まいのちの しふのきのみか
  かをりけり をかかみのきの ふしのちのいま

(真命の 十の木の実が 薫りけり 丘神の義の 不死の地の今)

解説

十(じゅう/じふ)は「数の名。9の次の数。とお。と。そ。」、丘(おか/をか)は「小高くなった土地。山よりも低く、傾斜もなだらかなもの。丘陵。」の意味です。

雑感


何か、出て来た歌です。

ふと、どこかの丘の天国的な風景が一瞬イメージされて、下記音楽動画を聴いて、そのイメージを膨らませて完成させた、という感じ。

『LILIUM 【オルガン伴奏・混声合唱版】』(「SoheiMiyoshi」さん)


それにしても「十(じふ)」の反対が「二二(ふじ)」なのは、何かカバラっぽい。

(自分が勝手に作った神ではなくて、まことの)十(神)の意に沿った生き方をすれば、二二(不死)になれる、ということのような気もする。

下記HPも何か参考になるかもしれない。

『トップページ』(「知恵と神秘の図書館」さん)


日月神示参照。

『伊豆幣帛(いづぬさ)を 都幣帛(とぬさ)に結び 岩戸ひらきてし。 ウヨウヨしてゐる霊かかりにまだ、だまされて御座る人民多いのう、何と申したら判るのであるか、奇跡を求めたり、われよしのおかげを求めたり、下級な動物のイレモノとなってゐるから、囚われてゐるから、だまされるのぢゃ、霊媒の行ひをよく見ればすぐ判るでないか。早うめさめよ、因縁とは申しながら、かあいそうなからくどう申して聞かせてゐるのであるぞ、マコトの道にかへれよ、マコトとは〇一二三四五六七八九十と申してあろう、そのうらは十九八七六五四三二一〇で、合せて二十二であるぞ、二二が真理と知らしてあろう、二二が富士(不二、普字)と申してあろうが、まだ判らんか。』(紫金の巻 第三帖)

『何も分らん枝葉の神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、早う其の神と共に此処へ参りて、マコトの言(こと)を聞いて誠に早う立ち返りて下されよ、〇九十(マコト)とは〇一二三四五六七八九十であるぞ、一二三四五六七八かくれてゐるのざぞ。縁あればこそ、そなた達を引寄せたのぢゃ、此の度の二度とない大手柄の差添へとなって下されよ、なれる因縁の尊い因縁をこわすでないぞ。見て見よれ、真只中になりたら学でも智でも金でもどうにもならん見当取れん事になるのぢゃ、今は神を見下げて人民が上になってゐるが、さうなってから神に助けてくれと申しても、時が過ぎてゐるから時の神様がお許しなさらんぞ、マコトになってゐれば何事もすらりすらりぞ。』(海の巻 第十四帖)

はひかふる ほのしろくくか
  あさまやま さあかくくろし のほるふかひは

(灰が降る 仄白く陸 浅間山 座赤く黒し 昇る深緋は)

解説

灰(はい/はひ)は「物の燃え尽きた後に残る粉状の物質。もえがら。」、仄白い(ほのじろい)は「ほのかに白い。かすかに白い。白っぽい。」、陸(くが)は「陸地。りく。くぬが。」、深緋(ふかひ)は「濃い緋色。深紅色。」の意味です。

雑感

何か、ふと湧いて来た歌です。

「なんで急に浅間山?」と思って調べてみたら、最近活動が活発化されてるらしい。

『【速報!】なんと浅間山で8000回の地震が発生しました!今後、考えられる最悪の巨大噴火について解説します!』(「富士地震火山研究所byえいしゅう博士」さん)


ちょっと内容が不謹慎かもしれないが、唐突に頭の中に湧いて来たので、これは何か意味があるのかもしれないと思い、表に出すことにしました。

かみのいへ いたりてかちの
  ひつきみき つひのちかてり たいへいのみか

(神の家 至りて雅致の 日月見き 終の地が照り 太平のみが)

解説

家(いえ/いへ)は「居住用の建物。うち。」、雅致(がち)は「風雅な趣。みやびやかな風情。上品な様子。雅趣。」、日月は「太陽と月。」「歳月。月日。」、終(つい/つひ)は「物事のおわり。終局。最後。また、生命のおわり。多く、‘ついの’の形で用いる。」、太平は「世の中が平和に治まり穏やかなこと。また、そのさま。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。

