かくのうさ いまのちのたま
  をはりけり はをまたのちの まいさうのくか

(核の憂さ 今の地の球 終はりけり 場をまた後の 昧爽の陸)

解説

憂さは「物事が思いのままにならないでつらいこと。また、その思いや度合い。」、球(たま)は「球形をなすもの。」、終わる(おわる/をはる)は「 (時間的または空間的に)続いていたものがなくなる。果てる。しまいになる。済む。」、昧爽(まいそう/まいさう)は「夜のあけがた。夜が明けかかっているとき。あかつき。未明。昧旦。」、陸(くが)は「《‘くにが(国所)’の音変化》陸地。りく。くぬが。」の意味です。

余談

この歌は、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『まとめ44。世界の宗教は終末論を持つ。霊界に存在するこの世の終わりの映像』(「人に内在する良心神(神言会)」より)


雑感

この「陸」は、国所(くにが)の音変化ということだが、ここの「陸」は、国魂神が存在する所の場所、という感じがする。

要は上記記事にあるように、今の地球が終わって新しい地球に移った時には、世界の国魂神が勢ぞろいして、みんな仲良く発展していく嬉し楽しの世になっている、というニュアンス。

確か出口王仁三郎聖師は、十二の国魂神を配置して世界を治めた的なことを言っていたとおもう。

下記参照。

『【王仁】世界連邦運動(世界中みな神国)』(「moto MEMO BOX」より)」)


話は変わるが、最近アマプラで「ブゴニア」と「地球が燃えつきる日」という映画を見た。

↓以下ネタバレ含むので見たくない人は見ないでください↓









まず「ブゴニア」だが、映画のラストで、上の記事にあるような「霊子線を切断」したかのようなシーンが出て来て、一瞬の内に全人類が事切れる映像は非常に印象的。

次の「地球が燃えつきる日」では、地球の自転が止まるのを阻止する映画で、何だかとてもタイムリーだった。

下記参照。

『ドキュメンタリー もしも地球の自転が止まったら』(「2017-2018ドキュメンタリー」さん)

 

『【破滅】地球の自転が5秒間停止するとどうなるのか?』(「VAIENCE バイエンス」より)

 

すなきんか またくかたとる
  ひひききき ひひるとたかく たまかんきなす

(砂銀河 全く象る 響き聴き 沖ると高く 玉感喜為す)

解説

銀河(ぎんが)は「天の川。地球上から見たときの銀河系。天漢。銀漢。」「銀河系と同等の規模をもつ無数の恒星や星間物質からなる集合体。形から、渦巻き銀河・棒渦巻き銀河・楕円銀河・不規則銀河などに分類される。銀河系外星雲。系外銀河。小宇宙。島宇宙。」、

全く(またく)は「まったく。すっかり。」、象る(かたどる)は「物の形を写し取る。また、ある形に似せて作る。」、沖る(ひいる/ひひる)は「ひらひらと飛び上がる。空高く舞い上がる。」、感喜(かんき)は「感動して喜ぶこと。心から喜ぶこと。歓欣。」、為すは「ある形・状態などをしている。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Sakuzyo - Violin sonata - Ⅲ - (2026.8.21)』(「石垣勝利 / Katsutoshi Ishigaki」より)


雑感

曲自体も異次元的にすごいけど、この曲を実際に演奏できるなんて、これまたすごすぎる。

下記参照。

『Violin Sonata - III - (feat. Katali)』(「Sakuzyo Official」より)

 

ひしにきし ふまのこんしき
  らくとへと くらきしんこの まふしきにしひ

(洲に岸 不磨の金色 楽土へと 昏き身後の 眩しき西日)

解説

洲(ひじ)は「河口付近や湖などの比較的浅い場所に堆積した土や砂が水面の低下に伴って水面上に現われてできた平地。洲(す)。」、不磨(ふま)は「摩滅しないこと。すりへらないこと。不朽。」、金色(こんじき)は「黄金の色。こがねいろ。きんいろ。きんしょく。」「仏身の色。また、浄土に往生したものの身の色。」、楽土(らくど)は「楽しい土地。安楽な地。楽地。楽園。」、昏い(くらい)は「光が弱い。光が少なくて、物がよく見えない。」「色彩が黒みがかった感じである。くすんでいる。」「気持ちが晴れ晴れせず、沈み込んでいる。また、人にそのような印象を与えるさま。」、身後(しんご)は「死んだあと。死後。没後。」、西日は「 西に傾いた太陽。また、その光。夕方に近づいてさし込む日ざし。」の意味です。

余談

この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Spirits』(「Sakuzyo Official」より)

 

