回顧録「いつか見た映画 1991」5『髪結いの亭主』 | やりすぎ限界映画入門

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■『髪結いの亭主』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1990年/フランス映画/80分
監督:パトリス・ルコント
出演:ジャン・ロシュフォール/アンナ・ガリエナ/ロラン・ベルタン/フィリップ・クレヴノ/ジャック・マトゥー/ヘンリー・ホッキング/アンヌ=マリー・ピザニ

■1991年 劇場公開作品 5本目

■第2稿 2020年 3月28日 版

「淀川長治先生」があまりに褒めるので見た映画。だが「鶏」には「パトリス・ルコント監督」の『髪結の亭主』が「全く理解できなかった」。僕にはこれまで見たことがない、「初めて」見る不思議な映画だった。アメリカ映画とは違う「フランス映画」から、「国」という「文化」の違いを感じ始めた時代だった。

まず「鶏」には、「奥さんが自殺」して終わる映画が「絶対納得できない」。「奥さんと生涯イチャイチャして暮らしたい」僕には、「何だこれは!」だった。

だが「結婚」という「現実」について「いろいろ」話を聞くと、「奥さんと生涯イチャイチャして暮らしたい」ことが、とても「難しいらしい」と解かってきた。実際「結婚」の経験がない僕に、「難しいらしい」「現実」を想像することも難しかった。

また「愛」の「絶頂期」に、「愛」を「永遠のもの」にする「感性」の “棲息速度域” に、僕はまだ到達できてない。僕にはまだ「かなり」「遠い世界」に感じる。

だが淀川先生の「映画で、散髪屋があれだけ出たことないね」という話を聞いて、床屋をこれだけ感じさせた映画はなかったことを最近理解できた。確かに、ここまで「匂い」「香り」などを想像させ、「床屋」を「極限の美」の「愛の聖地」のように見せた映画は他にないかもしれない。「今頃」「パトリス・ルコント監督」の「ぶっ飛んだ感性」が、「少し」解かってきて「反省」「償い」にまた追い込まれた。

この歳で今「結婚してない」独り者の「ろくでなし」は、「淀川長治先生」が「愛の心掛け」「結婚の水晶」とまで言った『髪結いの亭主』を理解できる人間になりたい。「ネオ・ヌーベルバーグ」「全盛期」だった『髪結いの亭主』を見ると、「奥さんと生涯イチャイチャして暮らしたい」ことが、とても「難しいらしい」と思い知った「ショック」を「今」も思い出す。僕には忘れられない「思い出の映画」。




■[Previous]
「いつか見た映画 1991」1『愛と哀しみの旅路』
「いつか見た映画 1991」2『あの夏、いちばん静かな海。』
「いつか見た映画 1991」3『イン・ベッド・ウィズ・マ…』
「いつか見た映画 1991」4『いますぐ抱きしめたい』
「いつか見た映画 1991」5『髪結いの亭主』
「いつか見た映画 1991」6『ゴッドファーザー PARTⅢ』
「いつか見た映画 1991」7『シザーハンズ』
「いつか見た映画 1991」8『ダークマン』
「いつか見た映画 1991」9『ターミネーター2』
「いつか見た映画 1991」10『ダンス・ウィズ・ウルブズ』
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画像 2018年 8月