濁れる水の流れつつ澄む 山頭火 (95)
亡くなった山頭火の第一発見者一草庵『その人物は、山頭火の死んだ日の朝、「キンタマのシワまで伸ばして、きれいに拭いてやったぞなもし」と、一草庵に駆けつけた藤岡に語った高橋一洵をおいて他にあるまい、と私は思うようになった。』その人物つまり第一発見者は一洵である。薬物服用で命を絶てば、その肉体は嘔吐の後も毒物を排出しようと非常に汚れたご遺体となる。『九日はどうか。一洵の「なにやかや日記」では、夜七時頃やってきた山翁は、遍路の旅に出ようと思うから句会の時に十円ほど貸してくれ、と一洵に頼んでいる。』句会前日のことだ。しかし山頭火は手が震え出し、旅に出る体力も気力も無かった。だから、旅は普通の旅ではなく、死出の旅路。つまり自殺後の葬儀費用の前借説に賛成。そして、句会の友人が皆集まるところから旅立ちたかったのだろう。『』部 山頭火コロリ往生の真相 (URL下記)【「柿の会」死亡通知】おどろいて見る白い雲のきゆる 緑平月とおれをおいていつてしまつたか さきの世まであるくか 清衛あとを見ずにいつてしまつて秋の夜の月 白船大空ふかくゆく雲のあり白く 無水亡きあと菜がつけてある 和蕾讀んでいただく日記しみじみお火がゆらめく 一洵柱にすげ笠の空しくかゝつてゐるよ 汀火骨かなしみのここ虫なく一草庵 碧水樓虫の夜をひとり佛となられる 千枝女月をしたひ病んでゐる身を縁側へ 布佐女山頭火の周辺にいた人々らしい、千枝女は汀火骨の奥様。藤岡政一は句を出していないが、あまり得意ではなかったのかも。青波わたる、それがとんぼう 白船(松山へ急ぐ船上で)白船あとをも見ずにいってしまって月夜の秋 (訃報 山頭火)もうさかづきもいらぬ佛となって月のあをい葉(山頭火を葬る)その山羊髭のままの佛となってふく風が秋(山頭火を葬る)灰となって灰の中いっぽんはある歯があったと(山頭火を葬る)けさは骨となって戻り、庵のわけぎのうね(山頭火を葬る)白船は葬儀に出なかったと思っていたが、出たのか。山頭火の収骨を終えて撮った写真らしい。写真提供の藤岡照房氏によると、前列左から、村瀬千枝女、藤岡照房、久保白船、照房氏の妹・絢子。後列左から、高橋一洵、村瀬汀火骨、輪袈裟の黒田住職、高木和蕾、そして一番右が藤岡政一とされている。久保白船は1884年生まれ56歳。山頭火死後半年で急逝された。易者じゃないから死相なるものは知らないが、この写真の白船とされる人は生気溢れる印象があって別人と思っていた。https://hizumi-yoitoko.com/news/1236ここには「山頭火の骨を抱きに四国に向かう自分」と記載があるが、誤りだろう。ご子息種田健氏以外の人間が、父たる山頭火のご遺骨をどこかへ移動させるとは考えられない。白船は種田健氏が到着する前に、帰路についているはず。そのことがあるから、種田健氏不在のまま記録用に写真を撮ったのならワカル。https://www.yonden.co.jp/cnt_landl/1810/special.html「『わが家で米を借りても、お金が手に入ると必ず返しに来たそうです。』自由奔放なようで、律儀な一面もあった。」とあるが、無銭飲食で逮捕される人間の「律儀」は俄かには信じがたい。借金癖の或る者の後始末をしてやると、楽になった人は次の借金を必ずする。亡くなると神格化が起きるのは日本的ではあるかもしれないが、山頭火の死因も真実が見えなくなって、結局は山頭火の作品もその本質に於いて理解しがたくなる。『山頭火自身も、澄太の熱い友情と好意に対して、こんなことを書き残している。「友よ、私を買ひかぶる勿れ―と今日も私は私に向かって叫んだ、彼は私を買ひ被つてゐる、私に善意を持ちすぎてゐる、君は私の一面を見て他の一面を見ないやうにしすぎてゐる。」これは、昭和九年十一月の日記なのだが、山頭火の顕彰に際し、このような一面もあることを大山澄太は講演などで率直に語ってゐる』『十七日には、山翁の子息の健が遺骨を抱き、藤岡を伴って仏通寺に大山を訪ねている。』ご子息の種田健氏の到着は16日だった。佛通寺は広島県三原の寺である。山頭火コロリ往生の真相 (URL下記)『満州から長男の健が遺骨を引き取りにやってきた時、かれは出迎えた同人たちに「父は自殺でしたか」と訊きながら肩を落とした。一洵は即座に否定し、「大 往生だった」と健を励ました。』種田健氏は父山頭火の死に顔を見られなかったことに、無念な思いがあったのだろう。自殺の確信もあった。「藤岡照房氏の回想によると、昭和15年10月13日の朝に兄妹とともに父に連れられ、高橋一洵、久保白船と共に山頭火の骨を拾うため、火屋を訪れている」そうだ。(某学芸員に私信で教えを乞いました。)荼毘に伏す時に親族が居ないことに違和感があるが、ご遺体の保存もままならない時代だったし、種田健氏の了解のもとでの火葬収骨であったと理解する。山頭火コロリ往生の真相 (URL下記)http://www.ehime-furusatojuku.com/contents/hoj/wp-content/uploads/sites/5/2017/01/623088bc93de41c7af3c67e1b4767bfc.pdf満州から松山に駆けつけた種田健氏によって、故山頭火は郷里防府の護国寺裏共同墓地に葬られた。(元妻サキノの住んでいた熊本市の安国禅寺には分骨墓がある。)最近になって誰かが、墓へ供えたのだろうが、俳句が間違っている。うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする 孤寒前書に「母の四十七回忌」山頭火護国寺の句碑兼崎地橙孫の揮毫による枝に花が梅のしづけさ梅が香りではないところが新しいところがあるが、墓に刻むほどのものか。後になり先になり梅にほふhttps://hofu-santoka.jp/montlyhaiku/1803/濁れる水の流れつつ澄む 一草庵書は山頭火の直筆。酔っている感じもするが。(続く)