まふこのは きみとあのとき
  かたゑむゑ たかきとのあと みきはのこふま

(舞ふ木の葉 君と彼の時 片笑む絵 高き門の跡 汀の恋ふ間)

解説

彼の(あの)は「過去の経験や目の前にない事物、人など、話し手、聞き手両者に共通の話題を指し示す。かの。いつかの。」、片笑む(かたえむ/かたゑむ)は「一方の頬に笑みを浮かべる。ちょっと笑う。微笑をもらす。ほほえみかける。」、絵(え/ゑ)は「はたから見て、ある情趣を感じるような有様。光景。」、門(と)は「出入りする所。出入り口。戸口。かど。もん。」、汀(みぎわ/みぎは)は「水のほとり。水ぎわ。」の意味です。

余談

この歌は、下記の音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Sally Gardens (Bearbeitung: Alwin M. Schronen) - Jugendchor Hochtaunus 2016』(「Aurel Cadrien」より)

 

はかなさの みかへしあちの
  をさきゆき さをのちあしへ かみのさなかは

(儚さの 身返し彼方の 尾先行き さ青の地葦辺 神の最中は)

解説

彼方(あち)は「他称。話し手、聞き手両者から離れた方向を指し示す(遠称)。また、二つのもののうち、話し手、聞き手両者から遠い方。あちら。あっち。」、尾先(おさき/をさき)は「地形で、山から下がってくる所。また、その突端の地。俗に‘谷口’‘宮の前’とともに、そこに家を建て、屋敷を構えることを忌む。」、さ青(さお/さを)は「青。まっさお。」、葦辺(あしべ)は「葦の生い茂っている水辺。」、最中(さなか)は「もっともたけなわである時。最高潮である時。さいちゅう。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「ナウシカ・レクイエム」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

しひのちに いますすのかみ
  たたのひの たたみかのすす まいにちのひし

(紫微の地に 坐す主の神 直の日の 正身彼の鈴 毎日の美詞)

解説

紫微(しび)は「紫微垣の略。古代中国の天文学で、天を三垣(えん)、二十八宿に分けた三垣の一つ。小熊座を中心として、大熊、龍、カシオペア、ケフェウスなど北極を囲んだ一七〇余個の星から成る。天帝の住居とされ、転じて、天子・天位・宮廷などにたとえる。紫微宮。紫宮垣。紫垣。」、坐す(います)は「いらっしゃる。おいでになる。▽‘あり’の尊敬語。」、直(ただ)は「 隔てるもののないこと。また、そのさま。直接。じか。」、正身(ただみ)は「そのものや人の実体。正体。むざね。」、彼の(かの)は「話し手と聞き手双方の既知の事物をさす。あの。例の。」「前に述べた事物をさす。あの。その。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第75巻 第3篇 真鶴の声 第11章 魂反し』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


雑感

「直の日」とあるが、この「日」は発霊(ホチ)の言霊反しとしてのヒでもあるように思う。

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hoti(ホチ) → Ho tI → ヒ(HI)

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下記参照。

『言霊返し』(「オニペディア」より)

 

ふかむのち みよきよつつし
  きせつなつ せきしつつよき よみちのむかふ

(深む後 見好き四つ辻 季節夏 夕日強き 黄泉路の向かふ)

解説

深むは「深くなる。深まる。」、見好し(みよし)は「見た目によい。醜くない。見苦しくない。」「はっきりと見ることができる状態にある。」、四つ辻(よつつじ)は「道が縦横十文字に交差している所。つじ。よつの巷(ちまた)。よつじ。よつのつじ。よつかど。よつ。」、夕日(せきじつ)は「夕方の沈みつつある太陽。入り日。斜日。ゆうひ。」、黄泉路(よみじ/よみぢ)は「黄泉の国へ行く道。冥土への道。また、黄泉。」、向こう(むこう/むかふ)は「対する前面。前方。かなた。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見て、それをモチーフに書いた歌です。

『PSone 夕闇通り探検隊 OP』(「papico」より)


雑感

夕闇は定期的に触れたくなるなぁ。

下記は昔書いた伊呂波歌。

 


調べたら、奇跡的にまだHPが残ってた……すごい。

下記参照。

『このページは、「夕闇通り探検隊(PS/spike/1999)」の個人作成による非公式ファンサイトです。』


当時、この非公式ファンサイトに行きまくってて、チャットとか掲示板でやり取りしてた。ファンの人の書いた小説なんかも載せてあった記憶がある。

それである時、この非公式ファンサイトに制作陣の人からの接触があったらしく、夕闇の設定資料的な情報が提供されて、むちゃくちゃアツい展開やった。

それが下記の資料だけど、当時死ぬほど読んだのを覚えている。

『夕闇のゆらぎの噂』

 

