みのくとく たまいかくてり
  いはとへと はいりてくかい またくとくのみ

(身の功徳 魂厳く照り 岩戸へと 場入りて九界 全く解くのみ)

解説

功徳(くどく)は「現世・来世に幸福をもたらすもとになる善行。善根。」「神仏の恵み。御利益(ごりやく)。」、魂(たま)は「たましい。」、厳し(いかし)は「 ( よい場合にも、悪い場合にもいう ) 程度が甚だしい。たいそうな。ひどい。いっかい。」、入る(いる)は「人や物がある場所・範囲・状態などに移る。はいる。」、全く(またく)は「まったく。すっかり。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「悔恨と安らぎの檻にて- Orchestral Version -」 を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

もうあんまり覚えてないけど、この曲って確かゲーム内では、ソフィアが特攻かける時あたりの音楽だった気がする。

それにしても、イランが今夜何かするらしい(日本とイランとの時差は5時間半)……もう、なんか色々とあかん気がする。

『イランは「今夜サプライズがある…」と警告した。』(「HAL Turner Radio Show」より)


また下記動画によると、今回の戦争の原因は、結局は資源争い、ということだそうな。

『ゲーム理論その18:トランプ世界秩序』(「Predictive History」より)


※設定(歯車のアイコン)で字幕を日本語にすると内容わかります。

一方で、岩戸開きも近いとも感じる。下記ブログにあるように、全部光に溶けていく可能性もある。

下記参照。

『まとめ10。お釈迦様の悟りは、悪魔は実体を持たない現れで、人には良心と呼ばれる神の働きがある』(「人に内在する良心神(神言会)」より)


『3月3日は豊受様の命日?。3月3日の桃の花。5月5日の桃の実で神代八代に』(「人に内在する良心神(神言会)」より)


『始めにして終わり。无(無)から有の生じ、无花果が色づく頃、カナンを知る』(「人に内在する良心神(神言会)」より)


また日月神示では、五月五日から更に更に厳しくなる、七月になると上の人々の顔色悪くなる、ともある。

このままホルムズ海峡閉鎖が続き、さらに紅海封鎖となれば、各社報道にもあるように、(石油由来が製品である)医療資材とか肥料とかプラスチック容器とかも含めた物資が日本に入って来なくなる恐れも出て来る。

『三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組 近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。一時はこの中も火の消えた様に淋しくなってくるぞ、その時になっておかげ落さん様にして呉れよ、神の仕組 愈々世に出るぞ、三千年の仕組晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、桜花一二三(ひふみ)と咲くぞ。』(キの巻 第十四帖)

『口と心と行と三つ揃ふたら今度は次に入れて下されよ、は神ぢゃ、神示ぢゃ、神示元ぢゃ、と申してあろが、三つ揃ふても肝腎の神示肚に入って居らんと何にもならん事になるぞ。九分九分九厘となってゐる事も判るであろが、御用 勇んで仕へまつれよ。目覚めたら其の日の生命頂いたのぢゃと申してあろ、新しき生命 弥栄に生れるのぢゃ。今日一日 神に仕へまつれよ、与へられた仕事 御用ざぞ、生命ざぞ、取違ひ致すでないぞ。七月になると上の人民番頭殿、顔の色 悪うなって来るぞ、八九月となれば愈々変って来るぞ、秋の紅葉の色変るぞ。いくら因縁ありてもミタマ曇ってゐると今度は気の毒出来るから、今度 引寄せられた人民ぢゃとて役員ぢゃと云ふて、ちっとも気ゆるし出来ん。澄んだ言霊(ことだま)で神示よみ上げてくれよ、三千世界に聞かすのぢゃ、そんな事で世がよくなるかと人民申すであらうなれど神の申す通り、判らいでも神の申す通りにやって下されよ、三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様も心の中から改心する様になるのざぞ、世が迫って居ることは、どの神々様人民にもよく判ってゐて、誠求めて御座るのぢゃ、誠知らしてやれよ。何も彼も一度に出て来るぞ、日増しにはげしくなって来るぞ、どうすることも出来ん様に、悪神、悪の人民、手も足も出せん事に、何から何まで、何が何だか判らん事に折り重なって来るぞ、キリキリ舞せなならん事になって来るぞ、キリキリ舞にも良きと悪しきとあるぞ、良きは結構ぢゃなあ、中々ぢゃ。』(梅の巻 第八帖)

紅海が封鎖になったら、後悔が封鎖になるかもしれん。つまり、もうここまで来たら、後で後悔しても遅い時期に来たということ。

日月神示参照。

『まことの善は悪に似てゐるぞ、まことの悪は善に似てゐるぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。日本の国は世界の雛形であるぞ、雛形でないところは真の神の国でないから、よほど気つけて居りて呉れよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、神が特に気つけておくぞ。今は日本の国となりて居りても、神の元の国でないところもあるのざから、雛型見てよく腹に入れておいて下されよ、後悔間に合はんぞ。』(地つ巻 第十七帖)

『神の心の判りた臣民から助ける御用にかかりて呉れよ、助ける御用とは清めの御用で御座るぞ、天地よく見て悟りて呉れよ。三四五(みよいづ)の御用は出来上がりてしまはんと御用してゐる臣民にはさっぱり判らんのであるぞ、つかわれてゐるから判らんのであるぞ、出来上がりてから これは何んとした結構な事でありたかとビックリするのざぞ。アメのひつ九のか三とはアメの一二の神で御座るぞ、アメのθ◎(つきひ)の神で御座るぞ、元神で御座るぞ、ムの神ぞ、ウの神ぞ、元のままの肉体持ちて御座る御神様ぞ、つちのひつ九のおん神様ぞ、つちの◎θ(ひつき)の御神様と今度は御一体となりなされて、今度の仕組 見事成就なされるので御座るぞ、判りたか、九二つちの神 大切申せとくどう知らしてあろがな、今迄の臣民人民、九二の御先祖の神おろそかにしてゐるぞと申して知らしてあらう、神は千に返るぞ、九二つちつくること何んなに難儀な事か人民には判るまいなれど、今度さらつの世にするには人民もその型の型の型位の難儀せなならんのざぞ。それでよう堪(こば)れん臣民 沢山にあるのざぞ、元の神の思ひの何万分の一かの思ひせんならんのざぞ、今度 世変りたら、臣民 此の世の神となるのざぞ。国の洗濯はまだまだ楽であるが、ミタマの洗濯 中々に難しいぞ、人民 可哀想なから延ばしに延ばして御座るのざぞ、幾ら言ひ聞かしても後戻り許りぢゃ、言ひ聞かして改心出来ねば改心する様致すより もう手ない様になってゐるのざ。何時どんな事あっても神は知らんぞ、上から下までも誰によらん今迄の様な我儘させんぞ、役員 馬鹿にならなならんぞ、大のつく阿呆になれよ、※のつく阿呆にあやまって呉れるなよ、阿呆でないと今度の誠の御用なかなかざぞ。命捨てて命に生きる時と申してあろがな、非常の利巧な臣民人民アフンで御座るぞ、今にキリキリ舞するのが目に見へんのか。何時も変らぬ松心でおれと申して御座ろがな、建替へ致したら世界は一たん寂しくなるぞ、神が物申して居る内に改心せなならんぞ、後悔間に合はんと申してあろがな。』(雨の巻 第七帖 原文では◎は「○にヽ」、θは「月のマーク」の形、※は「‘大’の字を180度逆さまにした文字」の形です)

『二二は晴れたり、日本晴れ、びっくりばこ いよいよとなりたぞ。春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。大峠となりたら どんな臣民もアフンとして もの云へんことになるのざぞ、なんとした取違ひでありたかと じだんだふんでも、其の時では間に合はんのざぞ、十人なみのことしてゐては今度の御用は出来んのざぞ。逆様にかへると申してあろが、大洗濯ざぞ、大掃除ざぞ、ぐれんざぞ、二二に花咲くぞ。』(磐戸の巻 第三帖)

※地団駄を踏む(じだんだをふむ)とは「悔しがったり怒ったりして、激しく地を踏む。」の意味です。

『今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民 火がついてもまだ気付かずにゐるが、今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。今度の御用外(はず)したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ。末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。』(日の出の巻 第二十帖)

※足元から鳥立つとは「身近なところで、突然思いもかけないことが起きることのたとえ。また、急に思い立って物事を始めるようす。」の意味です。

 

下記参照。

『2005年9月15日』(「旦那の部屋」より)

 

さくらきの のそみのをしく
  きよきつき よきくしをのみ そののきらくさ

(桜木の 望みの惜しく 清き月 良き酒を飲み 苑の気楽さ)

解説

望みは「ながめ。眺望。」、惜しい(おしい/をしい)は「大切なものを失いたくない。むだにすることが忍びない。もったいない。」、酒(くし)は「酒の異名。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「花咲谷」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

月は尽き(つき)にかかってるっぽい感じがする。

桜(さくら)の語源は複数の説があるようだが、その内の一つには「咲く(さく)」という動詞に複数であることを表す接尾語「ら」がついて「咲く+ら=さくら」になった、とする説がある。

ということで、歌の最初の「さくらぎ(桜木)には「さく(咲く)」の言葉の音が含まれており、その咲いた状態が惜しまれるまま尽きて行く、というようなニュアンスを感じるということ。

ただ、尽きていくといってもみじめな感じではなく、「清き月(木良き尽き)」というニュアンスであり、一言でいうと咲いた先から潔く散っていくという、一種の無常観を表現している、ということ。

なので、歌の後半部分では「良き酒を飲み 苑の気楽さ」となっているように思う。

要するに、満開になった今この時の真っ盛りの桜こそが、散り始めの最初の時であり、ある意味、このまま時を止めたいような衝動に駆られるぐらいの惜しい気持ちが湧いて出て来るけれども、しかし無常の流れの中でこそ今のこの「真っ盛りの瞬間」というものが活きて来るのであるから、どうせ留められない無常の流れであるのならば、いっそのこと今のこの「真っ盛りの瞬間」の中に入り切ってしまって、忘我の状態になってしまおうではないか、というような、そういう感じ。

くろみはれ みよにくみのき
  つひにめに ひつきのみくに よみれはみろく

(黒み晴れ 見よ憎み退き 終に目に 日月の神国 世見れば弥勒)

解説

黒み(くろみ)は「黒いこと。黒い色。」「黒い部分。また、暗い所。」、憎み(にくみ)は「憎むこと。憎しみ。憎悪。」、終に(ついに/つひに)は「 長い時間ののちに、最終的にある結果に達するさま。とうとう。しまいに。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(ヤマツミ)’‘海神(ワタツミ)’など他の語と複合して用いられる。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

霊界物語では、人間には日の大神と月の大神の霊魂が賦与されているという。

『霊界物語 第1巻 第3篇 天地の剖判 第21章 大地の修理固成』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


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 ところが雨が降すぎても却て困るといふので、これを調和するために、大国常立尊は御身体一杯に暑いほど太陽の熱をお吸ひになつた。さうして御自分の御身体の各部より熱を放射したまうた。その放射された熱はたちまち無数の竜体と変じて、天に向つて昇騰していつた。国祖はこれに火竜神といふ名称をお付けになつた。(筆に書いては短いが大国常立尊がここまで天地をお造りになるのに数十億年の歳月を要してゐる)

 尊はかくの如くにして人類を始め、動物、植物等をお創造り遊ばされて、人間には日の大神と、月の大神の霊魂を賦与せられて、肉体は国常立尊の主宰として、神の御意志を実行する機関となし給うた。

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さらに、主(ス)の神即ち大国常立大神は、高天原の天国では日の大神と現れ、同じく高天原の霊国では月の大神と現れる、ともある。

『霊界物語 第61巻 第1篇 常磐の松 第4章 神田』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


『霊界物語 第63巻 第1篇 妙法山月 第4章 山上訓』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


『大本史料集成 Ⅰ 思想篇 第二部 出口王仁三郎の思想 第四章 道の栞 第七節 道の栞 第一巻下(一)』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


