かくもりの せかいはもよき
をありけり あをきよもはい かせのりもくか
(各森の 世界は萌葱 峰在りけり 青き四方拝 風乗り目下)
解説
各(かく)は「主に漢語名詞に付いて、多くのものの一つ一つ、一つ一つのどれもがみな、の意を表す。」、萌葱(もよぎ)は「黄と青との中間色。やや黄色がかった緑色。萌葱色。また、織物の色で萌葱色のもの。」、峰(お/を)は「山の高い所。みね。尾根。」、青し(あおし/あをし)は「青色をしている。広く緑系統の色にもいう。」、四方(よも)は「東西南北、また、前後左右の四つの方向。しほう。」「あちらこちら。また、いたる所。」、拝(はい)は「頭を垂れて敬礼すること。おがむこと。」、目下(もっか/もくか)は「目の前。すぐ近く。目前。眼前。まのあたり。」の意味です。
余談
この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「鳥の人」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。
雑感
この「青き四方」は、緑色の森が広がっている風景、という意味の他に、新たな世界が眼前に立ち現れて来る、そのダイナミックさへの驚き、というニュアンスも感じる。
今までの世界自体脱皮しながら、同時に新鮮な世界がここに立ち現れてくるような感じ。風の谷のナウシカ的にいうと、いわゆる「青き清浄の地」を垣間見るというイメージ。
「青」は青臭いとか、青二才とかいうように、未熟とか若いとか言う意味がある。また一説には「仰ぐ(あおぐ)」から来ているという。
個人的な感覚では、「あお」は天(あ)の緒(お)で、大空をも含む、絶え間ない森羅万象の不可思議な生命の営みに憧憬している時に、その動きが何かの拍子で自らの玉の緒の中に流入してくる現象、と感じる。
簡単に言うと、大空や花を眺めた時に「あぁ」とか「おぉ」とか、思わず漏れてくる感慨の気持ちのこと。
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いせんしき たまのをのさす
むかしきし かむすさのをの またきしんせい
(依然領き 玉の緒の刺す むがしき詞 神素盞嗚の 全き神性)
解説
依然(いぜん)は「もとのままであるさま。前のとおりであるさま。語幹だけで副詞的にも用いる。」、領く(しく)は「(あまねく)治める。」「広く行きわたらせる。」、玉の緒(たまのお/たまのを)は「美しい宝玉を貫き通すひも。」「命。」、刺すは「糸、ひも、針金、串(くし)などで、貫き通す。」、むがしは「喜ばしい。めでたい。うれしい。うむがし。おむかし。」、詞は「ことば。文章。詩歌。」、全し(またし)は「事物・事態が不足なく、または、欠点やきずがなく完全である。全部が整っている。完全である。完璧である。不都合のない。まったい。」、神性(しんせい)は「神の性格。神の属性。」「こころ。精神。心性。」の意味です。
余談
この歌は、下記霊界物語を読んで、それをモチーフに書いた歌です。
『霊界物語 第39巻 第1篇 伊祖の神風 第2章 評定』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
雑感
霊界物語に「フサの国」というのが出て来るが、これは現代のイランのこと、とある。
下記参照。
『フサの国』(「オニペディア」より)
2011年には3.11に伴う福島第一原子力発電所事故があったが、「fukusima(福島)」の言霊反しは「fusa(フサ)」となる。
fuku → Fu kU →FU
sima → Si mA →SA
下記参照。
『言霊返し』(「オニペディア」より)
日本は世界の雛形という考え方があるが、日本で起きた3.11の原発事故が世界に転写して、イランで(米軍の攻撃による)核爆発が起きる、ということにならないか心配している。
下記参照。
『日本雛形論とは? 日本と世界との間にある神秘的な照応関係』(「世界日本化計画」さん)
下記ブログによると、イスラエルは去年、シリアで戦術核爆弾を使っていたそうだ。
『決定的証拠:2024年12月15日、イスラエルはシリアのタルトゥースに戦術核爆弾を投下した。』(「HAL Turner Radio Show」より)
ガザへの対応と共に、もはや悪魔と呼ぶべきぐらいにひどい話だが、既にイスラエルが戦術核爆弾を使った経験があるならば、当然イランに対しても(イスラエル&)アメリカの軍が核爆弾を落とす可能性は否定できない、ということになるかと思う。
下記参照。
『トランプ大統領イランに対し「必要なら軍事力行使する」と言及 イランとの交渉「多くの時間はない」』(「yahooニュース」より)
また霊界物語では「ハルナの都」というのが出て来る。
下記参照。
『ハルナの都』(「オニペディア」より)
霊界物語のお話は、平たくいうと神素盞嗚命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するというお話なわけだが、その最終の決戦地が「ハルナの都」となっている。
下記参照。
『霊界物語 第1巻 序』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
『大本七十年史 上巻 第四編 第一章 霊界物語の発表 2 霊界物語の内容 あらすじ』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
また下記三鏡によると「ハルは東、ナは地である。」とある。
下記参照。
『三鏡 玉鏡 [560]ハルナ』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
ハルがどうして東になるのかよくわからないが、五行思想では、「木」は季節で言えば春(ハル)であり、方向で言えば東に配されているからなのかもしれない。ナは地震振る(ないふる)のナということで、大地ということなのだろう。
下記参照。
『五行思想』(「wikipedia」より)
さらに出口王仁三郎聖師によると「ハルマゲドンの戦のハルは日本のこと」とある。ハルが東の意味ならば、極東日本と解釈しても、何ら不思議ではないようにも思う。
下記参照。
『出口王仁三郎の戦争に関する予言』(「瑞霊に倣いて」さん)
