『セデック・バレ 第二部 虹の橋』 | やりすぎ限界映画入門

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『セデック・バレ 第二部 虹の橋』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2011年/台湾映画/132分
監督:ウェイ・ダーション
出演:リン・チンタイ/マー・ジーシアン/ビビアン・スー/安藤政信/ダーチン/河原さぶ/春田純一/ルオ・メイリン/ランディ・ウェン/ティエン・ジュン/リン・ユアンジエ/シュー・イーファン/スー・ダー/田中千絵/マー・ルーロン/パワン・ナウィ/にいみ啓介/ディーン・フジオカ/北岡龍貴


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:リン・チンタイ


やりすぎ限界男優賞:リン・ユアンジエ


やりすぎ限界男優賞:マー・ジーシアン


やりすぎ限界男優賞:ダーチン


やりすぎ限界女優賞:ルオ・メイリン


やりすぎ限界男優賞:北岡龍貴


やりすぎ限界男優賞:河原さぶ


『セデック・バレ 第一部 太陽旗』のつづき

[「セデック族が日本人にしたことは、いずれ全部セデック族に返ってくる」






■「しかし今回は違う
  お前たちは生贄を捧げ-
  虹を渡る資格を得た
  だが待っているのは
  凱旋の祝宴ではない
  いかに死ぬかだけだ」

  



■「蜂起の前から-
  この結果は
  分かっていたはずだ」





■「子供たちよ
  恐れるな
  狩り場を守る戦士を
  先祖の霊が見守っている
  血に染まった手を見ろ
  真のセデックの証だ
  忘れてはならん
  誇りを持て
  共に虹の橋を渡るんだ」





「日本人がセデック族にしたことは、いずれ全部日本人に返ってくる」なら、「セデック族が日本人にしたことは、いずれ全部セデック族に返ってくる」。「復讐」「戦争」の根源「恨み」は、互いに「絶対永遠に消えない」。




■「バワン
  立派な戦士になったわね
  母さん 嬉しいわ
  虹の橋を渡って待ってる
  戦いが終われば会えるから
  ついて来てはダメ
  最後まで戦うのよ」





■「泣かないで よくお聞き
  もう一人前よ 行きなさい」
 「嫌だ」
 「行って皆と戦いなさい
  さあ お行き」
 「お祖母ちゃん」





「戦死や自殺で644人が死んだ」中に、「還らぬ夫を悼み、自死する女性が相次ぐ」も史実だった。






■「花子
  結婚した時と変わらないな
  とても美しいよ」





■「我が子よ
  父さんたちと一緒に行こう」





■「二郎
  俺たちは天皇の赤子か?
  セデックの子か?」
 「切れよ
  葛藤を切り裂け
  どちらでもない自由な魂になれ」





「日本は見込んだ原住民の子供に日本人子弟のための学校で教育を受けさせた」。日本の教育を受けた花岡一郎と花岡二郎の「最期」、「家族21人が集団自殺したスクレダン山」は「恐らくこうであった」に違いない。

日本人を皆殺しにした結果は、セデック族も皆殺しにされる。

[「日本軍死者数」]






■「強力な武器を備えた
  数千人の武装部隊が
  たった300人余りの
  生蕃の獲物にされて
  きりきり舞いか
  我々の飛行機は
  上空を飛び回り
  ずっと爆弾を落としているのに
  どうして奴らを
  爆撃できないんだ
  貴様たち将校は
  一体何をやってるんだ」





■「凶蕃は攻撃するとすぐに消える
  まるで亡霊のような存在です
  足元がおぼつかない
  険しい山道でも飛ぶように逃げ
  どこから来て どこに消えるのか
  まったく予測がつきません」





■「バワン・ナウイという子供は
  一昨日はここで発見され
  昨日はここに現れ
  今日 ここに出没しました
  この険しい 遠い道のりを
  子供がどうやって移動したのか
  まったく分かりません」





「300人余り」のセデック族が「数千人の武装部隊」を倒したのは、日本人への「恨み」「憎しみ」「怒り」のあまり「史実を基に脚色した」で、セデック族を「最強の戦士」に美化するための「ウェイ・ダーション監督」の「創作」かもしれないと「警戒」。「有料資料」を確認してない「無料資料」のみの調べだが、「霧社事件」「以後」の「日本軍死者数」がどの資料にも載ってない。




だがどの「無料資料」でも「セデック族死者数」は、「先住民約1000人が死亡」とか「戦死や自殺で644人が死んだ」とか「原住民644人が死亡」と共通。「1000人」でも「644人」でもセデック族を殺すには、近い人数が必要なはず。逆に「日本軍死者数」が「無料資料」で「調べられない」まで「隠蔽」されてきた理由が気になった。「300人余り」のセデック族が「数千人の武装部隊」を倒した「衝撃」殆ど「実話」が見えてきた。

[「バカにした」「見下した」「仏様の裁き」]




