回顧録「いつか見た映画 1991」50『シェルタリング・スカイ』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■『シェルタリング・スカイ』
☆☆☆☆★[85]

1990年/イギリス映画/138分
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:デブラ・ウィンガー/ジョン・マルコヴィッチ/ジル・ベネット/キャンベル・スコット/ティモシー・スポール/エリック・ヴュ=アン

■1991年 劇場公開作品 50本目

淀川先生が「これでもか」というまで大絶賛した『シェルタリング・スカイ』。28年前「新宿ミラノ座」に観に行ったが、冒頭の「NYの映像」、「デブラ・ウィンガー」と「ジョン・マルコヴィッチ」の「崖の上のセックス」以外、「何一つ記憶にない」。以来今日まで一度も見直したことはなかった。「28年間」の時を超え、「2回目」を見た。

結果は、なぜ淀川先生が「これでもか」というまで大絶賛したのか? 「何一つ理解できなかった」。「何一つ見えなかった」。

アフリカの「サハラ」「モロッコ」「タンジール」など、映画全体が魅せる絶景の「極限の美」は理解できた。夫婦の絆をアフリカの「絶景」と、「坂本龍一」の荘厳な「音」で見せたかったのか? また「28年前」、どれほど「デブラ・ウィンガー」が恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” だったか、ぐらいしか理解できなかった。

「理解できない」自分が怖くなり、「28年前」の「評論文」を縋るように読み返し「絶句」した。「淀川長治」とその弟子「おすぎ」が『シェルタリング・スカイ』に見たものを知り、「何一つ理解できなかった」「何一つ見えなかった」、自分の「無知」を、「これでもか」と思い知らされてしまった。

「何一つ理解できなかった」「何一つ見えなかった」僕の「言い訳」は、まず「結婚」してないこと。だが淀川先生もおすぎさんも結婚してない。「結婚」は言い訳にならない。「真実」は僕の「恋愛経験」の少なさ、「人間を見る目」のなさ、だった。

「倦怠期」を迎えた夫婦なら、「映ってるもの全て」見えるのかもしれない。「自転車に乗る二人が何度も後ろを振り向く芝居」など、「全く視界に入らなかった」。「デブラ・ウィンガー」を『嵐が丘』のヒースクリフだと言う淀川先生の言葉が、「何一つ見えなかった」。「28年前」の「評論文」に、どれほど自分が「無知」かを、「再起不能」なまで追い込まれた。「ベルナルド・ベルトルッチ監督」がどれほど恐ろしい人間か、「再起不能」なまで思い知らされた。


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「いつか見た映画 1991」41『ドク・ハリウッド』
「いつか見た映画 1991」42『ビルとテッドの地獄旅行』
「いつか見た映画 1991」43『ザ・コミットメンツ』
「いつか見た映画 1991」44『ロケッティア』
「いつか見た映画 1991」45『恋する人魚たち』
「いつか見た映画 1991」46『激走トラッカー伝説』
「いつか見た映画 1991」47『悲しみよさようなら』
「いつか見た映画 1991」48『エンジェル・アット・マイ…』
「いつか見た映画 1991」49『アイアン・メイズ ピッツバ…』
「いつか見た映画 1991」50『シェルタリング・スカイ』
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画像 2019年 4月