となると、霊界物語の最終決戦地の「ハルナの都」は、東(ハル)の地(ナ)の都、で東京都、と解釈できるのかもしれない。
下記ブログでは「『霊界物語』は皆日本の事」とある。
下記参照。
『『霊界物語』は皆日本の事』(「大本柏分苑A2」より)
かまたきし ひにかとこきし
すくひのひ くすしきことか にひしきたまか
(釜炊きし 火に下土こきし 救ひの日 奇しき事が 新しき玉が)
解説
釜(かま)は「飯を炊いたり湯を沸かしたりするための器具。金属製または土製で、鍋よりも深く、腰に鍔 (つば) がある。古くは、まろがなえといった。はがま。」「火山の噴火口。」、炊くは「火を燃やす。」「火で燃やす。火にくべて燃やす。くべる。」「火を通して食べられるようにする。煮る。かしぐ。また、湯などをわかす。」、下土(かど)は「下界。大地。この国土。」、こきしは「上代語。量または数の多いさまを表わす語。多量に。はなはだしく。」、救い(すくい/すくひ)は「すくうこと。助けること。救助。救済。」、奇し(くすし)は「超自然的な霊異をつつしみうやまう気持でいい表わす語。不可思議である。神秘的である。霊妙である。あやしい。くし。」、新し(にいし/にひし)は「あたらしい。」の意味です。
余談
この歌は、ヴァネッサ・メイさんのアルバム「レッド・ホット」の中にある「Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565」(トッカータとフーガ ニ短調)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。
雑感
自分で書いておきながら何だけど、歌の意味がちょっとよくわからない。感覚的にはわかるけれども……。
一応、解釈を試みることにする。
「釜炊きし 火に下土」は普通に考えると、釜(火山の噴火口)から噴き出た火が下界に降り注ぐ、ということで、巨大な火山噴火が起こる、と解釈できる。
だが、その解釈は感覚的にはちょっと足りない感じがする。
霊界物語に「地獄の釜が開く」という部分があるが、感覚的にはこのことではないかと感じる。
霊界物語参照。
『霊界物語 霊主体従 第5巻 第4篇 救世の神示 第26章 艮坤の二霊』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
また「地獄の釜焦げ」という言葉があり、意味は「生前に罪があると死後地獄の釜の中で煮られるといわれるところから、その釜の最も底の方に入れられて焦げつくほど煮られる極悪人をののしっていうことば。」となるが、歌の「釜炊きし 火」には、この意味もあるように感じる。
つまり、これまでのカルマがどんぴしゃで出て来て、これまで悪いことをして来た人は、まるで地獄に落ちていくように、急に真っ逆さまな境遇になってしまう、ということかと思われる。
一方、これまで善いことをして来たのに報われなかった人は、ここに来て初めて、そのお陰を受けることになる、ということかと思う。
日月神示のこの部分を思い出す。
『岩戸開けたり野も山も、草のかき葉もことやめて、大御光により集ふ、楽しき御代とあけにけり、都も鄙(ひな)もおしなべて、枯れし草木に花咲きぬ、今日まで咲きし草や木は、一時にどっと枯れはてて、つちにかへるよすがしさよ、ただ御光の輝きて、生きの生命(いのち)の尊さよ、やがては人のくにつちに、うつらん時の楽しさよ、岩戸開けたり御光の、二二(ふじ)に九(こ)の花どっと咲く、御代近づきぬ御民等よ、最後の苦労 勇ましく、打ち越し呉れよ共々に、手引きあひて進めかし、光の道を進めかし。ウタのまどひつくれよ。目出度(めでたき)夜明けぞ。』(風の巻 第四帖)
『わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな。一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。信者引張ってくれるなよ。道は伝へて下されと申してあらうがな。竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。びっくり箱の一つであるぞ。キT(た)がよくなる、キたが光るぞ、きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。これ程に申してもまだ疑ふ人民 沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度 我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ。改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。』(岩の巻 第十帖)
要は、悪の世から善一筋の世への変わり目となって、裁きと救いが同時に来た、という感じかと思う。
また、裁きを受けた人の中でも、心底悔い改めることが出来るなら、救われていくようにも思う。なぜなら、もう「善一筋の世」へと変わっているからだ。このように、善がいよいよ表に出て来るので、その善が、悔い改めた人にまでひどい目に合わせるはずがないからである。
その過程の中で、(どういう事が起こるかはよくわからないが)今までの価値観が一変するような不思議な出来事や、新しい玉(魂)が出て来る、ということかと思われる。
大本神諭や日月神示等では、よく「水晶」という言葉が出て来るが、この「新しい玉(魂)は、水晶魂ということのように思う。
大本神諭参照。
『大本神諭 明治30年(月日不明)』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
『大本神諭 明治31年旧7月16日』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
『大本神諭 明治32年(月日不明)』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
『大本神諭 明治36年旧6月4日』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)
日月神示参照。