『【梨本宮殿下 ニシム・オトマズキン 杣浩二 表博耀】世界平和について語る!!【泉涌寺】』(「神結ちゃんねる 〜かみすちゃんねる〜」さん)

 

よのくろみ ちかくあるはま
  ひはくろく はひまはるあく かちみろくのよ

(夜の黒み 近くある破魔 日は黒く 這ひ回る悪 勝ち弥勒の世)

解説

黒み(くろみ)は「黒いこと。黒い色。」「黒い部分。また、暗い所。」、破魔(はま)は「仏語。悪魔をうち破ること。煩悩魔などの魔を滅ぼすこと。」、這い回る(はいまわる/はひまはる)は「はうようにしてまわる。あちらこちらをはって歩きまわる。はいめぐる。また、比喩的に、下手に出る。」の意味です。

雑感

「勝ち弥勒の世」は、何だか「弥勒最勝妙如来」を連想させられる。

下記ブログでは、この世の大立替時には太陽は消えて、ミロクの世に行くことを拒否する勢力は地下帝国に「人工太陽」を作る、とのこと。

『各自の魂と艮金神の契約の示しは【禊ぎ(身削ぎ)】なれども、地球からの離脱書?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)


『霊学№84 みろくの世とは第8の世で、蜂(8)で永遠(∞)に巣別れ(分離)。一死七世?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)


何やら「人工太陽」というとSF的だが、実際に「人工太陽」は研究されているようだ。

『【人工太陽の実現】日本の新核融合炉、遂に組立完了!世界最大の核融合超伝導トカマク型実験装置!エネルギー問題解決へ前進!【世界と日本の気になる話題】』(「日本と世界の気になる話題」さん)


『人工太陽』(「wikipedia」より)


『先進プラズマ研究開発 JT-60SA計画とは』(「国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構」より)


さらに下記記事では、56億7000万は「567(81×7)0000000(七回の0の霊界)」とある。

『来年は【みろくの八十吉?】。神の存在を忘れた大多数の人達と、そうでない人の総仕上げ』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)


来年2025年の令和7年は、令(霊)の和(足し算)が7となって、普通に考えれば「0+0+0+0+0+0+0」は、やっぱり「0」なのだが、そのまま横にならべると「0000000」となるので、記事にもある通り「567(81×7)0000000(七回の0の霊界)」の八(開く)、十(神)で、ミロクの世が出て来る、ということになるのかもしれない。

あと日月神示に「宇詞答裸(ウシトラ)」と出て来るが、これが「宇宙の詞(ことば)の答えの裸」と見れば、何らかの宇宙からの詞(ことば=異波)、つまり今までとは異なる何等かの振動波が、この太陽系が存在している銀河にやって来ることによって、「裸(=示偏+果)」となる、何らかの成果の示しが出て来る、ということのようにも思う。

『大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸ひ込んで下されよ。そなたの神を一応すてて心の洗濯を致してくれよ、神示が腹に入ったらすてて下されと申してあろうがな、神を信じつつ迷信に落ちて御座るぞ。日本が秘の本の国、艮(宇詞答裸)(ウシトラ)のかための国、◎(ヒ)出づる国、国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと、今度の岩戸ひらきは判らんぞ、こんなことを申せば、今のエライ人々は、古くさい迷信ぢゃと鼻にもかけないなれど、国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸(言答)ひらきぞ、今の学では判らんことばかり。善と悪とに、自分が勝手にわけて、善をやろうと申すのが、今の世界のあり方。天の王、地(智、千)の王のこと、ヽのことがハッキリ判らねば足場がないではないか、足場も、めあてもなくてメクラメッポーに歩んだとて目的には行きつけぬ道理。』(極めの巻 第四帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

かみのひよ かかんてんまか
  しほのまの ほしかまんてん かかよひのみか

(神の美よ 河漢天馬が 思慕の間の 星が満天 耀ひのみが)

解説

河漢(かかん)は「銀河。天の川。銀漢。」、天馬(てんま)は「天上界にいて天帝が乗るという馬。てんま。」「ギリシア神話で、ペガサスのこと。」、思慕(しぼ)は「思いしたうこと。恋しく思うこと。」、満天(まんてん)は「空に満ちていること。また、空いっぱい。空一面。」、耀ふ(かがよう/かがよふ)は「きらきら光ってゆれ動く。きらめきゆれる。」「少しずつ見えたり隠れたりする。ちらつく。」「はなやかにきらめく。」の意味です。