日月神示でも似たようなことが書かれてある。

『天国の政治は、歓喜の政治である。故に、戒律はない。戒律の存在する処は、地獄的段階の低い陰の世界であることを知らねばならない。天国の政治は、愛の政治である。政治する政治ではない。より内奥の、より浄化されたる愛そのものからなされる。故に、与える政治として現われる。天国は、限りなき団体によって形成されている。そして、その政治は、各々の団体に於ける最中心、最内奥の歓喜によりなされるのである。統治するものは一人であるが、二人であり、三人として現われる。三人が元となり、その中心の一人は、ヽによって現わされ、他の二人は、○によって現わされる。○は、左右上下 二つの動きの@を為すところの立体@からなっている。統治者の心奥のヽは、更に高度にして、更に内奥に位するヽの中のヽによって統一され、統治され、立体@をなしている。天国では、このヽを、スの神と敬称し、歓喜の根元をなしている。スの神は、アの神と現われ給い、オとウとひらき給い、続いて、エとイと動き現われ給うのである。これが総体の統治神である。三神であり、二神である。ア、オ、ウは愛であり、エ、イは真である。これら天国の組織は、人体の組織と対応し、天国の一切の事象と運行とは、人体のそれに対応している。オ、ウなる愛は曲線であり、心臓である。エ、イなる真は、直線であり、肺臓に対応して三五七と脈うち、呼吸しているのである。これらの統治者は権力を奪することなく、また指令することもない。よりよく奉仕するのみである。奉仕するとは、如何にしてよりよく融和し、善と、真との浄化と共に、悪と偽の調和をなし、これらの総てを神の力として生かし、更に高度なる大歓喜に到らんかと努力することである。また統治者自身は、自分達を他の者より大なる者とはせず、他の善と真とを先とし、その歓喜を先ずよろこび、己はその中にとけ入る。故にこそ、統治者は常にその団体の中心となり、団体の歓喜となるのである。指令することは、戒律をつくることであり、戒律することが神の意志に反することを、これらの統治者は、よく知っている。天国に於ける政治の基本は、以上の如くであるが、更に各家庭に於ては、同一の形体をもつ政治が行なわれている。一家には、一家の中心たる主人、即ち統治者がおり、前記の如き原則を体している。またその家族たちは、主人の働きを助け、主人の意を意として働く。その働くことは、彼等にとって最大の歓喜であり、弥栄である。即ち、歓喜の政治であり、経済であり、生活であり、信仰である。天国に於ける天人、霊人たちは、常にその中心歓喜たる統治者を神として礼拝する。歓喜を礼拝することは、歓喜の流入を受け、より高き歓喜に進んで行くことである。けれども、天国における礼拝は、地上人のそれの如き礼拝ではない。礼拝生活である。総てと拝み合い、且つ歓喜し合うことである。与えられたる仕事を礼拝し、仕事に仕えまつる奉仕こそ、天国の礼拝の基本である。故に、各々の天人、天使の立場によって、礼拝の形式、表現は相違している。しかし、歓喜の仕事に仕えまつることが礼拝であると云う点は一致している。地上人的礼拝は、形式の世界たる地上に於ては、一つのいき方であるが、天国に於ける礼拝は、千変万化で、無限と永遠に対するものである。無限と永遠は、常に弥栄えるが故に生ずるものであり、その弥栄が神の用である。森羅万象の多種多様、限りなき変化、弥栄を見て、この無限と永遠を知り、あらゆる形において変化繁殖するを見て、無限と、永遠が神の用なることを知らねばならぬ。天国の政治は、光の政治である。天国にも地上の如く太陽があり、その太陽より、光と、熱とを発しているが、天国の太陽は、一つではなく二つとして現われている。一は月球の如き現われ方である。一は火の現われ、火の政治であり、一は水の現われ、水の政治である。愛を中心とする天人は、常に神を太陽として仰ぎ、智を中心とする天使は、常に神を月として仰ぐ。月と仰ぐも、太陽と仰ぐも、各々その天人、天使の情動の如何によるのであって、神は常に光と熱として接し給うのである。またそれは、大いなる歓喜として現われ給う。光と熱とは、太陽そのものではない。太陽は、火と現われ、月は、水と現われるが、その内奥はいずれも大歓喜である。光と熱とは、そこより出ずる一つの現われに過ぎないことを知らねばならぬ。このことをよく理解するが故に、天国の政治は、常に光の中にあり、また熱の中に育ち栄え、歓喜するのである。天国の太陽よりは、真と愛とが常に流れ出ているが、その真と、愛とは、太陽の中にあるのではなく、現われ出たものが真と見え、愛と感じられるのみである。太陽の内奥は大歓喜が存在する。故に高度の天人の場合は、愛も真もなく、遥かにそれらを超越した歓喜のヽが感じられるのみである。この歓喜のヽが、真、善、美、愛となって、多くの天人、天使たちには感じられるのである。歓喜は、そのうけ入れる天人、天使、霊人、地上人たちのもつ内質の如何によって、千変万化し、また歓喜によって統一されるのであるということを知らねばならぬ。』(地震の巻 第十九帖 @は原文では「渦巻き」の記号)

そして大本神諭には「天照大神月読神」に‘みろくさま’とルビが振られている箇所がある。

『大本神諭 大正5年旧5月14日』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)

 

しきのかけ とほのまいくた
  たそかれか そたたくいまの ほとけかのきし

(色の影 遠の間幾多 黄昏が そだたく今の 仏彼の岸)

解説

色(しき)は「五蘊(ごうん)の一つ。物質的存在の総称で、変化し、一定の空間を占有するものを意味する。眼(げん)、耳(に)、鼻、舌、身の五根と色(しき)、声、香、味、触(そく)の五境、および意識の対象となる法処中の色法との十一色を含む。色蘊。」、影は「日・月・星・灯火などの光。」「光が反射して水や鏡などの表面に映った、物の形や色。」「目に見える物の姿や形。」「物が光を遮って、光源と反対側にできる、そのものの黒い像。影法師。投影。」「心に思い浮かべる、人の顔や姿。おもかげ。」「ある現象や状態の存在を印象づける感じ。不吉な兆候。」「心に思い描く実体のないもの。幻影。まぼろし。」「つきまとって離れないもの。」「やせ細った姿のこと。」「死者の霊魂。」、遠の(とおの/とほの)は「隔たりの程度がはなはだしい。遠くの。遠方の。」、幾多は「数量の多いこと。あまた。数多く。」、黄昏は「夕方の薄暗い時。夕暮れ。暮れ方。たそがれどき。また、比喩的に用いて、盛りの時期がすぎて衰えの見えだしたころをもいう。」、そだたくは「語義未詳。‘そ’は十分にの意、‘たたく’は‘手たく’で手を働かせる、すなわち抱く意で、しっかり抱きしめる意か。一説に、愛撫すること、また軽くたたくの意。」、仏は「仏語。仏陀のこと。釈迦仏・阿彌陀仏・薬師仏などすべてにいう。」「死者の霊。また、死んだ人。死人。」、彼の岸(かのきし)は「‘彼岸 (ひがん) ’を訓読みにした語。涅槃 (ねはん) 。」の意味です。

余談

この歌は、地獄少女のEDテーマ「かりぬい」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

 

雑感

影には「死者の霊」という意味があり、仏にも「死者の霊」という意味がある。

ということで、歌のイメージとしては、色(しき)の世界、即ちこの物質的な世界の影にある死者の霊達が、黄昏の光にまるで抱かれるように照らされることで、即成仏して彼岸へと渡ってゆく、というような感じ。

もっと露骨なことを言えば、霧深い幽界的な暗い世界で、まるで影のような形をした、未だ浮かばれない霊魂達の上から、まるで黄昏時のような温かい黄金色の光が降り注ぐのだ。

その途端、光に照らされた数多の霊達が、安らいだ表情と心からの安堵の声を漏らしながら煙のように消えていく、即ち彼岸へと渡っていく、といったイメージ。

はるさかり とほみかのみる
  はなのきの なはるみのかみ ほとりかさるは

(春盛り 遠見香の見る 花の木の 隠る身の神 辺飾る場)

解説

盛り(さかり)は「物事の勢いが頂点に達していること。また、その時期。[補説] 他の語の下に付いて複合語をつくるときは一般に‘ざかり’となる。‘伸びざかり’‘花ざかり’‘働きざかり’など。」、遠見(とおみ/とほみ)は「遠くを見渡すこと。遠くから見ること。」、香(か)は「かおり。におい。現代では、良いにおいをさすことが多い。」「美しい色つや。光沢。」、隠る(なばる)は「隠れる。なまる。なぶ。」、辺(ほとり)は「その付近。近辺。あたり。そば。」「はし。はずれ。辺際。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。

『愛国百人一首 / 全100首を一気に読める動画』(「cavefilm」さん)


雑感

下記参照。

『その他の王仁三郎著述 惟神の道 [100]直感の力を養へ』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)

 

にひしくき あめつちうさり
  まいのちの いまりさうちつ めあきくしひに

(新しく木 天地失さり 真命の 今理想地図 目明き奇霊に)

解説

新し(にいし/にひし)は「あたらしい。」、天地(あめつち)は「天と地。乾坤(けんこん)。宇宙、世界の全体。」、失さる(うさる)は「なくなる。失われる。うせる。」、真(ま)は「(名詞・形容詞・形容動詞などに付いて) 純粋である、まじりけがない、などの意を表す。」、理想(りそう/りさう)は「哲学で、人間の理性と感情を十分に満足させる最も完全な状態。現実の状態の発展の究極として考えられた最高の形態。実現可能な相対的な究極状態と、実現不可能だがそれでも行為を促す絶対的な状態(神、最高善、永遠)の二つに分かれる。」、地図(ちず/ちづ)は「地球表面の一部または全部を一定の割合で縮小し、記号・文字などを用いて平面上に表した図。」、奇霊(くしび)は「霊妙不思議なさま。」の意味です。

雑感

今日、何と無しに身体が消えたような感覚になって、日月神示の、目に見えるものは二義的、の部分をを思い出してしまった。

『霊界人は、その向いている方向が北である。しかし、地上人の云う北ではなく、中心と云う意味である。中心は、歓喜の中の歓喜である。それを基として前後、左右、上下、その他に、無限立体方向が定まっているのである。霊界人は地上人が見て、何れの方向に向っていようと、その向っている方向が中心であることを理解しなければならない。故に、霊人たちは、常に前方から光を受け、歓喜を与えられているのである。それは絶えざる愛であり、真理と受け取られ、それを得ることによって霊人たちは生長し、生命しているのである。要するに、それは霊人たちの呼吸と脈拍の根元をなすものである。地上人から見て、その霊人たちが各々異なった方向にむかっていようとも、同じく、それぞれの中心歓喜に向って座し、向って進んでいる。上下、左右、前後に折り重なっていると見えても、それは、決して、地上人のあり方の如く、霊人たちには障害とならない。各々が独立していて、他からの障害をうけない。しかし、その霊人たちは極めて密接な関係におかれていて、全然別な存在ではない。各自の眼前に、それ相応な光があり、太陽があり、太陰があり、歓喜がある。それは、霊人たちが目でみるものではなく、額で見、額で感じ、受け入れるのであるが、その場合の額は、身体全体を集約した額である。地上人に於ても、その内的真実のものは額でのみ見得るものであって、目に見え、目にうつるものは、地上的約束下におかれ、映像された第二義的なものである。映像として真実であるが、第一義的真理ではない。故に、地上人の肉眼に映じたままのものが霊界に存在するのでない。内質に於ては同一であるが、現われ方や位置に於いては相違する。故に、霊界人が現実界を理解するに苦しみ、地上人は霊界を十分に感得し得ないのである。霊人の中では太陽を最も暗きものと感じて、太陽に背を向けて呼吸し、生長していると云う、地上人には理解するに困難なことが多い。要するに、これらの霊人は、反対のものを感じ、且つうけ入れて生活しているのであるが、其処にも、それ相当な歓喜があり、真実があり、生活がある。歓喜のうけ入れ方や、その厚薄の相違はあるが、歓喜することに於ては同様である。歓喜すればこそ、彼の霊人たちは太陽に背を向け、光を光と感得し得ずして、闇を光と感得していることを知らねばならぬ。この霊人たちを邪霊と呼び、邪鬼と云い、かかる霊人の住む所を地獄なりと、多くの地上人は呼び、且つ感じ、考えるのである。しかし、それは本質的には地獄でもなく、邪神、邪霊でもない。霊界に於ては、思念の相違するものは同一の場所には存在しない。何故ならば、思念による思念の世界につながる故である。現実的にみては折り重なって、この霊人たちが生活するとも、全然その感覚外におかれるために、その対象とはならない。地上人に於ても原則としては同様であるが、地上的、物質的約束のもとにあるため、この二者が絶えず交叉混交する。交叉混交はしても、同一方向には向っていない。そこに地上人としての霊人に与えられていない特別の道があり、別の使命があり、別の自由が生じてくるのである。』(地震の巻 第六帖)