『神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。』(天つ巻 第二十帖)
『世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりて その御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。』(地つ巻 第十一帖)
『悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。』(富士の巻 第七帖)
『マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。』(五葉の巻 第十六帖)
火水伝文参照。
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今までの世は、悪の力が強ければ強き程、上へ上へと上がれた世なれど、既に悪の世は終わりて居るのぞ。今今に悪に見ゆるはこ度の大掃除の舞台造り由、勘違い致してまだまだ悪の世が続く思いて、好い加減なことをなして居ると、残念では済まなくなるから、今今に心入れ替えて、清まれる程に心鍛えて下されよ。
新しき御代は、汝等も含め万象万物マコトのもので無くれば、生くるは適わぬ御代にござるから、何事も上から下までマコトがキリリと立て分けられて何でも透けりて解かる御代で御ざるから、人民様皆々ご安心なされて得心なされて全く口舌の無いご苦労も悩みもない、嬉し楽しの歓喜弥栄の御代となりて来るのじゃ。マコト持ち来た汝等が、幾久しく待ちて居りたは知りておるのぞ。嬉し慶び取りて善いのじゃぞ。新しき御代に入るれば、もはや悲しき目には合わせぬ由、ミロク代至るまで今暫しの辛抱じゃ。富士動くまで何がありても堪えて下されよ。死に急ぎなさるで無いぞ。時至りなばこの方とミロクの岩戸を共に開かん。
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今世申すは何でも九分九厘対一厘であるぞ。何事も『あやま知』含みて成るものは、精一杯鳴りたところで、九分九厘にて仕舞いであるぞ。どうあがきても十【カミ】には鳴れぬ魔釣り道じゃ。小さき事どもから大き事ども迄、そうなりて居るのじゃぞ。身欲を基の台と成す『あやま知』病みたる母体から、産まれ鳴りたる事どもは、汝ご一人の思いから世界を統べる企み迄、総ての総てが九分九厘で引っ繰り返るぞ。もはや悪の芽切りたから新たな悪は育たぬぞ。芽吹いた先から滅んで行くがさだめであるよ。今今に悪に見ゆるは、悪を使うて悪払うこ度に使う道具なれば、まだまだ悪の世が続く思いて居ると、怪我をする伝えあろうがな。これからは悪と悪の共食いになりて参りて、悪神も苦しくあるから暴れる程に益々危うき世となりて参るから、汝等は巻き込まれん様に気を付けて下されよ。メグリ多く持ちあると巻き込まれてしもう由、早う自ら清まりてメグリ払いて下され申し参りたのじゃ。自らに厳しく三真釣り持ち行くが急ける事にてござるぞ。
人民様の真中にありても同じ事が起こりて居るのじゃ。汝、未だ気付かず。なれど汝等は宇宙コトワリのに似素型にてある。なれば今今の神経綸の御ハタラキ、そっくりそのまま、汝等の真中にても既にハタラキあるを知りて下されよ。汝等の真中に残りありた一厘のマコト、元つ大神のお出ましに呼応致して、汝の真中を占拠する身欲を基の台と成す、九分九厘の『あやま知』を自ら払わんと鳴り響きて居るのじゃ。一厘対九分九厘の戦でござるぞ。汝が早う気が付きて、孤立無援で戦する、汝の真中の一厘に、三真釣る行にてマコト出し、透け切る心に火を立てて、真中と一如に共鳴れば、勝てる戦にあるなれど、汝のメグリ必ず暴れるから、一厘のマコト余程しかりご守護なさなば危ういぞ。この方は全く心配ござらぬが、汝等はこ度は自らが清まりて、マコトの少しなりと鳴り出される様に成りて下さらねば、この方も手を貸す事は出来ぬのぞ。こ度は汝等お一人お一人が、自ら三真釣り持ち行き少しでも、清まりマコトを出す事が、こ度の仕組みの要にて、外すは適わぬ事にてあるのじゃ。こをどうありても解かりて下されよ。三歳苦難のタテカエ申すは、神々含む汝等を、一挙に一度に清める事にてござるのぞ。悪を使うて悪を払うお仕組みなれば、そがために九分九厘までは悪神に、勝ちを持たして上ぐるのじゃ。この方にとりてはこ程楽な事も無いなれど、それでは残る人民殆どないから、くどうくどう申して居るのじゃぞ。この方は人民様の酷きザマ見とう無いのじゃ。この方も辛いのぞ。神、頼むぞ。三歳苦難のタテカエ迄に少しなりともマコト磨きて下されよ。マコト三真釣り持ち来たりて、マコトの響き鳴りてる者は、正神真神のご一統がご守護に回りて汝を支えるから、どんな事がありても起こりても、何のご心配も無いぞ。安心致して見て居るが善いぞ。
何かに付け三真釣り持ち行く申すは、口と心と行いを、少しも違えず行に結ぶことでござるから、【違えず行に結ぶこと】だけを念頭に、身欲損得を捨てて行じて下されよ。考え深くあるよりは、真釣り深くありて下されよ。真釣りに響く考えるは【カミカエル】でござるから、善いのであるが、魔釣りに響く考えるは《我が得る》だけであるからぞ。《我が得る》だけでは、益々真釣りを外すだけではござらぬか。神のご用に使う程の者は、我があり過ぎても無さ過ぎても困るのであるから、真中と我、どちらが汝の主であるか、今今にハキリ、タテワケ致しおいて下されよ。汝等の真中と我、同じじゃ思い見なし居りては間違うぞ。
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解かりて下されたか。ヒノモトは世界のヒナ型でござるから、世界の真中でござるから、ヒノモトの真中が曇り居れば世界も曇るが神仕組みにござりたのじゃ。それ由、初発にヒノモトのタテカエ致す申すも解かるでござろうが、タテナオシとて同じこと、世界の御祖のヒノモトが地軸の立ちたる新つ地を、地の日月の神成る自覚を開き持ち、統べるマコトで範を垂れ、口舌の無い世に整えて、ミロクへ結ぶが天命にござるのぞ。何事もヒノモトから始まるのじゃ。タテナオシに入りて暫くは、何かとゴタゴタ致すのであるが、岩戸は既にタテカエの最後の最後に開けて居る由、ミロク様も代にお出まし成されて居られるから、何か事ありた時には大神様がご守護を出されるぞ。この方からも、それはこう。あれはこう。申してあるから、汝は立てたマコトを持ち行きて、神と共に天命を歩んで下されよ。タテナオシ申すはスメラのミタマの天命にありて、この方とその方で共に耕すご苦労じゃ。ミロクと統べりたその時に、この方からマコトにご苦労様でござりたと、厚く御礼申し上げ、末代名の残る万古弥栄の誉れの響きと鳴らしめさせて頂くぞ。汝等皆々、危うき身欲は控え捨て、天命自ら掲げ持ち、ミロクを結ぶそのための、基と鳴るため今今を、三真釣り持ち行き魂磨き、嬉し喜び行なして、マコトの響く者と成り鳴りて下されよ。身欲残すは恥を残すぞ。善いな。
