック解除シリーズの新メニューに加えようと現在、考案中です。
また決まり次第、お知らせします。
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その際は被害者意識や、自己憐憫のテーマも行うつもりです(ものすごく重要なテーマなので)
すみません、宣伝が入りましたが戻ります。
自己憐敏と被害者意識はイコールではないですが、かなり関連します。
不遇に感じる出来事をなぜか引き寄せてしまうことが多いと感じる。
それと自己憐敏、被害者意識がどう関係あるかというと。
同情や共感を求めているから
です。
不遇や不幸な目に遭うことで他人の同情(共感)を得られやすくなります。
また、誰かに話してシェアすることができ、自分のネガティブを共有してもらえます。
そして同情されることで、快感が得られるからです。
同情されるのは、強い快感を得られます。
自分のことをわかってもらえたと承認欲求がいくぶんか満たせます。
誰かが自分に同情してくれて自分のために悲しんだり憐れんでくれるのは、強い関心や愛を感じられます。
受け入れてもらえたとも感じられます。
それはカタルシスにもなり、癒しにもなります。
同情されるのは、人にとって快感を得られやすいです。
※これは人によります。同情されるのを嫌う人もいます。
同情や共感を求めるのは特に女性に多い傾向かもしれません。
女性は共感を求めやすいといわれます。
なので、無意識には強くインプットされてるわけです。
不遇や不幸な目に遭えば、同情を得られて強い快感を得られるーー
と。
本人の意識でわからなくても、メリットがあるわけです。
何か嫌なことがあったとき、誰かに愚痴や弱音を話す人は当てはまりがちかもしれません。
嫌なことを話したりLINEやメールしてシェアするのも、相手から同情(共感)を得たいからです。
前向きに解決したいから愚痴や弱音を話すというより、共感や受け入れてもらうことを求めていることが多い傾向かなと思います。
※それを批判しているわけではないです。
愚痴や弱音というのも自己表現であり、発散方法の一つで、必要な場合もあります。
不遇や不幸、不都合に感じる出来事が起きると快感が得られ、メリットがある
そう無意識に強くインプットされているので、それらの出来事を引き寄せてしまう(現象化してしまう)ということです。
そしてメリットがあるので、自分では変えたいと望んでも、なかなか手放すこともできないわけです。
無意識では、そのメリットがなくなると困るので。
ちなみに同情は、他人だけではないです。
自分が自分に同情することも含みます。
自己憐敏、悲劇のヒロイン(ヒーロー)願望ですね。
他人からの同情だけでなく、自分が自分に同情することも含みます。
なので輪をかけて厄介です。
本当は私の同情が気持ち良いとインプットされた過去の体験談を書こうと思ってたのですが、長くなったので続きます。