余談

この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Piano Sonata - III -』(「Sakuzyo Official」より)

 

雑感

 

下記参照。

『霧の海(第六歌集) 霧の海 木の花の薫り 七乙女』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さん)

 

ひはくろく なみのまくあけ
  やみのまの みやけあくまの みなくろくはひ

(日は黒く 波の幕開け 闇の間の 身焼け悪魔の 皆黒く灰)

解説

灰(はい/はひ)は「物が燃え尽きたあとに残る粉末状のもの。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。

『JA - アングロサクソン ミッション』(「AlphaZebra」さん)


雑感

解説のページ。

『アングロサクソン ミッション』(「プロジェクト・アバロン」より)


この動画は、たしか10年以上前にも見た記憶があって、当時は絵空事のように見ていたのだが、今見てみると、中国発のコロナや、イスラエルがイランを攻撃することで始まる第三次世界大戦、という内容がドンピシャ過ぎてびびる。

 

下記の動画も参考になるかもしれない。

『「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (1 of 2)』(「yakuza893yakuza」さん)


『「ロックフェラーの友は、911を事前に予告した」 アーロン・ルッソ (2 of 2)』(「yakuza893yakuza」さん)

 

それにしても、ガザの状況がひどすぎる。

下記参照。(痛ましい映像含む)

『イスラエルが病院の避難民キャンプを攻撃、4人死亡 民間人の犠牲増え続ける』(「BBC News Japan」より)


そもそも、旧約聖書の十戒に「汝、殺すなかれ」とあるのに、当のイスラエルが虐殺しまくっている。

それに対して、ユダヤ教のラビはどういうスタンスでいるのだろうと思っていたが、下記のユダヤ教超正統派団体では、殺すことには「反対」とあり、人間の心を持っていれば当然そうなるだろう、と納得した。

『イスラエル解体を目指すユダヤ教超正統派団体 ナトレイ・カルタ』(「VICE Japan」より)


……ということで、話が脇道に逸れたが、やはり、世界中で電気が使えなくなる「暗黒の三日間」を起こすことでしか、目の前の大虐殺及び、その後のカタストロフィは、回避できないのではないかと痛烈に感じる。

 

なぜなら、一度(ひとたび)「暗黒の三日間」が起これば、高度な電子システムを搭載した近代兵器は、全て無効化されるからだ。

ちなみに米航空宇宙局(NASA)と海洋大気局(NOAA)が10月15日に、太陽が極大期に入った、と発表している。

『太陽活動、極大期入り 低緯度でもオーロラ観測 通信障害も・米NASAなど発表』(「yahooニュース」より)


日月神示参照。

『白銀の巻 第一帖』(「ひふみ神示データ」さん)


『岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。』(紫金の巻 第五帖)

『天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ。地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、其の時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。』(磐戸の巻 第五帖)

『我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても云ふこときいてやるぞ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と申してお願ひすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震のがらせてやるぞ、神々様に届く行で申せよ。こんなよき世は今迄になかりたのぢゃ、膝元(ひざもと)に居ても言葉ばかりの願ひ聞こえんぞ、口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。時節来てゐるなれど、わからん人民多い故 物事遅くなりて気の毒なるぞ、今暫くの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさしたいのぢゃ、許せるだけ許してよき世に致すのぢゃ、ここまで開けたのも神が致したのぢゃ、今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ、取違ひ慢心致すなよ。日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とはかへられんから、くにひっくりかへること、まだまだあるかも知れんぞ、くにの軸 動くと知らしてあろがな。此の神示キの儘であるから心なき人民には見せるでないぞ、あまりきつくて毒になるから、役員 薄めて見せてやれよ、一日も早く一人でも多く助けてやりたいのぢゃ、神まつり結構ぞ、神まつらいでいくら道説いても肚にはいらんぞ、肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。』(風の巻 第五帖)

『八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変るのであるぞ。これが元の元の元の大神の御神策ぞ、今迄は時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸ひらきの為であるぞ。今迄の岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸(言答)ひらきぢゃ。』(至恩の巻 第十四帖)