『◎の中のヽの中の◎は一であり、二とひらき、三と生命するぞ。理は一(ヒ)で二(フ)で、三(ミ)であると申してあらう。一(ヒ)も二(フ)も三(ミ)も同じであり、違って栄えるのざ。一二三(ヒフミ)であるぞ。このこと教へられても判るまい。ハラで判る大切こと、ハラ大切ぞ。かたまってはならん。ヽに捉はれるとヽは判らん。地の定規ではかってはならん。如何なる天国も自分でつくるのぞ。そろばん捨てよと申してあらうがな。よろこびは理(ミチ)ぞ。数ぞ。言ぞ。真理ぞ。愛善ぞ。生命のイキと云ふこと判るであらう。天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ。天国は霊人のみの住む所でないぞ。そなた達も今住んでゐるでないか。霊人も現界に住んでゐるでないか。現界をはなれて天国のみの天国はないのであるぞ。故にこそ、現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国へ住める道理ないのぢゃ。アメツチと申してあらう。この道理よくわきまえよ。善とか悪とか真とか偽とか愛とか憎とか申すのは相対の天国ぞ。まことの天国には喜びのみが生きてゐるのであるぞ。喜びの中にとけ入って、喜びのものとなってゐるのであるぞ。喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って、嬉し嬉しとなるのぞ。いらんものは形が変って来る。新しき生命 湧き出るのであるぞ。善が悪と、真が偽と変った時は死となるぞ。その死は新しき別の生命と現はれて、新しき形の、新しき世界の善となり真となるのぞ。善も悪もないのざと申してあらう。善悪はあるが無いのざと申してあること判りたか。自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ。死んだものは新しき形をとって生命するのであるぞ。弥栄の道、神の喜び人間の喜びの中にあるぞ。愛ざと申して愛に囚はれて御座るぞ。真ざと申して真に囚はれて御座るぞ。喜びに生きよ。宗教に囚はれてはならん。道に囚はれてはならん。喜びに生きて、喜びに囚はれるなよ。お互に喜びの湧き出づることでなければ真の愛でないぞ。理(ミチ)でないぞ。天国に理あると申すが、今の人間の申したり、考へたりするやうな道でないぞ。道なき理と申してあらうが。喜びが理であるぞ。嬉し嬉しの理、早う合点せよ。生命栄えるもの皆喜びであるぞ。信仰とは、その喜びの中にとけ入ることぞ。生も死もなくなるのざ。時間や空間を入れるから、知(血)、通はなくなるのぞ。』(白銀の巻 第三帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

さらにこの事に関連して、ヨハネ黙示録の「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。」の部分も思い出してしまった。そして下記ブログでは、新しい地球に移行する、ともある。

『ヨハネの黙示録 第21章』(「WordProject」さん)


『ヨハネの黙示録 第22章』(「WordProject」さん)


『第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その12(最終)』(「人に内在する良心神(神言会)」より)


上記ヨハネ黙示録に「かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。」「川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。」とあるが、日月神示にはこんな記述もある。

『生命の樹、生命の水を間違へて下さるなよ。樹とはキであるぞ、水とは道であるぞ、樹と水にたとへてあるを、そのままにとるから、囚われた迷信となるのぢゃ。』(碧玉の巻 第三帖)

ということで、いわゆる「最後の審判」が間近に迫っているのかもしれない。

まさみかの なはるくにのそ
  みいついつ いみそのにくる はなのかみさま

(正身彼の 隠る国の祖 御稜威出づ 斎苑に来る 鼻の神様)

解説

彼の(かの)は「話し手と聞き手双方の既知の事物をさす。あの。例の。」、隠る(なばる)は「隠れる。なまる。なぶ。」、御稜威(みいづ)は「御威勢。御威光。」、斎(いみ)は「他の語の上に付いて複合語をつくり、汚れを清めた、神聖な、の意を表す。」の意味です。

雑感

※文字制限に引っかかったため一部URLを短縮しています。リンクに飛ぶ場合は手動でコピペしてください。

何かに追い立てられるようにして出て来た歌です。

「正身(まさみ)」という言葉は辞書にはないが、下記霊界物語に出て来るので採用した。一方「正身(むざね)」という言葉は辞書にあって、これは「そのものや人の実体。正体。ただみ。」という意味になる。

下記参照。

『霊界物語 第75巻 第2篇 国魂出現 第7章 瑞の言霊』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm7507

「国の祖」は国常立尊のこと。大本では根源神の位置づけだが、実際、日本書記に最初に出て来る神様の名前でもあるので、日本の国の祖の神様としての位置づけ、という解釈は全くの間違いではない。

下記参照。

『霊界物語 第33巻 第3篇 時節到来 第18章 神風清』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3318

それで霊界物語に「斎苑(イソ)の館」というのが出て来るが、これは「イミゾノ(斎苑)」の言霊反し、ということだ。

『斎苑の館』(「オニペディア」より)
https://x.gd/rf9bI

ちなみに言霊反しというのは、ある法則によって言葉を縮める用法のこと。

『言霊返し』(「オニペディア」より)
https://x.gd/UgkxIB

それで霊界物語では、この「斎苑(イソ)の館」は、フサの国ウブスナ山脈の山頂「斎苑の高原」にある宮殿で、(鼻から生まれたとされる)神素盞嗚大神の本拠地になっている。

さらにこの「フサの国」というのは、現代で言えばイラン(ペルシャ)にあたる。ちなみに「ウブスナ山」は、イランのダマバンド山(ダマーヴァンド山)に相応するとされている。

『フサの国』(「オニペディア」より)
https://x.gd/39bp1

『ウブスナ山』(「オニペディア」より)
https://x.gd/lyJSv

そして前にも書いたが、福島の言霊反しはフサとなり、下手すると3.11の原発事故の型が世界に移って、イランに核爆弾が落ちる可能性も捨てきれない。

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fuku → Fu kU →FU
sima → Si mA →SA

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下記参照。

https://ameblo.jp/rocon4183/entry-12893359823.html

また話は変わるが、福島第一原発の警備システムの一部は、日本の企業ではなくイスラエルの会社が請け負っている、という話があり、原発事故はイスラエルが起こしたのではないか、という話すら存在する。

下記参照。

『福島第一原発にイスラエルの会社の「謎」』(「現代ビジネス」より)
https://gendai.media/articles/-/4639

元CIAのスノーデン氏が、日本がアメリカの同盟国でなくなったら、日本のインフラを機能停止出来るマルウェア(ウィルス)を仕掛けている、と以前発表したことは有名な話だ。

下記参照。

『我が国インフラへのマルウェア攻撃と「日本の支配構造」の知られざる闇=高島康司』(「MONEY VOICE」より)
https://www.mag2.com/p/money/34902

仮にそうなのであれば、これが世界の型に移って来る時には、イスラエルが偽旗作戦を起こして、イランがイスラエルに核爆弾を落としたかのように見せかけて、イスラエル自身がイスラエルに核爆弾を落とす、ということもあるかもしれない。

どちらにせよ無茶苦茶な話で、常識では考えられないのだが、しかしながら今回の戦いは「宗教戦争」という位置づけであり、もはや何でもありの様相になっている。

下記参照。

『出口王仁三郎の戦争に関する予言』(「瑞霊に倣いて」より)
https://ameblo.jp/chousyu-jin/entry-12731717518.html

『米軍、イランに戦争は「ハルマゲドン」につながる「神の計画」だと告げたと報道 - トランプ「任命された…」』(「HAL Turner Radio Show」より)
https://x.gd/DJb5b

要するに聖書的には、ハルマゲドンが起こらなければキリスト再臨がない、ということになっているので、では(キリストを再臨させるために)ハルマゲドンを起こそうではないか、と大真面目に考え、そして実行している勢力がいるということだ。

そういうことを、どこぞの国の名も知らない一般市民が言っているのではなくて、上記のサイトに説明があるように、30以上の軍事基地の米軍司令官が大真面目に語っているところが、恐ろしいわけである。

下記参照。

『2004年12月1日』(「旦那の部屋」より)
https://danna.jp/dsenki2/

またイスラエルはイセの言霊反しともある。

『三鏡 玉鏡 [619]たまがへしの二三種』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg619

つまり今のイスラエル(&アメリカ)とイランの対決は、神代における天照大神と素盞嗚尊との戦いの移写でもある、ということが言えるかもしれないのだ。

霊界物語では、天の真名井(日本海)を境として、それより西がスサノオの神様、それより東が姉神様(天照大神)が構っているが、姉神様は全部自分の物にしようとしている、とある。

下記参照。

『霊界物語 第12巻 第3篇 天岩戸開 第25章 琴平丸』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1225

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甲『きまつた事だよ。天の真名井から此方の大陸は残らず、素盞嗚尊の御支配、天教山の自転倒島から常世国、黄泉島、高砂島は姉神様がお構になつて居るのだ。それにも拘らず、姉神様は地教山も、黄金山も、コーカス山も全部自分のものにしようと遊ばして、種々と画策をめぐらされるんだから、~~後略~~。

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天の真名井……日本海
天教山の自転倒島……富士山のある日本列島
常世国……米国に相当する国
黄泉島……太平洋にあったとされるムー大陸
高砂島……現代の南米大陸に相当する地域
地教山……ヒマラヤ山
黄金山……エルサレムのオリーブ山
コーカス山……黒海とカスピ海の間にあるコーカサス山脈(ウクライナの南東あたり)

『天の真名井』(「オニペディア」より)
https://x.gd/PdPlb

『天教山』(「オニペディア」より)
https://x.gd/wSBtd

『自転倒島』(「オニペディア」より)
https://x.gd/zuPvw

『常世の国』(「オニペディア」より)
https://x.gd/XYBBD

『黄泉島』(「オニペディア」より)
https://x.gd/MsHFP

『高砂島 (南米大陸)』(「オニペディア」より)
https://x.gd/HbIK5

『地教山』(「オニペディア」より)
https://x.gd/KcmVU

『黄金山』(「オニペディア」より)
https://x.gd/lqByV

『コーカス山』(「オニペディア」より)
https://x.gd/y6M2v

なお、霊界物語は神代の昔の話であり、今現在の世界地図とは違う、ということが書かれてあることは付け加えておきたい。

下記参照。

『霊界物語 第35巻 第1篇 向日山嵐 第1章 言の架橋』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm3501

なので、黄泉島(ムー大陸)なんか現代には無いじゃないか、と言われれば、その通りです、としか言えない。

ただ現世は現し世(うつしよ)ともいうように、神界で起こったことが現代に移写していると考えることで、今回のイスラエル&アメリカの暴走の遠因が垣間見れる、と言えるかと思う。

さらに下記記事では、中東で核戦争が始まると彗星が飛来してジ・エンドとなる、とも書かれてある。

『神の経綸 変化の12年 〜神の経綸〜』(「旦那の部屋」より)
https://danna.jp/kaminokeirin0/

また上記記事ではUFOについても書かれてあるが、霊界物語でもUFOの大量発生の描写と解釈できる箇所がある。

『霊界物語 第7巻 余白歌』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm078801

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久方の 天の鳥船 かずの限り 舞ひつ狂ひつ 神代は到らむ

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そして大本神諭や日月神示では、一旦出て来たらあっという間に出て来る、というような記述があるが、この3月から核戦争が起こる可能性が急速に高まっている。

大本神諭参照。

『大本神諭 大正6年旧8月22日』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
https://reikaimonogatari.net/index.php?obc=os144

日月神示参照。

『天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気付けておくぞ。これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。インチキ神の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳つむと、世界中 見えすくのざぞ。神だけではこの世の事は成就せんと申してあらうがな。神がうつりて成就さすと申してあろうがな。こんなこと これまでにはなかりたぞ。』(岩の巻 第三帖)

だが、下記ブログではハルマゲドンは第三次世界大戦の核戦争ではなく、神と神とが正面からぶつかる神界戦争でありUFO戦にまでなる、とある。

『霊界に流れている核による第三次世界大戦など起きうるのだろうか???』(「人に内在する良心神(神言会)」より)
https://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=342

『この世と地球の霊界は重なり、霊場の霊に移動が起き出している可能性?。に、注意』
(「人に内在する良心神(神言会)」より)
https://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=539

また日月神示等では、人心が乱れると天変地異が起こる、というような旨のことが書かれており、このまま核戦争が始まれば、地球が壊れるような天変地異に見舞われるとも限らない。

