先日の記事の続きです。
※前回の記事及び今回の記事は批判をしているわけではありません。そういうケースもあるかもしれないというだけです。
なぜか不運や不満に感じる出来事がよく起きる場合、様々な要因がある上、複雑に絡んでいることもあり、原因を特定するのは難しいです。
可能性の一つに、「不運や不満に感じる出来事が起きることでメリットがあるから」ということを前回書きました。
メリットとは、他人から同情を得られる(または自分に同情できる)ことと、それにより快感を得られることで、そのメリットを得るために無意識で、不運や不満な出来事を現象化してしまっているーー
もう少し掘り下げてみます。
悲劇の主人公、悲劇のヒロイン願望が関係ある?
他人から同情や共感を得て、それが快感になり、「不運なことが起きると同情してもらえて、気持ち良い」と無意識にインプットされ、メリットがあるからそのパターンを手放せないということです。
無意識にインプットされたパターンや信念(ブロック)が、外側の現実に反映されます。
より信念が強いもの、その人にとって重要度が高いものほど現実化しやすくなります。
ネガティブをシェアし、他人から同情や共感を得たがる人だけでなく、自分の中だけでネガティブをよく思う人の中にも、不運や不満な出来事を現象化しやすい人もいます。
※全員ではなく一部です。
こういうタイプの人の場合はどうでしょうか?
この場合は「自己憐敏」が関わってきます。
そして、「悲劇の主人公」「悲劇のヒロイン」願望が、無自覚かもしれないですがあるかもしれません。
このタイプも、やはり快感や気持ち良さがあるようです。
悲劇の主人公、悲劇のヒロイン願望を持ってる人は少なくない?
その快感や気持ち良さとは、「哀れで健気な自分に酔っている」です。
自己憐敏ともいえますが、自己憐敏は意外に気持ち良いものでもあります。
自己憐敏することで、理不尽なことや不運に耐えて健気な自分を認めることができます。
そして、まるで物語の主人公になれたかのようで、気持ち良いのもあるかもしれません。
悲劇の主人公、悲劇のヒロイン願望を潜在的に持ってる人は少なくない気もします。
創作物の物語にも、悲劇を扱うものは多数あります。
古代の創作物からあり、現代でも多数あります。
悲劇ものというのは、古代から現代まで人気があり、なぜか惹き付けられてしまう魅力があります。
悲劇ものの創作物に惹かれやすい人、心に残りやすいという人は、特に悲劇の主人公・ヒロイン願望が潜在的にあるかもしれないです。
創作物は、「疑似体験」ができるためのものであり、登場人物に自己投影して楽しむ要素もあります。
悲劇ものに惹かれやすい人は、自分を投影して、悲劇の主人公やヒロインを疑似体験し、楽しんでいるともいえます。
悲劇ものは情緒的で魅力があり、悲劇の主人公や悲劇のヒロインに憧れ、潜在的に願望を持つ人も少なくないかなと思います。
私も昔、この悲劇のヒロイン願望があったので気持ちはわかります。
例えば、失恋したときに失恋ソングを聴き、歌詞に共感して自分の切ない心情を重ねるなど。
そして切なさに浸って気持ちを盛り上げて、心を癒そうとしたり。
今思うと、辛い反面、強い快感や気持ち良さがありました。
失恋ソングに自分を重ね合わせて、思いきり自己陶酔できるからです。
そう、悲劇の主人公・ヒロイン願望は「自己陶酔」したいわけです。
不運や不遇な状態を体験すると、確かに辛いですが、辛い自分に浸って酔うこともできます。
それは快感や気持ち良さもあります。
「頑張ってるのに報われない私はなんて哀れなんだろう」
そんな健気で不遇な自分に酔い、肯定もできます。
報われない哀れな悲劇の主人公やヒロインになれたかのようで自己陶酔できるということです。
また、報われない人・登場人物というのは、応援したくなる心理もあります。
判官贔屓という言葉もあります。
「報われない人ほど報われてほしい」
そう思う心情が人にはありがちです。