『地上界に山や川もあるから霊界に山や川があるのでない、霊界の山川がマコトぞ、地上はそのマコトの写しであり、コトであるぞ、マが霊界ぢゃ、地上人は、半分は霊界で思想し、霊人は地上界を足場としてゐる、互に入りかわって交はってゐるのぞ、このこと判れば来るべき世界が、半霊半物、四次元の高度の、影ないうれしうれしの世であるから、人民も浄化行せねばならん、大元の道にかへり、歩まねばならん、今迄のような物質でない物質の世となるのであるぞ。』(星座の巻 第十二帖)

『マコトでもって洗濯すれば霊化される、半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物の肉体とならねばならん、今のやり方ではどうにもならなくなるぞ、今の世は灰にするより他に方法のない所が沢山あるぞ、灰になる肉体であってはならん、原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ、今の物質でつくった何物にも影響されない新しき生命が生れつつあるのぞ。岩戸ひらきとはこのことであるぞ、少し位は人民つらいであろうなれど勇んでやりて下されよ、大弥栄の仕組。』(五葉の巻 第十六帖)

ししのみの ひかりのつふか
  くりすとす りくかふつのり かひのみのしし

(慈氏のみの 光の粒が クリストス 六合募り 佳美のみの事々)

解説

慈氏(じし)は「弥勒の異名。慈氏菩薩。慈氏尊。」、クリストスは「‘キリスト’のこと。」、六合(りくごう/りくがふ)は「天地と四方。上下四方。また、天下。世界。全宇宙。六極(りっきょく)。」、募る(つのる)は「ますます激しくなる。こうじる。」、佳美(かび)は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、事々(じじ)は「いろいろな事柄・出来事。ことごと。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「CREID」を聴きながら、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。ちなみに「CREID」はゲール語で「信じる」という意味だそうです。

雑感

イメージとしては、この全宇宙に「慈愛」のみしかないようになる、という感じ。

だから人々の言葉・思い・行いも全て「慈愛」のみからの出発点になる感じ。もちろん山河草木から禽獣虫魚に至るまで、この全宇宙に存在する、ありとあらゆるもの全てが「慈愛」のみからの出発点になっている感じ。

なぜなら、この全宇宙の、あらゆる場所の地点の中から、あらゆる時間の瞬間瞬間の中から、この「慈愛」のエネルギーが湧き出していて、この宇宙に存在するもの全ては、その「慈愛」のエネルギーを通して表現されているので、どうしても我々は、その「慈愛」のエネルギー上でしか、存在できないようになっている、といった感じがする。

そして、その「慈愛」のエネルギーが、ますます激しくなるので、全てにおいて立派で美しいことばかりになっている、というような、そんな感じがする。

なかきよの つつやみのみか
  なみのまの みなかみのみや つつのよきかな

(長き夜の 惣闇の三日 波の間の 皆神の宮 筒の良きかな)

解説

惣闇(つつやみ)は「まっ暗やみ。」、三日(みか)は「三つの日数。3日間。みっか。」、筒は「丸く細長くて中が空洞になっているもの。くだ。管 (かん) 。」の意味です。

雑感

「暗黒の三日間」をモチーフに書いた歌です。

「筒」は、産道的なイメージ。

下記の「暗黒の三日間について」のファイルは2012年に書かれたものだが、第三次世界大戦と南海トラフの連動など、今の時節とピッタリあっているかのような内容になっている。

『手作りの研究資料』(「アセンション実践倶楽部」さん)

 


※下のほうにPDFファイル「暗黒の三日間について」がある。

その他、「火の洗礼」を思わせるようなアセンション時の様子が克明に描かれている。

日月神示の十二年遅れている、の記述と合わせると、上記で書かれている内容は、まさに今、ということなのかもしれない。

日月神示参照。

『十二年おくれてゐるのを取り戻すのであるから、これからは目の廻る程 急しくなってくるぞ。神示よむ暇もなくなると申してある時来たぞ。いづれは人民へるなれど、何も約束ごと真理とはかえられん。まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与へる仕組。』(春の巻 第五十五帖)

しんはんて いてるひひかる
  ちかのまの かちるかひひる ていてんはんし

(審判で い照る日光る 地下の間の 我散る我沖る 梯天万事)