日月神示参照。

『つつましく、正しくして行けば その国々で一切不足なく暮して行けるやうに何も彼も与へてあるに気付かんのか。天災地変は人間の心のままと申してあらう。豊作、凶作 心のままぞ。今のままで行けば何うなるか、誰にも判らんであらうが、神示通りに出て来ること、未だうたがってゐるのか。ひつくとみつくの民あると申してあらう。ひつくの民は神の光を愛の中に受け、みつくの民は智の中に受ける。愛に受けると直ちに血となり、智に受けると直ちに神経と和して了ふのであるぞ。二つの民の流れ。』(黄金の巻 第九十二帖)

下記参照。

『神の経綸 変化の12年 〜神の経綸〜』(「旦那の部屋」より)
https://danna.jp/kaminokeirin0/

『アセンション情報10 〜トリのウワサ〜』(「旦那の部屋」より)
https://danna.jp/ascension10/

つまり、下記ブログにあるように地球の核が壊れてしまう所まで行ってしまうかもしれない、ということだ。

『予言教団大本から出た謎の言葉【鏖殺】。世の立替論の背景には地球の【核】に異常があるのか?』(「人に内在する良心神(神言会)」より)
https://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=893

『終わりの事象。今の世はにっちもさっちも行かない。神は火(か)水(み)とも呼ばれ、火責め。水責め。』(「人に内在する良心神(神言会)」より)
https://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=875

『現実の崩壊』(「旦那の部屋」より)
https://danna.jp/gennjitsunohoukai/


上記を踏まえるならば、第三次(大惨事)世界大戦になる前に、大規模な核戦争が起きてしまう前に、何としてでも良い締めくくりに持っていかなければならない所なのだが……。

 

追記

下記記事では「小型キノコ爆弾は欧米の複数の都市に数年前から配備済みである。」とあり、これが本当であれば、核爆発は何も中東だけで起こるのではない、ということになる。

『2004年12月5日〜2005年1月30日』(「旦那の部屋」より)


上記記事にある通り、核戦争を回避させるためにはもはや「暗黒の三日間」を起こすしか手立てがない、という旨のことが書かれているが、このような超自然的な神のみわざとも言うべき事象にすがらざるを得ないほど、今我々が置かれている状況は、収拾がつかなくなって来ているようにも思う。

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もしよろしければ、
「暗黒の三日間によって多くの魂が救われました。ありがとうございました。」
と過去完了で毎日祈ってください。

怖れることはありません。

暗黒の三日間こそが多くのカルマを抱えてしまった人類に対する神の大恩寵なのです。

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下記参照。

『組曲D 第11楽章 2004/3/17』(「旦那の部屋」より)


『現実の崩壊』(「旦那の部屋」より)


なお、上記記事は全て20年以上前に存在していた「波動気功研究所」というHPのD所長という方が手掛けた記事の転載になる。

当時、自分もオリジナルのHPを読ませてもらっていたが、そこには転載先にはない「Q&D」という記事もあって、当時の読者からの質問に対してD所長が答える、というものだった。確か全部で100あったと記憶している。

そこには「暗黒の三日間」が起こることにより、世界中の電気が使えなくなることで、今後の核戦争への拡大に歯止めがかかるのと、人間のDNAの変化が起こり、神なる人へと変容していく、等々が書かれてあった。

日月神示では、身体が光る、原爆も水爆もびくともしない身体、日は黒くなる、ともあり、内容が一致していることにも留意しておきたい。

日月神示参照。

『世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりて その御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。』(地つ巻 第十一帖)

『マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。』(五葉の巻 第十六帖)

『岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。』(紫金の巻 第五帖)

また別の質問では「暗黒の三日間はいつ起こるんですか?」という質問もあり、それに対してのD所長の返答は「奇跡は起きるものではなくて起こすもの」というものであった。

何時だ何時だと「暗黒の三日間」を起こるのを待つのではなく、自身の祈りによって、または自身の意識の変容でもって、それを積極的に実現していくべき、というような返答であったかと記憶している。

なかなはる たいけんれいか
  いててきて ていかいれんけ いたるはなかな

(中隠る 大元霊が 出でて来て 泥海蓮華 至る花かな)

解説

中(なか)は「中央。まんなか。」、隠る(なばる)は「かくれる。」、泥海(でいかい)は「どろうみ。」、蓮華は「蓮(はす)の花。れんか。また、蓮。」の意味です。

余談

この歌は、下記霊界物語を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第57巻 第1篇 照門山颪 第1章 大山』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)

 

雑感

 

下記参照。

 

 


日月神示参照。

『今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。』(磐戸の巻 第十八帖)

『悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。』(富士の巻 第七帖)

火水伝文参照。

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 今世申すは何でも九分九厘対一厘であるぞ。何事も『あやま知』含みて成るものは、精一杯鳴りたところで、九分九厘にて仕舞いであるぞ。どうあがきても十【カミ】には鳴れぬ魔釣り道じゃ。小さき事どもから大き事ども迄、そうなりて居るのじゃぞ。身欲を基の台と成す『あやま知』病みたる母体から、産まれ鳴りたる事どもは、汝ご一人の思いから世界を統べる企み迄、総ての総てが九分九厘で引っ繰り返るぞ。もはや悪の芽切りたから新たな悪は育たぬぞ。芽吹いた先から滅んで行くがさだめであるよ。今今に悪に見ゆるは、悪を使うて悪払うこ度に使う道具なれば、まだまだ悪の世が続く思いて居ると、怪我をする伝えあろうがな。これからは悪と悪の共食いになりて参りて、悪神も苦しくあるから暴れる程に益々危うき世となりて参るから、汝等は巻き込まれん様に気を付けて下されよ。メグリ多く持ちあると巻き込まれてしもう由、早う自ら清まりてメグリ払いて下され申し参りたのじゃ。自らに厳しく三真釣り持ち行くが急ける事にてござるぞ。

 人民様の真中にありても同じ事が起こりて居るのじゃ。汝、未だ気付かず。なれど汝等は宇宙コトワリのに似素型にてある。なれば今今の神経綸の御ハタラキ、そっくりそのまま、汝等の真中にても既にハタラキあるを知りて下されよ。汝等の真中に残りありた一厘のマコト、元つ大神のお出ましに呼応致して、汝の真中を占拠する身欲を基の台と成す、九分九厘の『あやま知』を自ら払わんと鳴り響きて居るのじゃ。一厘対九分九厘の戦でござるぞ。汝が早う気が付きて、孤立無援で戦する、汝の真中の一厘に、三真釣る行にてマコト出し、透け切る心に火を立てて、真中と一如に共鳴れば、勝てる戦にあるなれど、汝のメグリ必ず暴れるから、一厘のマコト余程しかりご守護なさなば危ういぞ。この方は全く心配ござらぬが、汝等はこ度は自らが清まりて、マコトの少しなりと鳴り出される様に成りて下さらねば、この方も手を貸す事は出来ぬのぞ。こ度は汝等お一人お一人が、自ら三真釣り持ち行き少しでも、清まりマコトを出す事が、こ度の仕組みの要にて、外すは適わぬ事にてあるのじゃ。こをどうありても解かりて下されよ。三歳苦難のタテカエ申すは、神々含む汝等を、一挙に一度に清める事にてござるのぞ。悪を使うて悪を払うお仕組みなれば、そがために九分九厘までは悪神に、勝ちを持たして上ぐるのじゃ。この方にとりてはこ程楽な事も無いなれど、それでは残る人民殆どないから、くどうくどう申して居るのじゃぞ。この方は人民様の酷きザマ見とう無いのじゃ。この方も辛いのぞ。神、頼むぞ。三歳苦難のタテカエ迄に少しなりともマコト磨きて下されよ。マコト三真釣り持ち来たりて、マコトの響き鳴りてる者は、正神真神のご一統がご守護に回りて汝を支えるから、どんな事がありても起こりても、何のご心配も無いぞ。安心致して見て居るが善いぞ。

 何かに付け三真釣り持ち行く申すは、口と心と行いを、少しも違えず行に結ぶことでござるから、【違えず行に結ぶこと】だけを念頭に、身欲損得を捨てて行じて下されよ。考え深くあるよりは、真釣り深くありて下されよ。真釣りに響く考えるは【カミカエル】でござるから、善いのであるが、魔釣りに響く考えるは《我が得る》だけであるからぞ。《我が得る》だけでは、益々真釣りを外すだけではござらぬか。神のご用に使う程の者は、我があり過ぎても無さ過ぎても困るのであるから、真中と我、どちらが汝の主であるか、今今にハキリ、タテワケ致しおいて下されよ。汝等の真中と我、同じじゃ思い見なし居りては間違うぞ。

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 汝等が生くる言うは、生かされあるをくどう申し伝えた由、こは解かりてござろうなれど、今今まではアタマが取り違えを致して、自ら勝手に生きある様、思いなしありた世でありたから、アタマがイノチを支え生かしあるが如く、本気で思い込み居る、目の覚めぬ者どもが数多居るのぞ。ざから今今にありても自らを自らが生かす思い込みて居るから、《身欲》が基の『あやま知』で『魔釣るカタチ』におイノチを、預け続け居るのでござるよ。自らを自らが生かす思う言うが、既に真釣りを失いた証ぞ。マコト生かされあるが、段々と解かり参りて来た者は、いかに生くるか等申す《迷い》は少のう鳴りて来るのじゃ。マコトの真釣りを知り行く申すは、出口無しの《迷い》から出口に至る唯一のミチぞ。元つマコトの神真釣り申すは、アタマの知恵にては末代適わぬ申す事、くどう言うて置くぞ。今今に取り違えたままにありては、末代の残念、無念になりてしもうからじゃ。

 汝等の肉のお宮申すものは、そが数少なき元つマコトの神真釣りが、今の今も生き活きと鳴り鳴りご守護なされ居る、尊き神の顕しものにてござるのぞ。尊き火水の鳴りませる、神のお宮の事にてあるぞ。元つ心の鎮まれる、汝のお宮に気付かれて下されよ。そが由、ワケの解からんアタマの『あやま知』にいつまでもだまされて居らねで、自ら基の足元を、尊んで下され申すのであるぞ。汝等に善の鏡を見て下され申すも同じ事じゃ。善の鏡言うは、真釣りたマハタラキを顕す現しものの事にてあるよ。されば真釣るマコトの解からぬ者は、何時いつなりと立ち戻りて、汝に括り付けある、善の鏡のハタラキを見て下され申し居るのじゃ。

 今今の汝のお体が如何様な響きに鳴りて居りても、それでも神のご守護で真釣られあるのぞ。汝の体を支えるに神々がいか程のご苦労をなされて居るか、ちいとは解かりて上げなされよ。汝ご自身がひっくり返した真釣りの数々を、一言の文句も言わぬどころか、尚、慈愛の笑み持て、メグリ少なきを量られて居るのぞ。お詫びの響き、感謝の響き更に更に深き底より鳴り出させねば、申し訳無いぞ。いつまでも辛くあるは、汝の我、強きが由じゃ。汝、感謝深くある積もりにありても、マコト欺くは適わぬ事ぞ。体ばかりで無いぞ。心辛くあるも同じ事じゃ。マコトの感謝が出けて居らんのじゃ。この方もいつまでも辛くあるを見るは忍び無いぞ。メグル情けをかくるは、そなたが愛しく救うてやりたいからじゃ。早う真釣りに戻りて欲しいからぞ。マコト以外のすべてを捨てる程に鳴りて下されよ。今辛くある者にか程強く申すも、今今のご苦労申すは、これまでの幾生の過ちの総決算をするに当たりて、少しでも楽にお陰が取れる様にと、一挙に一度で渡す、三歳苦難のその前に、お渡しなされた大事な掃除道具にござるのじゃ。そは少しでも早く、新しき肉のお宮に入れる程のミタマに鳴り鳴りありて欲しいからぞ。

 新しき御代の体申すは、新た鳴る高き響きにて真釣ろい創りあるのぞ。響き一つ上ぐりて居るのじゃ。光一つ上ぐる伝え知らせあろうがな。この方が汝等に生きありても、死にありても三真釣り持ち行き、マコト磨け申したは、この事に関わりて大事な事にてある由、くどうくどう申し来たりたのじゃ。そは汝等のミタマ、マコトの響き無くあれば、新しき代の肉のお宮に入るは適わぬからであるぞ。光一つ上ぐりた肉のお宮に収まれるだけの、ミタマに鳴りておい出なされませ。
    