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大神様は、汝等お一人お一人に、限り来る迄可能な限り、真釣る機会をお与えなさるそのために、《逆十字》の《快欲》が、初発にして終末の、苦労の種を汝等お一人お一人が、真釣りに気付くに必要なだけ蒔ける様、《我》と《力》の、強きハタラキを成す二柱の神を配されありて、必要なれば《快欲》に副い動きある様、仕組み置かれありたのであるぞ。《我》の強き神も《力》の強き神も仕組みの中にありて、成れればこ度マコトの神成る種にてあるから、自らは未だ《逆十字》の元つ仕組みは解かりて無いのぞ。
《我善し》《力善し》の二神が《逆十字》の《快欲》と絡んだらどうなさるか、汝等皆々スミキリて【真釣り】に向こうて居りたなら、絡む事も無かりたのであるが、今ザマの世を見ゆれば、お解かりでござろうぞ。《欲》に《我》と《力》が絡めば絡む度毎に、真釣り外すが目に余り来て、いよいよ情けが厳しく成りて来るも解かるであろうがな。しかあれ、そは汝等にマコトの真釣りに気付かすがためなるをくどう申し置き居ろうが。今今に解かり取られて下されよ。
《逆十字》の《快欲》が《我》と《力》をその内に、取り込み共鳴り、鳴り鳴りて、大き不調和ご苦労の、構えと成りたが汝等の、神をも含む汝等の、始源にかかりた《囚われ》と知りて解かるが汝等の、真釣るマコトのフリダシに、戻す初発の終末の、ご苦労見据えスミキリて、感謝の響き鳴り成すが、真釣る基の要なり。汝等皆々、神成るミ成れば越えねば鳴らぬご苦労とハラを括りて下されよ。
身欲に《囚われ》たるままにありては、汝等は、神をも含む汝等は、神成る種なる汝等は、末は滅ぶに結ぶが解かりて居りたから、元つ大神のご妻神が、魔釣りの経綸を導くご一柱を自らのお命と引き換えに、構え下されたのであろうが。魔釣りの経綸を導くご一柱申すは『火の神』とも『知の火の神』とも『知恵の神』とも称さるる神にて、元つマコトの神真釣りにて真釣り産み成された、元は正神真神のご霊統にござるのぞ。なれどご自身のご誕生と引き換えに、元つマコトの神真釣る要の一厘を見失われたのでござるから、片親、片ハタラキにござりて、マコトの真釣りを知らぬが由、自らの知力によりて総てを成せある思いてござるのじゃ。それ由、竜には成れぬ『蛇の力』と呼び習わせしが『知恵の神』の事にてござるよ。『分かつ知』の型示しとて二本の角持つ邪鬼申すもあるぞ。いずれ元つマコトの神真釣りと並びあるは適わぬ事由、首を切られ底底に封印されありたのじゃ。汝の底底に封印されありたと申すに同じぞ。過ちたる『蛇の火』のご霊統と元つ真神の『竜の火』のご霊統、取り違え過つは危ういぞ。お気を付け下されよ。汝等このフミ読むにいついつにありても、汝が姿、宇宙コトワリの似姿なるをゆめお忘れ下さるなよ。コトワリの似姿いうはこ度経綸の似姿にてもあるのぞ。汝の内に総てが含まれあるのぞ。神々の事など思いて、汝ご自身を外して居りてはこ度は越せぬとくどう申し置き居ろうが、このフミ総て汝ご自身の事を語りて居るのぞ。汝の真中が伝え居るのぞ。地の日月の神様方、マコト、マコトにしっかりして下されよ。
『蛇の力』を底底に封印せしは、その神力思凝り固まりて《快欲》に囚われたる身欲悪、現れい出たれば『魔釣りの経綸』のハタラキ現れい出る様、仕組みありての事でござりたのじゃ。《逆十字》の陰陽はそれぞれにオロシア、インドの地に相呼応して思凝りたが始めにござるぞ。知恵なる『蛇の力』はユダの地に思擬りて、《逆十字》に副いハタラク《我善し》の神は中国北方に天降り来たりて《力善し》の神は北米に天降りたのぞ。それぞれ仕組み構えありての事でござる。【元つ真釣りの経綸】はこの方の構えるヒノモトが、元つ要の真中でござるよ。
ハラはハラ、アタマはアタマ、枝葉は枝葉にタテワケて、真釣るマコトの神真釣り、ミロクへ至る経綸に、お役目相応のご苦労を、自ら創りて参りたが、こ度に結ぶ裏裏の、神経綸でござりたのじゃ。しかあれ、こは総て許され配されありたを知りて下されよ。元つ仕組みに許され無きもの、何一つありはせんのじゃ。この事よくよく解かりて下されよ。汝等の『あやま知』に囚われたる思いにて、善悪それぞれにタテワケあるは、マコトのタテワケにあらずして、危うき道に入りてしもうからよくよく注意致して置くぞ。神の目から見れば善悪は無いのぞ。
真釣り魔釣りの経綸を、地の上へ構えるお仕組みは、正神真神の霊統を、元つキ流れを二筋に、スメラのミタマが背負う真釣り、ユダヤのミタマが背負う魔釣り、裏と表の経綸を最期に真釣るが仕組みなり。ユダヤが『囚われ』タテカエて、スメラが【真釣り】をタテナオス。奇しき力徳織り真釣る、タテヨコ正位タテワケて、ヒノモト真中が負い真釣る、スサナル仕組みの負うところ、見事、真中をスミキラせ、元つマコトの神真釣り、地のへに顕じタテ真釣る、鳴り鳴る響き鳴り成らす、万古末代散らぬ花、咲かすにスクリと現れて、ミロクへ結ぶ神響き。