なかくあと はいのめあはれ
  ますみのみ すまれはあめの いはとあくかな

(長く後 拝の目天晴れ 真澄の身 統まれば天の 岩戸開くかな)

解説

拝(はい)は「おがむこと。頭を下げて敬礼すること。」、真澄(ますみ)は「よく澄んで明らかなこと。澄みきっていること。また、そのさま。まそい。まそみ。」、統まる(すまる)は「集まって一つになる。すばる。」、ばは「接続助詞。已然形に付く場合、順接の確定条件、原因・理由を表す。~ので。~から。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第74巻 第3篇 玉藻霊山 第24章 誠の化身』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


雑感

「長く後」は、後ろに「真澄の身」とあるので、長く(禊をした)後、という解釈も出来るかと思う。

ちなみに第74巻では第73巻に引き続き、禊の大切さが強調されているようにも思う。

たとえば下記の場面では、神々一行が主の神の御降臨される聖所に行くのだが、途中禊をしていないことに気付いて、来た道を戻るシーンなどがある。

下記参照。

『霊界物語 第74巻 第2篇 真鶴新国 第19章 玉野の神丘』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


『とよたま愛読会82回(天祥地瑞:74巻19章~22章)』(「とよたま愛読会」より)


日月神示参照。

『見へる幸福には限りがあり、見へぬ幸福は永遠であるぞ。理(ミチ)にいそしめ。理(ミチ)にとけ入れよ。モノは無くなるぞ。霊は永遠に弥栄えるぞ。毎日々々掃除してもホコリはたまる。絶えず心の掃除よいか。洗濯よいか。目に見へず、上、下、左、右、前、後から何となくせまってくるものをサニワせよ。サニワして受けいれねばならん。自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてくるぞ。和せよ。調和せよ。調和とは、上から、より清い所から流れて来るものに従ふことぞ。いよいよが一四一四となるぞ。雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒の神、大地震の神。』(春の巻 第五十四帖)

『型にはまることをカタマルと申すのぢゃ。こり固まっては動きとれん。固まらねば型出来んで、人民には判らんし、型外して、型をつくらねばならん。法律つくらねばならんが、つくってもならんぞ。神から命令されたミタマでも油断は出来ん。曇りたらすぐ代りのミタマと入れ替えるのであるぞ。コリ固まったものがケガレぢゃ。ケガレはらさねばならん。絶えず払って払って払ひつつ、又固まらねばならんし、人民には判らんし、肉体あるから固まらねばならんし、常に払ひせねばならん。総てをこんなもんぢゃときめてはならんぞ。ヽ枯れることをケガレと申すのぢゃ。判りたか。神界の立替ばかりでは立替出来ん。人民界の立替なかなかぢゃナア。』(秋の巻 第二十七帖)

『神の国◎の山に◎祭りて呉れよ、祭るとは神にまつらふことぞ、土にまつらふことぞ、人にまつらふことぞ、祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、祭るには先づ掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。』(上つ巻 第十九帖 ◎は原文では「〇の中にヽ」の記号)

きつるなか やさしきのかせ
  とちのまの ちとせかのきし さやかなるつき

(来つる中 優しき野風 土地の間の 千年彼の岸 清かなる月)

解説

野風(のかぜ)は「野原を吹きわたる風。野に吹く涼風。」、千年(ちとせ)は「千の年。せんねん。転じて、長い年月。また、永遠の年。せんざい。」、清か(さやか)は「はっきりとしているさま。明るく清らかであるさま。あきらか。はっきり。明瞭(めいりょう)。まさやか。」の意味です。

余談

この歌は、下記音楽動画を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

『Violin Sonata - I -』(「Sakuzyo Official」より)

 

 

なかきよの たかくつきのも
  なみのとの みなものきつく かたのよきかな

(長き夜の 高く月の面 波の音の 水面の来着く 潟の良きかな)

解説

面(も)は「おもて。表面。」、音(と)は「おと。ひびき。ね。こえ。」、来着く(きつく)は「到着する。」、潟(かた)は「浦。入り江。湾。」の意味です。

余談

この歌は、霊界物語の下記部分を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『霊界物語 第74巻 第2篇 真鶴新国 第13章 水上の月』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」より)


雑感

上記第13章の中に「如意宝珠 玉の月光 明らけく 浮べる湖の 清くもあるかな」という歌があるが、やはり如意宝珠は澄み切った円(まる)い月(=心)なのではないだろうか。

そして潟(=浦)は心(うら)に通じる気もする。

※心は通常「こころ」と読むが「うら」とも読める。