 申すも辛い事なれど、今ザマの人民様のありザマにありては、適わぬ事と知り置かれよ。なれば汝等皆々神の響きを行成す者と成り鳴りて、一人でも多くの方々に真釣りあるを知らせくれよ。三真釣り持ち行き鳴するがミチぞ。解かりたか。

 今今は心曇りて居るが由、ご自身自ら、アタマでご自身の体をバラバラに分け縛り付けて居られるから、体の各部は益々酷き有り様と鳴りて居るのぞ。日本が世界のヒナ型申すは、汝等も世界のヒナ型申すを言うのであるぞ。真釣り役の胴体がふ抜けて居りては、ご自身のお体が真釣れぬ同様、世界が真釣れぬも無理無かろうが。この方がヒノモトの人民様に厳しく申すは、この事在りて有るが由ぞ。汝等ヒノモトの民申すものは、地球世界を真釣り背負わねば鳴らぬ、スメラの御ミタマにござるのぞ。汝等の申す、人知に汚れた、への突っ張りにもならぬ話をして居るので無いぞ。数ある民魂の真中の御役、最も辛きご苦労の、地の日月の神と統べ真釣る導き御役の響きにておわすのぞ。辛きご苦労のお身魂であるが由、枝葉とタテワケ、一段も二段も上の響きのご苦労に堪えれる様、【元つキ】の直の御チ筋を引かせあるのぞ。中身のご苦労もなさらいで、カタチばかりで取り違え、日本は偉い偉いなぞ申し参りても、ハラにマコトの一厘も無きが者の成さり様は、犬、猫にも恥ずかしい限りであるぞよ。自らの真中のマコトが解からぬから、カタチばかりの言の葉で、体裁を作りて我が一番、我が一番等と威張り合うて参りたから枝葉の身魂にも劣る、悪き身魂に落ちてしもうたのじゃ。

 マコトを立て持つご苦労を、堪えて厭わぬおハタラキが、出くる身魂を上段の霊魂、申すのぞ。少しは恥を知りて下されよ。それだけの霊魂授かり、地の日月の神と鳴り成さる御チ筋にありながら、今のザマは何たる事ぞ。ハラが枝葉のやり方真似てどうするのじゃ。未だにハラにマコトの無き者は、アタマの毒に侵され居るから、自ら選んで成りた訳でもないに迷惑じゃ等、申す者も居られ様が何度も申し伝えある様に、そが者どもは、この方一人も要らんから、お邪魔せぬ様下がって見て居れ申し居ろうがな。枝葉は真釣るを知らんから、我善し勝手に持ち荒らし、やがて潰えてしまうから、そうなりてからでは遅いから、可哀想なから、枝葉束ねる汝等に早う五体統べ真釣りて下され申し来たのであるぞ。世界を統べ真釣りて下され申すも同じぞ。肝腎要の真釣りが外され居りたのじゃ。

 真釣り統べるがハラのハタラキにござるのぞ。ハラにマコトが据えてござらぬから、腰が座らんのであるよ。ハラに真釣りの何かが解かりてござらぬから、アタマが取り違えを致して、我善しで何をやりても良い思い込みて、五体を好き放題我善し力で使い動かしありたのじゃ。なれど真釣りて使うて居らぬから、バラバラに不都合出ありて、継ぎ接ぐマコトの無き世となりたから、五体各部も何が何だか解からぬままに、我善し力のやり方で自由勝手に真似だして、更鳴る魔釣り世となさしめたのじゃ。しかあれ皆々真釣りて無きが由、皆々段々衰えて参りて、先行き不安となりたところで、体(地球)の栄養を一人受け居る、結構なハラ(日本)が悪いとアタマが仕組み煽りて、四体を巻き込みハラを弱らせ攻め入りて、何としても真中のハラを我が物と致して、胴を奪いて五体(世界)の魔コトの王にならんと画策致し居るが解からんか。日本の上を預かる者どもは、これより訪れ参る外圧に、好い加減なところで妥協せんとなされるが、そは適わぬ事と知り置かれよ。この方が許さぬなり。そが時、汝等マコトの者は世間より悪く悪し様になされる由、今今よりシカリ、心鍛えてマコト護持出くる様、気張りて下されよ。

 アタマが何をなさろうが、ハラがマコト真釣りを少しでも致して居れば、如何様にも持ち直す事は出来たのであるぞ。今の世の酷き有様はハラにマコトが無い由に、アタマのやり方を善き様に吹き込まれ、思い込まされ、身欲に走りて信じ込み、行に結びたが終わりの始めとなりたのじゃ。今今になりても、世の識者呼ばれる者共や宗教家申す者共は、マコト耳に入れども聞きもせず、見せども見えぬあき盲ばかりでござるから、日本はだまされて居りたのじゃから、日本ばかり責めいで下され等と物知り顔で申すなれど、そは今今に至りても尚、ヒノモトの真姿の見えぬ大ウツケの申し様でござるぞ。マコトの事が解かりて無くあれば、人民様のお邪魔にならぬ様、口を慎み、心を慎み、行を慎みて黙って見て居れよ。

 汝等の申し様は、親が子にだまされ成せし悪なれば、ワレばかり責めねで子も責むが公平なり、と申すが如きぞ。何たる情け無きザマであるか。恥を知りて下されい。ユダヤのミタマ申すは、大き構えが陽の構えでござるから、ハタラキは水の御ハタラキと鳴りて居るのぞ。情けと花の表の音色じゃ。スメラのミタマ申すは大き構えが陰の構えにござるから、ハタラキは火の御ハタラキと鳴りて居るのじゃ。情けと花の裏の音色ぞ。どちらがどちらを背負うのか、これでハキリ解かりたでござろうが。世界の人民様申すは、すべて皆々大神のご大切なる御子なれど、汝等の兄弟にてはあらぬ者なり、汝等は親なり、世界の人民様は皆々、汝のお子なり。この神仕組み取り違い居りていては、世は滅ぶなり。今までの考え様、さっぱり捨てて下されと、くどう申して居ろうが。マコトの解からぬ神や仏にいつまでも使われて居るからそのザマであるぞ。

 よきか、今今の汝等のマコトの有り様申すものは、汝等ご自身のお子を自ら殺すか生かすかの瀬戸際に立ちて居るのぞ。今一歩踏み選べばどちらかに決まりてしもう瀬戸際じゃ、申して居るのぞ。人類皆兄弟等と腰抜けたる思い様にありては易きミチに入るは必定。目も当てられぬ残念ご無念でござるよ。

 親と申すものは、子にマコトを立て開くがハタラキでござるのぞ。マコト真釣りて行に結ぶを【口、心、行】にて開き渡すなり。顕すなり。子にマコトの開くのを【情け】と【花】にて見守るが、親たる者の有り様でござろうが。情けの表は【真釣る厳しさ】であるぞ。情けの裏は【忍ぶご苦労】でござるよ。花の表は【行に結びた形】にござる。花の裏は【散らぬマコトの花一輪】ハラに咲かせしことなるぞ。見守るご守護のハタラキは、表に立ちては適わぬぞ。下に下り下りて与えるが陰のご守護の基なり。親と申すはこれ程のご苦労の御役なり、さればそれだけの力与えあるは、幼子にありては尚、解かる道理でござるのぞ。

 【散らぬマコトの花一輪】汝のハラにも、お子のハラにも、見事咲かすが出くたなら、万古末代弥栄じゃ。どうでも利かぬお子であれば、強きメグリ背負いたお子なれは尚の事、今生に覚え無くありても、何時の世かで共に真釣りを崩す様な因縁を持たれたは、明々白々であろうから、お子を神と崇められ、お詫びの響きを感謝に繋げ、汝が三真釣り持ち行きて、マコトに結ぶご苦労を少しでも早うなさりて下されよ。メグリ申すものは、真釣りた響きで逃げも和するも致すのざから申して居るのぞ。やって見なされよ。この方がついて居る言うて居ろうが。

 汝等、世界の人民様の親なれば、世界の人民様より一段も二段も上の霊魂授けあるを伝え知らせあろうがな。偉い偉く無いの話で無いぞ。尊き神真釣りの基であるぞ。いつまでもイシヤの仕組みに引っ掛かりて居りて、この世にありもせぬ自由・平等・博愛なる戯言に振り回された挙げ句、不自由・不平等・不博愛なる世を創り上げてしもうた事に、まだ気付かんか。アタマの創りた『あやま知』の世にありては適わぬ事でありたのじゃ。自由・平等・博愛なる、マコトの響き言うは【真釣り】た全一如の和したる響きなかりせば、有りは致せぬ事なのぞ。親有りて子が有るのであろうが。神有りて人が有ると同じ事ぞ。汝等皆々、宇宙コトワリの似姿なると申し伝えあろうが。親なる中心が有りて、幹なる中心が有りて初めて枝葉に全一如のハタラキが出くるのであろうが。こに自由・平等・博愛なることどもは、猛々しく言挙げさるるも無く、至善に生き活かされあるのでござろうが。日本の人民様、良い加減にシャキッと目を覚まして下されよ。自覚無き申しても余りのザマでござるぞ。真中が真釣りを忘れて居りてはどうする事も出来はせんぞ。五体におきても同じ事ぞ。ハラは五体の基なり、親なり。胴が無くれば五体バラバラであろうが。五体すべてを真釣る由、元つ気ハラに集め居るのぞ。五体すべてをかまう由、滋養ここより取るる様、型に示しあるを忘るなよ。四体、枝葉も神の御子なれば、尊き御ハタラキ持ちて居るのぞ。なれどそはハラが真釣り統べりてあれば、の事にてござるのぞ。ハラが真釣らねばいつでも逆法に鳴りてしもうは、アタマの仕組みで型示しあるは、伝え知らせあろうがな。

 ヒノモトの人民様は、世界の父親なる責を忘れて久しくありたから、今今のザマと成り果てしもうてござるが、今、最期の時。子にマコトも示せず散りて果てるは末期の恥と知りて下されよ。今今に、汝の三真釣り持ち行くが、マコト鳴り成る響きにて、汝のお子にも世界にも、マコト知らしむ型と成る。解かりたか。

 ここまで申し伝え来たなれば、よもや不足は無かろうまい。今今の時節にありては、真釣りた響き無くれば、何事も成就致せんと、くどう申し参りたが。汝に一厘のマコト残りあるなれば、今を外して、何時に使うお積もりか。こ度は万古末代二度は無い、後にも先にも一度こっきりの大層でござるぞ。今までの世は、何あろう命ありての物だねでも良かりたのであるが、これからの世申すは、マコト無くては生きられぬ神代と成るのであるから、既にその響きに入って久しくあるから、マコト有りてのお命なるを、決して忘れんで下されよ。何に付け、今生にマコト懸けての花一厘、見事に咲かすか、果て散るか、今今、この場で決めて下され。ここ今に決めれぬ者はもういらぬ。お好きな様になさるが善かろうぞ。
    
 この方は死に急げ、申して居るので無いぞ。逆ぞ。汝等皆々、大事な神の御子様じゃ。タテナオシの尊き天命背負いて居られる、地の日月の神々様じゃ。魔釣りの魔やかす毒牙にて、尊きおイノチ散らさるるを、この方、見るに忍びぬ由、か程きつう申すのじゃ。何がありてもマコトを護持致せ申すは、汝のハラ内に末代倒れぬマコトを立て持て申して居るのぞ。マコトが大事じゃ申しても、ケガレ逆巻く悪き世に、ご一人でマコトを掲げて正面からぶつかられては、おイノチがいくらありても足りはせぬぞ。かたひじ張らずに、避けれるものはのらりくらり機転を利かして避けくれよ。汝がことさら荒立てねば、相手もそが以上の罪ケガレ、積まねで済むのじゃ。汝の思いは次にして相手善かれの心を持つも、神の心に適うマコトにてござるぞ。汝のマコトを貫くためにもそうして下されよ。そも修行の内でござるよ。解かりたな。無駄死にはして下さるなよ。神、頼みたぞ。