■「島の民は血の気が多く野蛮で
  すでに武装し皇軍に
  抵抗するなどと聞いておるが
  統率のない雑魚兵など
  恐れぬに足りぬ」





■「戦士?
  君は奴らを戦士と呼ぶのか」





■「綿密な計画?
  樺沢君
  君はこの野蛮人どもを
  買いかぶりすぎじゃないかね」





■「これは動物的な
  野蛮行為にすぎない」


「島の民は血の気が多く野蛮」「統率のない雑魚兵など 恐れぬに足りぬ」と、セデック族を「バカにした」「見下した」「仏様の裁き」は、「数千人の武装部隊」が「皆殺し」。




■「粗暴な野蛮人どもが
  かくのごとき綿密な
  作戦計画を立てるとは
  軍司令部に
  びらん性ガス砲弾を申請しろ」
 「びらん性ガス砲弾」
 「お前らに文明を与えてやったのに
  反対に我らを野蛮にさせおって
  お前がモーナ・ルダオなら
  私が鎌田弥彦だ」







「セデック族」の最も崇高な「誇り」、「先祖の霊」に恥じない生き方を貫き「虹の橋を渡る」ことを、殆どの日本人が知ろうとしなかった。「想像力」を持つ「人間」なら、どんな「危険性」があるか調べるべきだった。






『セデック・バレ』2部作とは「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」くせに、「偏見」「先入観」「思い込み」で人間を「バカにした」「見下した」結果の「教え」。人間を「バカにしたい」「見下したい」なら、「死ぬのが怖くない」「勇気」「精神力」、絶対揺るがない「殺される覚悟と決意」が必要だと思う。「霧社事件」の「怖さ」「恐怖」が、「絶対忘れてはならない」「教訓」にしか見えない。

[「決別」]





■「我々はもう戦わないぞ!
  やめだ!
  決めた!」
 「貴様!
  戦わないとはどういうことだ
  戦わないとはどういうことだ
  拾え 銃を拾え」
 「手を放せ」

 





■「我々が戦うのは
  義を貫くためだ
  死んだお前の家族の
  復讐のためではない」





子供は「最悪」だったが、中には小島のように理解ある「いい日本人」もいた。だがせっかく友達になれたのに、所詮「敵」「味方」でしかない「決別」の運命へ突き進む。こうまでして「戦争」して、「無限の資源」「領土」を略奪したい人間の「心境」「思想」など「絶対理解できない」。それで「幸せ」「うれしい」気持ちになる人間が「気狂い」にしか見えない。

[「ウェイ・ダーション監督」の「慈悲」]




■「あの臆病者め
  反逆する根性があるなら
  俺と勝負する根性も
  あるだろうが!
  何が戦士だ 何が頭目だ!」







鎌田弥彦(河原さぶ)が「実在の人物」だったの「大きい方垂れ流し」。だが「セデック族の視点」から見て、セデック族を「皆殺し」にした「残虐」「非道」「人間じゃない」「最低男」「極悪人」に「ウェイ・ダーション監督」は、「100年前に失った 武士道の精神を見たのだろうか?」などと、セデック族を「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」する「ちょっといい奴」に、「極悪人」から「史実を基に脚色した」。




■「300人の戦士が
  数千人の大軍に抵抗して
  戦死しない者は自決したとは
  日本から遥か遠い
  この台湾の山岳で
  我々 大和民族が
  100年前に失った
  武士道の精神を見たのだろうか?」







「ウェイ・ダーション監督」の祖先も、本当は日本軍に殺されたかもしれない。なのに日本人を「10000%」「完全」「極悪人」にしなかった「慈悲」「やさしさ」に、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で「大きい方垂れ流し」。

[「憲法改正案」「絶対反対」]




■「いよいよ決戦ですね
  俺たちはもう家族がいません
  戦わせてください
  みんな お腹が空いて
  ろくに寝てませんが-
  日本軍の毒ガス弾で
  死ぬのは嫌です」





■「戦って眠りにつきたい
  俺たち 疲れました
  もう くたくたなんです」







バワン・ナウイ(リン・ユアンジエ)は一体「何歳」なのか? 戦争をしてる国の現実はバワン・ナウイのような子供が「今」も「戦死」してる。






日本は「これでもか」まで「残虐」「非道」「人間じゃない」「人間が絶対やっちゃいけないこと」をやったから、「反省」「懺悔」「償い」で「軍隊」を「放棄」したんじゃないのか? 「二度と戦争をしない」と誓ったんじゃないのか?






「霧社事件」は「仏様の裁き」。これだけ解かってて、「抗日蜂起事件」「霧社事件」の映画を「台湾」に作られてまで、「まだ」「また」「軍隊」を復活させる気なのか? 誰が見ても「一目瞭然」な「記録」が残ってるの見て、「まだ」「また」戦争したいのか?






「第九条」を変えるなど「言語道断」。「全世界」が、「日本を見本にしてみんな戦争止めましょう」と訴えるのが一番正しいんじゃないのか? 「反省」「懺悔」「償い」が「まだまだ」「全然」足りないんじゃないのか? 「絶対第九条を守らなければならない」。「憲法改正案」「絶対反対」。




『セデック・バレ 第一部 太陽旗』
『セデック・バレ 第二部 虹の橋』
『KANO 1931海の向こうの甲子園』[前][後]

画像 2022年 2月