解説

いは「動詞に付いて、意味を強める。」、沖る(ひいる/ひひる)は「ひらひらと飛び上がる。空高く舞い上がる。」、梯天(ていてん)は「天の高きに登る。」、万事は「すべてのこと。あらゆること。」の意味です。

雑感

日は霊(ひ)で、火の洗礼を連想させられる。

今日、心の中の奥深くの闇の部分にまで、光が降りて来るイメージが湧いて来た。

その「闇の部分」というのは、まあそれはそれはひどい状態で、地下の牢獄で両手両足を鎖でつながれて身動きができないのだが、そこに女神様が降りてきて、身体中の汚穢をチューチュー吸うというイメージで、ちょっと霊界物語の影響を受けているかもしれない。(汗)

それで、全部吸われた後の自分は、その女神様と一体になってしまった、というよくわからん内容でした。

きしにのち みもすそかはか
  あきのまの きあかはかそす もみちのにしき

(岸に後 御裳濯川が 秋の間の 黄赤場が甦す 紅葉の錦)

解説

御裳濯川(みもすそがわ/みもすそがは)は「伊勢神宮の内宮神域内を流れる五十鈴川 (いすずがわ) の異称。倭姫命 (やまとひめのみこと) がこの清流で裳を洗い清めたという故事による名。」、甦す(そす)は「生きかえる。よみがえる。」、錦は「色や模様の美しいもの。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

毎年毎年、段々と春と秋が短くなっている感じがするが、もしかしたら、もう紅葉も見れなくなるかもしれないなぁ。

日月神示参照。

『あらしの中の捨小船と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。富士の御山に腰かけて、この方 世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。てんし様 御遷(うつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思へども、いつまで紅葉ないぞ。』(天つ巻 第八帖)

『今のやり方、考へ方が間違ってゐるからぞ。洗濯せよ掃除せよと申すのはこれまでのやり方考へ方をスクリと改める事ぞ。一度マカリタと思へ。掃除して何もかも綺麗にすれば神の光スクリと光り輝くぞ。ゴモク捨てよと申してあろがな。人の心ほど怖いものないのざぞ。奥山に紅葉(もみじ)あるうちにと申すこと忘れるなよ。北に気付けよ。神の詞(よ)の仕組よく腹に入れておいて下されよ。今度のさらつの世の元となるのざぞ。』(日月の巻 第十九帖)

『世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。コト、コト、コト、ざぞ。始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。』(雨の巻 第十三帖)

『日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉はれてゐるぞ。世界の日本と口で申してゐるが、生きかへるもの八分ぞ。八分の中の八分は又生きかへるぞ。生きかへっても日本に捉はれるぞ。おはりの仕組はみのおはり。骨なし日本を、まだ日本と思うて目さめん。九十九十(コトコト)と申してカラスになってゐるぞ。古いことばかり守ってゐるぞ。古いことが新しいことと思うてゐるなれど、新しいことが古いのであるぞ。取違ひいたすなよ。【神は生命ぞ】。秩序ぞ。秩序は法則ぞ。為せよ。行ぜよ。考えよ。考へたらよいのぢゃ。為すには先づ求めよ。神を求めよ。己に求めよ。求めて、理解した後 為せ。為して顧みよ。神のいのち其処に弥栄えるぞ。今迄の日本の宗教は日本だけの宗教、このたびは世界のもとの、三千世界の大道ぞ。教でないぞ。八分の二分はマコトの日本人ぢゃ。日本人とは世界の民のことぢゃ。一度日本すてよ。日本がつかめるぞ。日本つかむことは三千世界をつかむことぞ。悪の大将も、そのことよく知ってゐて、天地デングリ返るのぢゃ。物の食べ方に気つけよ。皆の者、物ばかり食べて御座るぞ。二分の人民、結構に生きて下されよ。喜び神ぞ。』(黄金の巻 第二帖)

『頭と尻尾だけでは何も出来ん、化物ぢゃ。八尾八頭(かしら)の時代はすんだのであるぞ、【かんじん】の胴体がないぞ、日本が胴体であるぞ、日本を何処に忘れて来たのか、自分でも判るまいがな、尻の毛まで抜かれた化物の姿、鏡にうつして見るがよい、鏡は神示ぢゃと早うから知らしてあろうがな。』(碧玉の巻 第十四帖)

『日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。』(梅の巻 第十四帖)