 汝等皆々、こ度のご用に使うてやりたいから申して居るのぞ。ハラにマコトの立ちてる者で無くればこ度使うは出来んのじゃ。曇り残りある程に、汝ご自身が苦しゅうて、とてもご用どころの騒ぎで無いぞ。由にくどう申して居るのじゃ。身魂相応に使う申しても、【足場】の【足場】の【足場】のアの字も出来て居らん様な身魂でありてはとても使うことは出来んから、早う三真釣り持ち行きて一成る花を二成る花へ、二成る花を三成る花へ、自らにマコト持ち行く情けを課して、堪えるご苦労に勝ち行く程に、楽にご用が勤まる様に成るのであるから、ご苦労を成された分、キッチリ見取って、楽に出来るだけのご用に回してやるぞ。マコトが一番でござるから、マコトを手にして下されよ。ケガレ多き身、思えど、残るマコトの一厘で何かの神のご用をさせくれと、ケガレたとは申せ、ひそかに思うがマコト日本の人民様じゃ。この方それを知りて居る由、汝が愛しいのじゃ。何かのご用に使うてくれ申す者、一人も余さず使うてやるから、残るマコトの花一輪、何かに付けて見事咲かすが汝の務めじゃ。一厘、磨き出されて見事、水晶と成して見なされ。この方しっかと見届け致して、アッバレご用に使うてやるから、ガンバリ成されよ。

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へいらみし えきのまくあけ
  かとのまの とかけあくまの きえしみらいへ

(兵等見し 役の幕開け 下土の間の 石竜子悪魔の 消えし未来へ)

解説

等(ら)は「主として人を表わす語また指示代名詞に付いて、複数であること、その他にも同類があることを示す。」、役(えき)は「戦争。」、下土(かど)は「大地。下界。」、石竜子(とかげ)は「有鱗目トカゲ亜目の爬虫類の総称。カナヘビ・イグアナ・カメレオンなど。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。

『JA - アングロサクソン ミッション』(「AlphaZebra」さん)


雑感

上記動画は2010年に撮られた動画で、イスラエルがイランを攻撃することに始まり、その後は中国でパンデミックが起こったり、小規模な核戦争があったり、世界中で厳戒令が敷かれる、などの内容が発信されている。

昔、自分も2012年以前(当時は2012年に世界が終わるとか言われていた)にこの動画を見た記憶があるのだが、当時は何か絵空事のように半信半疑で聴いていたが、2020年に新型コロナ騒動があり、また現在の中東の情勢を見ている今となっては、このシナリオはあるのかもしれない、と思ったりもする。

解説のページ。

『アングロサクソン ミッション』(「プロジェクト・アバロン」より)

 

『アングロサクソン・ミッション:証言者オーディオ・インタビュー原稿』(「プロジェクト・アバロン」より)


『アングロサクソン・ ミッション ビル・ライアン プレゼンテーション原稿』(「プロジェクト・アバロン」より)


動画内で「地球物理学上の事件」とあるが、下記ブログでも地球の核はもうもたない、とあるので、あながち間違いではないようにも思う。

『終わりの事象。今の世はにっちもさっちも行かない。神は火(か)水(み)とも呼ばれ、火責め。水責め。』(「人に内在する良心神(神言会)」より)


また動画内で「地下の基地建設」について触れられているが、日月神示では、神の気概に叶わない人は地の下になる、今度規則破ったら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になる、とある。おそらく超エリートとか超VIPな人々が地下に逃げる様子と、その後どうなるかについて指しているものと思われる。

日月神示参照。

『幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民 沢山は要らんぞ。何もかも神が仕組みてゐるのざから、人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。』(松の巻 第四帖)

『一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用 事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程 悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民 可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、青氣(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、松心となれよ、何時も変らん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。』(雨の巻 第十四帖 青氣は原文では「青+氣」の一文字漢字の形)

また下記の20年前近くの動画では、ベネズエラのチャベスをやっつける、とあるが、実際に今年、ベネズエラへの侵攻があったことは記憶に新しい。

『「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (1 of 2)』(「yakuza893yakuza」さん)


『「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (2 of 2)』(「yakuza893yakuza」さん)


そしてエプスタイン(Epstein)ファイルなど、これまで陰謀論とか荒唐無稽な話と捉えられていたものが、そうではないことが判明しつつある。

日月神示参照。

『今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位 判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。何んなよいこと喜ばして知らしても、聞かせても、今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。』(光の巻 第六帖)

ちなみにstein(スタイン)はドイツ語で石や岩石の意味があるそうだ。何かイシヤ(石屋)に通じるものを感じる。

なお日月神示では、イシヤ(いわゆる石工集団を起源とするフリーメーソンを指す言葉)も改心さすとあるが、今回のエプスタイン事件が明るみに出てからの、特権階級の人々の相次ぐ辞任や逮捕などは、その一環であるように感じる。

『知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。』(下つ巻 第十六帖)

 

追記

そして、次の大層が出て来たらいよいよ、今度こそ猶予ならん、三四月気付けよ、ともあるが、その時期が来たようにしか思えない。

『四八音(ヨハネ)世に出るぞ、五十音(イソネ)の六十音(ムソネ)と現はれるぞ、用意なされよ。それまでにさっぱりかへてしもうぞ、天も変るぞ地も変るぞ。此の方等が世建直すと申して此の方等が世に出て威張るのでないぞ、世建直して世は臣民に任せて此の方等は隠居ぢゃ、隠れ身ぢゃぞ。地から世持ちて嬉し嬉しと申すこと楽しみぞ、子供よ、親の心よく汲み取りてくれよ。此の神示読まいでやれるならやりてみよれ、彼方(あちら)でこつん 此方(こちら)でくづれぢゃ、大事な仕組 早う申せば邪魔はいるし、申さいでは判らんし、何にしても素直に致すが一番の近道ざぞ、素直になれんのは小才があるからざぞ。鼻高ぢゃからざぞ。神の国は神の国のやり方あると申してあろがな、よきは取り入れ悪きは捨てて皆気付け合って神の国は神の国ぢゃぞ、金は金ぢゃ、銀は銀ぢゃぞと申してあろがな、盲ならんぞ、カイの御用もオワリの仕組も何も彼も裏表あるのざぞ、裏と表の外(ほか)に裏表あるぞ、ウオヱであるぞ、アとヤとワざぞ、三つあるから道ざぞ、神前に向って大きくキを吸ひ肚に入れて下座に向って吐き出せよ、八度繰り返せよ、神のキ頂くのざぞ、キとミとのあいの霊気頂くのざぞ。ひふみがヨハネとなり、五十連(イツラ)となりなって十二の流れとなるのざぞ、ムがウになるぞ、ンになるぞ、ヤとワとほりだして十二の流れ結構ざぞ。知らしてあろがな、是迄の考へ方やり方致すなら建替ではないぞ、何も彼も上中下すっかりと建替へるのざぞ、外国は竜宮の音秘(オトヒメ)様ぐれんと引繰り返しなさるのざぞ、竜宮の音秘(オトヒメ)様、雨の神様の御活動 激しきぞ。今度 次の大層が出て来たら愈々ざぞ。最後の十十※(トドメ)(透答命)ざぞ、今度こそ猶予ならんのざぞ、キリキリであるから用意なされよ、三四月気付けよ、キきれるぞ。信心なき者ドシドシ取り替へるぞ、此の中、誠一つに清め下されよ、天明まだまだざぞ、世の元の型まだまだざぞ、神の仕組 成就せんぞ、神人共にと申してあろがな、神厳しきぞ、ぬらりくらりぬるくって厳しきぞ、と申してあろがな。役員多くなくても心揃へて胴(十)すへて居りて下されよ、神がするのであるから此の世に足場作りて居りて下されよ、神無理申さんぞと申してあろがな、けれどもちっとも気許しならんのざぞ。身魂相当に皆させてあろがな、掃除早うせよ、己の戦まだすんでゐないであろが、洗濯掃除 早う結構ぞ、此の方の神示元と判り乍ら他の教で此の道開かうとて開けはせんのざぞ、鏡曇ってゐるから曲って写るのざぞ、一人の改心ではまだまだぞ、一家揃って皆改心して手引き合ってやれよ、外国人も日本人もないのざぞ、外国々々と隔て心悪ぢゃぞ』(雨の巻 第十五帖 ※は原文では「目」の記号)』(雨の巻 第十五帖)

『カミの大事の肝腎の所が違ふた事になりてゐるから、其の肝腎要(かんじんかなめ)の所 元に戻さな何程人間が、いくら学や智でやりてもドウにもならんぞ、元の先祖の神でないと、此処と云ふ所 出来んぞ、神の国の元の因(もと)のキのミタマを入れて練り直さな出来んのざぞ、肝腎がひっくり返りてゐるぞ、早う気付かんと、間に合はんぞ、もちと大き心持ちなされよ、世界の事ざから、世界の御用ざから、大き心でないと御用出来んぞ。これからは神が化けに化けて心引くことあるから其のつもりでゐて呉れよ、三、四月気付けて呉れよ。』(キの巻 第四帖)

『神界の事は人間には見当取れんのであるぞ、学で幾ら極め様とて会得(わか)りはせんのざぞ、学も無くてはならぬが囚はれると悪となるのざぞ、しもの神々様には現界の事は会得りはせんのざぞ、会得らぬ神々に使はれてゐる肉体気の毒なから身魂磨け磨けと執念(くどう)申してゐるのざぞ。三、四月に気つけて呉れよ、どえらい事出来るから何うしても磨いておいて下されよ、それまでに型しておいて呉れよ。』(日の出の巻 第六帖)

 

『今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民 火がついてもまだ気付かずにゐるが、今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。今度の御用外(はず)したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ。末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。』(日の出の巻 第二十帖)

『此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。今度は正味(せうまつ)の信仰であるぞ、神に真直(ますぐ)に向ふのざぞ。日向(ひむか)と申してあろがな。真上(まうへ)に真すぐに神を戴いて呉れよ、斜めに神戴いても光は戴けるのであるが、横からでもお光は戴けるのであるが、道は真すぐに、神は真上に戴くのが神国のまことの御道であるぞ。方便の世は済みたと申してあろがな、理屈は悪ざと申して聞かしてあろが、今度は何うしても失敗(しくじる)こと出来んのざぞ。神の経綸(しぐみ)には狂ひ無いなれど、臣民 愈々苦しまなならんのざぞ、泥海に臣民のたうち廻らなならんのざぞ、神も泥海にのたうつのざぞ、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐あるなれど、泥海のたうちは臣民には堪(こば)られんから早う掃除して神の申す事真すぐに肚に入れて呉れよ。斜めや横から戴くと光だけ影がさすのざぞ、影させば闇となるのざぞ、大きいものには大きい影がさすと臣民申して、止むを得ぬ事の様に思ふてゐるが、それはまことの神の道知らぬからぞ、影さしてはならんのざぞ、影はあるが、それは影でない様な影であるぞ、悪でない悪なると知らせてあろが。真上に真すぐに神に向へば影はあれど、影無いのざぞ、闇ではないのざぞ。此の道理 会得るであろがな、神の真道(まみち)は影無いのざぞ、幾ら大きな樹でも真上に真すぐに光戴けば影無いのざぞ、失敗(しくじり)無いのざぞ、それで洗濯せよ掃除せよと申してゐるのぞ、神の真道(まみち)会得(わか)りたか。天にあるもの地にも必ずあるのざぞ、天地合せ鏡と聞かしてあろがな、天に太陽様ある様に地にも太陽様(おひさま)あるのざぞ、天にお月様ある様に地にもお月様あるのざぞ。天にお星様ある様に地にもお星様あるのざぞ。天からい吹(ぶ)けば地からもい吹くのざぞ、天に悪神あれば地にも悪神あるのざぞ。足元気つけと申してあろがな。今の臣民 上許り見て頭ばかりに登ってゐるから分らなくなるのざぞ、地に足つけよと申してあろが、地 拝(おろが)めと、地にまつろへと申してあろが、地の神様 忘れてゐるぞ。下と申しても位の低い神様のことでないぞ、地の神様ぞ、地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様あるのざぞ、知らしてあること、神示克く読んで下されよ、国土の事、国土のまことの神を無いものにしてゐるから世が治まらんのざぞ。神々祀れと申してあろがな、改心第一と申してあろがな、七人に伝へと申してあろがな、吾れ善しはちょんぞ。』(日の出の巻 第十三帖)

『ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。 辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。◎と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦ばかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。』(日月の巻 第十帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

『三月三日から更に厳しくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから更に用意して何んな事起ってもビクともせん様に心しておいてくれよ、心違ふてゐるから臣民の思ふことの逆さ許りが出てくるのざぞ、九月八日の仕組 近ふなったぞ、この道はむすび、ひふみとひらき、みなむすび、神々地に成り悉く弥栄へ 戦争(いくさ)つきはつ大道ぞ。』(キの巻 第十四帖)