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三千年に渡り仕組み参りた、『魔釣り』の表を操る蛇の者共は、《身欲》を餌に金で釣りて思想を煽り、継ぎ接ぐ学にて仕組み説き、真釣り外せし枝だの葉の形を基の科学にて、思うが御代を造らんと成し来たりたのぞ。末代マコトに至れぬ、善を偽る『あやま知』で、『ウソ』を基の策謀で、この世を支配し参りたのであるよ。なればこれにて幾生も、育たれありた汝等の、ハラの真中に据え立つモノは、汝等が気付き無くありたなら、そは仇恐ろしき『ウソ』にござるが道理であろうが。身欲のためなら節度なく、何でも信じる『ウソ』にござるよ。知らぬは汝等ばかりなり。真中が総ての御座を統べ居るなれば、汝等の総ては、身欲のご都合に魔釣り副う、『ウソ』に依り立ち居るを今今に、ス直に知りて取らるが善かろうぞ。我のハラは大丈夫じゃ等と申して居るのでないぞ。天をも含む地を創り、神をも含む汝等を創りせしこの方の申す事にてある。一言半句の否やも言わせはせぬぞ。今のままでは汝等が危ういから言うて居る。黙して聞くのじゃ。素性卑しき《身欲》の響きを、永きに渡りて忘れる程に、汝等のハラに住まわせ居るから『ウソ』が入りても気付かんのじゃ。ご自身でミタマの検め成しくれよ。
人民様の曇り様は救い難きに至りた由、多くを伝うも詮無きことなれど、汝等は少しでも曇りたマナコを明なに致すが大事にてござるから、今少し申し置くぞ。汝等は人の生き死の長短を神の無慈悲と嘆ずるが、そも《身欲》が基と知り居るか。短き命は医学の遅れた悲しき事にてござろうか。不慮の事故死は神の無きが証にてござろうか。なれば長く生きるは、医学の進みた嬉しき事にてござろうか。神の座し座す証にてござろうか。人の生き死の長短は、真釣るマコトのコトワリの、大事な情けの仕組みにて、大悲大愛の事にてあるは汝等も、深きところで知り居るなれど、《身欲》な思いが段々と、強きに響きて鳴り来ると、《身欲》を果たす基なる、この身、この時大切と、生くる基のマコトなる、生かされあるを忘れ去り、長きを得るに自らが、《我善し》力と『あやま知』で、長寿を図りた成し様は、真釣り外したそがために、多くのケガレを結び行く、囚われ曇りをカタチ成す、メグリ深める末期道。生かされある申すは、真釣るコトワリに鑑みて、生かす者はどうありても生かし行き、引き上ぐる者はどうありても引き上ぐるが神のオキテなれば、こに身欲人知を持ち込みて、情けの仕組みに仇成すは、カタチばかりのその内に、更なる情けを創り行く、げに恐ろしき魔釣り業。末期の酷きを知りぬるか。
この方がこう申せば、医学は悪き業じゃ。医者は魔釣りの使い魔じゃ。なぞ取り違え致す底の浅き人民様も居られようから、ちいとご注意申し置くぞ。
この方は、痛き辛きを治すが『あやま知』申して居るのでないぞ。こを取り違え致しては、片ハタラキの神々や狐や狸の戯言になりてしもうから、ハキリ申し置くぞ。善きか。汝等、真釣り外せば、情けが出くるは申し伝えあろうがな。なればこの世が『欲』と【情け】の両輪で動き参りたは解かりあるな。真釣りを外す度毎に情けをかけて参りた申しあろうがな。大神様は総てを知られ居りて、至誠至愛で汝等に情けをお渡しなされ居るのぞ。汝等の今がか弱き心身で、堪え得る情けをかけるのじゃ。痛き辛きを顕すが情けの表にてござるのぞ。病みたる表の顕れを水を基の医術にて〔治す〕が花の表にござるよ。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ。大神様も共に堪えてござるのぞ。汝一人の痛みで無いぞ。顕幽双方の世界に苦しむ総てのミタマの苦しみを、御身ご一人に移され堪えてござるのじゃ。この世に在りて有るものは総ての総て神なるが由ぞ。解かるでござろうが。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ申したが、こで汝等が、身欲にありて何かの真釣りを外しありた事に気が付きて、自らを生かし支えある元つ天地の深きご恩に、お詫びと感謝の響きが鳴り鳴り出くれば、真釣るマコトがハラに咲くのじゃ。ハラに咲かせた花一輪、こが花の裏にてござるのぞ。こが咲けば顕幽ただちに【直る】を知りて下されよ。外した真釣りのメグル響きも、真釣ろうた申すことにてあるぞ。
なれど汝等皆々は、何時いつにありても気付けぬままに、水を基の医術のみで【直り】た積もりで〔治り〕て居りて、正味のメグル情けはそのままに、新たに酷きメグリを育み行くのじゃ。外した真釣りは気が付きて、真釣ろう響き出るまでは、万古末代鳴り鳴り響きて消えはせぬ、申したであろうがな。新たな酷きメグリ申すが、難しき病と鳴り行くは解かるであろうが。こが身欲を基の種となす医学の魔化けを促すのじゃ申して居るのぞ。誰ぞが医学の『あやま知』を押し進め参り来たか、これでハキリ解かりたでござろうが。医者の治すが魔釣りで無いぞ。汝の身欲が魔釣りでござる。人を責めむも業を責めむも恥ずかしき限りにてあるよ。汝の身欲が基じゃ。良う目を見開かれて、スミキリてあれよ。
これで少しは解かりたか。医学に限らず総ての『学』や『業』呼ばれるものは、九分九厘、人民様の《欲》を基と成し居るが由、末のこ度は総て解くぞ。解く申すは新ら魂をお入れ致す申す事にてもあるぞ。何もかも綺麗サッパリ無うなる言うて居るので無いぞ。取り違え致すなよ。『商』の響きは末代無いぞ。そばかりか政治も経済も律法も総て無う成るぞ。タテナオシよりミロク代へ至る暫しの間、三つが一つになりた様なハタラキが在るだけぞ。マコト、ミロク代へ至りなば、農鳴る響き、漁鳴る響き、林鳴る響き、鉱鳴る響き、医鳴る響き、身欲を外したる総ての響き、新ら魂もお入りに鳴られて、一如に鳴り鳴り真釣ろう響きになりて、在りて有るのぞ。真釣りあるだけの、歓喜弥栄の御代と鳴るのじゃ。
ざから『商』や『業』が無う成る申したは、そを支える初発の基が保身なる、身欲に発し在るからじゃとくどう言うて居ろうが。生かされあるものに保身の必要無きも申したな。逆に真釣るマコトのお邪魔に成るも解かりたであろうがな。今今の『学』や『商』や『業』の発展申すも、『魔釣り』に囚われた申すも、汝等お一人お一人の《身欲》強きが因でありたと、よくよく真ス直に取りて解かりて下されよ。【真中】に《身欲》の『魔釣るあやま知』を据え置くが、いかに気枯れケガレし世と成せしあるか、八御座総てが曇る申したも解かりたであろうがな。なれば、そを基と成したる力持て、力ある。国力ある。申すはマコト恥ずかしき事にてあろうが。ざから恥力じゃ申して居るのじゃ。解かりたか。
汝は知らず、気付かず。汝の真中に座し座すモノがマコトのモノで無いなれば、総てが総て知らず身欲に仕え魔釣る様になりてしもうのじゃ。真中に座し座す尊きは、マコト火の位の至誠にておわすなれば、心スミキリあらねば適わぬ事ぞ。
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つしかなた みなもとのまの
