※今回の記事は現段階においての情報を踏まえてのあくまで個人的な考察や考えです。
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以前に書いた記事の続きというか、補足的記事です。
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神とは結局どういう存在か?神は存在するのか?
※あくまで現段階の考えで、今後入る情報により変わるかもしれません。
神や神様とは一体何なのか?
前回にも書きましたが、結局明確な答えはないとは思います。
神や神様という言葉も表現方法であり、比喩表現だとも思います。
一般的には、信仰対象の存在で、人間を超越した存在という定義です。
神や神様が本当にいるのかも、人により考え方が違います。
そもそも、神や神様というのが比喩表現であり、明確な存在を表すものでなく、曖昧です。
本当にいる、いないを議論しても、神とは何かが明確にわからず、人により神の定義も異なるので、議論自体に意味がない気がします。
「神はいない」と主張したり証明した人がいたとして、「神はいる」と主張する人の指す「神」と同じなのかもわからないわけです。
「神」と「神様」は別で違う存在?
ここからは私が現段階で考えることです。
神というのは比喩表現であり、信仰対象としても、一神教と多神教があります。
これまでの情報を踏まえ、私が思うのは。
「神」と「神様」は別で、違うということです。
「神」と呼ばれるのは、スピリチュアルでいう創造主やワンネス、源と呼ばれる存在なのかなと。
他に、宇宙や根源などとも呼ばれます。
神は外側になく、内側にあるとよくいわれますよね。
その内側にいる「神」も、創造主や源と呼ばれる存在のことかなと感じます。
例えば斉藤ひとりさんが言う「神」もそうです。
普遍的存在の神というんでしょうか。
大元の存在で、源でもあるので、外側にいるのでなく、私達一人一人の内側にいる(ある)わけです。
聖書に出てくる神「ヤハウェ」も、どちらかというとこちらにイメージが近い気がします。
(ヤハウェは外側にいる存在かのように書かれてますが)
一方、「神様」という存在は、多神教で出てくる神たちのことかなと思います。
日本神話などに登場する神たちです。
神話に登場する神たちは、人間の創作であり、本当の神様の伝説ではなく、作り物でフィクションだと思いますが。
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神話などに登場する神たちは一応は「神」とされてますが、私達の内側にいる大元の「神」とは違うというんでしょうか。
神ではなく、マスターと呼ぶ方が近いように感じます。
便宜上、神と呼ばれていますが、神とは違うかなと。
人間(地球人)より霊的に進化した高次の存在が「神様」と呼ばれる存在であり、マスター的存在が多神教の神たちのことではないかと。
なので同じ「神」と呼ばれても、同じではなく、違うわけです。
違うのに、どちらも神と呼ばれるので混乱しやすいのかなと思います。
多神教の神たちは、神ではなく「マスター」ということです。
(アセンテッドマスターなど)
だから神様たち(マスター)は個性があるのでしょう。
神とは便宜的な呼び方
神という呼び方や表現は、便宜的な呼び方かなとも思います。
神というと、外側にいる別の誰かのようですが、大元の存在なのかなと。
神という誰かのような呼び方をしてますが、別の表現だと集合的無意識とか、エネルギーとか、素粒子とか、宇宙かもしれません。
神というのは、あくまで便宜上の呼び方や表現なのかなとも思います。