※「戦争(いくさ)つきはつ」の部分は、戦争が尽き果つ(つきはつ)という意味かと思われる。

『心にメグリ積むと動物のイレモノとなるぞ、神のイレモノ、動物等に自由にされてゐて、それでマコトの神の臣民と申されるか、判らんと申してあまりであるぞ。ゴモク吐き出せよ、其の儘にしておくと段々大きくなりて始末にゆかんことになりて、しまいには灰にするより、手なくなるぞ、石流れて、木の葉沈むと申してあろが、今がその世ざぞ。改心してキレイに掃除出来たら、千里先にゐても、ひつきの神とたのめば何んなことでもさしてやるぞ、この神は世界中何処へでも届く鼻もってゐるのざぞ、この世つくりたこの神ざ、この世にわからんこと一つもないのざぞ、神の御用さへつとめて下されたら、心配ごとが嬉し嬉しのこととなる仕組ざぞ、日本臣民ばかりでないぞ、何処の国の民でも同様に助けてやるぞ、神にはエコがないのぞ。』(磐戸の巻 第十一帖)

『神示読めば何も彼も判る様になりてゐること分らぬか、おはりの御用 御苦労であったぞ、奥の奥のこと仕組通りになりてゐる、臣民心配するでないぞ、一の宮は桜咲く所へつくれよ、わかりたか、天之日津久神奉賛会でよいぞ、オホカムツミの神と申しても祀り呉れよ、祭典(まつり)、国民服(※)の左の胸に八(や)たれのシデ二本つけて キヌのシデつけて当分奉仕してよいぞ。道場は一の宮と一つ所でよいぞ、イイヨリの御用 タニハの御用 御苦労であったぞ。皆の者 愈々ざぞ、今から弱音では何も出来んぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケ、ハルマゲドンと申してあろが、愈々ざぞ、褌しめよ、グレンざぞ。』(キの巻 第二帖 ※戦時中に着用した成人男子の洋服)

 

『己の心見よ、いくさまだまだであろが、違ふ心があるから違ふものが生れて違ふことになる道理分らんのかなあ。世界の愈々のメグリが出て来るのはこれからであるぞ、九月八日の九の仕組 近付いたぞ。人民は早合点、我よしで神示よむから皆心が出て了ふて、誠知らしたこと毒とならん様 気つけておくぞ。薬のんで毒死せん様に気付けよ。今は世間では何事も分らんから、疑ふのも無理ないなれど、神の仕組は何事もキチリキチリと間違ひないのざぞ。宗教連合会も世界連合も破れて了ふと申してあらうがな、つくった神や神の許しなきものは皆メチャメチャぢゃ、三千世界に手握る時と知らずに、丁(た)の世界、も十の世界を知らんからさうなるのぢゃ、火火の世界、火火の人、水水の世界、水水の人、と交通出来るのぢゃ、人と云っても人間ではないぞ、ヒトカミざぞ、手握って三千世界に天晴れぢゃ、この道 神の道ぢゃ、光の道ぢゃ、教ぢゃ、悪と悪と、善と善と、悪と善と、善と悪と握る手持ちて御座れよ、心持ちて御座れよ、びっくり嬉し箱あくぞ。』(青葉の巻 第二十帖 丁は原文では「 ̄に|」の記号)

『マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。』(磐戸の巻 第十二帖)

『人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。』(水の巻 第十二帖)

『神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。それでどうにもこうにもならん事になるから、早よう神にすがれと申してゐるのぞ。誠ですがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民 沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。戦の手伝い位 誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、気付けて呉れよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。まつわり呉れよ。竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝 愈々世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変るぞ。民の改心なかなかぞ。』(松の巻 第八帖)

『学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、今に世界から正真(しょうまつ)が段々判り来て、あわてても間に合はんことになるぞ、今の内に神示よく肚に入れておけよ、この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物 間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、此処は落した上にも落しておくから、世の中の偉い人には中々見当とれんから、身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。』(空の巻 第十二帖)

『今に臣民 何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。』(天つ巻 第二十五帖)

『日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。』(青葉の巻 第十六帖)

『大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。 それより他に人民の得心出来る道はないと申してゐるが、道はいくらでもあるぞ。人民の申してゐるのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にアヤなせば弥栄えて真実の道が判るのぢゃ。ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。(十二月二十五日) 神はうそつきぢゃと人民申しても、悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。もう、ものばかりでは治まらんこと、キンでは治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よく判ってゐるのにカブトぬげん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ。よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。 区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。 人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。 空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。 奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。 奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。』(月光の巻 第七帖)

『口で知らすこと判る人には、判るぞ。大切なことはミミに聞かしてあるぞ。天狗ざから、軽く見るから分らんのざぞ。神示はいらんのぢゃ、ふではカスぢゃぞ。皆ヽ(テン)を見失ってゐるぞ。ヽ(テン)あるのが判るまい。云ふてならん。仕組は出来上がらんと、人民には判らん。仕上げ見て下され。立派ぢゃなあ。【心】で悟りて下されよ。云ふだけで聞けば実地に出さんでもよいのぢゃ。実地には出したくないのぢゃ。この道理、よく悟りて呉れよ。実地に出しては人民 可哀さうなから、こらへこらへて くどう申してゐる内に、早うさとりて下されよ。』(黄金の巻 第二十四帖)

『山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所 愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。』(キの巻 第十帖)

『この神示 言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かして呉れよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ。』(天つ巻 第十一帖)

ゐふのちの いまにてきにけ
  かみのての みかけにきてに まいのちのふゐ

(畏怖の血の 今に敵逃げ 神の手の 御陰幣帛に 真命の武威)

解説

畏怖(いふ/ゐふ)は「おそれおののくこと。また、その気持。」、手は「人体の左右の肩から出ている長い部分。肩から指先までをいう。俗に動物の前肢をいうこともある。」「事を行うための手段・方法。」、陰は「かばってくれるもの。よりどころ。」「かばってくれる人。おかげ。恩恵。」、幣帛(にきて)は「布帛・金銭・酒食など神前にささげる供物(くもつ)。また、紙や布を切って木にはさんでたらした御幣(ごへい)をいう。みてぐら。へいはく。ぬさ。」、真(ま)は「(名詞・形容詞・形容動詞などに付いて) 純粋である、まじりけがない、などの意を表す。」、武威(ぶい/ぶゐ)は「たけだけしい威力。武力の威勢。また、武家の威光。」の意味です。

余談

この歌は、「デモンベインO,C,T,DISC-2」の中にある「神の摂理に挑む者達-魔を断つ剣は未だ折れず」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌を見ると、何か御幣を振るだけで、敵が全身の血の気が引くようにして、畏怖の気持ちで一杯になって逃げる、という妙ちくりんな内容になっているが、「神の手」は神の手段、神による方法、という意味かと思われる。

また下記霊界物語では、「後世にいたり三軍の将が采配を振つて軍卒を指揮し、あるひは祭典にさいし祓戸主の役が大幣を左右左に振つて悪魔を退け、かつ正しき神を召集し、邪気を払拭するが如し。」とあり、幣帛を振る動作の意味について解説されている。

下記参照。

『霊界物語 第4巻 第6篇 宇宙大道 第36章 天地開明』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


三国志のドラマで、諸葛亮孔明が城の上から羽扇(を持っている手)をひとたび振れば、数千の兵がそれに応じて動く、というようなシーンがあったかと思うが、たぶんそんな感じのイメージ。

ウィキペディアにも説明がある。

下記参照。

『諸葛亮』(「ウィキペディア」より)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%91%9B%E4%BA%AE

 

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『初学記』巻二十五に引く『語林』では、諸葛亮について「白い輿に乗り、葛巾をかぶり、羽扇を手に軍を指揮した」と描写されているが、~~後略~~。

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下記参照。

『霊界物語 第1巻 第4篇 竜宮占領戦 第36章 一輪の仕組』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


九分九厘追い詰めれて来た日本だが、まだ神の手によって守られている、神の経綸通りに進んでいる、と信じたいものである。

下記参照。

『璽・鏡・劔の順序 (治国平天下の道)』(「瑞霊に倣いて」より)


さらに日月神示では、もっと悲惨なことが書かれている。

過去に幾度となく書いた気もするが、既に実現しているものも含めて、改めて書いておこうかと思う。

自分は25年前ぐらいに日月神示と出会ったが、当時は今と比べて戦争の気配も高まっていなかったので半信半疑だったが、次々に神示に書かれた内容が現れていることは記しておきたいと思う。

また、この神示は昭和19年(1944年)から始まり昭和30年代までに書かれたものであることも、改めて留意しておきたいところだ。

神示では、気もない時から知らせてある、実際に現れてこないと何を馬鹿なと取り上げないこと知っている、ビシビシその通りになっている、等々書いてあるが、まさにその通りだと言わざるを得ない。

日月神示参照。

『今のうちに草木の根や葉を日に干して貯へておけよ、保持(うけもち)の神様お怒りざから、九十四は五分位しか食べ物とれんから、その積りで用意して置いて呉れよ。神は気もない時から知らして置くから、この神示よく読んで居れよ。一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、神々様さへ今度は無くなる方あるぞ。臣民と云ふものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合はんから、くどう気つけてあるのぞ。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより他には道ないぞ、それで神々様を祀りて上の御方からも下々からも朝に夕に言霊がこの国に満つ世になりたら神の力現はすのぞ。江戸に先ず神まつれと、くどう申してあることよく分かるであろがな。』(富士の巻 第二十帖)

『世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。』(富士の巻 第二十三帖)

『外が悪くて中がよいといふことないのぢゃ。外も中も同じ性もってゐるのぢゃ。時節来てゐるから、このままにしておいても出来るが、それでは人民 可哀さうなから、くどう申してゐるのぢゃ。三千年花咲くぞ。結構な花、三年、その後三年であるぞ。二(ツギ)の三年めでたやなあ めでたやなあ、ヒカリのふで裏迄 読んで見なされ、よく解ってビシビシその通りになっておろうがな。このほう念じてやれよ。この火(ほう)この水(ほう)ぞ。この火ばかりと思ふなよ。火と水(ヒトミ)ざぞ。善き火(ホー)に廻してやるぞ、良き水(ホー)の御用も回してやるぞ。しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違ひぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。何も思案投首 一番罪深い。皆それぞれに喜び与へられてゐるでないか。何不足申すのざ。』(黄金の巻 第二十八帖)

ちなみに下記で紹介しているものはごく一部で、おおまかな流れを示したに過ぎません。

神示では、この神示八通りに読める、とあったり、ブログの文字制限の関係上もあって、全部は紹介してません。どうしても気になる人は、日月神示そのものを読んで下さい。

1. 外国から飛行機が来る

『外国の飛行機が来るとさわいでゐるが、まだまだ花道ぞ、九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。臣民は目のさきばかりより見えんから、可哀さうなから気をつけてゐるのに何してゐるのか。大切なことを忘れてゐるのに気がつかんか。この知らせをよく読みて呉れよ。十月まで待て。それまでは、このままで居れよ。』(上つ巻 第六帖)

2024年8月26日に、中国の「領空侵犯」があったが、まだまだ花道という。

『【解説】中国軍機 初「領空侵犯」 狙いは? 考えられる2つの可能性』(「日テレNEWS NNN」より)


2. 好き放題する移民が来る

『神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。それでどうにもこうにもならん事になるから、早よう神にすがれと申してゐるのぞ。誠ですがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民 沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。戦の手伝い位 誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、気付けて呉れよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。まつわり呉れよ。竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝 愈々世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変るぞ。民の改心なかなかぞ。』(松の巻 第八帖)

ただ、神示では外国と幽界(がいこく)と二つに分けてあって、移民全員が悪いと言っているわけではない。むしろ正しい心の外国人のほうが日本人より早く解る、とも書かれてある。

『今まで世に落ちてゐた神も、世に出てゐた神も皆一つ目ぢゃ、一方しか見へんから、世界のことは、逆の世界のことは判らんから、今度の岩戸ひらきの御用は中々ぢゃ、早う改心して こ(九、光)の神について御座るのが一等であるぞ。外国の方が早う改心するぞ、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことであるぞ。神の目からは世界の人民、皆わが子であるぞ。世界中皆この神の肉体ぞ、この神には何一つ判らん、出来んと申すことないのぢゃ。どんなことでも致して見せるぞ。』(極めの巻 第七帖)