きとてりて ときのまのとも なみたなかしつ
(辻彼方 源の間の きと照りて 時の間の友 涙流しつ)
解説
辻(つじ)は「二つの道路が十字形に交差している所。また,四方からの道が集まりゆききする人が出会い別れる交通の要所。辻堂・辻社(つじやしろ)が置かれ道祖神がまつられることが多い。十字路。四つ辻。」、源は「事物の起こったり、始まったりするもと。根源。起源。」、きとは「動作が瞬間的に行われるさま。急に。とっさに。」、時の間は「少しの間。ほんのしばらくの間。ちょっとの間。時の程。」、つは「完了を表す助動詞。~てしまう。~てしまった。」の意味です。
余談
この歌は、下記動画音楽を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。
『Limbus』(「Sakuzyo Official」さん)
なかきよて みひかりありて
もものその ももてりありか ひみてよきかな
(永き代で 御光在りて 百の園 桃照り在り香 美味で良きかな)
解説
百(もも)は「(数の)百(ひやく)。また、数が多いこと。‘もも枝(え)’‘もも足る’などのように、接頭語的にも使う。」、在り香(ありか/ありが)は「よいにおい。香り。」、美味(びみ)は「うまいあじ。また、その食物。美食。」の意味です。
余談
この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。
『Elegant Tone』(「S.E.N.S. Project - トピック」より)
雑感
下記参照。
『霊界物語 第48巻(亥の巻) 第3篇 愛善信真 第12章 西王母』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)
上記霊界物語の部分には、このような記述がある。
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扨(さ)て高天原の如き極めて円満具足せる形式を有するものには、各分体に全般の面影があり又全般に各分体の面影がある。其理由は高天原は一個の結社の様なものであつて、其一切の所有を衆と共に相分ち、衆は又一切の其所有を結社より受領して生涯を送る故である。かくの如く天界の天人は一切の天的事物の受領者なるによつて、彼は又一個の天界の極めて小なるものとなすのである。現界の人間と雖も、其身の中に高天原の善を摂受する限り、天人の如き受領者ともなり、一個の天界ともなり、又一個の天人ともなるのである。
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やはり日本は、善人悪人分け隔てなく、無料で誰にでもそのエネルギーを与えているお天道様(=太陽)のあの姿に倣って、税金を撤廃して、何もかも無料にする代わりに、皆がタダ働きする「日の光の政治」「与える政治」を一日も早く始めるべきだと思う。
下記参照。
ゆけとほの ちのしたきふに
ちのまくま のちにふきたし のちのほとけゆ
(湯気遠の 地の下急に 血のマグマ 野路に噴き出し 後の仏ゆ)
解説
湯気(ゆげ)は「温かいものから立ち上る水蒸気が空気中で冷えて白く見えるもの。」、遠の(とおの/とほの)は「隔たりの程度がはなはだしい。遠くの。遠方の。」、急(きゅう/きふ)は「物事が前触れなく突然に起こるさま。にわか。だしぬけ。」、野路(のじ/のぢ)は「 野の中の道。のみち。」、噴き出すは「内にあるものが一気に外に出る。狭いところから勢いよく外に出る。あふれて外に出る。わき出る。噴出する。」、後の仏(のちのほとけ)は「釈迦仏のあとをうける仏。すなわち、彌勒(みろく)仏の称。釈迦入滅後、五十六億七千万年ののち、この世に出現し一切衆生を済度するという。」、ゆは「動作・作用の起点を表す格助詞。~から。」の意味です。
余談
この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「最先(いやさき)と最後(いやはて) -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。
雑感
今、世界中の株が暴落して、世界中でさらなる戦争が起きていきそうな気配だけれども、最近やたらと大きな地震が多いのが非常に気になる。
・2025年4月5日 5時05分ごろ ニューギニア付近 M7.2
・2025年3月30日 21時19分ごろ 南太平洋 M7.3
・2025年3月28日 15時20分ごろ インド付近 M7.7
・2025年3月25日 10時43分ごろ ニュージーランド付近 M7.0
下記参照。
『天気・災害トップ > 地震情報 > 地震の履歴一覧』(「YAHOO JAPAN天気・災害」より)
上記の通り、3月下旬からM7クラスの地震が連発しており、今後、経済や軍事の戦争をしている場合ではない、ということが全人類に認知されてくるかもしれない。
下記ブログでは、高層ビル群が地中に次々に飲み込まれていくほどの地震、大地が踊るほどの地震が起きる可能性について書かれており、この地球が人類が住む星としては適さなくなった、ともある。
下記参照。
『私のブログ記事の掲載状態の異常に関しまして、読者の方々に御迷惑を掛けてしまいました。謹んでお詫び申し上げます。』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
『大地は沈むの日本列島沈没説はアカシックレコードに要因があるのか?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
下記HPでも似たようなことが書かれてある。
『現実の崩壊』(「旦那の部屋」さん)
また、下記によると、この地球(船)は見えない霊的エンジンがあり、そのエンジンが壊れて、地球の核が爆発する可能性も書かれている。仮に地中からマグマが噴き出してくることになれば、まさにそれが始まった、と言えるようにも思う。
『予言教団大本から出た謎の言葉【鏖殺】。世の立替論の背景には地球の【核】に異常があるのか?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
『日本の神が仏として世に出た【和光同塵】。日本人は知らずに仏たる【国常立尊】様?を拝んでいた』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
一方で、下記ブログでは「369(みろく)の仕組みの完成は、令和7年」ともあることから、上記のような大地震が今年中に起こる可能性も否定できないのだ。
ちなみに、今はyoutube等含めて色んな所で色んな予言が語られているが、ここのブログでは2019年当時、2020年から変化が始まるとして、それ(コロナ)が当たった実績は大きいと思う。
下記参照。
『来年は【みろくの八十吉?】。神の存在を忘れた大多数の人達と、そうでない人の総仕上げ』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
そして上記ブログにも書かれてあるが、それら事象が実際に起こった時に魂のトラウマを起こすので、その時は霊子(たまのこ)線を切る、とある。
下記参照。
『終わりの事象。今の世はにっちもさっちも行かない。神は火(か)水(み)とも呼ばれ、火責め。水責め。』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
日月神示でも、生死を超えた仕組み、仮死状態にする、ともあるので、いざ起きた時にびっくりしないように、万が一の心構えだけはしておいたほうがいいようにも思う。
日月神示参照。
『今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。』(五葉の巻 第十五帖)
『豊栄に 栄り出でます 大地(くに)(九二)の太神。 大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮四の状態となるのぢゃ、掃除終ってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて息吹きかへしてミロクの世の人民と致すのぢゃ、因縁のミタマには◎(カミ)のしるしがつけてあるぞ、仏教によるもののみ救はれると思ってはならんぞ、キリストによるもののみ救はれると思ってはならん、神道によるもののみ救はれると思ってはならん、アラーの神によるもののみ救はれるのでないぞ、その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救はれるのではないぞ、何も彼も皆救はれるのぢゃ、生かすことが救ふこととなる場合と、小呂すことが救ふことになる場合はあるなれど。』(紫金の巻 第四帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)
『残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合ひするぞ、かなわんと云うて外国へ逃げて行く者も出来るぞ。神にシッカリと縋(すが)りて居らんと何も分らんことになるから、早く神に縋りて居れよ、神ほど結構なものはないぞ。神にも善い神と悪い神とあるぞ、雨の日は雨、風の日は風といふこと分らんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。いやならいやで他に代りの身魂があるから神は頼まんぞ、いやならやめて呉れよ。無理に頼まんぞ。神のすること一つも間違ひないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。』(上つ巻 第三十八帖)
『日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。めんめめんめに心改めよと申してあろがな、人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。判らんと申して余りでないか、何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止(とど)めの建替であるから、よう腰抜かさん様 見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな。悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな、日月の集団作り、境界作ってもならんがヽ入れた集団作らなならんぞ、〇も作らずヽも入らずに力出ない位 判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲(めくら)には困る困る。人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。』(雨の巻 第十一帖)
『親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く◎(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト◎心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。◎の国を八つに切って殺す悪の計画、◎の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。』(上つ巻 第二帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)
『神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言ふ時ぞ。神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てん詞様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんばばかりと申してもあまりでないか。』(地つ巻 第十五帖)
『神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。』(地つ巻 第七帖)