『世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ、大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけてゐるのざぞ、大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。外国から早く分りて、外国にこの方祀ると申す臣民 沢山出来る様になりて来るぞ。それでは神の国の臣民 申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、この方 世界の神ぞと申してあろがな。裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みな てんし様に捧げなならんのざぞ。』(富士の巻 第二十五帖)

3. シーレーンが封鎖される

『神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。』(地つ巻 第七帖)

4. 金本位制になる

『この神示読むとミタマ磨けるぞ、ミガケルぞ。神示読むと改心出来るぞ。暮し向きも無理なく結構にヤサカ、弥栄えるぞ。まだ判らんのか。苦しいのは神示読まんからぢゃ。金の世すみて、キンの世来るぞ。~~後略~~』(黄金の巻 第二十三帖)

『金(きん)では治まらん、悪神の悪では治まらん、ここまで申してもまだ判らんか、金では治まらん、悪の総大将も其の事知って居て、金で、きんで世をつぶす計画ざぞ、判ってゐる守護神殿 早う改心結構ぞ、元の大神様に御無礼してゐるから病神に魅入られてゐるのぢゃぞ、洗濯すれば治るぞ、病神は恐くて這入って来られんのぢゃぞ、家も国も同様ざぞ。神示幾らでも説けるなれど誠一つで説いて行(おこな)って下されよ、口で説くばかりではどうにもならん、魂なくなってはならん。』(梅の巻 第二十六帖)

『【ヽ(テン)忘れるなよ】。世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。迷信であるぞ。金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もつづけて嘘は云へんぞ。申さんぞ。』(黄金の巻 第五十九帖)

※「金で世を治めて、金で潰して」の部分は「金(かね)で世を治めて、金(きん)で潰して」とも解釈できるかと思う。或いは「金(かね)で世を治めて、金(かね)で潰して」と解釈すれば、わざわざ金本位制に移行せずとも、その前にみろくの世になる、という意味になる。個人的にはそっちであって欲しいとは思う。


5. 日本の海底資源(竜宮の乙姫様のお宝)を奪いに来る

『日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。お土の上り下りある時近づいたぞ。人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。』(地つ巻 第三十五帖)

既に、南鳥島沖のレアアース泥の試削作業があったことは、ご存じの方はご存じだろう。

『小泉防衛相「自衛隊は『ちきゅう』も見守る」 レアアース試掘に臨む探査船の姿、Xに投稿』(「yahooニュース」より)


『わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな。一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。信者引張ってくれるなよ。道は伝へて下されと申してあらうがな。竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。びっくり箱の一つであるぞ。キT(た)がよくなる、キたが光るぞ、きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。これ程に申してもまだ疑ふ人民 沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度 我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ。改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。』(岩の巻 第十帖)

『へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。判りたか。海の底にはキンはいくらでもあるぞ。幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ。よろこびも二つあるぞ。三つあるぞ。大歓喜は一つなれど、次の段階では二つとなるのであるぞ。』(秋の巻 第五帖)

『宝の山に攻め寄せ来ると申してくどう気付けておいたでないか。神の国にはどんな宝でもあるのざぞ、◎(かみ)の国、昔から宝埋けておいたと申してあろがな。〇(かみ)の国にも埋けておいてあるのざぞ。この宝は神が許さな誰にも自由にはさせんのざぞ。悪が宝取らうと思ったとて、どんなに国に渡り来ても どうにもならん様に神が守ってゐるのざぞ。いよいよとなりたら神がまことの神力出して宝取り出して世界のどんな悪神も神の国にはかなはんと申す所まで、とことん心から降参する所まで、今度は戦するのざから臣民余程見当取れんことに、どんな苦労もこばらなならんのざぞ。知らしてありた事、日々(にちにち)どしどしと出て来るぞ。われよしすてて呉れよ。』(日月の巻 第三十三帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

6. 本土上陸があるかもしれない
  &
7. 天子(てんし)様(=天皇陛下)が京都に移る
  &
8. 東京に人が住めなくなる

『知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。』(下つ巻 第十六帖)

『キが元ぞと申してあろがな。神国負けると云ふ心、言葉は悪魔ぞ、本土上陸と云ふキは悪魔ざぞ。キ大きく持ちて下されよ。島国日本にとらはれて呉れるなよ。小さい事思ふてゐると見当取れん事になるぞ。一たべよ、二たべよ、食べるには噛むことぞ、噛むとはかみざぞ、神にそなへてからかむのざぞ、かめばかむほど神となるぞ、神国ぞ、神ながらの国ぞ。かみながら仕事してもよいぞ。青山も泣き枯る時あると申してあろが。日に千人食い殺されたら千五百の産屋(うぶや)建てよ。かむいざなぎの神のおん教ぞ。神きらふ身魂は臣民も厭ふぞ。』(水の巻 第六帖)

9. 徴兵制が始まると大変が起こる

『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。』(水の巻 第十四帖)

一般的には強制的に徴兵するのではなくて志願制のほうが効率がいいとされているが、今ウクライナと戦争しているロシアを見てもわかる通り、戦争が長引いて戦死者が大量に出てくるようなことになれば、一般市民(女性や軽度の障がい者含む)も、なりふり構わず徴兵されるかもしれない。

だからこの「一度にどっと大変が起るぞ」は、日本に徴兵制が始まってから戦争が勃発する、と解釈できる他、実際に戦争になって日本がジリ貧になり、やむを得ず徴兵制を始めたら、外国によるさらなる軍事攻撃、たとえば核爆弾が落ちるとか、そういうことを指しているかもわからないのだ。

また、本土上陸があれば必然的に全国が野戦状態となり、徴兵などの発令がなくても日本人が皆、その場で戦わなくてはならない事態に陥り、皆が皆、その場その場で実質な兵隊にならなければならない、ということも考えられる。

10. 食物の騒動が大きくなる
  &
11. 国民同士で奪い合いがはじまる(共食い)

『日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。』(梅の巻 第十四帖)

『富士は晴れたり日本晴れ。◎の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。』(日月の巻 第一帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

『残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋(すが)りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。神にも善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。いやならいやで他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。』(上つ巻 第三十八帖)

12. 物価高(ハイパーインフレ含む)になる
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13. 日本中から物資がなくなる

 

『この先どうしたらよいかと云ふ事は、世界中 金(かね)の草鞋(わらじ)で捜しても九九(ここ)より他 分からんのざから、改心して訪ねて御座れ。手取りてよき方に廻してやるぞ。神の国の政治は、もの活かす政治と申してあろが、もの活かせば、経済も政治も要らんぞ。金もの云ふ時から、物もの云ふ時来るぞ。誠もの云う時来るぞ。』(松の巻 第五帖)

『一握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、~~後略~~。』(富士の巻 第二十帖)

『昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位 朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様にこの方が詑びして一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、その苦労も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、神の堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上げぞ。』(天つ巻 第十七帖)

『元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民 取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。』(上つ巻 第三十六帖)

14. 神社が壊される

『人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。』(上つ巻 第三十七帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』

『大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思へる時ぞ神国の、まこと危なき時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ、後には老人(としより)不具者(かたわ)のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、悉々暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終り近づきぬ。この神示(ふで)心に入れ呉れと、申してある事わかる時、愈々間近になりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌締めよ。』(日月の巻 第三十八帖)

中国人による靖国神社落書き事件が前にあったが、万が一、本土上陸または戦争に伴う中国の「国防動員法」発令、ということになれば、日本中の神社仏閣が壊されるかもしれない、ということは想像に難くないと思う。

15. ロシアが北から攻めて来る

『世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。』(富士の巻 第二十三帖)

『おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。国々もその通りざぞ、神には依怙(えこ)無いのざぞ。ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。臣民と云ふものは神の言葉(こと)は会得らんから悪神の事に御とつけるのは会得らんと申すであろが、御とは力一杯の事、精一杯の事を申すのであるぞ。何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、愈々と成りた時には神が誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて、万劫末代いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、神の国、神の臣民 心配致すでないぞ、心大きく御用して呉れよ、何処に居ても御用してゐる臣民助けてやるぞ。』(日の出の巻 第七帖)

16. 神の国を八つ裂きにする計画(日本列島を八つの区間に切り取って分割統治。つまり日本列島、日本の領土を八つに切り取って、それを複数の外国が山分け支配して、事実上の日本国消滅)

『神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命(いのち)おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命 大切せよ。神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだはってゐるのぞ。出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて釆たぞ、上下ぐれんぞ。』(地つ巻 第六帖)

 

『メリカもギリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりて神の国に攻め寄せて来るから、その覚悟で用意しておけよ。神界ではその戦の最中ぞ。学と神力との戦と申しておろがな、どこから何んなこと出来るか、臣民には分かるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りて居りて、それで神の臣民と思うてゐるのか、畜生にも劣りてゐるぞ。まだまだわるくなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民 沢山あるぞ。玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種(みくさ)の神宝(かむたから)と申すぞ。今は玉がなくなってゐるのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うてゐるが、肝腎の真中ないぞ、それでちりちりばらばらぞ。アとヤとワの詞(四)の元要るぞと申してあろがな、この道理分らんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂みがいて呉れと申してあるのぞ。上下ないぞ、上下に引繰り返すぞ、もう神待たれんところまで来てゐるぞ、身魂みがけたら、何んな所で何んなことしてゐても心配ないぞ、神界の都にはあくが攻めて来てゐるのざぞ。』(富士の巻 第三帖)

『親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く◎(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト◎心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。◎の国を八つに切って殺す悪の計画、◎の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。』(上つ巻 第二帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

 

『天も地も一つにまぜし大嵐、攻め来る敵は駿河灘(するがなだ)、富士を境に真二つ。先づ切り取りて残るもの、七つに裂かん仕組なり。されど日本は神の国。最後の仕組神力に、寄せ来る敵は魂まで、一人残らずのうにする。夜明けの御用つとめかし。晴れたる富士のすがすがし。』(松の巻 第二十七帖)

『富士(二二)を目ざして攻め寄する、大船小船あめの船、赤鬼青鬼黒鬼や、おろち悪狐を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)ひ、海を埋めて忽(たちま)ちに、天日(てんぢつ)暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光 現はれぬ、これこそ救ひの大神と、救ひ求むる人々の、目にうつれるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何んぞたまるべき、まことの神はなきものか、これはたまらぬ兎も角も、生命あっての物種と、兜を脱がんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨 地(つち)震ひ、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風やみ雨も収まりて、山川静まり国土の、ところところに白衣(しろきぬ)の、神のいぶきに甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎ神を拝み、地に跪(ひざまづ)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、普字は晴れたり岩戸(一八十)あけたり。』(富士の巻 第二十四帖)

『世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。神とアクとの力競べぞ。今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ、神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。』(上つ巻 第二十八帖)

火水伝文参照。

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 遅し。神、既に動きたぞ。浮かれ暮らす人民様、この度のこと取り違えおれば末期の不覚となりぬるぞ。しっかと世情見ていて下されよ。現界の荒らぶる現象いよいよ混乱狂気となりておろうが。正邪、背徳、驕奢の膿、様々なる形なさして世に噴出させておろうが。これ予兆ぞ。既に世界はウラにて一つになりたぞよ。真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。これ、こたび始めの神仕組なり。これ日本の事ぞ、マコトぞ。仕組ありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。国、土台から破壊され。ケガレし権力潰れしも外なるケガレ逆巻きて内なるケガレ払うのぞ。私有財産壊滅し、衣食住にも窮迫し、国民同士の戦ある。人と獣との分かれ目ぞ。ケガレしものの消ゆるまで、三歳苦難の道行きぞ。こは神仕組み神ハタラキなれど、汝等人民様の招きしことなるぞ。汝の欲心甘やかし来たりたであろうが。しただけのことは拒めぬぞ。神恨むでないぞ。

 しかあれ、人民様の苦しき死。残り苦しむ様。神、望みてないぞ。既に遅けれど、このワケ、縁ある者に伝え置く。この度死ぬる者はこのワケ聞いて肚に入れ、生き戻れるように死んで下されよ。死んでも頑張りて下されよ。残されし者も同じぞ。死に急ぎなさるなよ。よくよく頑張りて下されよ。よいな、三年の間ぞ。三年の間、汝等の心魂、修羅場と化せしその地にて耐え難きを耐え魂磨くのぞ。死して逃れんと欲っせしも、異界にて万倍の地獄飲まなならんのぞ。神、頼むぞ。汝蒔いた種なればこらえにこらえて三真釣り持ち行け。

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