『人民一度死んで下されよ、死なねば甦られん時となったのぞ、今迄の衣をぬいで下されと申してあろう、世がかわると申してあろう、地上界の総てが変るのぞ、人民のみこのままと言うわけには参らぬ、死んで生きて下されよ、タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交じり合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。』(星座の巻 第八帖)
『判らんと申すのは一面しか見えぬことであるぞ、双方を見る目に、早う改心致してくれよ。この白黒まだらな時は長くつづかん、最も苦しいのは一年と半年、半年と一年であるぞ、死んでから又甦られるように死んで下されよ、マコトを心に刻みつけておりて下されよ。』(至恩の巻 第十二帖)
『のりのり祈らば 岩戸ひらけん。 神は一時は仏とも現れたと申してありたが、仏ではもう治まらん、岩戸が開けたのであるから、蓮華ではならん。人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、神が沈めるのではない、人民が自分で沈むのであるぞ、人民の心によって明るい天国への道が暗く見へ、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、珍しきこと珍しき人が現れてくるぞ、ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、目の玉 飛び出すぞ、たとへでないぞ。』(紫金の巻 第七帖)
『今に臣民 何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。』(天つ巻 第二十五帖)
『岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。』(紫金の巻 第五帖)
『神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震かみなりばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何とした事ぞと、口あいたまま何うすることも出来んことになるのぞ、四ツン這ひになりて着る物もなく、獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ、獣は獣の性来いよいよ出すのぞ、火と水の災難が何んなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きては居れんのざぞ、それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾ひ上げて弥勒(みろく)の世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるやうに時に従ひて居れよ、いざといふときには神が知らして一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。人間の戦や獣の喧嘩位では何も出来んぞ、くどう気附けておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。』(富士の巻 第十九帖)
しきのかる たいかんてしる
くうのまの うくるしてんか いたるかのきし
(識逃る 体感で知る 空の間の 受くる時点が 至る彼の岸)
解説
識(しき)は「五蘊 (ごうん) の一。心作用を統括する心の働き。意識。」、逃る(のがる)は「危険や不快を避けて遠くに身を置く。」、時点は「時の流れの上で、ある一点またはある時期。」、彼の岸(かのきし)は「‘彼岸 (ひがん) ’を訓読みにした語。涅槃 (ねはん) 。」の意味です。
余談
この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。
『Pathos』(「S.E.N.S. Project - トピック」より)
雑感
下記参照。
『初期仏教の世界 心を育てるキーワード 五蘊』(「日本テーラワーダ仏教協会」より)
しきのかの ちりてはかなし
にしのへの しにしなかはて りちのかのきし
(色の香の 散りて儚し 西の方の 死にし中果て 理智の彼の岸)
解説
色(しき)は「五蘊 (ごうん) の一。五感によって認識される、物質や肉体。存在物。もの。」「五境の一。目でとらえられるもの。色や形のあるもの。」、香(か)は「かおり。におい。現代では、良いにおいをさすことが多い。」「美しい色つや。光沢。」、儚し(はかなし)は「束の間であっけないさま。むなしく消えていくさま。」、方(へ)は「そのものにごく近い場所、また、それへの方向を示す。近く。ほとり。あたり。」、果てるは「続いていた物事が終わりになる。最後の所まで行き着く。終わる。」、理智(りち)は「理性と知恵。また、本能や感情に支配されることなく、深い知識に基づいて物事を論理的に思考したり、判断したりする能力。」「仏語。真理または道理と、これを悟る智慧。また、煩悩を離れた無漏智をいう。」、彼の岸(かのきし)は「‘彼岸 (ひがん) ’を訓読みにした語。涅槃 (ねはん) 。」の意味です。
余談
この歌は、魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTIONの「Sis puella magica!」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。
なかきよの なはりてもやる
ほとりより とほるやもてり はなのよきかな
(長き世の 隠りて靄る 辺より 点る八方照り 花の良きかな)
解説
隠る(なばる)は「隠れる。なまる。なぶ。」、靄る(もやる)は「もやがかかる。」、辺(ほとり)は「海や川・池などの水際。きわ。」「はし。はずれ。辺際。」、点る(とぼる)は「ともしびなどに火がつく。あかりがつく。ともる。」、八方(やも)は「八方の方面。転じて、あらゆる方向。四方八方。」、花は「最もよい時期。また、盛んな事柄や、その時節。」の意味です。
余談
この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。
『Pathos』(「S.E.N.S. Project - トピック」より)